第18話 アレクサンドル・バルシュミーデ 前編

 アレクサンドル・バルシュミーデ、通称アレクは、帝国士爵バルシュミーデ家の三男としてこの世界に生を受けた。


 バルシュミーデ家は士爵といっても、帝国における多くの士爵がそうであるように、領地を持たない爵位だけの貴族だった。

 士爵家の三男といえば、いずれは家を出て身を立てねばならない、ほぼ平民と変わらぬ立場である。


 士爵はそもそも爵位の相続を認められていないのだが、実際は長男が騎士学校へ入り、卒業後見習い騎士となってある程度の期間任務をこなせば、よほど無能でない限りは士爵となることができる。

 その士爵授与のハードルに、跡継ぎかそうでないかで随分と差があるため、これをもって事実上の相続といわれているのだった。


 バルシュミーデ家の場合、武芸に疎い長男は早々に跡継ぎを次男へと譲り、自身は帝国のエリート養成所である中央高等学園を出て、魔術士ギルドの研究施設へと就職している。

 次男は現在見習いだが、数年で騎士になれるだろうことが確実視されていた。


 つまり、三男のアレクはバルシュミーデ家を出ることが確実となっている。


 ――神童、あるいは天才。


 バルシュミーデ家とつき合いのある、下級貴族界隈におけるアレクの評価である。

 しかし、本人のことをよく知る親しい者からは、神童ではなく怪童、天才ではなく奇才と評されることが多い。


 アレクは、生まれた直後から赤ん坊らしからぬ行動を取り、わずか2歳で他人と言葉を交わせるようになった。

 3歳で読み書きを、5歳で初級の魔術を習得し、8歳のときには一人前の魔術士レベルとなった。

 武芸に関しても非凡であり、10歳にして成人男性と対等に剣を交えるまでに至る。


 しかしその反面、奇行が目立った。


 特に幼少期の謎言語には、親族隣近所一同随分と悩まされた。

 初めてその言葉を聞いた両親は、我が子の発育になんらかの問題があるのではないかと、随分心配したものだった。

 子供が話す意味のない言葉であればまだよかったのだが、誰かが戯れに使った意思疎通の魔道具によって、その謎言語が意味を持つものであるということがわかったとき、周りの人間はある種の恐怖さえ覚えた。


 成長し、言葉を覚えるにつれ謎言語を話すこともなくなったのだが、もしこれが上位貴族や奇特な研究者に知られていれば、なにかの実験にでも使われていたかもしれない。


 才気にあふれ、奇特な行動は目立つものの、基本的に明るく朗らかな性格もあって、まともに話すようになってからのアレクを避けようという人間は、少なくとも彼の周りにはいなくなった。


 気のいい友人に恵まれ、好青年へと成長した彼は、15歳で長男と同じ中央高等学園へ通うことになる。

 アレク自身は気ままな冒険者生活あたりを望んでいたのだが、その才能を見込まれ、学園関係者からぜひにと頼まれたのだ。


 上位貴族でもある学園関係者の頼みを士爵家の者が断るわけにもいかず、アレクは両親の願いに従って学園へと入学したのだった。


 中央高等学園は身分の貴賎を問わず誰もが平等に教育を受けられる、という学園だが、あくまでそれは建前である。

 実際には高い学費か高い能力のどちらかが求められる。


 学費免除となると、異常に競争率の高い入試に合格する必要があり、学園内の平民や下位貴族の割合は1割に満たない。

 しかし裏を返せば9割以上が中位から上位貴族なので、入学してつながりを持てれば将来は安泰となる可能性も高いのだ。


 アレクは学園側から入学を要望されたということもあり、学費も入試も免除となっていた。

 仮に入試を受けたとしても、合格していたと思われるが。


 学園内では身分の上下なくすべての生徒は平等に扱われる、ということになっている。

 無論それもまた建前であり、実際は身分による差別やいじめのたぐいはあるのだが、それでも学園の外に比べれば穏やかなものだ。


 士爵という貴族としては最下位でありながら、入試と学費を免除されるという特別扱いで入学したアレクは、入学当初多くの生徒や、一部の教師から疎んじられた。

 しかし持ち前の能力と性格でもって幾多の困難を排し、最終的には身分を問わず多くの友人を得ることができた。


(ま、結果的には学校に通ってよかったな)


