第22話 帝国の魔法剣士
靖枝の出産に際して、まず最初にすべきは母子の状態をできるだけ回復することだった。
精神に大きく作用する魔力を体内に取り入れることは、状態回復にそれなりの効果があった。
魔力回復の腕輪には、魔力酔いを防ぐ以外の狙いもあったのだ。
そこへ花梨のサポートが加わり、魔力を通常より早く靖枝の身体になじませることができた。
異世界へ転移したあと、すぐに輸血を行なった。
これには体液を介した魔力譲渡の意味合いもあるが、それ以上に重要なのが【健康体】スキルの限定的な付与だった。
【健康体α】保持者の体液を体内に取り入れた者は、一時的に【健康体】スキルを得られることが、管理者の解析により判明しており、今回それは【鑑定+】を通じて陽一の知るところとなった。
カジノ店員のシャーロットが訓練によって得た各種耐性が、慢性的な中毒症状といった状態異常と判定されたうえで消えたのは、この効果によるものだ。
そこから【健康体β】習得に至る経緯はまだ解明されていないが。
もし陽一と靖枝の血液型が違っていれば経口投与などが必要だったが、幸い同じだったため、より効率のいい輸血という手段をとることができた。
だれの血液かを秘匿するため、採血はシャーロットに頼んで事前に済ませておき、輸血は術式説明の合間に行なった。
「んぅ……ここ……は……?」
輸血が終わって数分後には靖枝の意識が回復した。
顔色も多少よくなり、心電図等での状態も万全とはいえないが、かなりましな状態になった。
そこからさらに実里の魔術と花梨の魔力操作で、靖枝の状態を回復させ、いよいよ手術開始となる。
「麻酔は使わず、部分的な〈痛覚軽減〉を行ないます」
実里の魔術により、下半身の痛覚がほぼ無効化される。
麻酔による痛みの除去は、こちらの世界でいえば『状態異常:麻痺』に近いものであり、痛覚を鈍麻させる以外にもさまざまな副作用があるため、今回は採用しなかった。
だが、決して麻酔が
ただ、こちらの世界に来たばかりの靖枝に、いきなり痛覚を遮断するようなかたちで魔術をかけるのはよくないだろうということで、効果が出るまでゆっくりと時間をかけることにした。
そのあいだ、実里以外は休憩を取り、花梨はここで一度手術室を抜けて陽一を呼びにいったのだった。
30分ほどかけてゆっくりと魔術は効果を現わし、そろそろ手術を再開しようかというときに、花梨が戻ってきた。
実里ほど魔法や魔術が得意ではない花梨だが、自分ひとりを滅菌するくらいのことはできるので、部屋に入るともといた場所に戻って靖枝の手を握った。
「感覚はありますか?」
靖枝の腹に触れた医師が尋ねると、彼女は虚ろな瞳のまま、小さく頷いた。
状態が回復したとはいえ、万全にはほど遠く、彼女の意識は朦朧としていた。
「これはどうです? 痛いですか?」
腹を強めにつねって尋ねる医師に対しては、首を横に振る。
「触られている感覚はある? ……ふむう」
再び頷く靖枝の反応に、医師は短くうなった。
「一定以上の強い感覚のみを遮断しているのか……おもしろい」
「先生、感心してないで始めないと」
「ああ、悪い」
同行したスタッフに窘められた医師は、靖枝の腹にメスを入れた。
その瞬間、少し離れた場所から手術を見守っていた彼女の両親が息を呑んだ。
近年、術後の傷跡が目立ちづらいということで、横に切開する例も増えているようだが、胎児
「本当に、血が出ないんだな……」
実里が施した〈止血〉の魔術効果により、切開した場所からはほとんど出血がなかった。
「よし、これなら娩出まで問題はなさそうだ」
医師はそういって、さらに手術を進めていった。
○●○●
「とりあえずこれに着替えてくれ」
臨時の分娩室となった部屋の前に到着すると、陽一は【無限収納+】から取り出した手術着を渡した。
一応【無限収納+】のメンテナンス機能を使って雑菌やウィルスは分離しており、このあたり一帯は部屋の前で待機していたオルタンスによる〈浄化〉がかけられていた。
「一応中に入る前にひとり呼んで、念のため滅菌してもらう必要があるんだけど」
「あ、必要ねぇッス」
アレクがそう言ったあと、辺りの空気が少しだけ変わったように、陽一は感じた。
「まさか、いま滅菌を?」
「ええ。戦場じゃ衛生管理は重要ッスからね」
こちらの世界に転生して20年。アレクはただ漫然と生きてきたわけではないようだ。
陽一は用意していたインカムのスイッチを入れた。
「俺だ、陽一だ。花梨から聞いていると思うけど、いまからひとり、術後のサポート要員を入れる。滅菌済みだからそのまま迎え入れてくれ」
『了解』
医療スタッフのひとりが返答する。
今回のプランで母子の命は確実に救えるのだが、術後の後遺症については多少の覚悟が必要だった。
この段階での追加要員ということで、後遺症の軽減に役立つ人員を新たに確保できたと、中の人たちは解釈してくれたようだ。
「東堂くん、いけるか?」
「うっす。もう覚悟はできてるッス」
キャップとマスクのあいだから覗く目に迷いは見えない。
「あらあら目が怖いわよ? もっとリラックスしなさいな」
どうも緊張で固くなりすぎている様子のアレクを、オルタンスが窘める。
「彼女の言うとおりね。アレク、もっと肩の力を抜いて。あまり気負わず、素直な気持ちでいれば大丈夫よ」
ふたりの言葉に、アレクは大きく息を吐き、目元が幾分か穏やかになった。
「じゃあ、いってきます」
ドアを開けて中に入る。
無機質な機械音を立てる、異世界に不似合いな電子機器。
テレビドラマでしか見たことのないような、手術衣を身にまとった数名の人たち。
(靖枝……!!)
