第4話 東堂家の事情

 不審な3人組が帰ったあと、陽一は東堂家に上がってお茶をごちそうになった。


「出産がね、遅れとるんだよ……」

「ああ、すいません」


 出されたコーヒーをすすりながらちらちらと娘の腹に向けられる客人の視線を感じたのか、靖枝の父はそう言い、陽一はそれを受けて思わず謝ってしまった。


 当の靖枝は疲れているのか、陽一がリビングに上がったときには、ソファに並んで座る母親に身を預けて寝息を立てていた。

 ただ、ときおり眉をひそめて軽く呻いているようなのが少し気になった。


「まぁ気になるのもしょうがないわな」


 靖枝の夫である東堂洋一と一緒に事故に遭ったとき、彼は白い空間で近々子供が生まれると言っていた。

 陽一はその事実を、洋一が息を引き取る寸前に遺言として聞いた、と靖枝本人と彼女の両親に話していた。


 あれからふた月ほど経過している。


 だとするなら、あまりに遅すぎはしないか? と陽一が考えたのを、父親は感じたのだろう。


「もともと、かなりの早産になるはずだったんだよ」


 洋一が言った「今月生まれる予定なんすよ」という言葉は、いわゆる一般的な予定日のことを言ったのではなく、このままだとかなり早いが翌月には生まれる、といった意味合いだったらしい。


 最後の生理から40週目の0日目を一般的に予定日といい、36週より前に生まれるのを早産という。

 洋一が亡くなったあと、なんのかんのとバタバタしているうちに、気づけば靖枝は36週目を超えていた。


「最初は洋一くんが赤ちゃんを元気に産ませようとしてくれてるんじゃないかと喜んでいたんだけどなぁ」


 特殊な事情がなければ、早産よりも正期産のほうが母子ともにかかる負担は少ない。

 なので、しばらく生まれる気配がないまま、さらに時間が経って39週目を迎えたときはひと安心したそうだ。


「しかし41週目を迎えたあたりから雲ゆきが怪しくなってきてね……」


 いまのところ検査で異常はみられないらしいが、あまりに遅くなって胎児が大きくなりすぎると出産時の負担が増えるのは明らかだ。

 誘発分娩もうまくいかず、主治医からはそろそろ帝王切開を勧められているのだが――、


「……東堂くんのご家族が?」

「うむ、あやつらのせいで安心して入院もできんのだよ……」


 ――なんでも東堂家の人間が面倒なことをしてくれているらしいのだった。


○●○●


 東堂家は北関東の由緒ある家柄であるらしい。

 地元に対する影響力を背景に、戦後から3代にわたって国会議員を輩出している。

 洋一は3代目にあたる東堂弘次ひろつぐの長男だった。


「じゃあさっきの3人組が?」

「ああ。洋一くんの両親と弟だな」


 スーツの男が洋一の父親にして現衆議院議員の弘次。

 着物の女性が洋一の母親、洋子ようこ

 そしてもうひとりの若者が次男の直弘なおひろ


 ちなみに弘次は先代東堂洋三ようぞうの秘書だったのだが、ひとり娘の洋子と結婚し、婿養子に入って地盤を受け継いだ。


 古今東西、政治の世界ではよくある話だ。


「で、その偉い議員センセがいったいなんでまた?」


 そもそも洋一の死に際して、彼らは電報ひとつで片づけて弔問にも訪れなかったはずだ。

 つまり、洋一の妻である靖枝にも、生まれてくる子供にも興味はないと、そう表明したようなものではないだろうか。


「ほれ、こないだの電撃解散で選挙があるだろ?」

「選挙?」


 そこで陽一は、先ほどまでリビングのテレビから垂れ流されていたワイドショーを思い出した。


「あー……」


 なぜ突然洋一のことが気になったのか。


 もしかすると先のワイドショーで候補として名前の挙がった東堂の姓を、無意識のうちに拾っていたからかもしれない。


「どうもあの馬鹿息子……ああ、洋一くんではなくさっきおった次男のほうだがな。あれがいろいろやらかしたせいで……いや、いろいろやらかしていたのが明るみに出たせいで、今回与党の公認を外されるかどうかの瀬戸際らしいんだわ」

「はは……」


 なにやら少し前に聞いたことのあるような話だと、陽一は思わず苦笑を漏らす。


「洋一くんも昔は少し元気があり余っていたらしいんだが……」


 高校時代のある日、若さを持て余していた洋一少年は同級生と派手な喧嘩をしでかした。


 一対一の殴り合いというなにやら前時代的な決闘騒ぎだったらしく、面白がった周りの同級生たちに煽られたこともあってその喧嘩は異様な盛り上がりを見せ、双方が病院に運ばれるという結果となった。


 その後、相手方は退学、煽った同級生の中でも評判の悪い生徒は停学となり、洋一は被害者ということでおとがめなしだったという。


「私立ですかね?」

「いや、公立だったと聞いている」

「うわぁ……」


 学校側の処分に納得がいかない洋一は、退学届をもって校長室に乗り込んだが、それが受理されることはなかった。

 せめて同級生の退学や停学は取り下げるよう弘次に頼んだらしいのだが……。


『東堂家の者に手を出したらどうなるかを知らしめる必要がある』


 という答えが返ってきた。


「で、その次の日、洋一くんは校長室に殴り込みにいったらしいんだわ」

「なんと……」


 教頭に呼び出された弘次が慌てて校長室にたどり着いたころには、顔中に痣を作り、鼻血を垂らして泣きながら部屋の隅で縮こまる校長と、本来その校長が座るべき椅子にふんぞり返る息子の姿があった。


『東堂家嫡男ちゃくなんの意向に逆らったらどうなるか知らしめてみたんだけど、どうかな?』


 無論、単なる意趣返しである。

 息子の意図を悟った弘次は激怒し、彼のもとへずかずか歩み寄った。

 そして襟首をつかんで立たせたところで、鼻に強烈な頭突きを食らうことになった。


 怯んだところでみぞおちにボディブローを受け、襟をつかまれて脚を払われた弘次は、そのまま仰向けに倒されてマウントポジションを取られ、何度も殴られた。


「そこまでしても結局洋一くんの退学届は受理されず、同級生の退学や停学処分も覆ることはなかったんだと」

「はぁ?」

「ちなみにそのボコボコにされた校長は、教育委員会でそれなりのポストをもらったらしい。そういや久々に調べたら市議会議員になってたとか洋一くんが言ってたな」

「……現代日本の話ですよねぇ?」


 陽一の呆れるような問いかけに、靖枝の父は苦笑を浮かべて肩をすくめた。


 おそらくは弘次が裏から手を回したのだろう。

 【鑑定+】で調べれば詳しいこともわかるのだろうが、陽一はなんとなくそんな気分になれなかった。


 退学届が受理されなかったからといって、そのまま同じ学校に通うわけにもいかず、彼はどこかの私立高校に転校扱いとなり、一度も登校せぬまま卒業を迎えたようだ。


「洋一くんは退学になった同級生の親戚を頼って東京に出たからな。もともと通う気もなかったんだろう」


 以来、東堂親子は義絶状態となった。

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