第六章
第1話 吉田誠の災難
――おっさんが消えた。
俺はその日、
まだ夕方で勝負はこれからってときだったけど、金がなくなったんだから仕方がない。
帰ろうと思って駅に行ったら、駅前の宝くじ売り場で作業服着たおっさんがスクラッチ当てて何万かもらってた。
「なぁ、あのおっさんに分けてもらおうぜ?」
ぱっと見た感じだけど、5万くらい持ってたからひとり1万ずつもらってもおっさんの手元には2万残る計算だ。
どうせあぶく銭なんだから、若者に投資するのは年長者の義務ってもんだよな。
それに、あと1万あれば絶対あの台はくるから、今日の負け分ぐらいはとり戻せるはずだ。
いや、うまくすりゃあ今月分一気に取り戻せるかもしれねぇ。
新田と山下も乗り気だったので、俺らはおっさんのあとをつけた。
「ったくフラフラ歩きやがって……。あの台取られちまうだろうが……!!」
ムカつくからやっぱ財布ん中身全部没収だ。
「おい、
新田がにやりと笑ってこちらを見る。
山下もあたりを見回したあと、嬉しそうに何度も
「へへ、あのおっさんアホだな」
馬鹿なおっさんは俺らにつけられてるとも知らず、どんどん人気のないところに入っていった。
監視カメラもほとんどないような路地裏に来たので、そろそろ仕掛けるか――、
「あっ!!」
「「「えっ!?」」」
――おっさんがいきなり振り向いたかと思うと、俺らのうしろを指差して驚いたような声を上げやがった。
で、俺らは反射的におっさんが指差したほうを見てしまった。
ようは振り返っちまったってことだ。
……なんもねぇじゃねぇかよ、脅かしやがって。
こうなりゃ免許証確認して、定期的に投資させてや――、
「え……?」
――振り返ったら、おっさんはいなかった。
○●○●
「な……なにを言っているのかわからねーとおもうが――」
「あー、はいはい」
吉田
「いやマジなんだって!! 催眠術だとか超スピードだとか――」
「だからもういいってその話は」
正確には興味を持たれていないだけで、聞き手にとって彼の話が事実かどうかはどうでもいいのだが、誠はその仲間の態度が気に食わなかった。
その後も別のサークル仲間やバイト先の先輩後輩を相手に同じ話をしてみたが、消えたのが美少女ならともかく、おっさんがひとりいなくなったことに興味を持つ者はいなかった。
「ちっくしょー、ホントなんだけどなぁ」
そう思い、SNSのタイムラインにもしつこく体験談を流していた。
『ってかなんでおっさんのあとつけてたの?』
きっかけはひとつのリプライだった。
『あー、こいつバイトの後輩かも。なんかパチで負けた腹いせに親父狩りしようとしてたとか熱弁してたわWWW』
『うわなにそれさいあく』
『コイツどこ
『たしか――
『いや、先輩ガチで答えんなしWWW』
『おおっとコンプライアンスぅー? あびねぇあびねぇ、あやうくテニサーってことまで喋っちまうとこだったぜぇ』
『コンプライアンス仕事しろWWW』
『ん? ――大のテニサーってあれじゃね?』
『あれってなによ?』
『ヤリサー的な?』
『まじかよそれ爆発しろ!』
『そういや連れの従姉妹がそこでなんかされたって……』
『俺が入る前に辞めたバイトの先輩も――大のテニサーでなんかわけありだったって噂が……』
『そういやオカンのパート先の知り合いの娘さん、――大の新歓終わってすぐ大学やめてひきこもってるとか……』
『おい! 吉田っ!!』
ある朝、誠は新田からの着信で叩き起こされた。
「んぁあっ?」
新田の呼びかけに不機嫌さを隠そうともせず応答する。
コンパで何人かつまみ食いしたあと気持ちよく帰って眠っていたところで、半分寝ぼけて電話に出たら、いきなり電話口で大声を出されたのだ。
機嫌を損ねても仕方がないだろう。
「んだよ朝っぱらからうっせーな……くぁ……」
『バカお前、炎上してんぞ!!』
「炎上……?」
