第9話 スイートルームへご案内

「おおっ……!!」


 花梨が取ってくれたのもそこそこグレードの高い部屋だったが、さすがにスイートルームともなると格が違った。


 ちょっとしたパーティーでもできるんじゃないかというほどの広いスペースには、リビングスペースだけでなく、バーカウンターやキッチンまで設けられている。


 キャビネットには高そうなガラス製の食器のほかに、ウィスキーやバーボンなどが並んでおり、小型のワインセラーにはボトルが何本も並んでいた。


 大きな冷蔵庫の中にも、それなりのものが入っているのだろう。


 リビングには、下手なベッドよりも大きな肌触りのいいベロア調のソファもあれば、ひとりがけの豪奢ごうしゃな椅子も数脚、ガラス天板のローテーブルを囲むように配置されていた。


 大きなソファの正面には、100インチはあろうかというテレビが設置されており、聞けば日本未公開の最新映画やドラマも流してもらえるのだとか。


 広いリビングの奥には扉があり、どうやらその奥が寝室になっているようだ。


「ほぇー……」


 下手をすると異世界を訪れたときよりも大きな衝撃を受けた陽一が、マヌケな声を漏らしながら豪華な部屋に感動していると、ふいに耳元で囁く声があった。


「シャワー、浴びてきてくださる?」


 キャサリンが突然うしろから抱きつき、甘い声で告げたのだ。

 背中に当たる感触からして、大きさも弾力もアラーナに負けず劣らずといったところか。


「あ、あの、どういう――」

「うふふ……、とぼけなくてもいいのよぅ。わたくしの正体なんて、とっくにお見通しなんでしょ?」

「えぇ、まぁ……」


 不自然に濃い化粧とまったく制服が似合っていない様子からある程度予想はできるが、部屋に入るなり誘惑してくるこの態度から、彼女はエドが用意したコールガールだろう。


「キャサリンさんは、シャワーを浴びないので?」

「女の匂いはお嫌いかしら?」

「……嫌いじゃないです」

「だったら、このままでもよろしくて?」

「ですね。じゃあお先に――」


 バスルームに向かって歩き出そうとする陽一を押さえるように、キャサリンは彼の腰に回した腕に力を込めた。


「服は……、わたくしが脱がせて差し上げますわ」


 言いながらキャサリンは巧みに陽一のベルトを外し、あっという間にズボンのファスナーを下ろした。

 そしてトランクスの上から陽一の股間をさわさわと撫でる。


「おぅふ……」

「あらぁ、意外とご立派……」


 金髪美女にうしろから抱きつかれて、耳元で甘い言葉を囁かれれば、その気がなくても反応してしまうのは仕方のないことである。

 キャサリンは右手で優しく股間をさすりながら、左手で陽一のシャツのボタンを外していく。


「あ……」


 すべてのボタンが外れたあと、キャサリンの手が股間から離れたので、陽一は少し名残惜しげな声を漏らしてしまった。


 その声にくすりと笑みをこぼしながら、キャサリンはシャツに手をかけて脱がし、中に着ていたTシャツの裾に手をかけてたくし上げた。

 陽一はそれに逆らうことなく身を任せ、十数秒後には見事に全裸にされていたのだった。


「あらぁ、意外と立派なお身体なのねぇ」


 全裸になった陽一にうしろから抱きつきながら、キャサリンは筋肉の割れ目を確認するように、胸板から下腹までをゆっくりと撫で回していった。


「ふふ……どう? このまま手で……」

「い、いや……楽しみはあとに取っておきます」


 陽一が誘惑を振り払うように声を絞り出すと、キャサリンの手が離れ、彼女自身も背中から離れた。


「では、いってらっしゃいませ」


 キャサリンに軽く背中を押された陽一は、そのまま振り返ることなくバスルームへと歩いていった。


○●○●


「ふふん。ちょろいわねぇ」


 バスルームからシャワーの音が流れ始めたのを確認したキャサリンは、さげすむような笑みを浮かべてつぶやいた。

 その音から、陽一がちゃんとシャワーを浴びていると判断したキャサリンは、脱ぎ捨てられた陽一の衣服を探り始めた。


 彼の荷物は前の部屋からこの部屋へと移されている。

 ということは、スーツケースの中身は調査済みというわけだ。

 そのうえでエドが自分を彼につけたのは、衣服など身に着けたものから陽一のことを調査させるためである。


 もし調べた結果、彼になにかしら怪しい部分があれば、部屋に備えつけの電話でセキュリティに連絡する。

 そうすればすぐにスタッフがここを訪れ、なにかしら理由をつけて陽一を拘束するだろう。


 調査の結果なにも出てこず、彼がただ勘の鋭い観光客であれば――、


「うふふ……、東洋人の硬いアレも、久々に悪くないわねぇ」


 ――いい夢を見させてやるだけのことだ。


「硬いってのは、褒め言葉として受け止めればいいんですかねぇ?」


 突然背後からかけられた声に驚いたキャサリンは、立ち上がりざま跳ぶように前へと大きく踏み出し、着地と同時に身をひるがえしつつファイティングポーズをとって声の主に対峙した。


(いつのまに……?)


