第6話 【帰還+】の真価……あるいは設定ミス
翌朝、陽一は大事なことを思い出した。
延び延びになっていた【帰還+】のホームポイントの設定である。
(えーっと、とりあえずホームポイントの設定ってのは……念じればいいか?)
《現在位置をホームポイント2に設定しますか?》
(……はい? ホームポイント2?)
ホームポイント1はすでに設定済みのようだったので、とりあえずホームポイント2を現在位置に設定する。
さて、設定済みのホームポイント1だが、考えられるとすればあらためてスキルを受け取った風俗店だが、とにかく確認が必要だろう。
ホームポイントの確認については念じれば問題なく目の前に表示された。
**********
【帰還】
ホームポイント
1・ジャナの森
2・エスポワール305
3・未設定
4・未設定
5・未設定
**********
2番のエスポワール305というのは陽一の住んでいるアパート名と部屋番号だ。
では、ジャナの森とはいったいなんなのか?
(あ、なんかすげードキドキしてきた……。これって、アレじゃね? ねぇ、アレじゃね? あの管理人、またやらかしたんじゃね!?)
仮になにかあったとしても、1時間以内ならキャンセルできるのだ。
「ってことで、ホームポイント1へ【帰還】!!」
突然目の前の風景が変わった。
先ほどまでは確かにアパートの部屋の中にいたはずだが、いまは草木の生い茂る森の中にいた。
特になにか移動した感覚や、浮遊感のようなものはなく、いきなり視界と、靴を履いていない足の裏から伝わる地面の感触が変わったという印象だ。
「ん?」
背後からカサカサと草がすれるような音が聞こえた。
陽一が恐る恐る振り返ると、そこにはウサギがいた。
「え……ちょ……」
そのウサギは鼻をヒクヒクさせながら陽一のほうを見ていた。
そして……、いきなり飛びかかってきた。
「キャ、キャンセルぅっ!!」
次の瞬間、陽一はへたり込んでいた。
ただ、そこは森の中ではなく、なじみあるいつもの部屋だった。
「ッハアアァァァ……」
無事キャンセルが発動し、身の安全を確保できたことに、大きく安堵の息を吐く。
あれがただの野ウサギだったのなら、陽一とてここまで恐怖すまい。
(いや、あれが普通のウサギなら、むしろこっちから飛びついてモフモフするね!!)
あの場にいたのは、ただの野ウサギではなかった。
まずそのサイズが問題だった。
レトリーバーやボルゾイなど、大型犬に匹敵する大きさだったのだ。
あれほどの大きさを持つウサギの存在を、少なくとも陽一は知らなかった。
あるいは陽一が知らないだけで、大型犬並みの大きさを誇るウサギも存在するのかもしれない。
しかし、あのウサギにはもうひとつの大きな特徴があった。
額から角が生えていたのだ。
円錐形で螺旋のような模様の入った、鋭く尖った長い角が、額から伸びていたのだった。
「はいっ! 異世界確定ー!!」
そう、陽一は、異世界へ行くことができたのであった。
それだけではない。
陽一はいまどこにいるのか。
自宅である。
異世界の森に行った陽一が、いまは元の世界の自宅にいる。
つまり、異世界と元の世界を行き来できることが判明したのだ。
当初、陽一が異世界に行きたいと思った動機は、言ってみれば逃避であった。
ワープアとしてただ生きるために働き、カードの支払いに頭を悩ませるという生活から逃れたかった。
すべてをリセットし、一から人生をやり直したかったのだ。
無論、異世界に行ったからといってすべてうまくいくとは限らない。
元の世界の常識の通じない世界では、むしろ苦労することのほうが多いかもしれない。
それでも陽一は、これまでの生活から抜け出したいと思っていたのだった。
しかし、転移は失敗した。
再びつまらないワープア生活が待っているかと思うと、かなり憂鬱になった。
だが、管理者からスキルを与えられた。
チートともいえるスキルのおかげで、こちらでの生活にも光明が見え始めた。
スキルをうまく使いこなし、のんびりと暮らそう。
そう思っていた矢先に、異世界へ行けることが判明した。
しかも、ただ異世界に行けるだけではない。
こちらの世界と行き来できるようになったのだ。
もしあちらの世界で不便なことがあったら、こちらの世界にある文明の利器を持ち込むことができる。
逆にあちらの世界の、たとえば魔法などをこちらの世界で使えるようになるかもしれない。
まぁ、手に入れたスキルは充分魔法のようなものであるが。
そして、あちらの世界は剣と魔法のファンタジー世界であると、管理者は言っていた。
それがライトノベルなどでよくあるファンタジー世界なら、心躍る冒険が待ち受けているのではないか。
魔物との血湧き肉躍るバトルやダンジョン探索などもできるかもしれない。
こちらの世界の知識を活用して手柄を立てれば、貴族にだってなれるかもしれない。
一夫多妻制が認められているなら、ハーレムを作ることも夢ではない。
(エルフ……ケモ耳……魔女っ子……。ぐふふ……、ワクワクが止まりませんなぁ……)
まだ見ぬ異世界生活に対する夢は膨らむばかりである。
あらためて【帰還+】の説明文を思い出す。
・いかなる状況下、いかなる場所からであってもホームポイントへ瞬時に移動可能。
この〝いかなる場所からであっても〟というのが重要なのだろう。
帰還先が異世界だろうとどこだろうと、ホームポイントに設定されている限りは行ける、いや、
スキル発動のためのエネルギー供給源も重要かもしれない。
世界間の移動というものが、次元を越えるのか、それとも遠く離れた惑星間を移動するのかは不明だが、膨大なエネルギーが必要なことに間違いはないだろう。
普通であればそれほど大きなエネルギーなど、どうやっても用意できまい。
しかし陽一の場合、そのエネルギー供給源があの管理者なのだ。
