第7話 平穏は長く続かない

「美味い!」


 異世界から戻った陽一は、実里の作った肉じゃがをひとくち食べ、舌鼓を打った。


「ごめんなさい。肉じゃがなんてベタなもので……」

「いやいや。こういうベタな料理って、外食とかしてると案外食べなくなるもんなんだよ。ほんと肉じゃがなんて久々に食ったなぁ」

「ふふ。言ったでしょ、大丈夫だって」


 本番と称して花梨が提案したのは肉じゃがだった。

 男性に対して最初に振る舞う料理が肉じゃがというのはあざといような、少し時代遅れなような気もしていたが、花梨を信じてよかったと実里は思った。


「実里って料理できたんだ?」

「いえ、ちゃんと作ったのは今日が初めてで……」

「ほんとに? すごいじゃん!」

「そんな……。花梨に教わりながらレシピどおりに作っただけですから」

「いや、それはそれですごいよ、ほんと」

「そうよ、その"普通に"作れない人がじつは結構いるんだから」


 レシピ通りに作れば誰でもそれなりの料理は作れる。

 しかしその"レシピどおり"というのが案外難しかったりするのだ。

 大抵の人は計量をおろそかにしたり、時間を曖昧にしたり、あるいは素人判断で行程を省略したりしてしまう。

 俗にメシマズと呼ばれる人に至っては、あり得ないアレンジを加えたうえで味見すらしない、ということもあるのだ。


「いやぁ、じつはあたし、実里はメシマズじゃないかって、内心ヒヤヒヤしてたのよ」

「え、なにそれひどい」


 抗議する実里だが、冗談だとわかっているので口元には笑みが浮かんでいた。


「ごめん、俺も……。実里がご飯作ってくれたって聞いて、じつはちょっと緊張してたんだよな、いろんな意味で」

「むー! 陽一さんもひどいですー」

「あははー」

「ごめんごめん。でもこれほんと美味いよ。なんていうか、花梨のとは全然違うっていうか……」

「んー? それはあたしのがまずいっていってんのかしら?」

「ばっか、お前そんなわけないだろ? なんていうか、美味さの質というか方向性がちがうというか……」


 そこで花梨と実里はお互いを見合い、クスリと笑い合った。


「まぁ、あたしは結構感覚で作るんだけどね。実里はすごいのよー? 軽量は完璧だし、時間もタイミングも秒単位で計るんだから」

「へええ」


 花梨の言葉に感心して実里を見ると、彼女は照れたように身を縮めていた。


「あの……料理は錬金術ですから」

「ははは、なるほど」


 一旦納得したあと、陽一は軽く首を傾げる。


「ん? それってお菓子作りじゃなかったっけ?」

「ふふ、そうでしったっけ?」


 食事のあと、席を立った陽一は少し申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめん、そろそろ行かないと」


 あと少しでセレスタンの訓練が始まる時間となる。


 現在陽一は、報告やらあと始末やらで随分忙しくしており、その合間にセレスタンの訓練を受けていた。

 特に森から出たところで倒した数万の死骸を収納する、という作業にかなり時間を取られている。


 いま冒険者のほとんどは町の周辺に転がる魔物の死骸からの素材収集に手を取られているが、それが落ち着けば魔物集団暴走スタンピードの痕跡をたどって徐々に森へと進んでいくだろう。


『王都の連中にごちゃごちゃ言われるのも面倒くさいから、今回発生した魔物集団暴走スタンピードの規模をかなり過小に報告している。すまんがそのあたりのつじつま合わせは手伝ってくれ。ま、お前が望むなら正確に報告しても構わんし、そうすればAランクにも昇格できるが?』

