第6話 花梨と実里の楽しいお料理

 花梨の体調は日に日に回復し、彼女の看病の甲斐あってか実里も不便なく過ごしながらゆっくりと体調を取り戻していった。


「ふふ、女同士、ふたりで買い物って結構楽しいね、花梨?」 


 ダイニングテーブルに置かれた買い物袋を見ながら、実里は嬉しそうに呟く。

 この日の時点で花梨はほぼ全快しているといってよく、実里も外出できるまでに回復していた。


「あ、もしかして迷惑だった……?」


 不意に表情を曇らせた実里が、申し訳なさそうに花梨を見た。


「ううん、あたしも楽しいわよ? なんで?」

「あのね、私あんまり女の子の友達とかいたことなかったから、もしかしたらはしゃぎすぎたのかなって……」


 そう言ってうつむく実里を見て軽くため息をついた花梨は、彼女の頭にポンと手を置き、わしゃわしゃと少し乱暴になで始めた。


「わわ……ちょっと、花梨……?」

「んふふー! あたしたちは姉妹みたいなもんなんだからさぁ」


 ひとしきり頭を撫でたあと、花梨は実里を抱き寄せ、今度は乱れた髪を整えるように優しく手ぐしを通した。


「あんま遠慮しないでよ……。甘えてくれたほうが嬉しいんだからね?」

「うん……。ありがと」


 少し背の低い実里は、花梨の胸に顔をうずめてしばらく抱きついていた。


「さて、そろそろ始めますか」

「うん!」


 しばらく抱き合ったあと、買ってきた荷物の整理を終えたふたりは、キッチンに並んで立った。

 あまり料理をしたことのない実里に、花梨が教えてあげることになったようだ。


「じゃあね、とりあえず簡単なの……目玉焼きとかスクランブルエッグあたりから始めましょうか?」

「はい、先生!」


 花梨に対して少しわざとらしく背筋を伸ばし、敬礼する実里。


「ちょっとやめてよー! あたしだってそんなうまくないんだからね?」

「うふふ、ごめんなさい」


 とりあえず調理台に卵と油、塩胡椒をならべ、次にフライパンを用意しようとしたのだが……。


「……あっれー? もしかして調理器具ひとつもないのー?」

「ほんとだ……。棚の中ほとんど空っぽだね」 


 いざ調理開始と思ったところでキッチン内を捜索したが、フライパンや包丁などの調理器具が見当たらなかった。

 陽一は基本的に弁当や外食が多く、調理器具を持っていないわけではないがすべて【無限収納+】に収めているので、キッチンにそれらしいものは見当たらなかった。


「あちゃー……。先に確認して、買っときゃよかったねぇ」

「うーん……、フライパンとかってどこで買えばいいのかな? 金物屋さん?」


 長いあいだ軟禁状態で生活していた実里には、ところどころ常識が欠けている部分があった。

 もちろんそのあたりの事情を知る花梨が、それを馬鹿にするようなことはない。


「そうねぇ、ちょっとしたものなら大抵スーパーにあるから、ないとわかってたら一緒に買ってたわね。ちょっといいのが欲しいときはホームセンターとかに行けばあるし」

「じゃあまたスーパーに行く?」

「んー、スーパーはちょっと遠いから、あそこにしようか」


 花梨の提案により、ふたりは近所のディスカウントショップに出かけた。


「あ、実里。あなたテレビに映ってるわよ?」

「わわっ……? なんで?」


 家電コーナーで大きなTVモニターに映る自分の姿に、実里は驚き、戸惑っているようだった。


「ほら、ここにビデオカメラが置いてあるでしょう?」


 花梨がカメラのレンズに手を近づけると、TVモニターいっぱいに手のひらが映し出された。


「こうやってビデオカメラとテレビに興味を持たせるってわけよ」

「へええ……」


 そんなやりとりも含めて女性ふたりでの買い物を楽しみながら、ディスカウントショップを歩き回る。


「んー、お鍋とフライパンはこの取っ手が取れるやつのセットにしときましょうかね」

「包丁はどれにしたらいいの?」

「三徳が1本あれば充分なんだけど……あ、ダマスカスのやつあるじゃーん! せっかくだしセットのやつ買っとこ」

「ほかはなにがいるかなぁ」

「そうねぇ、とりあえずおたまと、菜箸と、このざるとボウルのセットもあると便利だわね。キッチンタイマーはスマホでもいいけど……やっぱ買っとこ。あとは計量スプーンとはかりと……」