一度スマートフォンを耳から離し、ホーム画面に戻すと、SNSアイコンの通知数が見たこともない桁数になっていた。
○●○●
「で、吉田くぅん……。この落とし前はどうつけてくれるのかなぁ?」
電話を切ってSNSの状況を確認しようとした矢先、吉田は先輩に呼び出された。
大学とも住まいとも少し離れた場所のファミリーレストランに呼ばれた吉田は、移動のあいだ長々とリプライが続くスレッドを確認していた。
そこには誠の個人情報からサークルの悪事――あることないこと含む――を晒すような書き込みも多くあった。
そしてそれを見た一部のユーザーから、警察やら大学やらに通報が入ったらしい。
「まぁ警察はさ、被害届がないと動かないからべつにいいんだけど、大学からはかなり追求されそうなんだよねぇ……」
「す……すいません」
誠のいたサークルの手口は実に巧妙で、普通であれば問題が表沙汰になることはなかった。
何年か前によその大学の学生が作り上げたものらしく、先輩からシステムの説明を聞いたときは大いに感心したものだった。
しかしここまでことが大きくなると、
サークルは解散となり、責任者にはそれなりの処罰がくだされるだろう。
「ま、このサークルは優秀な若手がメインで運営してるから、俺らはもう無関係なんだけどねぇ」
先輩がケタケタと笑う。
優秀な若手が運営?
聞いたことのない話である。
少なくとも昨日までは、目の前にいる先輩がサークルの責任者だった。
なんでもどこぞの大きな企業グループにコネがあるので、4年生が責任者を務めて箔をつけるとかなんとかそんな理由を以前誰かに聞いたことがあった。
「っつーわけで責任者の吉田くん、学校には君が出頭してね?」
「え……?」
どうやら誠はスケープゴートにされるらしい。
既にサークル関連の記録は過去にさかのぼって改変されており、創設以来責任者を務めていたのは2年生ということになっていた。
大学にも慣れた頃合いに、人をまとめる経験を積ませるため交代で責任者に就く、というもっともらしい理由があとづけされた。
大学側としてもできるだけ事は小さくまとめたいので、現在の責任者を厳罰に処すことで話を終えようとしているらしい。
聞けばこのサークルの創設者は、現在大きな企業グループで高い役職に就いており、各方面に顔がきくとかで、火消しの準備は整っているとのことだった。
「吉田くんが責任取ってくれたら全部丸く収まるからさ」
「そ……そんな……」
誠の反応が気に食わなかったのか、いままでニヤけていた先輩の顔から表情が消える。
そして、身を乗り出して誠の襟首をつかんだ。
「てめぇふざけてんのか? あぁっ!?」
「あの……べつに、そんな……」
「てめぇがやらかしたからこんなことになってんだろうが! おっさんが消えたぁ? んなこたどうだっていいだろうがっ!!」
「いや、でも……本当に……」
「だぁかぁらぁー! そんなしょーもないことで炎上させるんじゃねぇぞっつってんだよっ!!」
「ひぃ……っ」
声量は抑えられているものの、低い声ですごまれた誠はビクッっと首をすくめた。
「まぁお前がどうしても嫌だってんなら、俺が出頭してやってもいいけどよぉ」
烈火の如く怒っていた先輩だが、感情を発露したおかげか少し落ち着いたようで、幾分か表情と口調が穏やかになった。
そこで先輩は襟首から手を離して誠の肩に手を置く。
「そうすりゃ俺の就職はおじゃんなんだわ」
「す、すいません……」
「べつに謝らなくてもいいんだぜ? そんときゃお前に責任取ってもらうからよ」
「責任……?」
そこで先輩はニタリと口元を歪めた。
「お前のせいで俺の人生台なしになるんだからよ、そのぶん賠償金払えや。お前と、お前の家族で」
「いや、それは……」
「順当にいきゃ30までに年収1000万は堅い職場だったからなぁ。まぁでも同じサークルのよしみだ。10億で勘弁してやるわ」
「――っ!? そんなの、無理です……」