『よしてくださいよ、面倒くさいですから』


 といったやりとりの結果、とにかく大量に魔物がいた痕跡を隠すため、死骸やらさんざんバラ撒いた弾丸やらをひたすら回収しているという状況だった。


「そういうのって、どうやって回収してるの?」

「とりあえず森の近くに設定したホームポイントに【帰還】するだろ」


 続けて【鑑定+】で地面に落ちたり地中や銃弾などの場所を把握する。

 あとはその付近をバイクで走りながら、周囲10メートル以内にある対象物を【無限収納+】で片っ端から収納していくというのが主な作業内容だ。


「死骸を全部回収するわけにもいかないから、埋まった銃弾だけ回収したりもしてるけどな」

「ふーん、大変そうね」


 口調は軽いが、花梨の顔には心底陽一を心配するような表情が浮かんでいる。

 隣にいる実里も、同じような表情を浮かべており、こうやって自分を思ってくれる相手がいることに、陽一はいまさらながら胸の奥が温かくなるのを感じていた。


「そっちが忙しいんなら、もう毎日帰ってこなくても大丈夫よ?」

「今日はふたりでお外へ買い物にも行けましたから」

「そっか。じゃあ2~3日帰ってこれないかもしれないけど……」

「はい。大丈夫です」

「……わかった。次はアラーナも一緒に帰れるようにするから」

「わかりました。またお料理作って待ってますね」

「ふふん、次はあたしも作って、食べ比べでもしてもらおうかしらね」

「ああ、楽しみにしてるよ」


 まだどこか申し訳なさそうな陽一を、花梨と実里は精一杯の笑顔で送り出した。


 その翌日。


 魔物の死骸や銃弾の回収作業を朝から日没まで行ない、そこからギルドに戻って訓練を終えると、すっかり夜も遅くなっていた。


「いまから帰っても、ふたりとも寝てるだろうな……」


 一度日本に帰って汗を流したいと思った陽一だったが、つい訓練に熱中してしまい、思いのほか時間が遅くなってしまったため、帰るのを躊躇していた。


「しょうがない。いつもの宿でひと眠りして、朝方シャワーだけ浴びに帰るか」


 そう思いながら暗い夜の町を歩き、ほどなく陽一は『辺境のふるさと』へ帰りついた。


「あんま寝心地はよくないけど、広さだけはあるからな」


 少し不平をいいながら大の字に寝転がり、陽一はほどなく眠りについたのだったが……。


 数十分後、股間にに熱を感じて、陽一は目を覚ました。


「う……アラーナ……?」


 ぼんやりとした意識のままうっすらと目を開くと、股間に顔をうずめるアラーナの姿が見えた。


 この日のアラーナは、かなり積極的に求めてきたのだった。


○●○●


「はぁん……ヨーイチ、どのぉ……」


 陽一の上で身を反らしていたアラーナの身体から力が抜け、もたれかかってくる。

 つないでいた手は自然と離れ、姫騎士がぐったりと身を預けてきたところで、陽一は彼女の背中に腕を回して軽く抱きしめてやった。


「はぁ……はぁ……ヨーイチどのぉ……んぅ……」


 抱きついてきたアラーナは、陽一の首元に顔をうずめ、珍しく甘い声を出していた。


「どうしたの?」


 なにかあったかな、と思った陽一が、優しく尋ねてやる。


「んぅ……事務仕事が、しんどかったのだ……」


 ここしばらくはずっと事後処理の手伝いを行なっていたアラーナだ。

 領主の館でも各ギルドでも、とにかく書類の処理が多かったらしい。

 聡明なアラーナは頭脳労働ができないわけではなく、むしろ得意といってもいいくらいに文書を読むのも速ければ、内容を理解して決済するのも速い。


 しかし好きか嫌いかでいえば、大嫌いであった。


 なまじ仕事ができるぶん、いろいろと頼られてしまったのだろう。

 そして町が大変なときだからこそ、嫌とは言えずに少し無理をして頑張ったようだ。


「よくがんばったな、アラーナ」

「んぅ……がんばった……のだぁ……すぅ……すぅ……」


 本当に疲れていたようで、陽一が優しく頭を撫でてやっているうちに、アラーナはすやすやと眠り込んでしまった。


「さすがにこのままってわけにもいかないよな……」


 どうやら完全に寝入ってしまったアラーナだったが、このまま眠るのはよくないだろうと思い、とりえあえず陽一は自分の上からアラーナを下ろした。


「俺にも〈浄化〉とかが使えたらいいんだけど……」


 呟きながら、陽一はウェットティッシュを大量に使ってアラーナの顔や身体を拭き取っていった。

 本当に疲れきっているようで、少し強めにこすってもアラーナは反応すら見せず、すやすやと眠り続けた。


「おつかれ、アラーナ」

「んぅ……」


 隣で仰向けになった陽一が声をかけてやると、それが聞こえたのかどうかは不明だが、アラーナは寝返りを打って陽一のほうを向き、胎児のような格好になった。


「はは……無防備な姫騎士だな」


 穏やかな気持ちで呟くと、陽一もアラーナのほうに身体を向けて横になり、彼女を抱いて眠りにつくのだった。


○●○●


 翌日、昼に目を覚ましたふたりは、〈浄化〉で身体をきれいにしたあと身支度を整え、『辺境のふるさと』に併設されている食堂でブランチをとり、近況を報告し合った。


「え、じゃあアラーナはもう事後処理終わったの?」

「うむ。嫌な仕事はさっさと終わらせるに限るからな。まぁ事務仕事などはあとからあとから湧いてくるものだし、あのまま領主の館にいれば際限なく手伝わされそうだったので半分逃げてきたようなものだが」


