第21話 それぞれの事情

 アレクはすでにエマへ転生について話しているようだったので、彼女にも同席してもらい、これまでの経緯を説明していく。


 ただし、東堂家のことを話すとややこしくなりそうだったので、その辺りは適当にごまかした。


「そッスか……。そっちじゃ、あれからまだ何ヵ月も経ってないんすねぇ」


 陽一の話を聞いたあともしばらく無言だったアレクは、戸惑いがちにそう言った。


「手術はまだ始まってないってことだから、出産には立ち会えるぞ?」


 そこで陽一は一度花梨に目を向け、彼女が頷くのを見て再びアレクに向き直った。

 突然込み入った話を聞かされた花梨には、言いたいことも聞きたいことも山ほどあるだろうが、彼女は口を挟むことなく黙って話に耳を傾けていた。


「オレの子……ッスか……」


 どこを見るでもなくうつむきがちにそう言ったあと、アレクはふと顔を上げる。


「そっちじゃまだちょっと前の出来事かも知れないッスけど、オレにとってはもう20年も前のことなんスよ」


 そして彼はそう言って力なくほほ笑んだ。


「20年間オレはこっちで生きてきて、いろんな人と知り合って、大切な人もできた」


 そこでアレクは、ちらりとエマを見たあと、再び陽一に視線を戻した。


「いきなり20年前のこと蒸し返されて、いろいろ言われても、オレはどうしていいのかわかんねぇッスよ」

「そっか……」


 もしかしたら自分は少し舞い上がっていたのかも知れない、と陽一は思った。


 靖枝ら家族を苦難から助け、出産に危険が伴うと知って異世界に連れてきた。

 そこへ、死んだ彼女の夫の記憶を持つ青年がタイミングよく自分を訪ねてきたものだから、出産に立ち会わせてやろうと息巻いてきたが、よくよく考えれば善意の押しつけだったのかも知れない。


 靖枝にとって東堂洋一は故人であり、アレクサンドル・バルシュミーデにはすでに彼の人生があるのだ。


「悪かったな。君の事情も知らず、勝手に話を進めようとして……」

「いえ、お気遣いには感謝します」


 アレクは神妙にそう答えると、深く頭を下げた。


「じゃあ、俺は手術が始まる前に戻るわ。よかったらここは俺が持つから、好きなもの注文していってよ。落ち着いたらまたゆっくり話そう」

「ちょっといいかしら」


 陽一が立ち上がったところで、エマが陽一に声をかけた。


「私、いまだに異世界とか転生とかよくわかってないのだけど、ようはアレクの奧さんが彼の子供をこれから産もうとしてるってことよね?」

「まぁ、そういう認識で間違いはない、かな……」


 陽一はエマの言葉を脳内で反芻はんすうし、彼女の言葉を肯定した。


「おい、エマ」


 エマを窘めようとアレクは声を上げたが、彼女はそれを視線で制し、さらに陽一へと問いかける。


「ヨーイチさんの国……ニホン、だったかしら? その、ニホンでは、父親が出産に立ち会うのは普通のことなのかしら?」

「んー、もともとそういう習慣があったわけじゃないけど、最近は立ち会うことが多いのかな」

「新しい習慣だけど、好意的に受け入れられてる?」

「うーんどうだろう……」

「少なくともあたしの周りで出産の立ち会いを経験した人は、嬉しそうに話してたわね」


 返答に困って首を傾げる陽一に代わって、花梨が答えた。


「そう……」

 そこでエマは軽くうつむき、口に手を当ててなにか考え始めた。

 3人の男女がそれを無言で見守るなか、彼女は1分ほどで顔を上げた。


「ねえアレク」

「……なに?」

「いつか私があなたの子供を産むとして」

「はい?」


 自分の言葉に対して間抜けな声を上げたアレクを、エマはジトリとねめつけた。


「あ、うん、続けて……」


 アレクの態度に短くため息をついたあと、エマは表情をあらためて再び話し始めた。


「私がアレクの子供を産むとき、近くにあなたがいてくれたら、とても心強いと思うの」

「エマ……」

「そして子供が生まれた瞬間、あなたとその喜びを分かち合えるとしたら、それは素敵なことだと思うわ」


 そこでエマは言葉を切り、アレクを見据えた。


「あなたの奧さんがいま難しい出産に臨んでいるのなら、あなたがそばにいてくれると心強いのじゃないかしら? 子供が生まれた瞬間、あなたがそばにいれば、とても嬉しいんじゃないかしら?」

