第13話 その後の東堂家

 ジャナの森の一角に、この場所には不釣り合いなコンテナが鎮座していた。


 コンテナのすぐ隣ではガソリン式の発電機が騒音を上げていたが、森に住む動物や魔物がそれを気にする様子がないのは、魔術によってその音が周りから遮断されているからだ。

 大きなコンテナにも認識阻害の魔術が施されており、そこにそれがあると知らなければ存在に気づくことは困難だろう。


 コンテナの中にはいくつかのモニターが設置され、森の景色が映し出されていた。

複数のルーターで構築された無線LANを経由して、森の各所に設置されたカメラやマイクからの映像と音声を、モニターに出力しているという状況だった。


 機材は元諜報員のカジノ店員であるシャーロットに用意してもらったもので、電波強度や通信速度はかなりのものらしく、インターネットを介さないローカルエリアネットワークによってその性能は遺憾なく発揮されていた。


「つまり、そのすごい機材のおかげで、綺麗な映像がほぼリアルタイムでここに映ってる……らしい」


 コンテナの中にはトコロテンのメンバーである陽一、花梨、実里、アラーナのほかに、いまや準メンバーといっていい錬金鍛冶師のサマンサもいた。

 発電機やコンテナの隠蔽に関わる魔術処理を行なってもらう代わりに、見学を許可したのだ。


「うーん、正直よくわかんないけど、異世界の技術っていうのはすごいね!」


 モニターを覗き込みながら感心するサマンサのすぐそばで、実里とアラーナもうんうんと頷いていた。

 おそらくこのふたりも陽一の説明をほとんど理解できていないだろうが、要は森の中の様子をこの場で確認できる、ということがわかっていれば問題ないのだ。


 そしてこの中でもっともネットワーク関連の知識を持つ花梨は、そんなメンバーの姿にやや呆れたような、しかしどこか優しさを伴う笑みを浮かべていた。


「ふふ、彼女たちの協力はうまく得られたようね」


 少しばかり陽一を揶揄するような口調で呟く花梨の視線の先には、東堂夫妻と対峙するグレタ、ミーナ、ジェシカを映した映像があった。


『ようこそ、鎮守の森へ。それとも、おかえりなさいというべきかしら、ヨーコ?』


 モニターの向こう側で、巫女服姿のグレタが得意げな様子でそう言った。


「鎮守の森ってどういうことなんです?」


 グレタのセリフを聞いた実里が、首を傾げながら陽一に尋ねる。


「東堂家のすぐ裏手には低い山があってね。そこに鎮守の森と呼ばれる雑木林があったのさ」


 しかしバブル期に先代の当主だった洋子の父洋三は、そこを更地にし、一部をゴルフ場にしてしまった。

 そのとき、古くから住む地元住民から「バチが当たるぞ!」などと言われてかなりの反対を受けたようだが、洋三は気にせず開発を断行した。


 当時は日本全国どこでも似たようなことが起こっていたので、洋子もとくに気にはしていなかったようだ。


「そこで赤い閃光の面々にちょっとした協力を依頼したわけ。随分な対価を払わされたような気もするけど……」


 結局陽一はあの日、求められるまま、日が昇るまで3人の相手を続けた。


「とか言いながらぁ……楽しかったんじゃない?」

「まぁ、否定はしない」


 花梨の言葉に短く答えると、陽一は少し居心地悪げに視線を逸らした。


 トコロテンのメンバーとはタイプの異なる女性3人と、比喩でもなんでもなくドロドロになるまで絡み合ったのだ。

 男冥利おとこみょうりに尽きるというものだろう。


「しかし、さすが元女優ってだけあって、グレタの演技は見事だな……」


 設定としてはミーナが鎮守の森に住まう猫神様、ジェシカが犬神様で、グレタはその巫女ということになっている。


「ヨーイチどの、なぜこのようなまわりくどいことを?」


 当初の予定では、東堂親子をジャナの森に放り出して終わりにするつもりだった。

 議員家族が選挙を前に突然失踪するというのは結構な大事件だが、勝てる見込みのない候補者がプレッシャーに耐えかねて逃げ出した、ということでいずれ騒ぎは収まっただろう。


「なんというか、ミーナとジェシカを見てピンときちゃったんだよなぁ……。あとは、そうだな……このあいだ実里も言ってくれたんだけど、真面目に対応したらあの連中と同じ土俵に立つみたいで嫌だったってのもあるかな」