 とアラーナは食後の紅茶をすすりながら、困ったように微笑んだ。


「よかったの?」

「ふん。あれ以上私に働けというのは、完全に父上らの甘えだ。そもそも私は冒険者なのだからな」


 そう言ってアラーナは少し不機嫌そうに口を尖らせた。


「そういうヨーイチ殿はどうなのだ?」

「俺? 俺もとりあえず一段落はついたかな」


 とにかく規格外の収納スキルである【無限収納+】のおかげで死骸や銃弾の回収はスムーズに終えることはできたが、それらの作業はあまり人に見られていいものではない。


 単純な収納量だけでも国家が抱えたくなるようなレベルの性能であり、さらに110メートル以内であれば触れていなくても収納できるというのも通常はあり得ないのだ。


 そのうえメンテナンス機能の有用性まで知られてしまえば、陽一は世界中の王侯貴族や高ランク冒険者から狙われる存在となるだろう。


「ギルマスがいろいろと気を回してくれてね」


 セレスタンの指示により意図的に作業の空白地帯を作ってもらい、そこで人に見られないように魔物の死骸と銃弾や薬莢を回収していく。

 とくに銃弾などはあまり見られたくないものなので、優先的に回収していった。


【鑑定+】を使いながら漏れがないように収納していったが、それでもいくらかはほかの回収者に拾われてしまっている。

 まぁ火薬の使用が発達していない世界なので、銃弾だけを拾われてもそれほど大きな問題にはならないだろう。


「とりあえず砦周辺と森の近くの荒野にばらまいたのは全部回収したよ。森の中にもいろいろあるけど、しばらくは町周辺での死骸の回収だけで冒険者は手いっぱいだろうから、そっちはあと回しでいいってさ」

「そうか。なら一度、私も帰っておくか。カリンとミサトの顔も見たいしな」

「そうだな。じゃあ部屋に戻ったら帰ろうか。まだ明るい時間だけど、今日はだらだら過ごそう」

「ふふ、いいな」


 食後のティータイムを終えたふたりは、一旦客室に戻り、そのまま『グランコート2503』へと【帰還】した。


「陽一っ!!」


 部屋に戻り、リビングに入るなり花梨が駆け寄ってきた。


「おいおい、どうし――」

「実里がいなくなったの!!」

「――え?」


 突然告げられた事実に、陽一は言葉を失う。

 このとき彼の頭によぎったのは、一緒にこのマンションを探したあと、彼女がなにも言わずに消えてしまったことだった


「まさか……自分から?」

「そんなわけないでしょう!?」


 呆然と呟く陽一の襟首を乱暴につかみ、花梨は抗議したが、すぐに彼女手からは力が抜けた。


「あたしが……あのときスマホを忘れなければ……!!」


 そう言って花梨は陽一の襟首を軽くつかんだまま、力なくうなだれる。


「おちつけ、ふたりとも」


 そこへアラーナが割って入り、ふたりの肩に優しく手を置いた。


「花梨、とにかく状況を説明してくれ」


 アラーナの言葉で気を取り直した花梨は、陽一から手を離し、姿勢を正して語り始めた。


「今朝になって実里の調子がいいから、今日はちょっと遠出して美味しいランチでも食べようかって話になったの……」


 しかしマンションを出ようとしたところでスマートフォンを忘れたことに気づいた花梨は、一旦部屋に戻った。

 そしてふたたびエレベーターを降り、エントランスを抜けてマンションを出たが実里の姿はどこにも見えなかった。


「あたしね、コンシェルジュさんに聞いてみたの。そしたら実里、男の人に連れられて、車で出てったって」


 そのときの様子が少し不穏だったので、警察に連絡したほうがいいのではないか、もしよければ自分たちから連絡することも可能だとコンシェルジュから提案されたが、花梨はその申し出を断った。


「陽一が帰ってくれば大丈夫だってわかってたから。たぶん、大きな問題にしないほうがいいと思ったんだけど……」


 不安げな表情で陽一を見る花梨の頭に、ポンと手を置いてやる。


「ああ、ありがとな。あとは俺に任せとけ」

「ごめんなさい……。あたしが一緒にいれば……!」


 陽一とアラーナに状況を理解してもらったところで少し緊張がとけたのか、花梨はぽろぽろと涙を流し始めた。

 そんな彼女を陽一は抱き寄せ、優しく頭を撫でてやる。


「ごめん……ごめんね……」

「大丈夫、花梨が無事でいてくれて嬉しいよ」


 花梨としては、自分がそばについていれば多少のトラブルは力ずくで排除できるという思いがあった。

 実際彼女は【魔力操作・乙】という体内魔力を巡らせるのに優れたスキルを有しており、異世界ほどの効果はないにせよこの日本でも魔力を使った身体強化が可能だ。

 それによって並みの男が束になってもかなわないほどの力を得ることができるが、彼女が優れているのは身体能力と弓術スキルのみだ。

 なにかしらの訓練を受け、体術などに優れた相手がいれば対処できない可能性は考えられる。


「そんな顔するなよ。花梨がこうやって伝えてくれたから、すぐに対処できるんだから」

「うん……」


 その言葉を受け、腕の中にあるこわばっていた花梨の身体から、ふっと力が抜けるのを感じ取った陽一は、彼女の身体に回した腕に、ぐっと力を込めてさらに強く抱いた。


「それに、花梨がいたからといって、確実に実里を守れたとは限らないからな」


 花梨が一緒にいて実里を守れていればよかったが、仮にふたり同時にいなくなっていればどうなったか?

 陽一やアラーナの花梨への信頼はあつく、彼女がいれば大丈夫と思い込み、しばらく待ってみようとなった可能性は高い。

 そうなれば対処は数時間遅れていただろう。


「大丈夫、まだ手遅れじゃない」


 陽一は【鑑定+】で実里の状況を確認した。


「……こいつか」


 実里の居場所を捕捉した陽一は、スマートフォンを取り出してとある番号に電話をかけた。

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