第9話 花梨の部屋で飲み直し

「おい、花梨、着いたぞ」

「ん、んぅ……」


 店を出たふたりは電車に乗り、花梨の家の最寄駅に到着した。

 花梨は電車に乗るなり陽一にもたれかかり、眠ってしまっていた。


「おまえ、いつも電車で寝てんの?」

「まさか。今日はちょっと、油断した……」


 電車を降りたあと、少し怪しい足取りの花梨の手を取り夜の住宅街を歩く。

 こうやって女性と手をつないで歩くのは何年ぶりだろうか?


(花梨と別れて以来だから10年以上ぶりか……)


 夜といっても少し早い時間なので、ちらほらと家路を急ぐ人の姿が見える。

 陽一はなんとなく気恥ずかしくもあったが、少しだけ誇らしくもあった。


「コンビニ寄ろう」


 コンビニで適当に酒やつまみを選び、ぽんぽんとカゴに入れていく。


「こうやって男の人と買い物するなんて、何年ぶりかしらねー」


 陽一の持つカゴに商品を入れながら、花梨が呟く。


「その後、彼氏は?」

「はは。仕事仕事でそんな暇なんかないって。そっちは?」

「あー、もっぱらお店通い?」

「なにそれー? ……まぁ、らしいっちゃらしいか」

「いやいや、らしいってなんだよ。俺がお店に通うようになったのは花梨と別れたあとなんだけど?」

「んー? なんていうのかなぁ。陽一は一から関係を築き上げるのが面倒なタイプっぽいからさ。だからって、枯れるわけでもなし。だったらお金であと腐れなく楽しめるとこに通うってのは、なんていうか理にかなってると思うよ。だから、〝らしい〟」


