第3話 スタンピード後のトコロテン

 魔物集団暴走スタンピードが終息し、いろいろあって『グランコート2503』で休んだトコロテンの4名は、翌朝ダイニングキッチンで簡単な朝食をとった。

 そして食後に軽くお茶を飲みながら、陽一よういちは女性陣に、管理者から聞いた魔人に関わることなどを説明した。


「なるほど、ヨーイチ殿はそんなに危険な状態だったのだな……」


【健康体α】をはじめ、陽一が持つスキルはどこか規格外な部分が多く、だからこそアラーナは彼であればなにがあっても大丈夫だと思っていた節はある。

 しかしよくよく話を聞いてみれば、魔人に魂を削られたことで陽一は死にひんしていたというではないか。


「そんな状態のヨーイチ殿を、私は……」


 アラーナが弱々しく呟き、身を縮める。


 死の淵をさまよい、本人の意志とは関係なく生物の機能として勃起したイチモツに対してアラーナは情欲を抑えきれず、本能のおもむくまま陽一を貪ったのだ。

 恥じ入る気持ちが芽生えたとしてもしょうがないだろう。


「それもひとつの愛情のかたちではないでしょうか?」


 申し訳なさそうに縮こまる姫騎士をどう慰めたものかと陽一が考えあぐねていると、実里みさとが静かに語り始めた。


「考えたくはありませんが、もし陽一さんが、その……亡くなっていたとしたら……」

「む……」

「はは、あんまり考えたくはないわね」


 想像したくない光景を言葉にして実里の口が少し重くなり、あまり聞きたくない仮定にアラーナも眉をひそめた。

 自然消滅とはいえ一度陽一との別れを経験している花梨かりんからは、乾いた笑いが漏れる。


「それでも、アラーナのお腹には陽一さんの子供が宿っていたかもしれない」

「むぅ……」

「あー、なるほど」


 続く実里の言葉に、アラーナは顔を赤らめ、思わず下腹部をなでた。

 昨日陽一から注がれたものが、まだその内側に残っているような気がしたからだ。


 そして実里の言葉に、花梨は思い当たることがあるようで、さらに言葉を続ける。


「死にそうになったら男はつってやつね」

「なっ……?」


 花梨の言葉にアラーナは驚き、言葉をつまらせて目を見開いたが、実里は無言で頷いた。


「男の……雄の本能っていうのかな? 瀕死の状態になると、子孫を残そうとして勃っちゃうらしいのよ」

「で、優秀な雄の遺伝子が失われることを惜しむ雌の本能がアラーナをそうさせたというか、なんというか……。そういう生物の根源に関わる欲求には逆らうのは難しいのかなぁ、なんて……」


 専門家でもなんでもない花梨と実里の、素人的な考えではある。

 だが、一応の説得力はあるように感じられた。


 少なくともここにいる全員が生物のなんたるかについて、詳しく知っているわけではないのだ。


「そうね。その場にいたのがアラーナじゃなくてあたしや実里だったとしても、同じことをしたかも知れないわね」

「ミサト、カリン……」


 なんだか妙な方向に話が進んでしまったが、とりあえずアラーナの気持ちの負担が少しでも減るならこういうトンデモ理論も悪くないかな、などと考えつつ、陽一は空気を変えるためにパンと手を叩いた。