「でも……俺は……」

「ねぇアレク」


 エマが、フッと表情を緩める。


「あなたここにくるまで、トコロテンの人に会えることをすごく楽しみにしてたわよね?」

「……ああ」

「でもときどきものすごくつらそうな顔してた」

「……!?」

「それって、もしかして奧さんのことを考えてたからじゃないの?」

「いや、そんなことは……。俺にとっては20年も前のことだし、それに、俺にはもうエマが――」

「私を言い訳にしないで」

「――うぅ……」


 エマに痛いところを突かれたのか、アレクは言葉を詰まらせた。


「そもそも奧さんとのことは私と出会う前……いいえ、それどころか生まれる前のことでしょう? そんな昔のことを気にするほど、私の心は狭くないわ」


 軽くおどけたように肩をすくめたあと、エマは再び真剣な表情になり、アレクを見つめる。


「私はあなたがなにを思っていたのか、いまなにを考えているのか、本当のことが知りたいの。言いたくなければ、無理にとは言わないけど」

「オレは……」


 エマから目を逸らし、うつむきがちのままアレクは話し始めた。


「トコロテンの名前を目にしたとき、真っ先に思い浮かんだのは靖枝のことだった。あの日、出社するオレを、大きなお腹を抱えて見送ってくれた、妻の姿だった」


 少しつらそうに言葉を紡ぐアレクに向けたエマの眼差しが、少し柔らかくなっていることに、目を逸らしたままの彼はまだ気づいていない。


「元気にしているだろうか。子供はちゃんと生まれただろうか。シングルマザーで苦労してないだろうか。それともいい人に巡り会えたかな。その人に、オレの子はちゃんと懐いてるかな。でも20歳ならもう大人か。できれば酒が飲みたかったな……そんなことばっかり、ぐるぐるぐるぐる思い浮かんできて……」


 いつの間にか、アレクの目からはポロポロと涙がこぼれ落ちていた。


「でも、もう会えないんだ。東堂洋一はとっくの昔に死んでいて、オレはアレクサンドルっていう別人だから。遠い世界のことだけど、靖枝は子供を無事に産んで、幸せに暮らしていればいいなって思った。でもときどき靖枝にはオレを思い出して欲しいなって……なのに……」


