第3話 姫騎士と競馬場
「おお、ここが競馬場か」
翌朝、陽一はアラーナと実里を連れて郊外の地方競馬場を訪れていた。
『あたしは会社に行くよ。なにがなんでも有給もぎとってやるんだから……!!』
と意気込んで陽一の部屋を出ていった花梨は、残念ながら同行できなかった。
(うーん、相変わらずだな、こういうところは)
平日の午前中であるにもかかわらず、いい大人が競馬新聞を片手に頭をひねっている姿が各所に見られる。
駄目な大人がたくさんいるなぁ、などと思っている陽一ではあるが、ここにいる時点で彼もその仲間なのである。
あまりギャンブルをしない陽一ではあるが、過去にバイト先や派遣先のつき合いで何度か地方競馬場を訪れたことがあり、この独特の雰囲気を味わうのは久しぶりのことだった。
アラーナと実里を連れて電車に乗るのはもうこりごりということで、今日この競馬場へはレンタカーで訪れていた。
昨日試乗した車は購入することに決めたが、自動車というのは「これ買います」「まいどあり」で乗って帰れるようなものではない。
駐車場を契約して車庫証明をとったり、陸運局での登録が必要だったりとなにかと手続きや時間が必要なのだ。
あのあと、帰宅してマンションコンシェルジュに相談したところ、駐車場に関してはマンション併設のものに空きがあるとのことだった。
周辺に比べて割高ではあったがほかで探すのも面倒なので、契約の話を進めてもらった。
(駐車場込みで家賃30万弱。そのうえ新車購入となると、税金関係なんとかしたほうがいいのかもなぁ)
陽一は現在工場の仕事も辞め、公的には無職無収入の状態である。
そんな彼がそれなりに高い家賃のマンションに住み、そこそこ高級な自動車を買ったとなると、その金はいったいどこから出たのかという話になってくるわけだ。
一応工場作業員時代に個人事業主として確定申告を行なっていた陽一は、納税に関して無知というわけではないのだが――、
(ま、来年の3月までに考えよう)
と、問題を先送りにすることにした。
とにかく、昨日の今日で車を手に入れることができなかった陽一は、朝からレンタカーを借りて競馬場まで来ていたのだった。
「ヨーイチ殿、あの者たちはいったいなにを手にしているのだ?」
「ん? ああ、あれは競馬新聞だな。たしか過去の練習なんかのデータが細かく書かれてるものだったと思うけど」
「ふむ……。つまりこれまでの記録をもとにどの馬が勝つのかを予想しているわけか」
「そういうことだろうね、たぶん」
陽一も過去に何度か競馬新聞を目にしたことはあるが、まったく理解できなかった。
あれはもう暗号のようなものだろう。
【鑑定+】を得たいま、うまい具合に解析してくれるかも知れないが、いまさら読む気にもなれない。
ただ、アラーナが必要というなら購入した上で代わりに解析してやる必要もあるのだが。
「競馬新聞、買う?」
「いや、いい。それより馬を実際に見たい」
「じゃあパドックに行こうか」
陽一はアラーナと実里を連れてパドックに向かっていたが、その場にいるほとんどの者が自分たちにあまり興味を示さないことに少なからず驚いた。
魔道具による認識阻害効果があるとはいえ、町を歩けば誰もが振り返り、電車に乗れば凝視されていたのだ。
しかしここにいる者たちの大半はこちらに目を向けることすらなく、たまに見ても一瞥するだけですぐに手元の競馬新聞に視線を戻すのであった。
「おお、なかなか立派な馬ではないか!!」
パドックを悠然と歩く競走馬の姿に、アラーナが感嘆の声を上げる。
ちなみに実里は先ほどから物珍しそうに周りを見ながら陽一とアラーナについてきているだけで、特に言葉を発していない。
「お、あの芦毛の馬はなかなか
パドックに着いたアラーナはさっそく馬の観察を始めたようである。
馬を真剣に観察しつつ自分の考えをぶつぶつとつぶやくアラーナの姿はまるで――、
(その辺のおっさんと変わらない……?)