 3年間の学園生活を振り返り、アレクはしみじみとそう思った。


 現在アレクは、入学時に与えられた寮の一室を片づけている。

 昨日卒業式を終え、ひと晩同級生や親しい後輩たちと大騒ぎしたあと、気がつけばこの部屋で目覚めていた。

 寮の引き上げ期限にはまだ10日ほど余裕はあるが、アレクは1日も早く新生活を始めたいと思っていたので、さっさと引っ越しの準備をしているのである。


 あらかた荷物を片づけ終わったアレクは、最初から部屋に備えつけられていた姿見の前に立った。


(18年か……)


 姿見に映るのは、アッシュブロンドの頭髪に、ダークグレーの瞳を持つ美丈夫だった。

 身長は平均より少し高く、体格はどちらかといえば細身だが、シャツの下にははがねのような筋肉がある。


 アレクは頬を撫でながら、いろいろな角度から自分の顔を見ていた。

 コンコン、と部屋のドアがノックされる。


「はい?」


 アレクが返事をしたものの、ドアの前に立つ者は応えない。


「だれだ?」

「……私です」

「ああ、君か」


 それはおそらく3年の学園生活で、最も行動を共にした人物の声だった。


 アレクがドアを開けると、そこにはひとりの女性が立っていた。

 身長はアレクより頭ひとつぶん低いため、いまは軽く見上げるような格好となっている。


 青を基調としたシンプルなデザインのタイトな服は、彼女の見事なボディラインを強調していた。

 形のいい尻、くびれた腰、狭い肩幅、細い腕、そして大きな胸。

 明るい金色の長い髪と翡翠色の瞳、きりりとつり上がった眉と切れ長の目は、人によってはキツいと感じるかもしれないが、10人中8人から9人は美人と評するであろう。


 もしこの場に陽一がいれば『公爵令嬢キター!!』とでも言いそうな容姿の持ち主だった。


 実際その美しい容姿や洗練された挙措きょそから、彼女が上級貴族の令嬢であろうと想像する者は多い。


「エマ、おはよう」


 エマと呼ばれたこの女性、エマ・クレンペラーは、アレクの生まれたバルシュミーデ家よりも上位ではあるが、貴族としては中位にあたる子爵の出である。


 クレンペラー家は子爵ゆえにバルシュミーデ家と違って領地を持ち、爵位の継承も認められているが、エマ自身にはあまり関係のない話だ。


「おはよう。もう、昼だけど」

「ここ、男子寮だぞ?」

「今日くらいはいいでしょ」


 そう言ってエマは軽く微笑みながら、アレクの脇をすり抜けて部屋に入った。


白湯さゆで申し訳ないけど」

「おかまいなく」


 茶葉類は既に荷物の奥底にしまいこんでおり、比較的出しやすい場所にあったカップを2脚取り出したアレクは、部屋に備えつけの魔道具で湯を沸かし、カップに注いで提供した。

 優雅に白湯を飲むエマを見て、昨夜の卒業パーティーでの姿を思い出し、アレクは小さな胸の高鳴りを覚えていた。


 いまは首元まで隠れる服を着ているが、昨日の彼女は胸元が大きく開いた豪奢なドレスを身にまとっており、完全に隠れていてもその大きさに圧倒される乳房の上半分が露出していたのだ。

