第9話 お姉ちゃんのターン

「最初のお客さんは出張のたびにウチのお店を利用してるおじさんで、気がつけば前からされてたな。ウチは本番禁止なんだけどいつの間にか時間が過ぎてて"時間外だからプライベートだよ"って言われたんだっけ」


 実里が過去を語る。


「いつだったか、お部屋に入ったら3人いたときはびっくりしたな。正直ちょっとしんどかった。お店的にも3Pとか4PはNGなんだけど、その人たちはお金をたくさんくれるから内緒にして何回かしたんだ」


 いつどんな客と、どういったプレイを行なったのかを淡々と。


「私があんまり嫌がらないせいで、たまに暴力に走るお客さんもいるんだよね。べつにどうでもいいんだけど、あざとかが残って文也にいろいろ聞かれると面倒だから、暴力だけはナシにしてもらった」


 なんの感情も乗らない平坦な語り口であるにも関わらず……、いやだからこそというべきか、室内はいつの間にか淫靡な空気に満たされていた。


「あ、そういえばたまに女の人からも呼ばれるの。なかには慣れてない人もいて、そういう人をリードするのはちょっと楽しかったかも」


 一見清楚でそういった行為とは無縁に見える物静かな女性が、その外見にそぐわぬ経験を語るということに卑猥さがあるのだろうか。


「いちばん疲れたのは20人くらいの若い子に入れ替わり立ち替わり犯され続けたときかな。終わったあと気持ち悪くなったから吐いたんだけど、いくら吐いても白いドロドロが出てくるし、3日くらいはおしっこに白いのが混じってたなぁ」


 誠などはもう何度もトイレにこもっているし、鉄面皮に見える瀬場でさえわずかに顔を紅潮させ、前かがみになっていた。


「何人もの人と何回もセックスしてそれなりに気持ちよかったけど、いま思えばどこか他人事みたいだったな。こうやって思い出すと随分ひどいことされてるね、私」


 上司の目がなければ、あるいは彼もトイレにこもっていたかもしれない。


「でも、そんなときにね、陽一さんと出会ったの。最初はただの冴えない、よくいるタイプのお客さんだと思ってたけど……」


 それ以降も実里の話が延々と続くなか、文也は両手をついてうなだれていた。


「そんな……姉さん……嘘だよ……。もう、やめて……」

「うふふ……。私ったら初めて自分から男の人を誘っちゃって……」


 話が陽一と出会ったころに差しかかったあたりから、言葉に感情が乗り始めていた。


 淡々とした語り口に慣れてきたところで雰囲気が変わってしまったせいか、誠はこすりすぎてヒリヒリする股間をさすりながらトイレに駆け込み、瀬場はよりいっそう前傾姿勢となった。