 涙を流しながらうつむいたアレクは、しばらく言葉を詰まらせて肩をふるわせていたが、不意に勢いよく立ち上がり、陽一に詰め寄った。


「藤堂さんがあっちとこっちを行き来できるってどういうことッスか!?」


 さらにアレクは、陽一の襟首をつかむ。


「そのうえそっちじゃまだ何ヵ月も経ってなくて、子供も生まれてなくて、っていうかいままさに子供が生まれようとしてるって言われて、オレぁどうすりゃいいんスか!?」

「東堂くん……」

「もうね……わけわかんないッスよ……」


 陽一の襟をつかむ手から力が抜け、アレクはうなだれた。


「あなたはどうしたいの、アレク?」


 いつの間にか立ち上がっていたエマが問いかける。


「オレは……」


 エマのまっすぐな言葉と視線を受けたアレクは、陽一から手を離し、少しよろめくようにあとずさると、胸の前で両手を広げ、自分の身体を見下ろした。


「でも……オレは、こんなナリだし……いまの靖枝にとっちゃあ赤の他人だし……」

「そんなの遠い親戚とか昔世話になった知人とか、適当にごまかせばいいのよ」


 エマの言葉にアレクは驚き、顔を上げて彼女を見返した。


「もう一度聞くわ。アレク、あなたはどうしたいの?」

「オレは……」


 エマを見つめたまま、アレクの表情がくしゃりと崩れる。


「会いてぇ……靖枝に会いてぇよぉ……」


 口元をわななかせながら心情を吐露したアレクは、その場に崩れ落ちた。

 そんなアレクに歩み寄ったエマは、ふわりと彼を抱きしめた。


「ごめん……エマ……ごめんなぁ……」

「ばかね、謝ることなんてないのよ」


 アレクを優しく胸に抱くエマは、目に涙を浮かべながら穏やかにほほ笑んでいた。


「女の人ってのはすげぇもんだなぁ……」


 そんなふたりの様子を見ながら、陽一はそう呟いた。


 花梨は椅子に座ったまま陽一を見上げ、少し寂しげな表情を浮かべていたが、勢いよく立ち上がったその口元には笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、あたしは先に戻ってるね。アレクさんのことは……」


 そこで一旦言葉を区切った花梨は、少し真剣な表情でアレクを見たあと、すぐに陽一へと視線を戻し、フッと微笑んだ。


「追加のスタッフってことにしましょうか。近親者以外が立ち会うっていうのは不自然だし」

「ああ、そうだな」


 陽一は花梨の答えに同意し、大きく頷いた。

 チラリとアレクたちのほうを見たが、ふたりに花梨の提案は届いていなそうなので、あとで陽一が伝えなければならないだろう。


「落ち着いたら連れてきてちょうだい。あたしのほうでも簡単に受け入れの準備を整えておくから」

「ありがとう。助かるよ」

「ふふ……じゃあ、行くわね」


 花梨は陽一に微笑みかけたあと、アレクとエマを一瞥いちべつし、踵を返して個室を出ようとした。


「花梨……!」


 スタスタと歩き始めた花梨を、陽一は思わず呼び止めてしまう。


「……なに?」


 名を呼ばれて立ち止まった花梨は、彼に背を向けたまま返事をした。


「いや、その……」


 自分でもなぜ花梨を呼び止めたのかよくわからなかった。

 咄嗟に呼び止めてしまい、その理由を考えていた陽一は、彼女が歩き出す直前、自分に向けた表情を思い出す。


「大丈夫か?」


 そのときの微笑みは、どこか無理をしているようではなかったか。

 気のせいかも知れないが、なんとなくそう思ったから、陽一は花梨を呼び止めたのだろう。


「どうしたのよ、急に?」


 花梨はあいかわらず陽一に背を向けたまま問い返した。


「いや、なんというか、その……」

「他人の魔力を操るなんて慣れないことしてるから、疲れちゃったのよ」


 なんと言うべきか迷う陽一の言葉にかぶせるようにそう言うと、ようやく花梨は振り返った。


「心配かけちゃダメだと思って隠してるつもりだったけど、バレちゃったか……たはは」


 そして花梨は困ったように苦笑を漏らし、わざとらしく肩をすくめた。


「そっか……。あんまり無理するなよ?」

「あと30分かそこらの勝負でしょう? ここで手を抜いて後悔するのも嫌だから、ちょっとくらいは無理するわよ」


 なんと言えばいいのかと眉根を寄せる陽一に、少し離れていた花梨はスタスタと歩み寄り、彼の胸をドンと拳で軽く叩いた。


「陽一のくせにあたしの心配するなんて、10年早いのよ。みんないるんだから大丈夫だって」


 そう言うと花梨はにかっと歯を見せて笑った。


「おおっと、モタモタしてる場合じゃないわね。じゃあ行くわ」

「お、おう」


 最後にもう一度軽く胸を叩いたあと、花梨は踵を返し、陽一に背を向けたまま手をひらひらと振って小走りに去っていた。


「花梨……」


 最後に見せた笑顔をどこかぎこちなく感じた陽一だったが、結局なにも言えず去っていく花梨の背中を見送るのだった。

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