「ふむ、どうせなら思い切り茶化してやろう、と?」

「そんな感じ」


 少しバツが悪そうにぎこちない笑みを浮かべた陽一は、モニターのほうに顔を向け、アラーナと実里もそれに続くように視線を動かした。


「趣味がいいんだか悪いんだか……」


 花梨は陽一の考えにそんな感想を述べて、肩をすくめた。


「ふむふむ……。この線が外の"るーたー"に繋がっていて、その"るーたー"が"かめら"から出された信号を受けているのかぁ」


 一方サマンサは陽一が持ち込んだ機材のほうに夢中で、モニターの向こう側で繰り広げられる茶番劇には興味がないらしい。


「そういえばあの奧さん、普通にゴブリンを撃ってましたね」


 自分が初めてゴブリンを殺したときのことを思い出したのか、少し苦い表情を浮かべながら実里が呟いた。

 魔物とはいえ人型の存在を殺す、ということへの忌避感は相当なもので、そのストレスを克服できずに廃業する冒険者もいるほどだ。

 にもかかわらず、東堂夫人は拳銃の一撃でゴブリンを倒し、その後も近寄る魔物に対して容赦なく銃撃を浴びせていた。


「あの奧さん、見かけによらずアクティブな人らしくてね。淑女のたしなみだかなんだかで、海外で実弾射撃の経験がそれなりにあるらしい」

「じゃあ、もしかして……?」


 途中で言葉を切った実里の意図を察した陽一は、軽く笑みを浮かべて頭を振った。


「あくまで訓練だけで、実戦経験はないみたいだ。いまは理解不能な状況でいっぱいいっぱいになってるせいで、一時的に感覚がおかしくなってるんだろうね」


 モニターの向こうではグレタが芝居がかった口調で話を続けていた。


『あなたたちも見たでしょう? この森に棲む異形の存在を!』

『は……はい!』


 得意げな口調で話すグレタのすぐ近くに洋子はひざまずき、崇めるような格好で巫女姿の彼女を見上げていた。

 夫の弘次はへたり込んでいたが、一応意識は保ち、話を聞いているようだ。


「む、そういえばなぜあの夫妻にはグレタの言葉が通じておるのだ?」

「普段からはめている結婚指輪を、意思疎通の魔道具にすり替えておいた」

「デザインも大きさもまったく同じものを作ったからね。気づきやしないさ」


 途中からふたりの会話が耳に入っていたのか、サマンサはそう言って薄い胸を張った。


『あれらは異界のヨウカイ』

『よ、妖怪!?』

『そうです。そもそもトードー家は、代々異界とニホンとをつなぐ門の守護者なのです。その護るべき門を、先代のヨーゾーは愚かにも破壊してしまった』

『門が、閉ざされたということでしょうか?』


 洋子の問いかけに、エセ巫女グレタはおごそかな表情のままゆっくりと頭を振る。


『森がなくなったことで、異界の門は別の場所に繋がってしまった……』

『別の場所? それはいったい……』

『フジの樹海です!』

『な、なんということでしょう!?』


 そこからグレタは異界の妖怪がいかに危険な存在であるか、その妖怪がやがて大挙して日本を襲うだろうといった予言じみたことを、洋子に告げた。


『いいですか、あなたたちはトードー家の使命として、この危機を多くの人に知らせるのです。もう時間がありません。手遅れになればやがてニホンは……いえ、世界は滅びを迎えることでしょう……』


