第2話 アラーナを連れて街へ

「な、なぁ、ヨーイチ殿?」

「……ん?」

「皆の視線が私に集まっているように思えるのだが、気のせいだろうか……?」


 陽一と花梨、実里、そしてアラーナの4人は、現在電車に乗って県庁のある中心街へ向かっている。

 町を歩いているときからチラチラと視線を感じていたアラーナだったが、電車に乗りあらためて、周りの乗客の視線が間違いなく自分たちに集まっているのを実感していた。

 なので、初めて乗る電車という乗り物に対する感動よりも、その視線のほうが気になっているようだった。


「もしかして、魔道具の効果が薄いのだろうか?」


 答えは“否”だ。魔道具はその効果を十全に発揮している。

 しかしアラーナが先述したとおり、その魔道具はあくまで認識のレベルを下げる効果しかない。

 アラーナは、こちらの世界の基準でいえば間違いなく“絶世の美女”である。

 それが認識阻害効果によって“かなりの美女”レベルに落ちているのだが、それでも大いに人目を引くものであった。

 それでも今日この場でアラーナを目にした人々は、あとになって“美人を見かけた”ということは思い出せても、その具体的な容貌を思い出すことはできないだろう。

 それだけの効果を、例の魔道具は発揮していたのである。


「まぁ、アラーナっつーか、俺たちっつーか……」


 そして人々の視線はなにもアラーナひとりに集中しているわけではない。

 花梨も実里も、それなりに優れた容姿を持っているのだ。

 実里はあまり目立つ容姿ではないのでひとりでいれば意外と気づかれないのだが、まずアラーナに目を奪われた人が、その美人とともにいる女性を注視してしまうのは仕方のないことだ。

 そしてよく見ればその一見地味な女性がかなりの美人であることがわかる。

 花梨はどこにでもいそうなキャリアウーマンを思わせる容姿だが、陽一と再会してから随分と若返った印象があり、そこに30代半ばの女性が持つ大人の色香が加わることで、以前に比べて男性の目を引くことが多くなった。


 では、そんなタイプの異なる3人の美人を連れているのはいったいどんな男かと視線を動かした先にいるのが、もっさりとしたいかにも冴えない男となれば、注意を引かないわけがないのである。

 おかげで陽一らは、電車が目的地に着くまでのあいだ、いろいろな感情のこもった視線に耐えなくてはならないのだった。

 それでも変に絡まれることがなかったのは、アラーナの身に着けた認識阻害の魔道具の効果が、わずかながら同行者である陽一らにも及んでいたからだろう。

 そしてその効果のおかげで、町ですれ違った人々は一時的に陽一らへ興味を抱くものの、数分もすれば忘れてしまうのであった。


「降りるよー」


 中心街に着いた陽一ら4人は、現代日本の都市を満喫した。

 町をよく知る陽一が先導し、なにかと気のつく花梨と実里がサポートする、というかたちで最初は案内を進めていたのだが……。


「ねぇねぇ、これなんか似合うんじゃない?」

「むぅ……ちょっと派手すぎやせぬか?」

「いーえ。これくらいのほうがねぇ、陽一は好きなのよ」

「あ、そういえば以前ベビードール着たとき、すっごく嬉しそうだったよ!」

「ほらやっぱり。店員さーん! これのサイズなんですけど」


 女性用下着が整然と並べられた店の奥から、スーツ姿の女性店員が現われた。


「えっと、申し訳ございませんが、そちらのお客様用ですと、お取り寄せか特注になるかと……」

「あら残念……。っていうか、アラーナって普段ブラはどうしてんの?」

「いや、私はブラジャーではなくコルセットで下から支えるようにだな……」

「あー、コルセット!! ちょっと興味あったんだよねー」

「あ、私も1回着けてみたいかも」


 と気づけば女性陣だけでワイワイと楽しみ始め、陽一は蚊帳かやの外に置かれることが多くなった。


(しかし下着売り場ってのは、なんでこうも居心地が悪いんだろうなぁ……)


 店内の照明は明るいし、女性用の下着といってもハンガーにかけられたり棚に並べて置かれたりと、ごくごく事務的に陳列されているだけなのに、なんとも妙な気分になってくるのだから不思議なものだ。

 目につきやすい場所にはレースで飾られた可愛らしいものが多いが、まれに卑猥さを演出しそうなものもあるから困る。

 例えばいま陽一の視線の先にはシースルーのネグリジェがあるのだが、それを着た女性たちの姿を想像すると、どうしても前かがみになってしまう。


(やばい……これじゃあ全部まる見えだ……!)