「だったら選択肢はひとつしかねぇよなぁ……」
誠はしばらくだまったままうつむいていたが、やがてか細い声を発した。
「俺が、出頭します……」
「よっしゃ!」
そこで先輩が誠の肩をバン! と強く叩いた。
「うぐっ……」
「言っとくけど、それでも俺の就職先はグレードが下がるんだぜ? お前がヘマしたせいでよ」
「…………」
「ま、俺ぐらい優秀なら、下から這い上がるのも時間の問題だし? そこんところは許してやらぁ」
「…………ありがとうございます」
「なに、しばらく停学くらって、ほとぼりが冷めりゃすぐ戻れるさ」
そう言うと先輩は誠の肩をポンポンと軽く叩いて立ち上がり、伝票を置いて店を出ていった。
会計を終えた誠はその足で大学へと向かう。
――後日、誠の部屋に除籍通知書が届いた。
「なんで除籍なんだよ……。停学じゃなかったのかよ……」
大学を除籍されたことにより、誠は入学の事実すらなかったことにされた。
そのため最終学歴は大学中退ではなく、高卒ということになる。
サークルの責任者が除籍という重い処分を受けたことで、例の炎上騒ぎは驚くほどあっさりと終息した。
なにやら大きな力が働いているようにも思えなくはないが、いまとなっては確認のしようもない。
「くそ……全部あのおっさんのせいだ……」
過日、目の前で消えた作業服姿の男に恨みの矛先を向ける。
そうでもしないとやっていられないのだろう。
「とりあえず、一発当てて厄落とししとかないと……」
その日、誠は場外馬券売り場へ向かうため電車に乗っていた。
「にしてもあのおっさん、腹立つぜ……あいつさえいなけりゃ……あの作業服のおっさんさ……え……? んん?」
ふと向かいの席を見てみると、見覚えのある服装が目に入った。
「作業服……?」
そしてじっと顔を見ていると、それがあのとき消えた男であることに気づいたのだった。
(っつか、なんでいままで気づかなかった?)
理不尽な理由ではあるが、恨みを持つ相手である。
もう一度見ればすぐにわかると思っていたし、もし見つけたら2~3発殴って金を出させようと思っていた。
なにせ誠は、その男のせい――明らかに自業自得だが――で大学を除籍され、いまや仕送りすらしてもらえなくなったのだから。
その恨みの対象たる作業服男が、向かいのシートに座っている。
(いつから乗ってた? いや、まぁいい……)
誠はポケットからスマートフォンを取り出し、相手に悟られないよう男の顔をカメラで捉えて何枚か画像を保存した。
(お? 同じ駅で降りるのか)
この男がいったい何者なのか突き止めるため、誠はあとをつけようとしたのだが――、
「ちょっとあなた」
――うしろから肩を叩かれた。
「あぁ?」
振り向くと、そこには30代くらいに見える女が、厳しい目を誠に向けていた。
「あなたさっき盗撮してたわよね?」
「はぁ!?」
どうやら先ほど男の写真を撮ったことで勘違いされたらしい。
「関係ねぇだろーが! って、おわっ!? ててて……!!」
早く追いかけなければ男を見失ってしまうと、誠は女を無視してその場を離れようとしたが、手首をうしろ手につかまれてひねり上げられてしまった。
「ちょっと一緒に来てもらおうかしらね」
その女は鉄道警察隊の覆面捜査員で、誠は別室で聴取を受けることになったのだが、スマートフォンの中に盗撮に関わりがありそうな画像や動画がなかったため、すぐに釈放された。
(ふぅ……やばかったぜ……)
例の騒動のあと、誠はスマートフォンに記録されていた
もしあれが残っていれば、なにかと面倒なことになっていただろう。
「くそっ……。結局見失っちまったかよ……」
その後、予定より少し遅く場外馬券売り場に到着した誠だったが、その日買った馬券はすべて紙きれに変わってしまった。
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