第8話 1等くじ換金、そして……

 スクラッチの1等くじを手に入れた翌日、陽一は宝くじ取扱い銀行の本店を訪れていた。

 宝くじで高額当選をすると、どこからともなく情報が漏れ、いろんな人にたかられる、というのは有名な話だ。

 それを防ぐ方法として有効とされているのが、本店での換金。

 事前に一報入れておけば、きっちりと対応してくれらしい、との情報を以前ネットで見たことがあった陽一は朝一番で電話を入れていた。

 そして、閉店少し前に銀行を訪れ、無事換金と口座開設を終えたのだった。

 受け取った通帳を開いてみる。


 1000000


(ニヤニヤが止まらねぇぜ……)


 キャッシュカードはおよそ2週間後に届くらしい。

 とりあえず陽一は通帳を【無限収納+】に入れた。


「さて、このあとどうなるやら……」


 陽一はこの日、宝くじ換金のためだけにこの地を訪れたわけではない。

 陽一には過去何人かの恋人がいた。

 といっても片手で足りる程度であり、それほど経験が豊富なわけではない。


 最後に女性と付き合ったのは大学時代のこと。

 相手は同じ大学で同い年の本宮もとみや花梨かりんという女性だった。

 合コンで知り合ってなんとなく意気投合し、気がつけば付き合っていた。

 学生時代は順調な関係を維持できていたが、卒業後、陽一が就職に失敗したことで関係が崩れ始める。

 花梨は第一志望の企業への就職を勝ち取ったが、陽一はバイト先のコンビニの人手不足から辞める時期を逸してしまい、結局大学卒業後もそのままバイトを続けるようなかたちになった。

 深夜シフトで土日をあまり休めない陽一と、平日昼をメインに働く一般企業の社会人とでは時間が合うはずもなく、会う時間が徐々に減っていく。

 そしてどちらが別れを告げるでもなく関係は自然消滅。

 10年以上音信不通となっていた。


 特に未練があったわけではない。

 ただ、20代半ばまではズルズルと関係を引きずっており、女性としてのもっとも輝ける時間を消費させてしまったことに申し訳なさを感じていた。

 誰かいい人と出会って、結婚して幸せに暮らしていてくれれば……、いや、たとえ独身であっても充実した人生を送ってくれているのであれば、それ以上なにをするつもりもなかった。

 しかし、【鑑定+】を行なった結果、一度様子を見てみたくなったのだ。


**********

 名前:本宮花梨

 年齢:35

 職業:会社員

 状態:抑うつ/慢性疲労/ホルモン異常/アルコール依存症予備軍/不妊

 身長:169センチ

 体重:53キロ

 B:86 W:58 H:82

**********


 生い立ちを確認したところ、陽一と別れたあとも順調にキャリアを重ねていったらしい。

 ただ、そのぶん責任は重くなり、そこそこ若い年齢でそれなりのポストに就いたことで、多くのひがみを受けているようである。


 陽一の知る花梨は、芯の強いサバサバとした責任感の強い女性で、他人からの悪意などは容易に受け流すことができる人物だった。

 その花梨が、これほどまでに状態を悪くするのだから、日本の会社というのはなかなかに厳しいところのようだ。

 フリーターのような生活を送り続けてきた陽一には、計り知れない苦労があるのだろう。


 その気になれば細かな心理状態まで確認することは可能だ。

 なんなら別れた当時の心境や、いま現在陽一を覚えているのかどうかでさえ。

 しかし、陽一は現在の簡単なプロフィールと略歴のみを確認するにとどめた。

 これだけでもかなりの罪悪感だ。


 もし花梨が自分に気づかなければ、あるいは気づいても自分を必要としないのであればあえて話す必要はない。

 ただ、愚痴のひとつでも聞いてほしいというのであれば、付き合おうと思った。


○●○●


 陽一はとある小料理屋にいた。

 カウンター席が10席、4~6人がけのテーブルが4つ程度の、少し小さめの店である。

 ビジネス街にほど近い場所にあり、平日夜には常に満席となるそこそこ人気のあるところだ。

 まだ日が暮れたばかりで飲むには早い時間であり、席も半分埋まる程度だった。


 花梨は仕事終わりにほぼ毎日ここに通っているらしい。

 夕食をここで済ませ、適度に酒を飲んでその日のストレスをリセットする、というのが、ここ数年のルーティーンになっているようだ。

 ただ、適度な量といっても毎日続けばそれなりの量になる。

 休日も近くの居酒屋で食事がてら軽く飲んでいるらしく、それが積み重なってアルコール依存症一歩手前というところまできていた。

 陽一は罪悪感に苛まれつつも、そういった花梨の行動を【鑑定+】で確認していた。


 ある程度空いているときは高確率で花梨が座るカウンター席のひとつ奥に陣取って、がっつり夕食をとっていた。

 徐々に騒がしくなってきた店の入り口が、ガラリと開く。

 ビジネススーツに身を包んだ、スマートな女性が入店してきた。


「あら、いらっしゃい。今日もおすすめでいいの?」

「うん、おねがい。あと、とりあえずビールね」

「はいはい」


 店の女将との短いやり取りから、彼女がこの店の常連であることがわかる。


 ――花梨だ。


 肩にかからない程度のクセのある毛をひっつめただけの髪型、キツいとよく言われるまぶたの厚い切れ長の目、すっと通った鼻筋……、彼女を一瞥いちべつし、変わってないな、と陽一は思った。