 彼女の能力であれば、たとえ衣服の調査に意識を割いていたとしても、ほんのわずかな物音にも気づけるはずだった。

 少なくともバスルームの扉が開かれた様子はなく、シャワーはいまも出っぱなしだった。


 にも関わらずこの男は背後に現われた。


 そしていつの間に用意したのかジャージを着ており、口元に不敵な笑みを浮かべてキャサリンを見ていた。


 それだけも異常だというのに――、


「だれ、あなたたち……?」


 陽一のそばには3人の女性が立っていた。


 ひとりは濃い茶髪のどこにでもいそうな東洋人。

 ひとりは黒髪ショートボブにメガネをかけた、地味な東洋人。

 最後のひとりは銀髪の西洋人で、目の覚めるような美人だった。


 予想外の事態に混乱しつつも、キャサリンは自身を落ち着けるため、わからないことは考えないことにした。


 どうしてこうなったのかは考えず、いまなにが起こっていて、なにをすればいいのかを考える。


 キャサリンは、彼女自身が疑われないようするため、通信機器や盗聴器のたぐいを一切身に着けておらず、この客室内も監視の対象外なので、いま現在のこの部屋の状況を知り得るのはこの場にいる5人のみである。


 この事態を誰かスタッフに伝えるには、寝室の枕元にある電話機を使ってセキュリティに連絡するか、陽一らの脇を通って部屋を出る必要がある。


 電話機は、受話器を上げればすぐフロントにつながるので、この部屋からフロントあてに発信があれば、なにを話す必要もなくエドなら察してくれるはずだ。

 また、この階の通路は監視対象なので、ドアを少しでも開けさえすれば、やはりエドならなんとかしてくれるだろう。


 ここはかなり広いスイートルームで、現在部屋に入ってすぐのリビングで5人は対峙している。

 寝室の電話機までは、数メートル走って扉を開け、そこからさらに10メートルといったところか。

 距離的に近いのは入り口のドアだが、その前には4人の男女が立ちはだかっている。


 ただぼんやりと突っ立っているだけに見える陽一と、同じく立っているだけの茶髪の女性、少し怯えたように身を縮めている黒髪の女性は大して問題にはならなそうだが、銀髪の女性は油断ならない相手だと、キャサリンの勘が警鐘を鳴らしていた。


(入り口のほうが近いけど、そっちは無理そうね……。じゃあ、寝室へ――)


「なるほど、寝室に電話機があるのか」

「――え?」


 まるで自分の考えを先読みされたかのようなタイミングでの発言に、キャサリンは思わず声を漏らして固まった。

 そして陽一はキャサリンを少し遠巻きに見ながら悠然を歩き始め、寝室の扉の前に立った。

 キャサリンはその行動を、ただ呆然と見守ることしかできなかった。


(……でも入り口への障害がひとり減ったわね)


 銀髪のほうからは相変わらず得体の知れないなにかを感じるが、残るふたりの女性は一般人であり、脅威にはなりえないはずだ。

 特に黒髪眼鏡の女性がにぶそうなので、彼女の脇を抜け、一気に出入口のドアを目指す――!!


「――!?」


 特殊な体術を会得しているキャサリンは、予備動作なしで素早く動くことができる。

 たとえ特殊訓練を受けた一流の諜報員であっても、キャサリンの初動を捉えることはできない。

 銀髪の女性が気づいたとき、すでに自分は黒髪の女性の脇にいるはずだ。

 もし自分の動きを捉えていたなら、申しわけないが軽く転ばせるなりして黒髪の女性を障害にし、その隙に入口のドアを開けるつもりだった。


 たしかに自分が動き出したとき、銀髪の女性の反応は遅れていたはずだった。

 しかし気づけば黒髪の女性のもとへ辿り着く前に、すぐ脇まで距離を詰められていたのだ。


「くっ!!」


 キャサリンは苦し紛れに裏拳を放ったが、銀髪の女性は彼女の手首をあっさりとつかんでそれを防いだ。


「喰らえっ!!」


 こうもあっさり手首をつかまれるとは思っていなかったが、キャサリンはこれを奇貨とし反撃に移る。


 彼女は任務の性質上、筋肉をつけ過ぎるわけにはいかないので、打撃技に関しては蚊ほどの威力しか持ち合わせていないが、関節技に関してはそれなりの使い手だった。


 自分の左手首をつかんだ相手の前腕を右手でつかみ、そこを支点に脚を振り上げる。

 そしてそのまま銀髪女性の腕に脚を絡めて腕をめた。


(このまま引き倒して――え……?)


 しかし、信じられないことに、銀髪女性は絡みついたキャサリンを片腕で持ち上げたまま、軽く微笑んで口を開いた。


「もう、終わりかな?」

「何語よ、それ……」


 自分が片腕で軽々と持ち上げられているという事実から逃避するように、キャサリンはそんなことを呟いてしまった。

 その言葉に少し戸惑うような表情を見せた銀髪の女性は、陽一のほうを見たあと、再びなにかわからない言葉を発し、キャサリンを床に叩きつけたのだった。



「んぅ……」


 背中と後頭部に衝撃を受けたキャサリンはそのまま意識を失ったものの、ほどなく目を覚ました。

 ぼんやりとしていた意識が少しずつはっきりし始めたが、うまく身体を動かせないことに気づく。


(……拘束されている?)


 それだけでなくなにやら肌寒さも感じ始めたキャサリンは、ぼやけた意識と視界が明瞭になるにつれ自身の様子を目の当たりにし、息を呑んだ。


(手足を縛られている……? しかも全裸で……!)



 両脚は軽く広げられ、足首はロープで縛られてベッドに固定されているようだ。

 視線を動かしてみれば両腕も広げた状態で、足首同様手首にロープが巻かれていた。


(なんて無様な……!!)


 自身の失態を情けなく思いつつもそれを表情に出さないよう平静を装いながら、キャサリンは自分を取り囲んでいる4人の男女を観察した。


(男はヨウイチ・トウドウ、スーツの女は連れのカリン・モトミヤ……。でも、あとのふたりはだれ……?)


 メガネをかけた東洋人と、自分をいとも簡単に制圧した銀髪の女性を見て、眉をひそめたくなるのをこらえていると、ヨウイチという男が前に出てキャサリンの顔を覗き込み、口を開いた。


「少しお話をしましょうか、キャサリンさん。いえ――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る