第23話 慰めと八つ当たり
結局陽一には実里のことがよくわからないままだった。
なぜああも自分と一緒にいたがったのか。
わざわざ遠く離れたこの地まで同行し、部屋探しや家具家電の購入などに付き合ってくれたのはどういう意図からなのか。
いろいろと疑問は尽きないところだが、実里と過ごした短い時間はとても充実していたように思う。
まるで恋人同士か、新婚夫婦のような、特別な時間を過ごしたと、陽一は思っていた。
しかし、実里はなにも言わずに自分の前から姿を消した。
ちょっとした気まぐれだったのだろうか。
彼女がなにを思い、いまどこにいるのか、知ろうと思えば【鑑定+】を使って知ることができる。
でもそれは、あの特別な時間を台無しにするような気がした。
陽一がぼんやりと実里のことを考えていると、ドアホンが鳴った。
「あれ、夜?」
いつの間にか日が落ちており、部屋の中はほぼ真っ暗の状態だった。
陽一はふらふらとその場を立ち上がり、玄関のドアを開けた。
「あ、よかった。まだここに住んでたんだね」
ドア向こうには花梨がいた。
仕事帰りなのか、花梨はいつものビジネススーツ姿だった。
「……寝てたの?」
真っ暗な部屋の中を見て、花梨が申し訳なさそうに言う。
「あー、いや。ぼーっとしてた」
陽一の様子がおかしいのを感じたのか、花梨が眉をひそめる。
「その……、上がっていい?」
「ああ、うん。どうぞ」
陽一が暗い部屋の中に入っていくと、急に部屋が明るくなった。
「電気、つけてもよかったよね?」
どうやら花梨が室内灯のスイッチを入れたようだった。
「ああ、ごめん。ありがとう」
「陽一……、ホントに大丈夫? っていうか、部屋空っぽじゃん」
「ん? ああ、引っ越すんだ、来週」
「そう。じゃあその前に来れてよかったわ」
花梨が懐かしそうに部屋を見回す。
この部屋は大学進学時に借りたもので、以降陽一は一度も引っ越さずに暮らしていた。
花梨と付き合っているときでもあり、花梨とここで半同棲状態だったこともある。
「あ、そういや、なんの用?」
陽一の問いに花梨は手に持っていた紙袋を掲げた。
「お土産。明太子」
「あぁ」
そういえば南の町で電話を受けたとき、そんなことを言っていたな、と陽一は思い出した。
花梨は陽一に促され、マットレスに腰かけた。
六畳一間の狭い部屋にセミダブルのマットレスを置くと、あとはちょっとしたテーブルとテレビを置けば、ほとんどスペースはなくなるのである。
「さすがにベッドは換えてんのね」
「うん。5年くらい前かな?」
花梨がポンポンとマットレスを軽く叩いていた。
「明太子ってさぁ、どうやって食べればいいの?」
花梨から明太子を受け取った陽一が、気のない口調で問いかける。
「そのままでもお酒のアテやおかずの1品にはなるし、ごはんに乗っけてもいいし、中身取り出してバターと混ぜたらなんにで合うペーストになるよ? パンに塗ったりパスタ絡めたりとかさ」
花梨は陽一の様子を訝しみながらも、質問に答えた。
「あー……、なるほど」
という反応も、どこか気の抜けたような様子だった。
「あのさ、陽一。なにかあった? あたしでよかったら話くらい聞くよ?」
花梨は心配そうに、隣りに座る陽一の顔を覗き込んだ。
「あー、じつはさ……」
と、あろうことか陽一は実里とのことを淡々と語り始めた。
なんともデリカシーのない話ではあるが、いまの陽一に花梨を気遣う余裕はなかった。
ただ、花梨は嫌な表情ひとつ見せず話を最後まで聞くれた。
「とまぁそんな感じで今朝からぼーっと――ん!?」
ひととおり話し終えたところで、突然隣りに座っていた花梨がキスをしてきた。
「嫌なら言って……。すぐ帰るから」
再び唇が重なる。
○●○●
「ごめんね、無理やり付き合わせちゃって」
スカートのホックを止めながら、花梨が申し訳なさそうに呟く。
「なにが?」
陽一は心底疑問とでもいうような表情で花梨を見た。
「いやさ、陽一の顔見てたら、急に、その……ね?」
と照れたように、そして申し訳なさそうにほほ笑んだ。
「いや、あれは――」
「じゃ、いくね」
花梨は陽一の言葉を遮ると、玄関に向かって歩き始めた。
「お、おい」
「引越し先、よかったら教えてね」
そう言い残して、花梨は陽一の部屋を出ていった。
陽一はしばらくのあいだ、花梨の出ていった扉をぼんやりと見続けていた。
「はぁ……。最低だな、俺」
花梨の想いに気づかないほど陽一は鈍感ではない。
にも関わらず、彼女に違う女性のことをつらつらと話してしまった。
特に深く考えてのことではなく、自然に口から言葉が出てしまったのだが、花梨なら文句を言わずに聞いてくれるだろう、と都合のいい甘えがあったに違いない。
そのうえで慰められてしまった。
無理やり付き合わせた、などと言っていたが、あれは間違いなく陽一を慰めるための行為だ。
