第14話 魔術士ギルド

 魔術士ギルドは冒険者ギルドに比べると随分と狭かった。

 受付はひとつしかなく、冒険者ギルドのような併設された酒場もない。

 洋館としてみれば相当な広さではあるのだが。


「いらっしゃい。なんの用だい?」


 受付台の向こうには、黒いフードつきのローブを身にまとった老婆が座っていた。

 立派な鷲鼻にしゃくれ気味の顎といういかにもな容姿と、しゃがれ声のぶっきらぼうな喋り方に、陽一は思わず感心してしまった。


「おや、アラーナかい。久しぶりだねぇ」

「ご無沙汰しております」

「で、なんの用だい?」

「新しい魔導書を作成していただきたい」


 老婆の視線がアラーナのうしろに立つ陽一と実里に向けられる。


「その3人のかい?」

「ええ」

「しょうがないねぇ。よっこらせっと」


 老婆は受付台に手をついて立ち上がると、奥の棚から黒い革張りの本を2冊取り出した。

 大きさや分厚さは新書サイズの辞書ぐらいで、なんとか片手に収まりそうだ。

 これが魔導書であろう。


「ほいっと。じゃあギルドカードを出しな」


 重そうな仕草で魔導書を受付台に置いた老婆がアラーナに告げる。


「「あ……」」


 そして陽一とアラーナはお互いを見合って間抜けな声を漏らした。

 事情のわからない実里はキョトンとした表情でふたりを見る。


「ん? どうしたんだい?」

「あ、いや……、こちらのヨーイチ殿は問題ないのだが、あとのふたりはまだギルドカードを持っていなくて……」


 申し訳なさそうに話すアラーナの脇から、陽一もまた少し遠慮がちにギルドカードを受付台に置いた。

 老婆はそれを受け取ると、花梨と実里を交互に見たあと、アラーナに視線を向ける。


「だったらウチで作りゃいいじゃないか」


 ちなみにこの世界には多くの職業組合ギルドがあり、そのほとんどのギルドで同じギルドカードを使用することができるのだが、作成にはなにかしらの身分証が必要であった。


「いや、その、身分証が……」


 その言葉に、老婆の眉根が上がる。


「わけありかい……。だったら先に親父さんのところへ行きな。アンタが頼みゃなんとかしてくれるだろう?」


 アラーナが視線を動かし、なにもないところをじっと見る。その方角には、領主の館があった。

 しばらく考え込む仕草を見せたあと、アラーナは領民証を取り出して老婆の前に置いた。


「私が身元保証人になるので、なんとかしてもらえないでしょうか?」

「横着するんじゃないよ、ったく……」


 宿屋と魔術士ギルドは同じ商業区にあるので問題ないのだが、領主の館となると上層区へ足を運ぶ必要がある。

 商業区から上層区方面へ向かう馬車というのはほとんどないので、それなりの距離を歩く必要があり、正直いって面倒であった。

 それに、異世界にまだ不安があるであろう花梨と実里に、魔法や魔術、スキルが使えるという事実を早く実感させてやりたいという気持ちもあった。

 それ以外にもいまは領主の館へ行きたくない理由はあるのだが。


「いち受付嬢のアタシにゃ判断できないことだねぇ。どうしてもってんなら、ギルドマスターにお願いするんだね」

「む……」


 ギルドマスターという言葉に、アラーナの表情が曇る。


「……では、ギルドマスターに取り次いでもらえますか?」


 少し不満そうではあるが、アラーナは老婆にそう告げた。


「しょうがないねぇ……」


 そう返事すると、老婆はアンティーク調の受話器のようなものを手に取った。


「……ああ、アタシだよ。アラーナが来てるよ……。なんかお願いごとがあるみたいだねぇ…………、あいよ」


 老婆はおそらくギルドマスターと話したあと、通話の魔道具と思われる受話器のようなものを置き、アラーナのほうを向いた。


「ギルドマスターがお待ちだよ。場所はわかるね?」

「ええ」

「……ったく。アンタもいいとしなんだから、いつまでも親に迷惑かけてんじゃないよ?」

「……面目ない」


 アラーナは老婆に一礼すると、陽一と実里のほうを振り返って軽く頷き、歩きだした。

 陽一と実里も老婆に軽く一礼したあと、アラーナについて歩き始めた。


「アラーナ、ごめんね?」

「あの、ごめんなさい……」


 自分たちの存在がアラーナに手間を取らせることになったのを察したのか、花梨と実里が謝る。