昨日のアラーナの口ぶりからして、向こうの世界での競馬というのはなんとなく優雅な貴族の娯楽という印象を受けたが、実際に馬を観察するアラーナの姿は周りにいるおっさん連中に驚くほど溶け込んでいた。
そんな彼女の様子に不安を覚えたのか、実里はアラーナのそばにぴったりとくっついている。
「ふむ……、ひととおり見てみたが、あの芦毛の馬がこの中では最も優れているようだな」
「芦毛のって、7番? あれが一番なんだ……」
「へええ、嬢ちゃんなかなかいいところに目をつけるじゃねぇか」
「え?」
実里が声のするほう目を向けると、そこにはハンチング帽をかぶった小柄な中年男性が立っていた。
赤ペンでこめかみのあたりをコリコリとかきながら、視線は競馬新聞に落としたままであるが。
「い、いえ、彼女が」
「ほうほう、そうかそうか」
ハンチング帽の男はそう言ってアラーナのほうに目を向けた。
「ほおお、こりゃべっぴんさんだ」
と口にしたものの、男の視線からはすぐにアラーナに対する興味が消え、競馬新聞に戻った。
「あなたもあの芦毛を評価しているのか?」
「んあ? なんだ、外人さんかい」
意思疎通の魔道具があるので、アラーナのほうでは男性の言葉を理解できるが、男のほうでは残念ながら彼女の言葉を理解できない。
「えっと、おじさんもあの芦毛の子に目をつけてるんですか?」
そこで実里があいだに入って通訳をすることとなった。
「ん? ああ、たしかにありゃいい馬だが、ここ最近の調子がよくねぇ」
そう言いながら男は競馬新聞を赤ペンでトントンと叩いた。
「ま、調子は取り戻してるみたいだが、まだ本調子じゃねぇんじゃねぇかなぁ」
「そうか? 私にはみなぎる闘志が見えるのだがな」
「えっと、彼女にはあの馬からみなぎる闘志が見えるそうです」
「はは……面白いこという嬢ちゃんだ。まぁオッズもそこそこいいし複勝に入れてもいいかもな」
「フクショウ?」
どうやらアラーナの知る競馬では複勝というシステムがないのか、そのままの発音でオウム返しとなった。
以降、実里が適宜通訳を行ない、ふたりの会話はある程度成立するようになる。
「なんだ、嬢ちゃん素人かい? 複勝ってのは選んだ馬が3位にはいりゃ勝ちって馬券だよ」
「ほほう、それはまた随分と甘い」
「そのぶんオッズはさがるぜ? まぁ、このレースだと同枠のブルーラックもかなり調子がいいからな。鉄板のトウヨウキンボシと合わせて枠連くらいで買っといてもいいかもな」
「むむ、またよくわからん言葉を……」
「ああ、枠連ってのはな」
「いや、結構だ。私はあの芦毛が一番になると予想するからな」
「ほほう、単勝1点買いか。いいねぇ」
一方そのころ、陽一も馬を観察していた。
(あの馬、元気そうに見えるけど抑うつ状態なのか……)
(む? あっちのは脚に疲労がたまってる?)
(お、騎手も出てきたな……、ってあいつ二日酔いで来てんのかよ……)
と【鑑定+】で馬や騎手の状態を細かく観察していた。
「なあ御仁、あの芦毛の馬はなんという名だ?」
「ん? あいつはな……」
「ふむふむ……」
(よし、まずは単勝で買っとこうか。えーっと、あれは6枠7番だから……)
「「ローズマグナム」」
「ん?」「あれ?」
声がかぶったことで陽一とアラーナが顔を見合わせる。
「むむ、もしやヨーイチ殿もあの芦毛の馬を?」
「芦毛? あの白っぽいやつ?」
「ふふ……、ヨーイチ殿もなかなか見る目があるな」
「さて、それは終わってみないとな」
「ミサトはどうするのだ?」
「あ、私は見てるだけでいいよ」
「そっか。じゃあ馬券買いにいこう」
そしてレースが始まった。
「ゆけー!! ゆくのだっローズマグナムっ!!」
「もうちょいだ、頑張れっ!! 逃げ切れー!!」
「よーし、いいぞぉ!! そのままっ、そのままっ!!」
「あと1歩っ!! 踏んばれええぇぇっ!!」
「「ああー……」」
ふたりは膝から崩れ落ちた。
「な、だから複勝にしとけっていったろ?」
「むぅ……」
アラーナが視線を上げると、先ほどパドックで一緒だったハンチング帽の男が呆れたような笑みを浮かべていた。