 そう告げたあと、グレタは踵を返した。


『……』


 そしてぼんやりと立つ猫神様ことミーナ、犬神様ことジェシカと向かい合う。


「あのふたり段取り忘れてんな?」


 グレタの目配せに反応しないミーナとジェシカの様子からそう判断した陽一は、マイクを手元に引き寄せ、トークバックスイッチを押して話しかけた。


「ミーナ、ジェシカ、とりあえずうしろ向け!」


 突然耳元で陽一の声がしたことに驚いたのか、ミーナとジェシカはビクンと身体を震わせたあと、キョロキョロと辺りを見回した。


 トークバックがオンになった状態のマイクが拾った音声は、赤い閃光の3名が装着しているイヤーモニターへ、無線で飛ばされる仕組みになっているのだ。

 同じくグレタにも声は届いているはずだが、彼女はとくに動じなかった。


「いや、なんかあったら指示だすって言っただろ?」


 続けて陽一の声を聞いたふたりは、事前の打ち合わせを思い出したのか、慌ててうしろを向いた。


「よし、じゃあゆっくり歩きながらミーナは〈おんぎょう〉を」


 盗賊のミーナが得意とする〈隠行〉の魔術を使い、自分たちの姿を闇に紛れさせる。


『ああ! 待ってください!! 猫神様! 犬神様! 巫女様ぁっ!!』


 ひざまずいたまますがるように手を伸ばす洋子の前から、3人は霧のように姿を消した――。


「――はずなんだけど、夫妻の前からは消えてるんだよな、これ?」


 しかしモニターの向こう側に映る赤い閃光の3人は、東堂夫妻から離れるようにただゆっくりと歩いているようにしか見えない。


「なるほど、人の目をごまかすことができる魔術も、キカイの目はごまかせないのかぁ」


 そしてサマンサはそのことに強い興味を引かれているようだった。


「とりあえず茶番劇は終わりってことで、実里、行こうか」

「はい」

「一応モニターの監視は引き続きこっちでやっとくわね」


 花梨の言葉に、陽一は無言で頷く。

 コンテナを出た陽一と実里は森の中を駆け出した。


 そして陽一の先導で追いついた、それほど離れていない場所にいた東堂夫妻の意識を、実里は魔術で刈り取るのだった。


○●○●


 異世界から日本に戻った東堂夫妻は、自分たちの体験が信じられなかったようで、数日は動きを見せなかった。


「というわけで、再び犬神様と猫神様に登場いただきたいんだけど……」

「いや、もう茶番はこりごりだよ……」

「私ももう、さすがにあれはちょっと……」

「あら、私は結構楽しかったですわよ?」


 嫌がるミーナとジェシカの協力を諦めた陽一は、グレタにのみ継続して働いてもらうことにした。


 台本を渡され、セリフを覚えて演じるという行為を、彼女は心底楽しんでいるようだった。



 その後、東堂夫妻は何度か見知らぬ森に連去られては巫女の警告を受けたことと、次男が帰ってこないことですべてを事実と信じた。


「鎮守の森の守人、東堂家当主たるこの東堂弘次が、直接巫女様より警告をたまわったのです! 危険はすぐそこに迫っています!! 妖怪どもの侵攻からこの国を、いえ、世界を護るためには、私個人の力では足りません! 国が動かねば! そして世界が手を取り合って戦わねばならないのです!! どうか! どうか東堂弘次に清き1票をッッ」


 そして東堂家の持てるカネとコネをフル活用して、異界からの侵攻の危機を訴え始めた。


 現職議員が起こした奇矯な行動をメディアは面白がって報道し、弘次は当たり前のように与党の公認を取り消されることとなった。

 しかし東堂夫妻にしてみれば望むところであり、彼らは『富士の森鎮守の会』という政治団体を新たに立ち上げ、解散総選挙に挑んだ。


 いうまでもなく落選したが、現職議員の錯乱ともいえる行動を面白がった有権者が投票し、それなりの得票数があったのだとか。



 ――数年後。


「そういえば最近、東堂ご夫妻のこと、あんまり見なくなったわね」

「最初のころは情報バラエティやらオカルト番組やらによく出てたけどなぁ。まぁあの人らガチだから、演出とか関係なしによく暴走してたし、テレビでは使いづらくなったんだろ」

「そのあともしばらくはネット動画では人気だったみたいですけど」

「ヤラセなしだからな。好きな人は好きなんだろ。うわぁ……どんどんみすぼらしくなっていくなぁ」

「私財を投じて日本を護るとか言ってたからねぇ」

「へんな連中にたかられたんだろうなぁ……」

「えっと、最後の動画は……1年前で止まってますね」

「異界の門を探しにいくって、マジかよ……」

「帰還報告を待つコメントがいっぱいありますけど……ここ1~2ヵ月はだいぶ減ってますね」

「飽きられたんだろ」

「ねぇ、実際どうなったか確認できる?」

「できるけど……はは、なんだこりゃ」

「どしたの?」

「なんか、夫妻以外にも10人くらい同行者がいてな。森の奥のほうで自給自足の変なコミュニティができてるわ」

「……それ、ほっといていいの?」

「ああ。どうやら帰り道はわからなくなってるみたいだし、捜索も入れないような奥のほうだからな」

「そのうち人数が増えて、大きなコミュニティなったりしませんか?」

「残念ながら若い女性がいない」

「あー……」

「外から新しく迎えようにも、ここにたどり着ける人はいないだろうしな」

「なら、緩やかに滅んでいくだけね……」

「……なんだか、哀れですね」

「まぁ、自業自得だろ」

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