「なに、気にすることはない。ふたりの身分証について失念していた私のミスだよ」


 そう言いながら、アラーナはふたりを軽く振り返り、優しく微笑みかけた。


 ギルドマスターの部屋は洋館の2階奥にあった。

 ほかの部屋に比べて随分と豪華な扉の前に立ったアラーナが、ノッカーを使ってドアをノックした。


「アラーナです」

「どうぞぉ」


 柔らかな口調の女性の返事を受け、アラーナはドアを開けた。


「失礼します」


 アラーナに続いて陽一と花梨、実里もギルドマスターの執務室と思しき部屋に入った。

 執務室、というにはかなり広く、調度も豪華である。

 派手ではないが、見るからに高価そうなテーブルやソファ、キャビネットが配置されていた。


「ふふ、そうかしこまらなくてもいいのにぃ」


 部屋の中央に立つひとりの女性が、4人を迎え入れた。

 白銀の髪に褐色の肌、そして長い耳。

 胸元の大きく開いた深い紫色のドレスに身を包んだその女性の容姿は、どことなくアラーナに似ていた。


「こちら魔術士ギルドのギルドマスター、オルタンス殿だ」

「どうもぉ、はじめましてぇ」


 オルタンスは少し間延びしたような、柔らかな口調で挨拶し、ドレスのスカートをつまんで一礼した。


「あ、どうも、陽一です」

「み、実里です。よろしくお願いします」

「花梨と申します。よろしくお願いします」


 陽一と実里は恐縮した様子で挨拶したが、仕事がら初対面の挨拶に慣れているのか、花梨だけは余裕ありげだった。


「で……、なんとなく察しはついていると思うが、私の母だ」

「娘がお世話になってますぅ」


 もともとかしこまった雰囲気のあまりなかったオルタンスだったが、さらにくだけた調子であらためて挨拶をする。


「いえ、こちらこそ……」


 そう答える陽一は、少しうろたえた様子で視線をキョロキョロとさまよわせていた。

 オルタンスの目をしっかり見て挨拶しなくてはいけないのだが、どうしても視線が下にいってしまう。


(アラーナも大概だけど、この人はなおすごいなぁ)


 陽一の意思に反して下がってしまった視線の先には、襟ぐりの大きく開いたドレスから見事な谷間を覗かせる、それはそれは大きな双丘があった。


「あなたが噂のヨーイチさんねぇ?」


 オルタンスが軽やかな足取りで陽一に歩み寄ってくる。

 ゆったりとしたドレスのせいか、1歩動くたびに豊かな乳房がゆさゆさと揺れた。

 その様子には、陽一のみならず同性の花梨や実里の視線も釘づけになっていた。

 陽一の前に立ったオルタンスは、値踏みするように頭の先から爪先までジロジロと観察した。


「アラーナの彼氏って聞いて期待してたんだけどぉ……、なんかもっさりしてるわねぇ……?」


 密着するほど近くに立たれ、かすかに香る香水の匂いに、陽一は少しだけ頭がクラクラした。

“もっさり”という自身の評価に対してはそれなりに自覚があるので、さして気分を害しはしない。


「し、失礼ではないかな、母上……?」

「あら、ごめんなさいねぇ」


 特にアラーナのほうを見ることもなく、あしらうように答えたオルタンスが、今度は並んで立つ花梨と実里のほうを見た。


「で、あなたたちはぁ?」


 その問いかけに、ふたりは居住まいを正した。


「花梨です。陽一とは古いつき合いで、アラーナさんとは最近知り合った仲です」

「あの、実里といいます……。えっと……私は、その……」


 多少緊張しつつも堂々と答える花梨に対し、実里はなんと答えていいのかわからず、オルタンスとアラーナのあいだで視線を行き来させる。


「母上、カリンとミサトは私の友人だ」

「あらぁ、アラーナのお友達なのねぇ」


 そしてオルタンスは興味深げに4人を見る。


「もしかしてぇ……あなたたちってそういう関係?」

「「「「!?」」」」


 オルタンスの言葉に4人は同じように驚いたような反応を見せ、顔を赤らめてうつむいた。


「ふふ……若いっていいわねぇ……」


 そう言いながら陽一ら4人へと順に視線を投げかけるオルタンスだったが、見た目は20代にしか見えない。実年齢はともかく見た目には下手をすると陽一より若く見える彼女から“若い”と言われると、なんとも妙な気分になるのだった。

