第15話 ルポライター田上泰之
『みなさん! 日本を妖怪の手から護るため、この東堂弘次に清き一票を!』
『東堂家には日本を護る義務があるのです! 夫弘次のご支援よろしくお願いいたします!!』
靖枝の父昭三はテレビを見ながら腕を組み、苦い表情で首を傾げていた。
「どうなってんだ、こりゃあ?」
テレビモニターの向こうで、正気を疑われるようなことを大真面目に語る東堂議員夫妻の姿に、昭三はただただ困惑していた。
東堂親子が最初に異世界の森へと連れられ、日本から姿を消していたのは1日半程度の時間でしかなく、なにかと秘密の多い政治家がそれくらいのあいだ身をくらますというのは、そう珍しい話ではない。
与党からしっかりと公認を受けて選挙対策を練っているのならまだしも、弘次が公認から外れるのはほぼ決定事項であり、党としても彼と連絡が取れなくなっていることは把握していたが、そのことは重要視していなかった。
なのでその後も何度か、数時間ほど日本から姿を消すことがあったが、それもやはり問題にはならなかった。
鎮守の森のニセ巫女ことグレタの話を何度も聞かされ、いよいよ危機感を覚えた東堂夫妻は、持てるコネクションのすべてを使って森で経験したことや、今後日本を襲う――と夫妻が思い込んでいる――脅威について訴え始めたのだった。
「本当に、どうしたのかしらねぇ」
昭三の隣で、冴子は戸惑いと哀れみのこもった呟きを発した。
「まぁ、ウチら周りが穏やかになったのはありがたいが……」
東堂夫妻の乱心をメディアが面白おかしく伝え始めて数日。
昭三は、一応は夫妻の親族である靖枝や自分たちのもとへマスコミ関係者が押し寄せてくるのではないかと警戒したが、そんな気配はまったくなかった。
「この様子だと、もう病院に行っても大丈夫だろうか?」
まだ油断できる段階ではないが、ここ最近の懸案事項は解決したと考えてもいいのだろうかと、夫妻は少しばかり険しい表情を浮かべ、ほとんど同時に視線を動かした。
そこにはリクライニングチェアに身を預けてうたた寝する、自分たちの娘の姿があった。
ここ最近あまり見られないないくらい穏やかな表情で眠る靖枝の姿に、渕上夫妻はふっと表情を緩めるのだった。
○●○●
ネタがあればジャンルを問わず取り扱い、懇意にしている取引先に寄稿する。
紙媒体の売り上げをデジタルニュースのスポンサー料が上回るようになった昨今、情報はスピードが命だった。
いかに早く情報を出し、アクセス数を増やすか。
ネット広告のプレビュー数が収益を左右するデジタルニュースにおいて、正確性は二の次でいい。
「いまや時の人となった東堂弘次の長男、洋一の忘れ形見を宿す妻か。なんで誰も目をつけないかねぇ」
東堂夫妻の乱心に興味を持ち、そこから彼らの情報を洗い始めて靖枝に行き着いたとき、正直に言って出遅れたと思った。
しかしどのニュースサイトも、彼女や先日事故で死んだ洋一のことを報じていなかった。
案外盲点だったのかと小躍りしながら、田上はタクシーに乗って靖枝の家に向かっていた。
「ん……? 記事が削除されてるのか?」
田上は移動中にもまとめサイト――匿名掲示板の情報をまとめたブログサイト――をいくつか巡回して、情報を集めていた。
メジャーなニュースサイトにない情報も、匿名掲示板やSNSには流れていたので、それを手元の端末にまとめていたのだが、つい30分ほど前に訪れたサイトから、該当の記事が削除されていた。
「おいおい、どうなってんだこりゃ?」
さらに、これまで情報ソースに使っていたいくつかのまとめサイトを見ても、あったはずの記事がなくなっていた。
「でも、元の掲示板なら……」
そう思って大規模匿名掲示板を訪れたが、そこからも洋一や靖枝に関する一切の情報が消えていた。
さらにSNS上からも、東堂夫妻と靖枝とのつながりを示唆する情報は削除され、いくつかのアカウントが凍結、あるいは削除されていた。
「ん、メッセージか? ……ちょっと待てどういうこった!?」
田上のSNSアカウントに、いくつかのメッセージが続けて送られてきた。
それらは懇意にしているニュースサイトや雑誌の関係者だった。
『東堂靖枝およびその家族に関わるニュースを我々は一切あつかわない』
文面に多少の差異はあるものの、要約すればそういう内容のメッセージばかりだった。
「まぁでも、ニュースサイトなんざほかにいくらでも……ん、またメッセージ……なんだこりゃ?」
メッセージにはテキストファイルが添付されていた。
ファイルを開くと、そこには田上自身の半生がつづられていた。
それはウェブ事典によくある、有名人の略歴のようなものだった。
「なんだよ、これ……」
しかしそこには、彼の経歴や体験した事実以外のことが書かれていた。
たとえば高校に入学したとき、はじめて恋人ができたとき、就職に失敗したとき、そんな印象的な出来事があった際に、彼がなにを思ったのか、ということまでもが書かれていたのだ。
誰にも言ったことのない心情、あるいは本人ですら忘れていた記憶。
気づけば、スマートフォンを持つ田上の手は無意識のうちに震えていた。
「お客さん、このへんでいいですか?」
タクシー運転手の声に、田上はガバッと顔を上げた。
「あの、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、大丈夫。大丈夫だよ……」
「はぁ。で、このへんでいいですかね?」
「ああ、いや、悪いけど駅に戻ってくれるか?」
ルポライターにとって重要なのは正確性よりもスピード。
しかしなにより優先すべきは身の安全だ。
「そうだよなぁ……。こんな美味しいネタ、だれも手をつけてないわけがないんだよ。あ、そうだ、運転手さん」
「はい?」
「最近なにかおもしろい話、聞いてない? しょーもない噂とかでいいんだけど」
自らを危険に晒してまで真実を追い求めるようなジャーナリスト魂など、彼には必要ない。
端末に保存した洋一と靖枝の情報を自主的に削除した田上は、新たなネタを探し始めるのだった。
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