第6話 東堂弘次の失敗
「ってか、そんなに殴り合ってたんですか?」
靖枝の父昭三から話を聞いた陽一は、呆れたように問いかけた。
「いやいや、そんな頻繁にはやっとらんよ? せいぜい月1回くらいのもんだわ」
「いや充分多いですって……」
やれやれと軽く頭を振りながら、陽一はこの昭三に対して、アラーナの父ウィリアムや祖父セレスタンに似た匂いを感じ取っていた。
「で、その絶縁した東堂先生とやらがなんでまた?」
「そこでさっきの公認云々の話になるんだがな」
洋一の弟である次男の直弘は、兄が問題を起こしても不問に付されることを知って、自分も好き放題できるのだと勘違いしてしまった。
その結果、直弘は学生時代から数々の問題を引き起こし、弘次はそのもみ消しに奔走した。
洋一が出奔し、洋子が直弘を猫可愛がりしたというのもよくなかった。
しかしいくらもみ消そうが、SNS全盛の時代である。
個人による情報発信が思わぬ広がりを見せることが多々あり、直弘の悪行の一部が世間に広まってしまった。
「国会で追及されることはなかったが、週刊誌には何度か取り上げられてな。それで辞職とまではいかずとも党の公認は外そうかという話があがっとるわけだ」
起死回生の一手として弘次が考えたのが、非業の死を遂げた長男洋一を利用することだった。
子供を助けてトラックにはねられるという、ある種英雄的な死を遂げた息子を徹底的に美化する。
そして洋一の遺児を積極的にバックアップし、さらには東堂家の跡継ぎとして育てることで次代へとつなげるというのが、弘次の立てたプランだった。
○●○●
都内某マンション。
そこは代々国会議員を輩出し続けた東堂家が、首都での活動のために用意している場所である。
そのマンションの一室、代々の当主が書斎としている部屋のドアが、ノックもなしにガチャリと開かれた。
「父さん、いる?」
訪ねてきたのは次男の直弘だった。
「鍵が開いているのだからいるにきまっているだろう。確認するなら先にノックぐらいしろ」
「あはは、ごめんごめん。次から気をつけるよ」
「ふん……」
もう何百回と繰り返されたやりとりに嫌気が差したのか、弘次はそれ以上何も言わず、不機嫌に鼻息だけを漏らした。
「ねぇ、病院のほうはもう大丈夫?」
「ああ。あの女がくればこちらに連絡がくるようになっている」
「あはは! 産婦人科が妊婦の敵だなんて、この国の医療倫理はどうなってるのさ?」
直弘の言葉に弘次はゆっくりと頭を振る。
「彼らに倫理的な問題はなにもない。夫を亡くし、過期産で苦しむ嫁の手助けをしたいという、義両親の善意に報いようとしているだけだからな」
生前息子夫婦と折り合いが悪く、不幸にも事故で亡くなった息子の葬式にすら顔を出さなかった父親は、ある日嫁が我が孫を身ごもり、かつ過期産で苦労していることを知る。
そこで改心した父親は、孫が無事に生まれるよう、あらゆる手を尽くすと誓うのだった。
なんとも安っぽい設定ではあるが、だからこそわかりやすく共感を呼ぶともいえる。
そこへきて国会議員の肩書きである。
国会議員に不信感や嫌悪感をもつ国民は多いだろうが、それはあくまで顔の見えない議員という存在に対してだ。
いざ議員個人を目の前にし、その議員がそれなりに謙虚な態度で接してくれば、意外と悪感情は持てないものだ。
そこへきて先ほどの
「代議士にしては珍しくいい人じゃないか、と好評価を得るのはたやすいのだよ」
「ふーん。でも転院とかされたら厄介じゃない?」
「妊婦が主治医の許可なく転院などできるわけないじゃないか」
やむを得ざる事情で転院を余儀なくされる妊婦もいるだろうが、その場合も主治医からの情報の引き継ぎは必須である。
自分が診たわけでもない過期産の妊婦を、カルテなしに受け入れる医者はいないだろう。
仮に転院の希望が通ったとしても、その情報は義父に流される。
『ナーバスになってるので、陰ながら支えてあげてください』
といった言葉とともに。
なにせ相手は社会的信用度の高い国会議員なのだ。
「出産場所さえわかればいくらでも手を回せるからな」
「ふふん、最初っからそうやって裏で動いておけばよかったのに……。あの妊婦を演説の隣に立たせようだなんて欲をかくから、面倒なことになるんだよ。父さんはいつも詰めが甘いんだから」
「ふん……」
弘次は不機嫌に鼻を鳴らして顔を背けた。
これに関しては、洋一さえいなければ容易に説得できる、と思っていた自分の考えが甘かったと言わざるを得ない。
なにせ靖枝は
冷静に考えれば彼女の両親が出ばってくることは容易に想像がついたし、彼女自身もひと筋縄ではいかない人物だろうことも予測できたはずだ。
「でもさぁ、そんな悠長なこと言ってて大丈夫? 選挙に間に合うの?」
「む……」
目下の懸案事項はそれだった。
過期産というから早々に出産すると思っていたのだが、
子供が生まれさえすれば、あとはどうとでも手を回せるのだが、そうでなければあの嫁と、彼女の武闘派両親を攻略できるとは到底思えないのだ。
「というわけで、優秀な僕がもう手を打っておいたよ」
「なんだと?」
直弘の言葉に、弘次はいやな予感を覚える。
「自然に待ってて生まれないならさ、無理やり引きずり出せばいいんだよ?」
「なにを言っている? まさか闇医者でも使うつもりか?」
「闇医者? そんな面倒なの手配できないよ」
「ではどうやって?」
「いや、普通にお腹を裂いて引きずり出すだけだよ?」
こともなげにそう言う息子の姿に、弘次は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。
「お前、そんなことをすれば……」
「まぁ義姉さんはダメだろうね。っていうか痛いのかわいそうだから先に息の根を止めておいてあげよう」
……こいつはなにを言っているのだ?
そう自問しながらも、弘次はさらに質問を続ける。
「それで、赤ん坊が死んだらどうする……」
「いいんじゃない?」
「は?」
「息子を事故で失い、その嫁とお腹に宿っていた孫の命も奪われた、悲劇の議員。うん、票は集まると思うけど」
あいかわらず、日常会話をするような口調と表情の直弘に、弘次は心底恐怖と嫌悪感を覚えたが、それを表情には出さなかった。
自分が息子を嫌悪していることを、本人に知られてはならない。
そんな気がしたからだ。
「人はちゃんと手配したからね」
とにかく、直弘が妙なことを始める前になんとか止めなければ、と考え始めた直弘は、思わず腰を浮かせた。
「もう動き始めているのか!?」
「もっちろん! 若いころ父さんにいっぱい迷惑かけたけど、そのときの
「ま、待て――」
そのとき、スマートフォンの呼び出し音が室内に響いた。
「おっと、いまから打ち合わせに行ってくるよ」
「おい、直弘……!」
「じゃあ、いい報告まっててね! あーもしもし、僕だよー……」
「おい!!」
弘次は慌てて呼び止めたがそれ以上のことはできず、スマートフォンを耳に当てて部屋を出る次男の姿を呆然と見送る。
「うぅ……」
しばらく直弘が出ていったドアを眺めていた弘次は、短く呻きながら崩れるように椅子へともたれかかった。
「どこで……間違えた……?」
両手で顔を覆う弘次の口から漏れた問いかけに、答えるものはなかった。
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