第七章
第1話 北の辺境にて
人類圏と魔境。
さらに人類圏は北部のヴァーティンスロ帝国と、南部のセンソリヴェル王国に二分でき、陽一らトコロテンが活動拠点にしている辺境の町メイルグラードは、南の王国に所属している。
いまや陽一が異世界生活をするうえでなくてはならい存在となった冒険者ギルドは、人類圏北部を領土とするヴァーティンスロ帝国にも存在し、所属する冒険者は帝国においても王国においても、国を超越した独自のルールで活動していた。
帝国北部に位置するマーロファーコ地方は、魔境と隣接した地域であり、その一角にあるマルスーノ辺境伯領は人類圏屈指の激戦区だ。
そんな辺境の、魔境にほど近い場所にあるコルーソという町に、帝都所属の冒険者であるアレクことアレクサンドル・バルシュミーデは滞在していた。
「へええ。南の辺境で
コルーソの町では最も高級なホテルの一室。
ベッドの近くにあるソファに腰かけた女性が、ティーカップを片手に『ギルド会報』を読みながら
彼女の名はエマ・クレンペラーといい、アレクとパーティーを組んでいる女性冒険者である。
エマはところどころ寝癖がついた長い金髪を適当にまとめ、白いキャミソールにショーツだけという格好で朝のティータイムを過ごしている。
薄い生地の向こうにうっすらと透けて見える豊満な乳房が、キャミソールを押し上げていた。
「
まだベッドから出ようとしないアレクが眠そうに反応したものの、どうせあまり興味はないだろうとエマは無視し、
帝国のエリートを育成するために設立された帝立中央高等学園の同級生だったふたりは、学園を卒業後、冒険者となって次々に依頼をこなし、経験を積んでランクを上げつつ魔境に近い北方へと移動し、この町を活動拠点にしている。
途中ほかのメンバーも加えて4~6人のパーティーを組んだり、あるいは別のパーティーに参加したりもしたが、結局ふたりだけのほうが気楽なうえに連携も取りやすいので、ここ1年ほどはデュオで活動していた。
卒業から2年が経ち、20歳を迎えたふたりの冒険者ランクはC。
昇格のペースはかなり早いが、ここコルーソをはじめとする魔王領に近い場所の冒険者に限れば、20歳あるいは二十代前半でCランクというのも珍しくはない。
激戦区だけに昇格のペースが早い一方で、命を落とす者も多いのだが。
「また姫騎士が活躍したみたい……って、彼女もいよいよパーティー組んだのね」
帝国の南に位置するセンソリヴェル王国の南西部に広がる、死の荒野を越えた先に突如現われる、辺境の町メイルグラード。
その辺境の町が誇る冒険者、姫騎士アラーナといえば、帝国にもその名を轟かせる冒険者だ。
過去に何度かギルドの関連のイベントで、帝国を訪れたこともあるという。
5年前に王国辺境で起こった
彼女は常にソロで活動しており、群れることのない在り方も人気の理由のひとつだったが、その孤高の姫騎士がパーティーを組んだという。
ファンにとっては
「姫騎士が……パーティー……そりゃ大変だ……むにゃむにゃ……」
相変わらず興味なさげにアレクが適当な相槌を打ち、エマもまたそれを聞き流す。
「えっと、パーティー名は……トコロテン? なんか可愛らし――」
「――そりゃ大変だっ!!」
突然、アレクはエマの言葉を
トランクス一丁という格好のアレクは、アッシュブロンドの髪にひどい寝癖をつけたまま、ベッドから飛び下りてエマへ詰め寄った。
「ちょ、急に、なに?」
「いまの、もう1回言ってくれ」
「えっと、姫騎士がパーティーを組んだっていう話? それともスタン――」
「ちがうっ! パーティー名!!」
「パーティー名? えっと、たしか……」
見慣れない単語だったため
「悪い、貸してくれ!」
「あっ……!!」
アレクはそんなエマの様子に焦れたようで、ひったくるように彼女の手から会報を奪い取った。
飛び起きたものの完全に目覚めていないのか、ダークグレーの瞳はうまく焦点を合わせられないようで、彼は何度か強くまばたきをし、まぶたを薄く開いて会報を凝視する。
そして10秒ほどかけてようやく
「…………あった」
記事には外来語を記述するようなかたちで『トコロテン』と書かれていた。
「まじッスか……? えっと、メンバーは……」
食い入るように会報を見るアレクを目の当たりにして、少し驚いたエマは自身を落ち着ける意味合いもこめてため息をひとつついた。
「ねぇ、アレクって姫騎士のファンだったかしら?」
「メンバー……男は、いるか?」
しかしアレクはエマの質問が聞こえなかったのか、あいかわらず会報と
「なによ。姫騎士のパーティーに男がいたら問題なの?」
「くそっ……! ほかのメンバーの情報はないのか……!!」
「ちょっとアレク! 聞いてるの!?」
その大きな声で我に返ったアレクは、ようやく会報から目を離してエマを見た。
「ごめん、なに?」
「いや、"なに?"じゃないでしょう? あなたってそんなに姫騎士のことが好きだったの?」
「はぁ? なんで?」
「だって、姫騎士がパーティー組んだってことにえらく反応してるし、男がいるかどうかなんて気にしてるし……」