再び実里があいだに入り、通訳を始めた。
「……そういう御仁はどうなのだ?」
「俺か? 俺ぁ複勝と枠連でホクホクよ。嬢ちゃんの闘気云々の話を聞いて枠連を追加で買ったのが正解だったな。ありがとよ、こりゃほんのお礼だ」
ハンチング帽の男はビニール袋をアラーナに手渡した。
中には競馬場のマスコットの焼印が押された今川焼きやコロッケ、メンチカツなどが入っていた。
「むむ……、よくわからんが私の言葉が役立ったというのなら遠慮なくもらっておこう」
「あの、ありがとうございます」
陽一も脇から顔を出し、ハンチング帽の男に礼を言っておく。
「いいってことよ。お前さん方ぁ目のつけどころは悪かねぇから、欲張らずに複勝狙いでいきな。まずは一度でもいいから勝つことだぜ?」
「あ、はい、わかりました」
「よし、ヨーイチ殿、もう一度
「おう!!」
アラーナはハンチング帽の男から受け取ったビニール袋を実里に預けると、陽一とともにパドックへと駆け出していった。
「がんばってなー」
実里はビニール袋から今川焼きを取り出してパクリと咥えたあと、ひらひらと手を振るハンチング帽の男に軽く頭を下げ、陽一とアラーナのあとを小走りに追うのだった。
○●○●
帰りの車の中、アラーナは光を失った目で虚空を眺めながら、後部座席でぐったりしていた。
隣に座る実里に身を預け、ただひたすら頭を撫でられている。
おかげで助手席は空席だった。
「そう落ち込むなって。目のつけどころは悪くなかったんだからさ」
「……慰めは無用だ」
結局あのあと、アラーナは1勝もできなかった。
陽一は【鑑定+】で分析した結果をもとに、安全策をとって複勝馬券を購入していたが、アラーナは単勝にこだわった。
複勝にしていれば半数以上は勝てたので、決して的外れな予想をしていたわけではないのだが、どうやらアラーナは賭けごとになると熱くなる性格らしい。
(しかし、さすがの【鑑定+】先生も未来予想は不得手みたいだな)
もし陽一に、例えば競馬新聞の情報を読み解けるような分析能力があればもっと勝率はあがったと思われる。
しかし競馬というのは勝利のために必要となる情報が多すぎて、【鑑定+】の性能というよりもその使用者である彼の手に余るようだ。
レンタカーを返却したあと、一応収支がプラスになった陽一はどこかで食事でもしようかと提案したのだが、アラーナが乗り気ではないようだったので適当な弁当屋で夕食を買い、人目につかないところからふたりを連れて【帰還】した。
「おかえりー」
リビングに入ると、花梨がテレビを見ながらくつろいでいた。
彼女には先日合鍵を渡しており、自由に出入りできるようになっている。
「ただいま。どうだった?」
陽一の質問に対し、花梨は親指を立てて答える。
「出社するなり有給申請してやったわ。上司は面食らってたけどね」
「へぇ。大丈夫だったのか?」
「休めないなら辞めるわよって脅――いえ、お願いしたら、こころよく認めてくれたわよ」
「そ、そうか。よかったな」
「ええ。あなたたちこそどうだったのよ? ……まぁ、アラーナの様子を見たらなんとなくわかっちゃったけど」
見るからに意気消沈しているアラーナを見て、花梨は呆れたように肩をすくめた。
そんな花梨に、陽一は今日起こったことを簡単に説明する。
「あははー。そっかそっか、アラーナはギャンブルで熱くなっちゃうタイプかぁ」
「むぅ……。勝負事に熱くなるのは当たり前ではないか……」
「うーん、ギャンブルって熱くなったら負けってイメージあるけどなぁ……。でも、勝敗云々じゃなくて、ギャンブル自体を楽しめればそれがいちばんって気もするけど」
「いやいやカリンよ。勝負をするからには勝たなくては意味がないのだぞ?」
「でも今日は負けたんでしょ?」
「はぅ……」
花梨の言葉に、アラーナはがっくりと肩を落とした。
「まぁアラーナ、そう落ち込んでないで、メシでも食おうか。花梨はチキン
「南蛮大好きー! ありがとね」
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