 本来はブラジャーなどを着けた上に着るタイプのネグリジェなのだが、陽一はそれを裸に直接着せた姿を想像しつつ、楽しげに買い物をする女性たちを遠巻きに眺めるのだった。


「ねぇ、ちょっと小腹すいたんだけど、なにか軽く食べられるものってない?」

「あー、だったらちょっと行ったところにクレープ屋が――」

「クレープ! いいわねぇ!! あーでも、実里は歩きながら食べるの苦手かー」

「だ、大丈夫だよ? クレープなら大丈夫、うん!」

「ほんとにー? 口の周りクリームだらけにしないでよー?」

「そ、そんなことにはならないよー! たぶん……」

「むむ。ところで先ほどからふたりが話しているクレープというのはいったいどのような……」

「えっと、クレープってのはねぇ……」


 そしてたまに声をかけられても、ちょっとした道案内程度の役目しか与えられなかったのだが……、


(ま、みんな楽しそうだし、それでいっか)


 と最終的には女性陣を見守るだけで満足してしまう陽一だった。


○●○●


 ひとしきり買い物や買い食いを堪能したあと、陽一はみんなを連れてカーディーラーを訪れた。


「え、陽一車買うの?」

「うん。正直もう電車には乗りたくない……」

「あー、たしかにちょっと居心地悪かったわねぇ」

「……ですね。でも、お金は大丈夫ですか?」

「なんとでもなるって、いまならわかるでしょ?」

「あ、そうですね」


 陽一が現在の部屋を借りる際に実里は同行しており、そのときは少し家賃の高い物件を選んだことに対して少なからず不安を覚えていた。

 しかし、陽一の持つスキルのことや、南の町のとある組織から頂戴ちょうだいした資金がまだ残っていることを知ったいまとなっては、それほど心配する必要もないのだと、実里には理解できた。

 花梨も、少し前の陽一が車を買うなどといえば全力で引き止めていただろうが、いまの彼にはいろいろと余裕があるとわかっているのであえて止めなかった。

 また、彼女自身経済的にはかなり余裕があるので、なにかあれば自分が支援できるという心づもりもあるのだろう。


「ってか、アラーナは?」

「あれ? あ、あんなところに……」


 アラーナはショールームに並べられた車を物珍しそうに見ており、気がつけば陽一らと少し離れてしまっていた。


「あー、どっちかそばにいてやってくれるかな」

「ふふ……、じゃ私がいきますね」


 子供のようにはしゃぐアラーナと、少しあきれたような陽一の様子に笑いをこらえながら、実里は姫騎士のもとへと小走りに駆けていった。


「気になるものがあれば試乗していただいて結構ですので、遠慮なくおっしゃってくださいね」

「うーん、じゃあこれにしようかな」

「いや、さすがにそれはおっさん臭いでしょうが」


 陽一が選ぼうとしたのは2リッタークラスのセダンだった。

 ただ町を走るだけなら軽自動車でもいいのだが、金に余裕はあるのだし、乗り心地を重視してもいいだろうとの理由からハイグレードのセダンを選択したのだが、花梨から待ったがかかる。