「ホント、最低だよ、俺……」
陽一は、胸に渦巻くモヤモヤとした感情をぶつける先が欲しかった。
○●○●
「出てこいやクマ公!!」
先日注文した装備類はすべて届いていた。
それらを身に着けた陽一は、さっそく【帰還+】を発動した。
短機関銃を構え、森を歩く。
【鑑定+】を使って対象を絞り、森を歩き続けると、ほどなく目当ての対象を示す矢印が現われたので、そこに向かって陽一は駆け出した。
その姿はすぐに発見できた。
勢いに任せてここまで来たが、あらためて見るその凶悪な姿に肌が粟立つ。
ワンアイドベアーはひとつの目で陽一を見ている。
2本のうしろ足で立ち、まるで路傍の石とでもいわんばかりに、陽一を見下しているようだった。
陽一は大きく息を吐き出し、肺を空っぽにしたあと、森の空気を一気に吸い込んだ。
その後少し深めの呼吸を繰り返し、ひと呼吸ごとに心が落ち着いていくのを感じる。
あいかわらずワンアイドベアーが動かないのを確認した陽一は、腰を落とし、短機関銃を構えた。
「リベンジだコノヤロー」
静かにそう呟いたあと、陽一は引き金を引いた。
バラララララ!! と軽快な銃声を連続して発しながら、弾丸が飛んでいく。
弾のほとんどは命中し、ワンアイドベアーは軽く怯んだ様子を見せたが、小径の弾丸ではその硬い毛皮を破ることすらできないらしい。
マガジンが空になると、【無限収納+】を使って予備の短機関銃に持ち替え、休むことなく弾丸を浴びせ続けた。
顔に当たるとさすがに痛いのか前足で鼻先を防御したが、たったそれだけの防御でワンアイドベアーはおよそ100発の弾丸を受け切り、平然と立っていた。
「ふぅ……。ちょっとすっきりしたかな」
短機関銃がワンアイドベアーに効かないのは想定内のことである。
ただ陽一は、ひたすら弾丸を浴びせたかったのだ。
「しっかし、ほぼノーダメージとはねぇ……」
悠然と立つワンアイドベアーの姿に、呆れた声が漏れる。
軽い打ち身くらいはできているだろうが、それがCランク級の魔物に対する短機関銃の限界だろう。
突撃銃であれば多少なりともダメージを与えられたかもしれないが、ただの熊ならともかく相手は魔物である。
倒すには至らないだろう。
どうせ倒せないなら、ということで、補充しやすい拳銃の弾丸を使う短機関銃を使ったのである。
ここまでは完全にストレス発散のための行為であった。
そしてここからはただの八つ当たりである。
突進してくるなら【帰還+】で逃げることも考えていたが、相手はまだ様子見を決め込んでいるようなので、一気に決めることにした。
短機関銃を収納した陽一は、代わりに対物ライフルを取り出した。
陽一はその大きなライフルを、腰だめに構えた。
まったくもって実用的ではない構え方だが、陽一には八つ当たりも兼ねて試しておきたいことがあった。
【鑑定+】を使って彼我の距離を計る。
約50メートル。
それなりの腕があり、ちゃんと狙えば外す距離ではないが、腰だめに構えて当てられる距離でもない。
しかし、【鑑定+】はさらなる能力を発揮する。
狙うは魔石のある心臓。
対物ライフルが放つ12・7x99mmNATO弾は、ワンアイドベアーのもっとも分厚い筋肉と骨に阻まれようとも確実にそれらを貫通し、心臓を、ひいては魔石を破壊することができると、【鑑定+】は答えた。
その心臓を狙い、腰だめに構えた銃の角度を調整する。
どの角度で引き金を引けば狙いどおりに弾丸が飛ぶか。
それもまた【鑑定+】が教えてくれる。
こと戦闘において、【鑑定+】は戦術コンピューターのような役割を果たしてくれることがわかった。
「喰らえっ!!」
かけ声とともに引き金を引く。
「うおっ!!」
予想以上の反動に、射線がわずかにずれた。
かなりの反動があることは予想し、しっかりと構えていたので、致命的なズレではないが。
そして通常スタンドを立てて扱う対物ライフルを腰だめに構えて撃ち、多少のズレで済むほどに、陽一の身体は【健康体+】によって鍛えられていた。
標的との距離が近かったこともあり、弾は大きく外れることはなかった。
重く、低い銃声とともに放たれた弾丸は、ワンアイドベアーの首に命中した。
ワンアイドベアーは頭をだらんと下げたあと、仰向けに倒れた。
【鑑定+】で死亡を確認した陽一は、死骸のもとへと向かった。
撃ち抜かれた首は完全にえぐれており、ワンアイドベアーの頭は文字どおり首の皮1枚でつながった状態で、死骸の傍らに不自然なかたちで転がっていた。
陽一を警戒したような表情のまま、ワンアイドベアーの瞳は光を失っていた。
「ごめんな。ただの八つ当たりで」
大口径の銃弾をぶっ放したおかげか、胸にわだかまるモヤモヤとした感情は幾分か紛れたような気がした。
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