 陽一は、なんとなく自分ですら知らない自身の本質を見抜かれているようでドキリとした。

 反面、自分を理解してくれているという安堵感も同時に湧き上がってくる。


「あたしも女子用のお店があったら通ってたかもねぇ」

「ホストクラブとかは?」

「行ったことあるけど、あれは面倒だよ。男が通うところで言うとキャバクラみたいなもんだよ? だったらマッチングとかのほうが早いって」

「はは、確かに」


 花梨がホストクラブで楽しく騒いだり、誰とも知れない男と一緒にいるところを想像した陽一は、なんだか胸のあたりがモヤモヤするのを感じた。



「どうぞ」

「おじゃまします」


 花梨の部屋は少し広めの1DKだった。

 広さも家賃も陽一の部屋の倍以上はするだろう。

 物が少なく、きれいに片づいていた。


「シャワー浴びてくるからかけて待っててよ」


 陽一はダウンジャケットを脱ぎ、適当に置いたあと、座り心地のいい革張りのソファに腰かけた。

 花梨はテレビのスイッチを入れたあと、バスルームへと入っていった。

 かすかに聞こえるシャワーの音に、少しずつ理性を削り取られるのを感じた陽一は、テレビのボリュームを少し上げた。

 特に内容のないバラエティ番組を見ながら、陽一がコンビニで買った炭酸飲料を飲んでいると、部屋着に着替えた花梨が陽一の傍らに立って彼を見下ろした。


「ってか、ダッサい格好してるわね」

「うるせー」


 自覚があるだけに反論にも力が入らない。

 確かに、考えてみれば今日は花梨の様子を見にきたのであり、会って話をする可能性もあったのだから多少服装に気を使ってもよかったかもしれない。

 偶然を装って会ったからよかったものの、事前に待ち合わせなどをしたうえで会ったときにこの格好であれば、さぞ花梨は落胆しただろう。


「ま、らしいっちゃらしいけどさ」

「何回目だよ、それ」

「ふふん、アンタがあんまりにも変わらないから、ちょっとだけ呆れてんのよ」


 なにやら嬉しそうな笑みを浮かべながらも、花梨はコンビニで買った酎ハイの缶を開けながら、陽一の隣りに座った。

 ふわりと空気が流れ、シャンプーの香りが鼻腔をつく。


「……まだ飲むのかよ」


 陽一は高鳴る鼓動をごまかすように、花梨へと苦言を呈した。


「飲み直そうって言ったじゃん。てかアンタなんで飲んでないのよ」

「飲んでるだろ?」

「ジュースじゃん、それ」


 その後ふたりはテレビを見るともなく眺めながら、とりとめもない雑談を始めた。

 やがて言葉数が少なくなり、徐々に沈黙が増えてきた。

 花梨のほうに目をやると、少し開いた寝間着の胸元から谷間が見えた。

 下着は身につけていないらしい。

 それが視界に入るたびに、鼓動が速くなる。

 花梨は陽一の肩に頭を預けており、陽一もいつの間にか花梨の肩を抱いていた。

 もうお互いが言葉を発しなくなってどれくらいの時間が経っただろうか。

 気がつけばテレビのスイッチは切られており、部屋の中にはふたりの呼吸の音のみが響いていた。


「ねぇ、今夜……、泊まってくでしょ?」

「ん? いや、どうかな……」

「お願い……。このあと、ひとりで寝るとか、無理……」

「花梨……」


 花梨のほうを見ると、彼女は潤んだ目でじっと陽一を見つめていた。

 それは十数年ぶりに見る表情であり、それが意味するところを陽一は思い出す。


「いいのか?」


 だが、花梨は答えない。

 ただなにかを求めるような表情で、陽一を見つめるだけだった。

 陽一は肩に回した手に力を入れて花梨を抱き寄せ、そのまま唇を重ねた。


○●○●


 いい匂いがする。

 美味うまそうな匂い。

 耳を澄ませばジュウジュウと肉の焼ける音も聞こえる。

 あれ、また管理人さん……?


「んん……」


 陽一は起き上がり、身体を伸ばした。

 あたりを見回すが、あまり見覚えのない部屋で――。


(ああ、そうか。昨日花梨と)


 ゆっくりと起き上がると、おそらく自分用に用意されたであろうジャージを着たあと、寝室を出た。


「あ、起きた? おはよー」


 寝室の扉が開いたことに気づいた花梨が、陽一に声をかけてきた。

 ジュウジュウと音を立てているのは、匂いからしてベーコンだろうか。


「ああ、おはよう」

「ごめん、まだお洗濯終わってないや。いま乾燥中だからもうちょい待ってて」

「あ、うん。ありがと」


 昨日の部屋着にエプロンという格好でテキパキと動く花梨に目を奪われる。

 こうやって彼女が料理をしている姿を見るのはいつぶりだろうか。


「あ、先お風呂入る?」

「あー、じゃあシャワーだけ」

「じゃそこお風呂だから勝手に使って。たぶんあがるころにはお洗濯終わってるだろうから、自分のやつ適当に引っぱり出して着といてよ」

「わかった」


 バスルームには女物のシャンプーやボディソープしかなく、どれも高そうなので使う量を遠慮しながらシャワーを浴び終えた。

 バスルームから出ると、花梨の言ったとおり洗濯機での乾燥が終わっていたので、陽一は自分の服を取り出しながら身に着けていった。

 バスルームを出ると、ダイニングテーブルに朝食が並んでいた。


「簡単なので申し訳ないけど」


 メニューは、トーストにベーコンエッグ、サラダというごくごくシンプルなものだったが、なぜか陽一にはそれが輝いて見えた。


「朝、カフェオレでよかったよね?」

「うん、ありがと」


 陽一はときおり無性にコーヒー牛乳を飲みたくなることがあるものの、普段はブラックコーヒー派だ。

 しかし朝食がパン系の場合は温めた牛乳にインスタントコーヒーと1杯の砂糖を混ぜた即席のカフェオレを好んで飲んでいた。

 特に強いこだわりがあるわけではないが、なんとなくの習慣であり、こういうことを覚えていてくれたことに、少し胸が温かくなるのを感じた。


「いただきます」


 トーストはただ焼いてバターを塗っただけ、サラダはカット物を皿に盛ってドレッシングをかけただけ、ベーコンエッグは玉子に塩を少し加えた程度という、特になんでもない味つけのものばかりだったが、陽一はひさびさにまともな食事を取ったような気がした。