「おっさん臭いってか、俺もう充分おっさんだと思うし、こういう車もいいと思うんだけど……」

「はぁ!? アンタがおっさんなら、同い年のあたしはどうなんのよ!!」

「そりゃそろそろおば――」

「キィーッ!! ダメよっ! 絶対ダメ!! こっちになさい! うん、そうよ、絶対こっちのほうがいいわよ!!」

「えー……」


 結局陽一は、花梨に押し切られるかたちでSUVを選択した。


「ではいってらっしゃいませ」

「はい。ありがとうございます」


 そばにいた花梨に加え、少し離れた場所ではしゃいでいたアラーナと、お守りの実里を呼び戻して車に乗せ、陽一は担当者に見送られて試乗を始めた。

 陽一がこのディーラーを選んだのは、営業の人間が同乗しないという情報をここまでの道中で調べていたからである。

 今日はアラーナが主役なので、助手席に座ってもらい、花梨と実里は後部座席に乗ってもらった。


「おお!! 音もなく動き出したぞ!!」


 ハイブリッド仕様なので、スタート時のエンジン音はほとんどない。

 仮にエンジンが作動しても、このクラスのSUVはほとんど車内に響かないだろう。

 なんにせよ初めての乗り物に、助手席のアラーナは大はしゃぎである。


「ふむう、馬もいないのに走るとは不思議なものだな」


 ある程度自動車に慣れたところでアラーナはそう漏らした。


「それにしても、すごい町だ。路面がなめらかで広い……。ジドウシャという乗り物もたくさん走っているし」


 メイルグラードの町中にも馬車は走っているが、基本的には路線馬車か貴族所有のものであり、日本のように庶民がそれなりの割合で車を持っているのが驚きに値するのだろう。


「しかし、道が綺麗なわりにこの車は結構揺れるな」

「え、全然揺れてないと思うけど……」


 アラーナの言葉に驚きの声を上げたのは花梨であった。

 ハイクラスのSUVともなると振動軽減の水準はかなり高いものであり、都心部の整備されたアスファルトの上を走っていて“結構揺れる”という感想を抱く者は少ないだろう。


「そうか? こう、曲がるときはぐぐっと身体を持っていかれそうになるしなぁ」

「えっと、それはしょうがないんじゃないかな」

「花梨、実里、アラーナの世界には魔法がある」

「あー……」

「なるほど……」


 そう、アラーナの住む世界には魔法や魔術があるのだ。

 慣性制御はもちろん、振動軽減の技術ですらこちらの世界のものよりはるかに高い水準を誇っているのである。


「なぁ、ヨーイチ殿。あの行列はなんなのだ?」

「ん?」


 アラーナが示した先には、建物からぞろぞろと出てくる人の列があった。

 それはなにかを待っている行列ではなく、なにかのイベントが終わったあと、帰路につく人たちが織りなしているようであった。


「んー……」


 陽一が行列の元となっている建物を見上げると、そこには目立つロゴマークがあった。


「競馬場……かな?」

「場外馬券売り場でしょ」


 陽一の言葉に、花梨が訂正を入れる。

 べつに花梨はギャンブルに通じているわけではないが、この都市部に競馬場のような施設がないことは考えればわかることだ


「競馬だと!?」


 ふたりの言葉にアラーナが予想外の勢いで食いついてきた。


「競馬、知ってる?」

「競馬というのは、馬同士の走力を競わせて、どの馬がいちばん速いかを予想するものではないか?」

「まぁ、そうだね。そっちの世界にもあるんだ?」

「うむ、あるぞ」

「……好きなの?」

「もちろんだとも。馬が走る姿というのは、見ていて惚れ惚れするからな。それに、自分が見込んだ馬がどの馬よりも速く走るというのは嬉しいものだ」


 陽一が思う競馬とアラーナが思う競馬にはずいぶん隔たりがあるように感じられる。

 アラーナが語る競馬は、なんとも健全な印象を受けるのだが、しかしよくよく考えてみれば本質は変わらないようである。


「今日はもう終わりっぽいね」


 日も暮れかかった時間である。

 人々が馬券売り場からぞろぞろと出ていく様子を見る限り、今日のレースはすべて終了したのだろう。


「そうか……残念だな」


 アラーナはあからさまにがっくりと肩を落とした。


「明日、来てみようか?」

「明日? 明日もやっているのか?」

「あの、明日は月曜日ですけど……」

「あー……」

「ゲツヨウビ? それはなんだ?」


 七曜について説明すると長くなると思った陽一は、7日のうち2日だけ競馬が行なわれていること、今日を逃せば6日後まで待たなくてはならないことを説明した。


「はあぁぁ……、そうかぁ……」

「あの、ごめんな……期待させるようなこと言っちゃって」

「いや、いいのだ。私のほうこそわがままを言ってすまないな」

「地方競馬があるじゃない」


 陽一が諦めかけたとき、花梨から新たな情報がもたらされる。

 花梨はスマートフォンを取り出してなにやら操作したあと、得心のいったように頷いた。


「やっぱりあるわよ。平日でもやってるところが」

「つ、つまり、どういうことなのだ?」

「明日でも競馬を見られるってことよ」


 ふふん、と得意気な花梨の言葉を受け、アラーナの目が嬉しそうに見開かれる。

 その表情を見て、実里の顔にも笑みが浮かんだ。


「アラーナ、よかったね!!」

「ああ!!」


 明日、競馬を観戦できると知ったアラーナは嬉しそうにはしゃぎ、実里もまたそれを我がことのように喜んだが、花梨だけはどこか複雑な様子だった。

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