「それでね、ベビードールなんていういままで着たことのないえっちな下着を見せたら陽一さんったら――」

「もういいっ!!」


 よつんばいになってうなだれていた文也は体を起こし、大声で叫んで実里の言葉を遮った。

 それまでも何度か小さな声で義姉の話を止めようとしたが、実里は義弟の言葉を無視して語り続けていた。

 しかしこうも大きな声で叫ばれてしまってはさすがに無視もできず、実里はまだ語り足りないとでも言いたげな表情を文也に向けつつ、一旦口を閉じた。


「もういい……もうたくさんだ……」


 自分に対する反抗、あるいは嫌がらせとしてほかの男と寝る。

 その動機を知った文也は、大いに後悔した。


 なぜもっとしっかり義姉を見張っていなかったのか。

 もっと早くここを完成させて、閉じ込めておかなかったのか。


 後悔はしたが、それでも自分の知らない義姉の姿を知りたいというわずかな好奇心が、実里の言葉を本気で止めることを拒んでいたのかもしれない。

 しかし話が陽一に及び、その話を聞くうちに、文也の心の内に耐え難い感情が湧き上がってきた。


 そしてはたと気づく。

 そこには自分がいないことに。


 陽一と出会う前の行為には文也への嫌がらせという意味があった。

 つまり、彼女の思考や行動の中心には、どういうかたちであれ自分の存在があったのだ。


 しかし陽一と出会ってからは違った。


 義姉の想いの中心には常に陽一がおり、自分の存在がどこかへ追いやられてしまった。

 そのことに、無意識のうちに気づいてしまったのだろう。

 だから文也は、大声を上げて義姉の言葉を遮った。


「もうだめだ……。姉さんは壊れてしまったんだね?」

「いいえ。いまの私が本当の私。あなたにいいようにされていたころが壊れていたんだと思う」

「ほら……そんなことを言う時点でやっぱり姉さんはおかしくなってるんだ」


 文也は泣き笑いのような表情を浮かべ、実里を見ていたが、その瞳はどこか虚ろだった。


「もうだめだ……。壊れてしまったならしょうがない……。せめてこれからは、僕のことしか考えられないようにしてあげるよ」

「……なにがあっても、そんなことにはならないよ」

「ふ……ふふふ……。そんなこと言ってもだめだよ、姉さん。姉さんはもう壊れきってるんだから。だったらもうこれ以上どうなってもいいよね?」

「文也……?」


 乾いた笑みを浮かべた文也には実里はいぶかしげな視線を送ったが、彼はそれに気づかずのそりと立ち上がると、瀬場のほうへ手を出した。


「瀬場、あれを」

「……いえ、あれは、その」


 これまであまり感情を表に出さなかった瀬場が、珍しくうろたえる


「いいから出せよっ!!」

「か、かしこまりました……」


 文也に気圧けおされるように瀬場は一礼し、懐から金属のケースを取り出した。


「ほんとうに、よろしいので……?」


 取り出したシガレットケースのような箱を手渡す前、瀬場はそう問いかけたが、文也は手首をくいっと動かすだけでなにも言わなかった。


 ケースを受け取った文也はわずかに口元を歪める。

 そして彼が開いたケースの中には、数本の注射器が入っていた。

 それを見た実里の顔が一気に青ざめていく。


「文也……なに、それ……?」


 実里が恐る恐る訪ねると、ケースから1本の注射器を手に取り、文也は得意げな笑みを浮かべた。


「もちろん、ドラッグだよ」


 そう言って文也が注射器のブランジャーを押すと、先端からわずかに液体が漏れ出した。


「ドラッグ……? どこで、そんな……」

「ふふふ。姉さんも知ってるだろ? 僕がいま新規事業開拓のために南米へ行ってるのを」


 そういえばそんな話を文也がしていたことを、実里は思い出した。

 そのせいで出張が多くなり、結果として実里は自由な時間を得たのだ。


「ま、事業のかたわら僕はそこでいろんなものを仕入れて日本に持ち込んだのさ」

「なんでそんなものを……?」

「なんで? 深い理由はないよ。強いて言えば"できそうだったから"かな」


 そこで文也は左右の手に注射器とケースを持ったまま、自慢げに両手を広げた。


「で、実際に"できた"! すごいだろ?」


 最初は青ざめ、わずかに怯えていた実里だったが、義弟の言葉や態度にやがて呆れ、そして眉根を寄せた。


「そんなもの、どうするつもりなの?」

「どうする? んー、どうとでも使い道はあるんじゃない? まぁ儲かるのだけは確かだね」

「それを……、義父とうさんはしってるの?」

「父さんが? あはは、知るわけないじゃないか!!」


 実里の義父、そして文也の実父である、星川グループ現総裁星川文彦ふみひこは、息子の愚行をまだ知らないならしい。


「祖父さんの事業を引き継いだだけでどうにかこうにかやりくりしてるだけの凡人に、いちいちことわりをいれる必要なんてないさ」

「そんな……」

「もうあと何年もしないうちに、父さんには引退を――っ!?」


 そのとき、文也の言葉を遮るように、パシンッ! と乾いた音が室内に響いた。


「え……? え? 姉……さん……?」


 しばらく呆然としていた文也だったが、いつの間にかソファから立ち上がって睨みつけてくる義姉と、じんわりと頬から広がっていく痛みに、自分がぶたれたのだと悟った。


「いい加減にしなさいよこの馬鹿義弟おとうと!!」


 そして文也は、初めて義姉に怒られたのだった。


「ゆるせない……!」


 文也の持つドラッグがどういったものかは詳しくはわからないが、南米からわざわざ仕入れたということは、海外の反社会的な組織から得た非合法なものであることは容易に想像がつく。


「お義父さんが、どれだけ苦労したと……」


 星川グループの母体となる星川不動産は、文也の祖父が立ち上げたものである。


 戦後から高度経済成長期のどさくさで、かなりあくどいことをしたということは、実里も知っていた。

 というか、その時代にこの町でおこった会社というのは大なり小なり反社会的勢力とつながりがあったり、あるいはそのものだったりするのだ。


 とくにこの南の町は、いまだにそういった組織の影響が大きい場所である。


 なので星川グループ自体クリーンな企業体とはいい難い部分もあるのだが、それでも現総裁である文彦はできるだけ清廉であろうとし、そのためにかなりの苦労を強いられていることを、実里は彼の後妻となった母から何度か聞かされていた。


 それはなにも文彦が清廉潔白な人柄であるから、というわけではない。

 時代が反社会的な勢力に対して厳しくなっているので、できるだけ関わりを断つか、隠すかしなくてはならないのだ。


「それなのに、あなたは……!!」


 ゲーム感覚で時代に逆行するようなことをしておきながら、得意げに語る義弟を、実里は許せなかった。


 べつに星川グループに愛着があるわけではない。

 好きか嫌いかといわれれば、むしろ嫌いと言っていいだろう。

 しかし、大きな企業体が不祥事を起こせばその影響は計り知れず、多くの人が損害を被るであろうことくらい、経済に疎い実里にでもわかることだ。

 それをわかっていながら、軽々しくドラッグなどというものを扱おうという義弟の愚行を、黙って見過ごすことはできない。


 日本ではただの小娘に過ぎない実里だが、メイルグラードでは魔物集団暴走スタンピードをしりぞけた英雄的功労者のひとりである。

 その功績を誇示するつもりはないが、それでも彼女の中には冒険者として、そして魔術士としての使命感のようなものが芽生え始めているのかもしれない。


「く……くく……ふはは……! 姉さん、僕をぶつなんていよいよ末期だね」


 しばらく呆然としていた文也は、乾いた笑いを漏らし、自身の頬を打った実里の手を力任せにつかんだ。


「や、離して……!」

「悪い姉さんにはお仕置きが必要だ。瀬場っ!!」

「…………はっ」


 文也の意図を察した瀬場は、逡巡するそぶりを見せたものの、結局逆らえないと判断したのか、実里へと歩み寄り、彼女を羽交い締めにした。


(ド、ドラッグとか……やばくね?)


 誠は少し前にトイレから戻り、一変した空気に戸惑っていたが、途中から聞いた会話などから状況をある程度把握していた。


 ずいぶんまずいことになりそうだと思いつつも、どこかおかしくなった文也の不興を買わないよう、静観することに決めた。


「やめて! 文也っ……やだぁっ!!」

「あはは、大丈夫。痛いのは最初だけだからさ」

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