 しゃべりながら花梨は結構な数の商品をカートに入れていく。


「いろいろ買うんだね」

「まぁすぐに使うのは包丁とフライパンと、菜箸くらいかしらね」

「お箸とかお皿はあったよね?」

「うん。その辺は一応揃ってたかな」


 少々余分なものがないとは言い切れないが、あって困るものでもないだろうと調理道具一式をカートに乗せてレジへと向かう。


「じゃあここは払っとくわね」

「あ、私……こないだカジノで結構勝ったから……」


 途中で声を潜めて耳元で囁いた実里に、花梨は笑顔で頷く。


「とりあえずカードで払っとくから、あとで半分もらうわね」

「うん!」


 ディスカウントショップを出てしばらく歩き、あと少しで『グランコート』に着こうかというとき、ふと花梨が立ち止まった。


「どうしたの?」

「ん……なんか、違和感が……」


 そう言ってあたりを見回したが、数名の通行人が行きかうだけで、改めて確認してみたところとくに気になることはなかった。


「ごめん、気のせいみたい」


 再び歩き始めたふたりはマンションへと入り、そのまま部屋に戻ると、さっそく調理器具を準備して料理に取りかかる。


「とりあえずレシピサイト参考にしながら作っていい?」

「うーん、目玉焼きにレシピもなにもないんだけどな……」

「だめだよ! ほら、料理は錬金術っていうじゃない? おねがい、スマホ見せて?」

「あはは、それをいうならお菓子作りでしょ。しょうがないわね、じゃあ……」


 そこで言葉を切った花梨は一旦寝室に入り、置いているカバンにいれてあった10インチのタブレットPCを持って戻ってきた。


「こっちのほうが見やすいわよ」

「ありがと、花梨!!」


 ニコニコと嬉しそうにレシピサイトを見始めた実里だったが、ほどなく表情を曇らせ、困ったように首を傾げる。


「どうしたの?」

「うん……えっと、どれ開けばいいのかな?」


 実里が示した画面には、さまざまな目玉焼きのレシピが載っており、そこからどれを選べばいいかでまず悩んだようだ。


「そうねぇ、陽一は半熟のベタなやつがいいから、これでいいんじゃない?」


 と花梨はレシピ一覧のサムネイル画像とタイトルから、いちばんシンプルそうなもの選んでタップした。


「お、これは当たりね」


 開いたページには文字だけでなく画像つきの手順説明があった。


「ありがと! えっと、じゃあまず油を小さじ2分の1……って、油はどっち使えばいいのかな?」


 今回の買い物で単純に油として用意したのは900グラム入りのサラダ油と、少量を注ぎやすく鮮度保持に特化した小さなボトル入りオリーブオイルの2種類だった。


「んーどっちでもいいんだけどね。マヨネーズを使ったりしても結構美味しくできるし」

「マヨネーズ? どうして?」


 酢と油と卵黄を合わせて作られるマヨネーズは、単に調味料としてだけでなく、炒め油として使うと独特の風味が出てなにかと使い勝手もいいのだが、料理をしない実里には思いつかない発想らしい。


 きょとんとした表情で首を傾げる実里に見つめられて、同じ女性でありながら花梨は一瞬ドキリとしたが、それを払拭するように顔の前でひらひらと手を振った。


「ごめんなさい、いまは忘れて。とりあえず基本に忠実にいきましょう。で、油なんだけど、少し使うくらいならこっちのオリーブオイルのほうがいいと思うわ」

「あ、うん。わかった。えっと、フライパンを熱してから油を……、どのタイミングでいれたらいいの?」

「そういうときはね……」


 一旦言葉を切った花梨は水道から水を出して手を濡らし、フライパンに数滴垂らした。


「わわっ!?」


 垂らされた水滴はジュッっと音を立てたあと、ライデンフロスト現象によってフライパンの表面を踊るように動き回り、ほどなく蒸発した。


「とまぁこんな感じで水滴が蒸発するくらい温まってれば大丈夫ね」

「なるほど……。じゃあここに油を」

「あー、ちょっと待って」


 小さじとオリーブオイルのボトルを取ろうとした実里を制止した花梨は、一旦IHコンロの電源を切った。


「実里、卵割れる?」

「あ……。えっと、どうだろう?」


 眉間にしわを寄せてうつむく実里に軽く微笑みかけた花梨は、今日購入して洗っておいた茶碗サイズの小さなボウルを取り、作業台に置いた。


「自信がないなら、先に割っておきましょうか」

「うん、そうだね」


 生卵を手に持った実里が、緊張の面持ちで作業台を見つめる。


「この、角のところにコツンって当てればいいんだよね?」

「んー、平面のところのほうがいいかな」

「そうなの?」

「そうなの」


 生卵を割るときは台の角やボウルの縁などに当てがちだが、力加減を間違うと亀裂が深く入りすぎて崩してしまう可能性があるので、作業台の表面など、硬くて平らな場所で打つほうが望ましい。

