第19話 アレクサンドル・バルシュミーデ 後編

 ――その日の夜。


 エマは卒業パーティーで着た豪奢なドレスに身を包み、ホテルのベッドに座っていた。

 寮の片づけを早々と終え、この日のために1泊だけ取った部屋。

 もしアレクが来なければ、朝には町を出るつもりだ。


 もうすぐ日付が変わり、誕生日が終わる。



 アレクはホテルへ向かう途中、花屋に寄って花束と飲み物を買った。


 部屋に入ったら「誕生日おめでとう」と言って、花束を渡す。

 ボトルを開け、談笑しながら時を過ごそう。

 そこからは、なるようになるだろう。


 エマの部屋の前に立ったアレクは、ポケットからカードキーを取り出し、扉にかざした。

 ガチャリ、と鍵の開く音が響く。

 軽く深呼吸して、ドアを開けた。


 部屋の中で待っていたエマは、しっかりと化粧をし、卒業パーティーの時と同じドレスを着ていた。

 3年間、何度この娘を抱こうと思っただろう。

 そのたびに自分を制してきた。


 学生だから、まだ子供だから、そしてなにより自分は……。


 しかしいま、学園を卒業し、エマは18歳の誕生日を迎えた。

 己を制する大きな枷が取り払われ、いつもより魅力的な姿の想い人が目の前にいる。


 アレクは持っていた花束と瓶を落とし、ふらふらと引き寄せられるように歩き始めた。


 しかし一歩ごとに足取りは確かなものとなる。

 歩幅は広がり、速度が上がった。

 向こうから同じようにエマが歩み寄ってきていた。


 そしてふたりは抱き合い、唇を重ねた。

 

 最初は唇だけを重ねる軽いキスだったが、アレクがエマの口内に舌を入れると、エマもそれに応えるように舌を絡めてきた。

 激しく求め合うような濃厚なキスのあと、ふたりは顔を離した。


「あの……初めて、だったんだけど……?」

 記念すべきファーストキスでいきなり舌を入れてきたアレクに対し、エマが軽い抗議の視線を向ける。それに応えた彼女自身のことはとりあえず棚に上げておいて。


「あ、いや……その、オレも、一応、初めてだし……うん」


 その言葉にエマの眉が軽く上がった。


「一応……?」

「ええっと、あれだ、この世界に生を受けて初めてというか、なんというか……」

「……アレクってそんな詩人みたいなこと言う人だったかしら?」

「いや、あはは……」

「ま、いいわ」


 少し呆れたようにそう言うと、エマはアレクの首に手を回し、少し背伸びをして軽く唇を重ねた。


「……ベッドまで、連れていって」

「……ああ」


 アレクはエマをお姫様抱っこの要領で軽々と抱え上げると、そのままベッドまで運び、ふわりと下ろした。

 仰向けになったエマにアレクが覆いかぶさり、再び濃厚なキスが始まった。


 唇を重ね、お互いの口内をまさぐりながら抱き合う。

 そうやって2回目のキスを堪能しながら、アレクはエマの背中に手を回した。


「んぅ……」


 アレクの意図を察したエマは恥ずかしそうに身体をよじったが、拒絶するつもりはないようなので、そのままドレスの編み上げ紐に手をかける。

 舌を絡め合いながら紐をほどいたアレクは、ドレスの胸の部分に手をかけた。

 いったん顔を離してエマの方を見ると、エマは数秒アレクと見つめ合ったあと、恥ずかしげに視線を逸らしたが、嫌がる様子は見せなかった。


○●○●《


 行為のあと、ふたりは別々にシャワーを浴びた。


 ここはそれなりにハイグレードなホテルで、部屋には温水の出る魔道具が設置されたシャワールームがある。

 高級なぶん防音もしっかりしているので、エマも心おきなく喘いでいたのだった。


 アレクは一緒にシャワーを浴びたかったが、エマが恥ずかしがったので別々に浴びた。


 ガウンを羽織っただけの湯上がりのエマに、アレクは再び股間が熱くなるのを感じたが、ひとまずは自制し、温風の出るドライヤーのような魔道具でエマの髪を乾かしてやった。

 

 裸で抱き合いたいというエマの要望を受け、ふたりはガウンを脱いでベッドに入った。

 その魅力的な肢体を目の前にし、その柔肌に触れると、自然とアレクの股間は怒張する。

 しかしこれ以上の行為をエマは制した。


「痛いからダメ。無理」

「だったら回復魔法を……」

「だからダメ。この痛みも大切にしたいの」

「ぐぬぬ……」


 しごく残念そうなアレクの顔を見て、エマが少し呆れたように、しかし優しく微笑む。


「これからいくらでもできるんだから、今日くらいは我慢なさい」


 エマは幼子を諭すように、アレクの頭を撫でながらそう言った。


「これから……。そういえば、エマはこれからどうするんだ?」

「決まってるじゃない、冒険者になるわよ」

「え、そうなのか!?」

「ええ、前から決めてたもの」


 半分は嘘である。

 今日、アレクが来なければ実家に帰ろうと思っていた。

 しかし、アレクが来てくれるのなら、この先の人生は彼とともにありたいと思っていたのもまた事実だ。


「え、じゃあオレと一緒に?」

「あら、不満? なら私はソロで活動でもしようかしら」

「いや不満じゃない!! そうか……これからも、エマと一緒に……」


 アレクが嬉しそうに呟くのを見て、エマは胸の奥が温かくなるのを感じた。



 それからふたりは学園の思い出を語り合った。

 とりとめのない、おそらくは朝になれば忘れてしまうようなどうでもいい話を。

 しかしふたりにとっては何物にも代えがたい、珠玉の時間だった。


 話しているうちに、少しずつエマの応答が鈍くなり、やがて彼女は寝息を立て始めた。


 アレクは自分の腕の中で眠る乙女の姿を見つめた。

 先ほどまでは魅力的な大人の女性に見えたエマだが、こうやって眠っているとやはり18歳の少女なのだなと実感する。


(18年か……)


 長いようで短く、短いようで長い、この世界に生まれてからの時間を振り返る。


 そして再び自分の腕の中で寝息を立てる、美しく愛おしい少女に目を向け、アレクはエマの肢体をぐっと抱き寄せた。


「ん……」


 3年前に出会い、いつの間にか惹かれ合っていた。

 彼女の想いに気づかぬふりをし、そして自身の心にふたをしてただの友人として接し続けた。

 楽しくも苦しい時間だった。

 そのエマと、ようやく結ばれた。


 アレクの心は幸福感に満たされつつも、その奥底にはわずかながらの罪悪感があった。

 もし在学中に彼女の想いを受け止めていれば……、自身の心のおもむくままに行動していれば、アレクはその罪悪感に押しつぶされていたかもしれない。


 しかし18年という短いようで長い時間が、そしてなにより3年におよぶ濃密な学園生活が、彼の心にわだかまる過去を薄れさせていった。


 腕にかかる彼女の心地よい重み。

 肩にかかる彼女の穏やかな寝息。

 エマのすべてが愛おしかった。


(もう、自分のために生きてもいいッスよね……?)

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