 無論、歳を重ねてそれなりに変化はあるが、それでも印象は当時のままだった。


「失礼」


 想定どおり、隣の席の椅子を引いた花梨が、軽く声をかけながらちらりと陽一を見た。

 じっと花梨を見ていた陽一と、一瞬視線が交錯するも、花梨はすぐに視線を逸らし、椅子に座った。


「ふぅ…………、ん?」


 席についたあと、お絞りで手を拭きながらうつむき加減でため息のように小さく息を吐いた花梨が、なにかに気づいたようにもう一度陽一のほうを見た。

 陽一はその視線に気づかないふりをしつつ、ウーロン茶の入ったグラスを傾けていた。


「……陽一?」

「ん?」


『どなたか存じませんが俺の名前を呼びましたか?』とでもいった雰囲気を出しつつ、陽一は花梨のほうへ再び顔を向けた。


「やっぱり……、陽一だよねぇ!?」

「お、おう……」


 予想以上の大きなリアクションに、素で戸惑いの声を上げる陽一。


「あたしだよ、花梨だよ!!」

「おお、花梨か? ひさしぶり」


 もう少し驚いたふりをしてもよかったのかもしれないが、花梨が予想以上に大きな声を上げたので、つい演技し忘れたのだった。


「リアクションっす。まぁ、アンタらしいっちゃあらしいか」

「悪かったな」


 カウンターにお通しと瓶ビール、そしてグラスひとつが運ばれてきた。


「あら、花梨ちゃんのお知り合い?」

「あー、えっと、まぁ……」


 花梨が少し困ったように頬をぽりぽりとかく。

 女将はそれを見て優しくほほ笑んだあと、特になにを言うでもなく奥に戻った。


「えっと、とりあえず乾杯しよっか」

「あ、おう」

「って、ウーロン茶? あいかわらずねぇ……。乾杯くらい付き合いなさいよ」

「まぁ、1杯くらいならいいけど」

「よっし。すいませーん、グラスもうひとつー!!」


 花梨は自分の前に置かれたグラスを陽一の前に置いてビールを注いだ。

 すぐに追加のグラスが運ばれてきたので、陽一はビール瓶を手に取り、花梨のグラスに注ぐ。


「とりあえずかんぱーい」

「乾杯」


 乾杯を終えたあと、ふたりはポツポツと近況を語り合った。

「陽一が自営業ねぇ……」

「まぁフリーターに毛が生えたようなもんだけど」

「ちゃんとしてるみたいでよかったよ。アンタって結構見通しが甘いうえに軽い浪費癖があるから、下手すりゃどっかで野垂れ死んでるんじゃないかと、ときどき心配してたんだ」

「失礼な」


 陽一は反論したが、花梨の心配は決して的はずれなものではない。

 すべての支払いをまとめた、限度額いっぱいまで使用しているクレジットカードの支払いが滞るというのは、生活の破綻のきっかけとなるには充分な事案である。

 先の事故がなければ、遠からず支払いが滞り、それをどうにかするにはどこかから金を融通するしかない。

 しかしまともなところではもう借りられなくなっていたので、いよいよ闇金に手を出すしかなくなっていた可能性が高い。

 その後生活を締め直し、繁忙期の収入をしっかりと返済に回せばなんとか立て直すことはできるだろうが、それができた可能性はあまり高くあるまい。

 となれば、早晩野垂れ死んでいたかもしれないのである。


「でも、ホント大丈夫なの? 後遺症とかない?」

「大丈夫だよ、精密検査もやったし」

「そっか。ならいいんだけど……。すいませーん、熱燗ひとつ」

「おい、飲みすぎだろ?」


 花梨は最初のビールを空けたあと、さらに熱燗を1本飲んでいる。

 陽一は最初の乾杯以降飲んでいないので、そのほとんどを花梨が飲んだことになる。


「はぁ? いつもこれくらい飲んでるから大丈夫よぅ」

「ならなおさらダメだろうが。そういうのは積み重ねがいちばん怖いんだよ」

「っさいわねぇ。事業主さんと違って、しがないOLは飲まなきゃやってらんないの」

「ったく……。次で最後だぞ?」

「はーい。ってアンタ親か!!」


 花梨の頬はほどよく朱に染まり、表情は緩みきっていた。

 昔からあまり酒に強くなかったが、それはあいかわらずらしかった。

 花梨は新たに追加された徳利から自分でお猪口ちょこに酒を注いだあと、クイッと飲み干した。


「くぅー……。はぁ……」


 そして幸せそうに息を吐き出した。


「たいへんだったね、その……東堂さん、だっけ?」


 幸せそうだった花梨の表情が少し暗くなった。


「ん?」

「わざわざ遺言伝えるなんて……、陽一ってたまに情に厚いところがあるっていうか……」

「そりゃ普段は薄情ってことか」

「んー、薄情っていうか、淡白?」

「淡白ねぇ……。まぁ実際俺が替わってやってもよかったかなぁとは思ったけど」

「やだな……」

「なにが?」

「だって、そのときアンタが代わりに死んでたら、こうやってもう一度会えなかったってことでしょ?」

「あー、まぁ」

「それはやだ」


 伏し目がちにそうつぶやく花梨の姿に、陽一は自分の鼓動が少し速くなるのを感じた。


「ねぇ、このあとなんか予定ある?」

「いや、べつに」

「じゃあさ、ウチで飲み直そうよ」

「はぁ? いや、でも……」

「いいでしょ? 行こう!!」


 結局陽一は花梨に押しきられるようなかたちで同意し、店を出た。

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