その奥に、懐かしい妻の顔があった。
入室した瞬間、一部のスタッフはちらりとアレクを見たが、皆すぐに視線を戻し、靖枝はとくに反応せずぼんやりと自分の腹部を見ていた。
(俺が死んだせいで……苦労をかけたのかな……?)
靖枝の顔は、アレクが……いや、洋一が覚えているよりも少し痩せたように見えた。
部屋に入ったまま動けずにいるアレクをよそに、手術は順調に進んでいき、おどろくほどあっさりと胎児は取り出された。
(俺の……子供……?)
アレクは取り上げられた子供の姿を目で追った。
そして靖枝もまた、我が子の姿を目で追うように顔を上げ視線を動かしたのだが、そのとき少し視線が逸れ、アレクを視界に捉えた。
その瞬間、靖枝は大きく目を見開き、さらに口を開こうとしたのだが――、
「先生! 呼吸が……!!」
赤子を取り上げたスタッフが、その尻を何度も叩いたが、反応がない。
靖枝の視線はアレクから外れ、赤子に向けられた。
「実里! 魔術でなんとかならない!?」
花梨の問いかけに、実里は靖枝の腹に手をかざしながら、首を横に振った。
「だめ……! いま、集中しないと、お母さんが……!!」
術後の回復は実里の担当だった。
いくら〈止血〉しているとはいえ、腹を切り開いた状態を長く続けるのは危険だ。
といって通常の処置に耐えうるだけの体力が、いまの靖枝にはない。
「ぅぁ……わた、し……より……」
自分より赤ちゃんを!!
いまだ朦朧とした意識のまま、靖枝がそう訴えようとしたのと同時に、アレクは歩き始めていた。
そして母子のもとに歩み寄った彼が手をかざすと、赤子が淡い光に包まれる。
「……ォァァアア!」
その第一声を皮切りに、赤子は元気よく泣き始め、ほどなく室内は歓声に包まれた。
「君、よくやってくれた!」
「いえ……」
医師に肩を強く叩かれたアレクは、照れくさそうに小さく応えて、靖枝のそばに立った。
「あとは、オレが」
へその緒の処理が終わったところで、アレクが靖枝の腹に手をかざすと、みるみるうちに傷が塞がっていき、傷痕すら見えなくなった。
「……すごい」
その手腕に、実里は感嘆の声を上げた。
「帝国の冒険者に、即死でなければどんな怪我でも治せるという、規格外の
凜とした声に、アレクは振り向いた。
キャップとマスクのあいだから覗く銀色の瞳には、興味深げな感情が見て取れた。
「確か名をアレクサンドル・バルシュミーデといったか」
「はは……」
愛想笑いではぐらしたアレクは、踵を返した。
「じゃあ、オレはこれで」
もっと靖枝といたいと思った。
赤子を抱いてみたいとも思った。
しかし、いましがた名を呼ばれ、靖枝と子供にとって今の自分は他人なのだと思い直した。
出産の手助けをし、無事見届けることもできたので、これで充分だと、そう考えて歩き出そうとしたとき――、
「よう……いち……?」
――靖枝の声が聞こえた。
「よういち……だよね……?」
靖枝の言葉に、実里とアラーナは驚き、花梨も一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかく目を細めた。
だがその場で誰よりも驚いたのはアレクだろう。
彼は思わず振り向き、そして彼女と目が合った。
「あぁ……やっぱり、よういちだぁ……」
靖枝はまだどこか虚ろな視線をアレクに向けたまま、薄くほほ笑み、力なく手を伸ばした。
「靖枝……」
アレクは思わず彼女の名を呼び、手を取った。
「ありがとう、洋一……きてくれたんだね……」
「……ああ。よく、がんばったな」
その声を聞いた靖枝は、アレクの手を強く握って身体を起こし、彼に抱きついた。
「うあああ……洋一ぃ……!!」
まだうまく力が入らないのか、ほとんどもたれかかるだけの靖枝を、アレクは受け止め、強く抱きしめてやった。
「ごめんな、ひとりにして……」
「あああ……洋一……さみしかったよ……!」
「うん」
「こわかったよ……!」
「うん」
靖枝は震える手をアレクの背中に回し、精一杯の力で彼の身体を抱きしめた。
「会いたかったよ……!!」
「うん」
それからしばらくのあいだ、部屋の中は靖枝と赤子の泣き声に包まれるのだった。
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