 4人を見守るような優しい微笑みを浮かべていたオルタンスだったが、その視線が陽一を捉えたとき、ふと妖艶なものに変わった。


「見かけによらず、やるわねぇ?」

「おぅふ……」


 柔らかくもどこか妖しい口調でそう告げながら、オルタンスは陽一の股間をやんわりとつかんだ。


「こ、こらぁー!!」


 母親の暴挙にアラーナは声を上げて飛びかかる。

 アラーナは陽一とオルタンスのあいだに割って入ろうとしたが、アラーナがたどり着くより早くオルタンスは軽やかにバックステップを踏んだ。

 ふわりと着地すると同時に、オルタンスの胸がぶるんぶるん揺れるのを、陽一は見逃さなかった。


「ふふ、冗談よぉ。アラーナってばかわいいんだからぁ」

「むぅー!!」


 陽一のそばに立ったアラーナは、彼の腕に手を回し、母親を睨みつけながら口をとがらせていた。

 その様子を見て少しうろたえていた実里も、なんとなく陽一のもとに歩み寄り、軽く袖をつまんだ。

 花梨は一歩離れた場所から、薄くほほえみながら彼らのやり取りを見ていた。


「あなたがそんな顔するなんてねぇ……」


 嬉しそうに、それと同時に少しだけさびしげな笑みを浮かべ、オルタンスは誰にも聞こえないような声量でそう呟いた。


「で、今日はなんの用かしらぁ?」

「あ!! 母上が余計なことをするから、危うく本題を忘れるところだったではないか!!」

「ふふ、ごめんなさいねぇ」


 アラーナは陽一の反対側に回り込んで実里の手を取り、花梨に視線を送った。

 実里はアラーナに促されるように、オルタンスの前に立ち、遅れて花梨もその隣に立った。


「ふたりの魔導書を作りたいのだが、ギルドカードも領民証もなくて困っているんだ」

「領民証ならパパに頼めばいいじゃない?」

「いや、でも、館は遠いし……」

「横着しちゃだめよぉ」

「でも、ふたりに早く魔導書を作ってあげたいし」

「ふぅん……」


 オルタンスが興味深げな笑みを浮かべ、花梨と実里、アラーナを順番に見る。


「アラーナ、無理に急がなくてもいいのよ?」

「そう、だよ。私も、そこまで急がなくても……」


 ふたりが申し訳なさそうにアラーナを見ると、彼女は力のない笑みを返すだけだった。


「アラーナ」


 オルタンスの表情が真剣なものに変わる。


「正直におっしゃいな」


 相変わらず柔らかな口調ではあったが、どことなく雰囲気が変わっている。

 アラーナはしばらく視線を泳がせた後、観念したように大きく息を吐いた。


「……ふたりを連れて、父上に会う心の準備が……」


 そう言ったあと、アラーナは不安げな視線を陽一に向けた。


「う……」


 その言葉で、陽一はアラーナの父親であり、ここメイルグラードの領主でもあるウィリアム・サリス辺境伯の厳つい顔を思い出す。

 そして顔から血の気が引いていくのを感じた。


「娘さんのほかに恋人ができました!!」などと口にしようものなら、あのゴツい身体からなにが飛んでくるとも知れたものではない。

 しかしいずれは避けて通れぬ道なのだろうなぁ、と陽一は腹をくくるしかなかった。

 そんなふたりの様子を見ていたオルタンスが、フッと表情を崩した。


「しょうがないわねぇ……。パパには私からうまく言っておくから、近いうちに顔をだすのよぉ?」

「母上、ありがとうございます……」


 と、アラーナは深々と頭を下げた。


「あの、俺からもよろしくお願いします」

「えっと、あたしからも……」


 陽一となんとなく事情を察した花梨も同様に頭を下げ、実里はよくわからないままそれを真似した。


「ふふ……。じゃあそのたちのギルドカードについては私からクララちゃんに言っておくから、下で受け取りなさいね?」

「はい、重ね重ねありがとうございます」


 再びアラーナはオルタンスに頭を下げ、ほかの3人もそれに倣う。


「ありがとうございます。お手数おかけしました」


 今度は自分のことであると理解した実里は、丁寧にお礼の言葉を述べた。


「いいのよぉ。アラーナの姉妹なんだから、私の娘みたいなものでしょう?」

「……姉妹?」


 頭を上げた実里はそう呟き、首を傾げた。

 アラーナも意味がわかってないようだが、陽一と花梨は顔を赤くしてうつむいていた。


「ふふ……カリンちゃんとミサトちゃん、だったわねぇ?」


 言いながら、オルタンスが優雅な足取りでふたりに歩み寄っていく。


「えっと……はい」

「あ……は、はい」

「そうかしこまらなくてもいいのよぉ」


 花梨と実里の前に立ったオルタンスは、ふたりをまとめて優しく抱き寄せた。

 大きな胸を押しつけられ、柔らかく抱きしめられたふたりは、同性でありながらその包まれるような感触と漂う色香に顔を赤らめてしまう。


「困ったことがあった、いつでも相談にいらっしゃい」

「えっと……ありがとうございます」

「は、はい……」


 抱き寄せられた花梨と実里が少し身長の高いオルタンスを見上げ、オルタンスは伏し目がちにふたりを見下ろすという光景になにやら淫靡なものを感じ、陽一もまた顔を赤らめぼーっと見とれてしまう。

 ちなみに陽一の股間は、先ほどオルタンスに触れられて以降さりげなくギンギラギンなままである。


「……コホン」


 妙な空気が流れる中、オルタンスの肉親ということもあってか、アラーナは少し冷めてその光景を眺めており、放っておくといつまでたっても話が進まなそうなので、軽く咳払いをした。

 それを合図にオルタンスは抱擁を解き、娘のほうを向いた。


「じゃ、あとはクララちゃんに言ってね」

「ありがとう、母上」


 アラーナが執務室を出るべく歩き出したので、陽一と実里もそれぞれ礼を述べ、アラーナに続いて部屋を出た。

 笑顔で軽く手を振って陽一ら4人を見送ったオルタンスは、ドアが締まるのを確認したあと、少し表情を曇らせ、頬に手を当てた。


「問題はパパのほうじゃないんだけどねぇ……」


 と呟き、軽くため息をつく。


「……知ぃらないっと」


 そしてオルタンスは、開き直ったような表情できびすを返し、軽やかに執務席に戻るのだった。 

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