「アラーナはさ、気持ちよかった?」

「うぇ!?」


 突然の問いかけに変な声を上げてしまったあと、姫騎士はうつむき加減の顔の前で指をもじもじとさせながら、おずおずと口を開いた。


「すごく……。ものすごく、気持ちよかった……」

「そっか。俺も気持ちよかったよ」

「はぇ? あ、いや、それは、その……」

「お互い気持ちよかったんだからさ、それでいいじゃん」


 その言葉にアラーナは目を見開き、ほどなく表情を緩めてほっと息を吐いた。


「そう、だな……」


 ふたりの様子を見た実里は安心したように微笑み、花梨は少しだけ呆れたように苦笑した。


「さて、そろそろ向こうに戻るか。報告とかしなきゃいけないだろうし」


 4人は準備を整え、『辺境のふるさと』へと【帰還】した。


「は……、うぅ……くぅ……」

「うぅ……なに、これ……きもちわる……」


 異世界のいつもの部屋について間もなく、花梨と実里が急に苦しみ始める。


「花梨、実里? どうした?」

「大丈夫かふたりとも?」


 ふたりの呼びかけに、実里は胸を押さえてふるふると首を横に振る。


「わかん、ない……。なんか、苦し……」


 花梨は少し症状が軽いようで、たどたどしくだがしゃべれるものの、自分の身に起こったことを理解できないようだった。

 ふたりの顔色はみるみるうちに青くなっていき、額や頬に汗が浮かび上がる。


「はぁっ、はぁっ……んぅ……」

「ふぅっ……ん……くる、し……」


 空気の薄い場所でわずかな酸素を求めるように激しく繰り返されていたふたりの呼吸は、ペースこそ速くなっていくもののどんどん浅くなり、やがて弱々しくなった。


「あぐぅ……んぅ……」


 膝から崩れ落ちそうになる実里を、陽一は咄嗟とっさに抱え上げた。

 腕の中にいる実里は口を半開きにして浅い呼吸を繰り返している。

 陽一のほうを向いている瞳も視点が定まらずせわしなく動いており、彼女の身体を支える腕には痙攣に近い震えが伝わってきた。


「冷た……」


 びっしりと全身に汗をかいているにもかかわらず、薄い衣服越しに触れあった身体から伝わる体温は驚くほど低い。

 どうやらかなりひどい状態異常が発生していると考えられた。


「ごめ……よう、いち……立って、られな……」


 花梨も立っているのが限界になったのか、陽一にもたれかかった。


「と、とにかく、一旦戻ろう!」

「うむ!」


 アラーナも自分に触れていることを確認し、陽一は【帰還+】を発動した。


「んふぅ……しんどかったぁ……」

「ん……ふぅ……はぁ……はぁ……」


 日本に戻るなり、苦しそうだった花梨と実里の表情は緩み、まだ少々荒いが呼吸も徐々に落ち着いてくる。


「ふたりとも、大丈夫?」

「えぇ……、さっきよりは、全然……あぅ……!」

「おっと! 無理はするなよ、カリン?」


 花梨は陽一にもたれかけていた身体を離し、ひとりで立とうとしたがふらついたため、そばにいたアラーナが支えてやった。


「……はい。なんとか」


 そう答えた実里の額には、汗がにじみ出ていた。

 陽一は実里を抱え上げたまま、アラーナは花梨に肩を貸してやり、とりあえず寝室へ行ってふたりをベッドに寝かせてやる。


「いったいなんなんだ?」

「なんかね……いちばん最初に向こうに行ったときになったやつに、似てるかも……」

「ふむう、魔力酔いか……」


 はじめて異世界へ行ったとき、空間に満ちあふれる魔力に晒された花梨と実里は、一時的に体調を崩した。


「でも、それにしては随分苦しそうだったけど……」


 しかし今回の症状はそのときとは比べものにならないほど重そうに見えた。


「母上ならなにかわかりそうだが、もしまたあちらへいって同じような症状が出るとなると、場合によっては長時間ふたりが苦しむことになるやもしれんしなぁ」


 花梨と実里には【健康体β】があるので、よほどのことがなければ徐々に回復するはずである。

 しかし回復までは苦しむことになり、それがどれくらい続くのかはいまのところ想像もつかない。

 アラーナの母親であり魔術師ギルドのギルドマスターでもあるオルタンスであれば、あるいは適切な診断を下し、処置できるかもしれないが、魔物集団暴走スタンピードのあと始末もあるだろうから、いつ診てもらえるかわからない。

 オルタンスの手が空いた時に【帰還+】で彼女をこちらに連れてくるという方法も取れなくはないが、トコロテンのメンバー以外にあまり陽一のスキルを見せるのはよくないだろう。


 ただ、ふたりの身になにが起こっているのかをいますぐに確認できる方法がないわけではない。


「陽一……【鑑定】、して……」

「……いいのか?」


 過去に何度も彼女たちを【鑑定】したことはあるが、そのときは本人らに内緒だったり、【鑑定+】の効果を深く知らないうちだったりしたので、とくに気にせずスキルを使っていた。

 しかし、現時点でトコロテンのメンバーにはスキルに関してかなり詳しいところまで説明しており、【鑑定+】を使えばその人の生い立ちまで閲覧できることを花梨たちはすでに知っているのだ。

 問い返した陽一に対し、花梨と実里は無言で頷いた。


「わかった。余計な部分は見ないから」


**********

状態:魔力供給過多に起因する重度の魔力酔い

**********

 

「魔力供給過多?」


 陽一はさらに過去へとさかのぼって詳細を確認する。

 どうやら先の戦いで枯渇するまで魔力を使ったことにより、最大保有魔力量が大幅に増加したことが原因のひとつであるらしい。

 そこへ陽一が直接胎内へ大量の魔力を含む物質を注ぎ込んだことで、さらに器が増大。

 そのまま異世界で徐々に魔力を回復させていれば問題なかったのだが、いちど日本――魔力のない空間――へと身を置いたことで魔力供給速度が鈍り、一気に増大した最大値に対する相対的な保有魔力量の少なさに、身体がより多くの魔力を求めて動き始めた。

 その状態で魔力に満ちた異世界へ行ったことで、空間にただよう魔力を一気に吸収してしまい、重度の魔力酔いに至った、というわけだ。


「ふむ。大きくなりすぎた器を早く満たそうとする身体の作用が原因というわけか」

「そんなところかな」

「治療方法は?」

「一度最大値まで魔力が回復すれば、あとは問題なくなるみたいだ」


 早く治すのであればもう一度異世界に行くのがいいだろう。

 まる一日しんどい思いをすれば徐々に症状は緩和し、2~3日で快癒する。


「こっちにいるうちは俺を経由した魔力供給だけになるから、10日くらいかかるけどそんなにしんどくはない」

「だ、だったら……!」


 そう言って身体を起こした実里だったが、その瞬間明らかに顔から血の気が引いていくのが見て取れた。

 陽一は慌てて実里の肩を押さえ、ベッドに寝かしつけてやる。


「べつに急いで治す必要はないでしょ? ゆっくり休んどきなよ」

「でも……」

「ヨーイチ殿の言うとおりだぞ。どうせ報告やらなんやらでしばらく身動きは取れんのだ。ミサトはほとんどヨーイチ殿か母上と一緒にいたのだから、そのあいだのことをあえて説明する必要もあるまい」

「実里、こういうときは……しっかり甘えるのが、正解よ……」


 まだどこか納得がいかない様子だった実里をなだめたのは、隣で寝ていた花梨だった。


 無理を続けて身体を壊しかけた経験のある彼女だ。

 それほど自覚はなかったものの、陽一と再会して健康を取り戻したいまなら、当時どれだけ不調だったかを理解できる。

 いま自覚できるほど体調を崩しているのであれば、無理をして陽一やアラーナを心配させるよりも、ふたりの言葉に甘えてゆっくり時間をかけて治すのがお互いのためだろう。


「そうだな。花梨の言うとおり、いまは甘えてくれたほうが嬉しい」

「……わかりました」


 結果、花梨と実里にはこのまま日本で休んでもらうことにして、陽一とアラーナは異世界へと戻るのだった。

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