第22話 新しい住まい
辰美は3件目にして本命のおすすめ物件を訪れることにした。
それは『グランコート』といういかにもな名前の分譲マンションで、持ち主が資産運用のために貸し出している部屋であった。
家賃は高いがそれだけの価値がある部屋であり、辰美はこれ以上の小細工は抜きにして、正攻法で攻めることにしたのである。
「おお!」
陽一はその立派な外観にまず感嘆の声を上げた。
「ふふ、どうぞ、こちらですよ」
辰美は少し誇らしげにほほ笑みながら、ふたりをマンション内へと案内した。
落ち着いた雰囲気の、昼でも少し薄暗いエントランスの左手、少し奥まったスペースに、マンションコンシェルジュが待機していた。
この日そこに詰めていたのは、40代に見える、落ち着いた雰囲気の女性だった。
「おつかれさまです」
辰美が挨拶をすると、コンシェルジュの女性は穏やかな様子で笑みをたたえ、辰美らに軽く頭を下げた。
陽一はその様子に少し感心しながら、辰美に
実里も同じくそれに倣う。
エントランスを抜けたところにオートロックのドアがあり、辰美は暗証番号を押してドアを開けた。
その様子を実里がじっと見ていたのだが、辰美も陽一もそれには気づかなかった。
エレベーターに乗って25階へと行き、2503号室の鍵を開けて部屋に入る。
「おおっ!!」
陽一は今日いちばんの驚きを表わした。
狙いどおりとばかりに、辰美は得意げな様子で室内の各設備を説明していく。
そのたびに陽一は感心したように頷いていた。
「いやぁ、ここいいですねぇ」
「そうでしょう? 本当におすすめなんですよー」
すると、陽一の隣に立っていた実里が、陽一の服をちょいちょいと引っぱった。
「ん?」
「あの、私はさっきのお部屋でもいいかなと思うんですけど……」
「そう? でもここ、すげー綺麗だよ?」
「さっきのところも充分でしたよ? 広さはあんまり変わらないし、お家賃は半額くらいでしたから、やっぱりさっきのお部屋のほうが……」
そこへ辰美が割り込む。
「あはは、先ほどのお部屋も確かにいい部屋ですけど、ここは格が違いますよ? たとえばこの対面式のキッチンですと、奥さまはお料理をしながら旦那さまとお話ししたりできますし――」
そこで辰美は〝おや?〟と思った。
「お、奥さま……」
「旦那さま……だと……?」
ふたりの様子が急に変わったのである。
どうやら〝奥さま〟〝旦那さま〟という言葉に反応しているようである。
「それにこの広いキッチンですと
「ふたり……」
「仲よく……」
陽一と実里は1秒ほど互いを見つめ合い、あわてたように視線を逸らした。
それを見た辰美の口角がニタリと上がる。
「ささ、次はバスルームへ」
陽一と実里をバスルームへと案内し、ひととおり設備の説明をしたあと、辰美は突然しゃがみ、床に手をついた。
「床を触ってみてください」
そう言われ、陽一と実里もしゃがんで床を触った。
「お、やわらかい……」
「ほんのり温かい……?」
そんなふたりの様子に、辰美が得意げな笑みを浮かべた。
「このバスルームの床は温かく、柔らかく、そして乾きやすい最新のものなんです」
そして辰美はずいっとふたりのほうへ顔を近づけた。
「……なので、この上に直接寝転がっても、全然平気なんですよ?」
周りに誰がいるわけでもないのに辰美は声を潜めてそう呟いた。
陽一と実里は弾かれたように顔を上げ、辰美のほうを見ると、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべて軽くウィンクをした。
「えっと……いい、部屋……かな?」
「そ、そうですね……」
辰美のウィンクを受け、あわてて目を逸らしたふたりがいったいなにを想像しているのか、あえて追及する必要はあるまい。
「では、最後に寝室へ」
この物件の間取りは15帖のLDKに8帖と6帖の洋室がひとつずつというものだった。
ふたつの洋室のうち、どちらを寝室にするかということは決まっていないのだが、辰美はあえて8帖のほうを寝室として紹介した。
「寝室は充分な広さを確保しておりますので、キングサイズのベッドを置いても、サイドテーブルなんかを置く余裕は充分あります。なんでしたらテレビなんかも全然置けますし、小さめの冷蔵庫を置くと便利かもしれないですね」
寝室として紹介された洋室の広さに感心しているふたりのもとへ辰美は歩み寄り、再び声のトーンを落とす。
「休日なんかは、ゆったりとしたベッドでくつろぎながら、寝室にこもりっきり、なんていうのもいいかもしれないですねぇ……」
「寝室に……」
「こ、こもりっきり……」
なにやら妄想を爆発させているらしいふたりを放置し、辰美はスタスタと壁のほうへ歩いていった。
「それに――」
そして今度はふたりの注目を集めるように、声のボリュームを上げる。
「ここはそれなりに高級な分譲マンションですから……」
陽一と実里の視線が自分に向いたのを確認した辰美は、コンコンと壁を叩いた。
「防音はばっちりです」
そしてトドメとばかりに、にっこりとほほ笑んだ。
「こ……ここに、決めようかな……?」
「そ、そうですね……。いいと、思いますよ……?」
ふたり揃ってなにを妄想しているのか、陽一と実里は顔を赤らめながら、お互いをちらっと見ては目を逸らす、という行為を続けていた。
「ふふ……、じっくりご検討くださいませ、
辰美はそう告げたあと、ふたりから見えない位置で小さくガッツポーズを取った。
結果、陽一はここ『グランコート2503号室』を新たな住居、そしてホームポイントにすることを決めた。
自営業ということで保証金とは別に家賃半年分を前払いさせられたが、特に問題はなかった。
「ありがとうございました。お部屋のお渡しに関してはまた準備ができ次第ご連絡させていただきます。そのほかなにかお困りごとがありましたらいつでもご連絡を」