 その魅惑の谷間に、多くの男性が目を奪われていた。


 無論アレクもその中のひとりだ。


「もう部屋を出るのね」


 少しばかり挙動不審になったアレクの様子を見ることなく、カップに視線を落としたまま、エマは小さく呟いた。


「ん? ああ、ダラダラしてもしょうがないからな」

「私も片づけは終わってるんだけどね」

「そうか」

「で、結局、冒険者になるの?」

「ああ」

「ふふ、よく許可が下りたわね」

「まぁ、入学時とは情勢が変わったからな」

「……そうね」


 アレクは学費と入試を免除されて学園に入学した。

 であれば卒業後の去就についても、学園の要望にある程度応える必要がある。


 学園が望む優秀な卒業生というのは、軍の幹部候補生や近衛兵団、宮廷魔術士団や行政府等の中央で働ける人材であり、入学当時のアレクはそのどれかに入ることを半ば確約された状態だった。


 しかしここ数年、北方にある魔境の動きが活発になってきていた。


 20年ほど前から魔境に不穏な動きが見え始め、魔王の誕生が疑われていたが、ここ2~3年の活発な魔物の動向から、それがほぼ確実視されるようになった。


 魔王が存在するとなれば、魔物の活動はますます活発になることが予想される。


 平時ならともかく、魔物の脅威が高まりつつある昨今、アレクのような優秀な人材が冒険者になることは、国としても大歓迎だった。


「エマはどうするんだ?」

「私は……、アレク次第かしらね」


 エマはそう言ってアレクに力のない微笑みを向けた。


 その華奢な姿から想像もつかないが、エマは身の丈ほどもある大剣を振り回す女戦士で、こと武芸に関してはアレクに比肩する能力の持ち主である。


 高い能力の者同士研鑽けんさんし合うことが多く、また性格も合ったのか、ふたりはよく行動をともにしていた。


 若い男女がお互いを認めて同じ時間を過ごしていれば、やがて惹かれ合うのは必然と言っていい。

 周りからも、『あのふたりはすぐにつき合うだろう』と囁かれていたのだが、結局アレクとエマが友人以上の関係をもつことはなかった。


 エマの生まれたクレンペラー子爵家は2男1女で、彼女にはふたりの兄がいる。

 父は文官として優れており、父の代で領地の経営状態は飛躍的に向上した。

 その文官としての能力は長男に引き継がれ、次男には武芸の才があるため領軍の指揮官となっている。


 つまり、クレンペラー家にエマの居場所はない。


「このまま家に帰れば、そう遠くない将来、私はどこかへ嫁に出されるでしょうね」

「エマ……」


 貴族の娘というのは、政略結婚の道具となることが多い。

 事実、容姿端麗なエマには見合いの申し込みが多かった。


 ただ、父は娘を愛しており、また領地経営がうまくいっているいま、あえて政略結婚の道具にする必要はないため、できるだけエマの望みを叶えてあげようと思っていた。

 学園生活で将来の道を見出すことがかなえば、それを全力でバックアップしてあげようと。


 しかし、卒業後の去就を決めずに帰れば、ほどなく結婚ということになるだろう。


「今日がなんの日か覚えてる?」


 エマはアレクに惹かれている。

 この先も、ともに行動したいと思っている。

 しかし、アレクに受け入れる気がないのであれば、押しかけるつもりはない。

 その時は家に帰り、高い学費を払って学園生活を送らせてくれた父のために、そしてクレンペラー家のために生きようと思っていた。


 もしそうなったとしても、3年間の宝物のような学園生活の思い出を胸に生きていけるだろう。


「……ああ」


 アレクの答えを受けたエマは、テーブルの上に1枚のカードを置いた。


「じゃ、そろそろ行くわね」

「おう……」


 エマは立ち上がり、そのままアレクの部屋を出ていった。

 彼女の背中を見送ったアレクは、テーブルに残されたカードを手に取った。


「ホテルの、カードキーか……」


 エマはこの日、18歳の誕生日を迎えていた。


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