「いや、それは……」
不機嫌に口をとがらせ、不満を述べるエマにどう対応したものかと、アレクは頭をかいた。
「もしかして、姫騎士とパーティーを組むのはオレだー! なんてこと考えてたり?」
なんともアホな話ではあるが、アラーナの熱烈ファンである男性冒険者の中には、本気でそんなことを思っている者も数多く存在するのだ。
メイルグラードから遠く離れた帝国にさえ。
「いや、そういうんじゃないから」
「む、そうなの……?」
真顔で冷静に否定されると、どうやらアレクが姫騎士に熱を上げているわけではないことを、エマはあっさり納得できた。
そこでエマは、冷静な頭で先ほどのやり取りを思い出してみる。
そういえばアレクは……。
「もしかしてパーティー名が気になる?」
「ま、そんなところ」
そこでエマはアレクに手を出し、会報を受け取った。
「えーっと……あったわね。トコロテン? ちょっと可愛い響きだけど、これってなんなのかしら?」
「サンバイズで食うと美味い」
「は?」
「すまん、なんでもない……」
アレクは自分に呆れた様子で額に手を当てながらそう言った。
「いま受けている依頼はなかったよな?」
「ええ。討伐隊への参加は昨日で終わりだから、明日また受けなおそうかって話だけど」
「悪いけどキャンセルだ」
「はい?」
「オレはメイルグラードに行かなくちゃいけない」
アレクの言葉にエマは口をぽかんと開け、目を見開いた。
「メイルグラードって、あなた正気!?」
アレクたちのいるコルーソの町は、帝国領北東の端に近い場所にある。
対するメイルグラードは、帝国領を越えて南下した先にある王国領の、さらに南西の端にあるという。
言ってみれば人類圏の北東の端から南西の端に移動するようなもので、距離だけを見てもとんでもないことになるのだ。
「ひと月やふた月じゃ着かないわよ?」
「わかっている」
「私たちはいまやここの討伐隊の主力といってもいいわ。そんな私たちが前線を放棄できると思って?」
「冒険者には行動の自由が保証されている」
「そんなの建前じゃな!!」
一応冒険者ギルドは帝国と王国にまたがる国際機関であり、そこに所属する冒険者はギルドの規定に準ずる限り、行動の自由は保証されている。
しかしギルド本部の意向はどうあれ、地域に根ざしている支部に関しては、地元の意向をある程度反映せざるを得ない部分もある。
激戦区の討伐部隊で主力を担うふたりがこの町を離れるとなると、なにかと面倒なことになるだろうし、うまくこの町を出られたとしても、国境を越える際にひと悶着ある可能性は非常に高い。
「それでもオレは行かなくちゃいけない。これはオレにとって最優先事項だ」
少し突き放すような口調でエマに告げたアレクは、彼女のもとを離れてクローゼットへと足を向けた。
「これはあくまでオレ個人の問題だ。無理に着いてこいとは言わない」
そう言ってクローゼットを物色していると、背中に軽い衝撃を受けた。
心地よい重みと、柔らかく温かな感触を背中に受けたアレクが視線を落とすと、自分の身体に絡みつく細い腕が見えた。
「そんなこと言わないでよ……」
「……エマ」
アレクのうしろから抱きついたエマは、彼の身体に回した腕にギュッと力を加えた。
「私個人の問題に、あなたを巻き込んだこともあったでしょう?」
「ん……まぁ、な」
1年ほど前、エマの婚姻にまつわることで帝国貴族と揉めたのだが、アレクがあいだに入って騒動を収める、ということがあった。
実際にはほとんど力でねじ伏せたようなものだったのだが……。
「アレクの問題ということは、私の問題でもあるわ。だから、私も一緒に行くわよ」
「……いいのか?」
「うん……。その代わり……」
エマはアレクの背中に預けていた顔を離し、少し身体をずらして覗き込むように見上げた。
すると、振り返って彼女を見下ろしているアレクと目が合う。
「理由くらいは、聞かせてもらえないかしら?」
「む……」
「もちろん無理にとは言わないけど……」
アレクはこれまでエマと過してきた日々を思い出した。
同級生として学園で過ごした3年間と、冒険者のパートナーとして過ごした2年間。
彼女とのあいだには、強い絆が生まれたと思っている。
エマなら、なにを知っても自分と一緒にいてくれるだろう。
「わかった……」
静かにそう告げると、アレクは身体に回されたエマの腕をほどき、振り返った。
「長い話になるが、いいか?」
強い視線とともに放たれたその言葉に、エマは嬉しそうに微笑んだ。
「もちろんよ。あなたと長くお話できるなんて、楽しいに決まっているもの」
「そうか……。そうだな。オレもエマと話すのは楽しい」
そこで同じく楽しげに微笑んだアレクだったが、ふと真顔になった。
「ただ、その前に……」
「ん……?」
彼女の肢体と自分自身に目を向け、今度は気の抜けたような笑みをこぼした。
「服、着ようか」
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