 花梨の指示に従って、実里は卵を作業台の表面にコンコンと打ちつける。


「あ、ヒビが……!」

「おっけー、じゃあそれをボウルの上で割って卵を落としましょうか」

「は、はいっ……!」


 緊張のせいか、なぜか敬語になった実里は、おそるおそる卵を持った手をボウルの上に移動させ、両手で卵を割った。


「お、成功だね」

「よかった……!」


 卵の中身は崩れることなくボウルの中にぽとりと落ちた。


「あ、でも殻が……」


 問題なく割れたかのように見えた卵だったが、殻の小さなかけらが一緒に入ってしまっていた。


「爪楊枝とって」

「あ、うん」


 指示されるまま爪楊枝を1本つまんだ実里は、それを花梨に渡そうとしたのだが、彼女は口元に笑みをたたえたまま軽く頭を振った。


「そんなに難しい作業じゃないから、自分でやってみましょうか」

「え? あ、うん」

「じゃあ黄身を傷つけないよう爪楊枝をプスッと刺して……そうそう、で殻を突いたらゆっくり動かして……うん、うまいわよ……そのまま上げてボウルの縁まで……おっけー、じゃあそこまできたら爪楊枝外していいから……はい取れたー」

「ふぅ……!」


 花梨の指示に従って卵と一緒に落ちた殻を取り除くのに成功した実里は、軽く浮いた額の汗を手の甲で拭った。


「簡単でしょ? だから殻が中に入っても慌てる必要なんてないのよ」

「うん、ありがと」

「じゃあ改めて作業再開といきましょうか」

「はいっ!」


 笑顔で答えた実里は、まずIHコンロのスイッチを入れて中火に設定し、しばらく待ってフライパンに水滴を落とす。

 何度目かでいい具合に水滴が蒸発したので、小さじ2分の1のオリーブオイルをフライパンに垂らした。


「オリーブオイルの真ん中に卵を落として」

「わかった。あ、その前にタイマー」

「ふふ、そうね。最初は時間を計るのもいいかもね」


 フライパンの中央にたまったオリーブオイルの真ん中に、ボウルに移した卵の中身を落とした実里は、1分に設定したキッチンタイマーを急いでスタートさせる。


「ここに塩を少々……少々ってどれくらい?」

「味はあとでととのえればいいから、こういうときは少なめにするのがいいわね。だからそれを軽くひと振りでいいわよ」

「わ、わかった」


 用意していたテーブルソルトのふたを開け、火が通り始めている卵の上にひと振りする。

 パラパラと落ちた食塩が、卵の表面に付着した。


「こ、これでいい?」

「うん、大丈夫。足りなきゃあとで足せばいいのよ」


 花梨が言い終えたタイミングでタイマーが鳴る。


「あ、えっと、お水を小さじいっぱい」

「そっちのボウルに用意してあるから、すくって入れればいいわよ」


 卵を落としたのとは別のボウルに溜めていた水を小さじで1杯すくい、フライパンに垂らした。


「きゃっ!?」


 油のせいでバチバチとはじけた水滴に、実里は思わず悲鳴を上げてしまう。


「ほら、次はふたをして」

「は、はいっ!」


 うろたえながらもガラス製のふたを手にした実里は、ジュウジュウと音を立てて水分蒸発させるフライパンをそのふたで覆った。


「えっと、あとは弱火にして、2~3分……あっ! タイマー!!」

「いいから、先に火を弱めて」

「あ、はい!」


 タイマーを合わせていないことにうろたえる実里だったが、花梨に指摘されてすぐIHコンロを弱火に設定し直す。


「で、さっき合わせたキッチンタイマーがまた1分に戻ってると思うから、そのままスタートさせましょうか」

「わ、わかりました」


 キッチンタイマーをスタートさせた実里は、安堵したように大きく息を吐く。


「たぶんそれがそれが鳴った時点でふたをして1分半くらいになるかな。火を弱めるタイミングが遅れたのを合わせると、ちょうどいいんじゃないかしら?」

「そっかぁ。そんなとこまで計算できるなんて、すごいね」

「あはは、慣れよ慣れ」


 そうこうしているうちにタイマーが鳴り、実里はふたを開けた。