「ふふ、こうやって誰かと朝ごはん食べるなんて、いつぶりだろ……」


 その呟きに、陽一は胸が締めつけられるのを感じた。


 あのとき、もっとやりようがあったのではないか。

 所詮しょせんフリーターだった自分が花梨に時間を合わせることだってできたはずだ。

 あのままふたりで一緒にいれば、自分はもう少しマシな人生を送れていたのではないだろうか。

 そういう思いが胸に渦巻く。

 もし叶うなら、もう一度――。


(いや、駄目だな)


 陽一は人外の能力を手に入れた。

 いずれ異世界に旅立つことになる。

 おそらくこれからの人生はまともなものではなくなるだろう。

 そこに花梨を巻き込んで、彼女を幸せにできるだろうか?


「いやあ、しかし、今朝は随分体調がいいわぁ」


 朝食を食べ終えた花梨が、自分の調子を確認するように身体をひねる。


「んん……、最近ずっと調子悪かったけど、潤いが足りなかったんだねー」


 と、花梨は艶めかしい笑顔を陽一に向けてきた。


**********

状態:抑うつ(軽微)/ホルモン異常(軽微)/不妊

**********


 確かに、【鑑定+】で確認するとあれだけあった状態異常がかなりマシになっていた。


(スキルの影響……? いや、まさかな)


「ねぇ、これからも、たまにでいいから会わない?」


 陽一は思考を途中で遮られ、花梨の状態異常回復が自身のスキルの影響によるものである可能性について考えるのをやめた。


「いや、まぁ、いいけど。でも、ちゃんとした恋人探したほうがいいんじゃない?」

「やーよ、面倒くさい。陽一がたまに付き合ってくれるんなら、あたしはそれでいいよ」

「そうか」


 一定の距離感を保った関係なら、べつに問題ないだろう。


「あ、べつにアレだからね、お店とか好きに行ってもいいし、もし好きな人とかできたらちゃんと言ってね」

「じゃあ、万が一っつーか億が一にでも俺に彼女ができたらどうすんの?」

「んー、そのとき考えるわ」

「じゃあ花梨に彼氏が――」

「それはない」

「いや、おまえ……」

「ま、あんま深く考えないでよ。じゃ、あたしそろそろ準備するから。歯ブラシとか新しいの開けて勝手に使っといていいよ」


 と言って花梨は陽一のぶんの食器もまとめて流しに置き、寝室のほうに入っていった。

 陽一は寝室から聞こえる衣擦れの音に少しドキドキしながら、洗面所へ行って新しい歯ブラシをおろし、歯を磨いた。


「ごめん、おまたせー」


 歯磨きを終えた陽一が昨日のソファに座ってテレビを見ていると、準備を終えた花梨が現われた。


「じゃ、いこっか」


 ビジネススーツに身を包んだ花梨の姿だが、昨日とは随分と印象が違って見えた。

 それは彼女の状態異常が回復したことが原因か、あるいは陽一の心情の変化のせいだろうか。


 陽一と花梨はマンションの入り口で別れた。

 当初の予定では、花梨の様子を確認がてら愚痴のひとつでも聞いてやれれば……程度の軽い気持ちで再会を仕組んだのだが、まさか彼女の部屋に泊まるとは思っていなかった。


(会わないほうがよかったかなぁ……)


 そう思いながら陽一は花梨のほうを振り返った。

 ビジネススーツ姿で歩く花梨は、陽一の心配を小馬鹿にするように、軽快な足取りで離れていく。

 そうやって上機嫌な様子で歩いていた花梨が突然立ち止まったかと思うと、突然振り返った。

 そして陽一の姿を確認すると、ニッコリと笑って軽く手を振った。


「……ったく」


 陽一が軽く呆れた様子で手を振り返すと、花梨はしばらく嬉しそうに陽一を見つめたあと、きびすを返して歩き出し、ほどなく雑踏の中に消えていった。


(会ってよかった……かな)


 花梨の姿が見えなくなったところで陽一も振り返って歩き始めた。

 そして人気ひとけのないところから【帰還+】を発動し、自分の部屋に帰る。


「うへぇ……」


 微妙に散らかった男臭い部屋を目にし、うんざりしたような声を漏らしてしまう陽一であった。 

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