○●○●
不動産屋を出たあと、実里は陽一を心配そうに見つめた。
「どしたの?」
「あの……、よかったんでしょうか、あんなに高いお部屋で?」
「あー、ホント、お金のことは大丈夫だから」
「ごめんなさい。なんだかあの人の口車にうまく乗せられたみたいで……」
「はは、確かにうまく誘導された感じではあるね。でも、ほんとにいい部屋だと思うし、なにより、その……、楽しかったよね?」
「……そうですね。私も楽しかったです」
実里は軽く目を伏せつつ、ふっとわずかに口角を上げた。
その表情に、陽一はどきりと胸が高鳴るのを感じた。
「あ、その……、えっと、じゃあさ。このあとも家具とか、選んでもらっていい?」
実里は伏せていた目を上げて陽一を見つめると、今度はにっこりとほほ笑んだ。
「はい、いいですよ」
不動産屋をあとにしたふたりは電車に乗って移動し、中心街から少し外れた場所に位置する国内製品を扱う少し高級な家具屋に行き、ベッドやテーブル、ソファなどの家具を実里と一緒に選んでいった。
そのあとは家電量販店に行き、家電製品も部屋に合わせてそれなりのものを購入した。
それはとても楽しい時間だった。
あっという間に夜になり、それなりに高級なレストランで食事をとった。
高いだけあって味もかなりのものだった。
自分はなんとなく場違いな気分だと陽一は思ったが、実里は自然になじんでいた。
「部屋に帰ってもなにもないし、ホテル取ろうか?」
「いえ、陽一さんの部屋がいいです」
というやり取りの結果、ふたりは陽一の部屋へ戻った。
あらためて見る安アパートの外観に少し気分が沈む陽一だったが、いざ部屋に入ると安心した。
靴を脱いで部屋に上がるなり実里がうしろから抱きついてきた。
「今日は一緒に寝てください……」
陽一は腰に回された実里の手を軽く解き、ひるがえって彼女と向き合った。
自分を見つめる実里の目は少し潤み、あいかわらず無表情に近い表情は、どことなく切なげだった。
陽一は実里を抱き寄せ、唇を奪った。
そしてどちらからともなく、ふたりはお互いの服を脱がせ合った。
陽一は実里のカーディガンを脱がせると、シャツのボタンを外し始めた。
もどかしく思いながらも、力任せに引きちぎるわけにもいかず、ひとつひとつ外していく。
そしてすべてのボタンを外し終えたあと、勢いよくシャツをはだけた。
「あ……」
陽一の目に飛び込んできたのは、昨日デパートでちらっと目にした、黒いベビードールだった。
「それ、買ってたの?」
「……はい。陽一さんが、その、見てたから……」
実里は陽一の上着を脱がせた状態で手を止め、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「えっと……、今日ずっと着てたの?」
「……はい」
実里は顔を赤らめあいかわらず顔を背けたまま、恥ずかしげに口元を手で隠した。
(こういうのって、普段から身に着けるもんかなぁ?)
ベビードールの使い方に関して特にこれといった決まりはないが、一般的には入浴後などに着用することが多いようである。
ただ、ベビードールを身に着けたまま外出するというのは一般的な使い方からは外れるだろうし、実里もなんとなくそれは察していたが、いつ脱がされてもいいように外出前から着用していたのだった。
余談であるが、ベビードールはもともと寝間着のようなものなので、その下にブラジャーを着けるかどうかは個人の自由である。
ちなみに実里はあえて身に着けていなかった。
陽一は実里らしからぬ格好と、それを恥じらう彼女の様子に興奮しつつ、続けてスカートのホックを外した。
パサリと落ちたスカートの下からベビードールに合わせたような、ピンクを基調に黒のレースをあしらったショーツが現われた。
(おぅ……、普通の黒タイツだと思ってたのに……)
露わになった実里の脚だが、スカートの下から覗く部分はごくごく普通のタイツであった。
しかし、いざスカートを脱げばその太もものあたりにはレースがあしらわれており、それ単体のみで見れば多少華美な印象しか受けないのだろうが、いまの格好だとベビードールや派手なショーツとあいまって、必要以上に扇情的に見えた。
「あの……へん、ですか?」
「ん?」
「こういうの……初めて着るので……」
実里は恥ずかしげに顔を背け、口元に手を置いたまま、恐る恐るといった様子で、陽一のほうに視線だけを向けた。
「あ……う……、いや、いいと思う」
「……本当、ですか?」
「うん。普段の清楚な感じもいいけど、その、こういうエロいのもたまにはいいんじゃないかと……」
「あぅ……」
これまでいろいろな経験を積んできた実里だったが、普段しないような格好であらためて〝エロい〟と言われたことに対して羞恥を覚え、再び陽一から目を逸らしてしまった。
そうやってしばらく呼吸を落ち着けたあと、実里は意を決したように陽一のほうへ向き直り、その場で膝立ちになった。
「え、実里ちゃん?」
陽一の声を無視し、実里は彼のベルトに手をかけた。
○●○●
長い行為が終わったあと、ふたりは抱き合ったまま、荒い息を漏らし続けた。
混濁していた実里の瞳孔が光を取り戻す。
まだ表情の戻らない実里は、ゆっくりと視線を落とし、やがてその視線が陽一を捉えた。
じっと陽一を見つめる実里はあいかわらず無表情だったが、ふっとほほ笑んだように見えたかと思うと、実里はぐったりと陽一に身体を預けた。
「……大好き」
その声はあまりにか細く、陽一の耳には届かなかった。
翌朝、陽一が目覚めると、部屋の中に実里の姿はなかった。
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