「んー、もう少し火を通したほうがいいわね」

「じゃあ弱火とかにする?」

「んーん、余熱で充分だからそのままふたをしてちょうだい。で、待ってるあいだにお皿を用意しましょうか」

「はい、わかりました」

「ふふふ、さっきからたまに敬語が出てるけど、なんなの?」

「え、そう? 自分じゃあんまり意識してないから」

「まぁ、あたふたしてる感じがして可愛いからいいんだけどね」

「もー、あんまりからかわないでよね」


 とそんなやりとりをしているあいだに皿の用意は終わり、ふたたびフライパンからふたを取る。


「おー、いい感じじゃない? じゃあお皿に移しましょう」


 実里は手にしたフライパンを傾けて、目玉焼きを乗せた。


「わぁ……」


 皿の上に盛ったことで料理の完成を実感したのか、実里は嬉しそうな笑みを浮かべながら短く声を漏らした。


「ふふ、おつかれさま。実食といきましょうか」

「はい……あ」

「ふふふ」


 ようやく自分の敬語を自覚したらしい実里は、花梨に笑われたのを気にしたのか頬を染めて軽く口を尖らせた。


「じゃあ自分で食べてみて」


 わざわざテーブルに移動するのは面倒なので、皿を作業台の上に置いたまま、目玉焼きの黄身の部分に箸を入れる。


「わぁ……」


 とろりと流れ出た黄身に、思わず声が漏れる。

 実里は崩れた黄身がかかった白身の部分を箸で切り取ってつまみ、パクリと口に入れた。


「ん、美味しい!」

「うん。問題なさそうね」

「でも、ちょっと薄いかも」

「あとは好みで味をととのえればいいのよ。実里は普段なにかけてるの? お醤油? ソース? それともケチャップ?」

「なんでもいいんだけど、好きなのは塩胡椒かな?」

「だったら…………はい」


 買ったあと作業台に並べておいた調味料から塩胡椒のボトルを花梨は手に取り、手早くパッケージを空けて実里の前に置いた。

 受け取った実里はふたを開けて振りかけようとしたところで動きを止め、上目遣いに花梨を見た。


「これって、どれくらいかければいいのかな?」

「あはは、もう調理フェーズは終わってるんだから、あとは好みよ。普段食べてる感覚でかければいいわ」

「あ、そっか」


 納得して頷いた実里は、塩胡椒のボトルをトントンと叩いて目玉焼きにパラパラとかけた。


「じゃ、改めて」

「あたしもいただくわねー」


 自分の箸を用意した花梨とともに実里は再び目玉焼きに箸をいれて口に運んだ。


「んー、美味しい!」

「うん、上出来。あたしは普段お醤油なんだけど、塩胡椒も悪くないわね」


 どうやら実里の人生初料理『目玉焼き』は成功をおさめたようである。

 その後も実里はレシピを見つつ花梨の助言を受けながら簡単な料理を作り、自分たちで食べて出来を確認した。


「どう……?」

「美味しいわよ。やっぱりレシピどおりに分量を量るのって大事なのねぇ」

「よかった……。自分じゃよくわからないから」

「そう? 美味しそうに食べてるじゃない」

「それは、自分で作ったからひいき目になってるんじゃないかって……」

「あはは、大丈夫よ。自分で作ってもまずいもんはまずいから。さて、と」


 野菜炒めが盛られていた皿を空にした花梨は、タブレットPCを操作し始めた。


「もうしばらくしたら陽一が帰ってきそうな時間だから、そろそろ本番といきましょうか」


 目当てのレシピを開き、実里に見せる。


「ま、ベタだけどこれがいいんじゃないかな」

「……こんなの、作れるかなぁ?」


 タブレットPCのモニターと花梨とのあいだに不安げな視線を行き来させる実里に、花梨はにっこりと微笑みかけた。


「大丈夫よ。ちょっと時間はかかるかも知れないけど、ちゃんと作ればちゃんと美味しくなるから」

「うん、頑張ってみるよ」


 実里が食べ終えるのを待ってから一度食器や調理器具を洗い、ふたりは次の料理に取りかかるのだった。

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