〝藤の堂さんが24時間365日全スキルフル稼働で100年使い続けるのに要する魔力量でも、私のひと呼吸に必要なエネルギーに足りません〟
という管理者の言葉を思い出す。
陽一を始めとする人間のような矮小な存在からすれば天文学的な数値のエネルギーであっても、管理者のような神に類する存在からすれば、それこそひと呼吸ふた呼吸程度のものなのだろう。
おそらくこのままスキルを使って世界間移動を行ったところで問題はあるまいが、仮に問題があればなにか言ってくるだろう。
それまでは好きに使わせてもらうことにする。
――異世界生活を満喫したい。
陽一にとっての〝やりたいこと〟ができた。
であれば、そのための準備をしなくてはなるまい。
まず大事なのは、異世界について知る、ということだ。
先ほどは興奮のせいでなにも考えず【帰還+】を発動したが、【帰還+】には〝遠隔地からホームポイントの確認が可能〟という機能があることを、陽一は思い出した。
さっそくその機能を発動してみる陽一だったが……。
(あれ……よく見えないなぁ)
先ほどの森のような場所の映像が意識に映りそうなのだが、なにやらノイズのようなものが入ってうまく見ることができないようだった。
さすがに遠く離れた異世界のこと。
すべての機能が十全に働くとはいえないのかもしれない。
そう考えると、先ほどうまい具合に転移できたのは幸運だった。
しかしそうなると、転移先でなにが待ち受けているかはわからない状態となる。
となれば、それなりの準備を整えなくてはなるまい。
そこでふと陽一は思い至った。
もし最初の段階であの場所へ転移されていればどうなったのか、ということを。
陽一が与えられたスキルは、日常生活を送るぶんには非常に有用であるものの、戦闘やサバイバルで即時役立ちそうなものはない。
そのうえ、あの段階では加護もなかったのだから、いまよりも低い能力で転移していたということになる。
その状態で、果たして生き残ることができただろうか?
(……管理人さんがドジでよかったぁ……)
○●○●
そしてその日の夜。
眠りにつくと、またあの白い空間が現われた。
そこには和服姿の女性が待っていた。
「あ、管理人さん、どうも」
「どうもじゃありませんよ、藤の堂さん!!」
管理者は、なにやら怒っているようだった。
怒っているとはいっても、なんというか「プンスカ!!」という擬音が似合いそうな、あまり真に迫ったものではないのだが。
陽一にはその原因に心当たりがあったものの、とりあえずとぼけることにした。
「えーっと、どしたんすか?」
「異世界……行きましたよねぇ?」
「ありゃ……やっぱまずかったですか?」
やはりその件だったようだ。
管理者は肩を落とし、大きくため息をついた。
「まずいに決まってますよ……。でも、まぁ私のミスなんですけどね……」
そしてやはりあれは管理者のミスだったようだ。
「えっと、じゃあ今後は異世界には行けなくなる……?」
「いいえ、こうなったのも私の責任ですし、いまさら差し上げたスキルを取り上げるというのも管理者の矜持に関わりますから」
それを聞いて陽一はほっと胸をなで下ろした。
「ただし、ですよ。藤の堂さんはご自身がどれほど危険なことをしたのか、ということを知っておく必要があります!!」
曰く、この世界とあの異世界とでは存在する次元が異なり、一方通行ならともかく、そのあいだを行き来するとなると時間やら空間やらがおかしなことになるという。
まずもって【帰還+】発動でまともに生物が生きていける時代の、しかも地上に降り立てただけでも幸運だったのだとか。
さらに、こちらに戻るのもキャンセルを使ったのでよかったのだが、もし再度【帰還+】を発動していれば、元の時代に戻れなかったり、それこそ〝いしのなかにいる!〟状態になってもおかしくなかったという。
「この世界とあの世界の間の時間や空間を固定しましたから、今後は問題なく行き来できるようになりましたけどね」
「おお!! さすがデキる女は違いますなぁ!!」
「えへへ……そうですかぁ?」
(チョロい……)
「とりあえず向こうの世界の時間は日本の標準時に合わせましたから、こちらとあちらで時差があるということはありませんのでご安心を」
「えーっと、じゃあ異世界ってのは自転周期やら公転周期やらがこの地球と同じってこと?」
「いえ、そもそもあの世界は惑星じゃありませんし」
「はい?」
「うーん、こちらの方にわかりやすく言うと、天動説時代の概念に近い世界、といえばおわかりいただけます?」
つまり、世界は平面で果てがあり、太陽や月が世界の周りを回っているというアレである。
「なので、あちらの世界では、西の端でも東の端でも時差はありませんし、世界の中央でも南北の果てでも日の長さは変わらないんです」
南北の終着点が極地ではなく果てというのは、我々にはいまいち理解しがたい概念ではあるが、そういうものだと思うしかあるまい。
「あ、ただ季節によって日の長さは変わりますし、場所によって気候が違うということはありますけどね」
「えーっと、じゃあ、1日の長さが都合よく24時間ってことです?」
「ぴったり同じとは言いませんが、体感では変わりませんかね。なので、世界間で微妙にズレが起こりうるんですが、そこはうまいことこちらで調整しますんでお気になさらず」
その調整とやらについて詳しく聞くと長くなりそうなので、そのあたりは管理者に任せることにした。
「あ、そうだ! もし最初の段階で転移が成功してたら、俺ってどうなってました? あそこで生き延びる自信がないんですけど……」
「いえ、そもそも降り立つ時代が異なりますから。森もあそこまで深くないですし。それに、少し歩けば善良な冒険者に出会って、いい感じに異世界ライフを始められるように手配はしてたんですよ?」
(ま、それを台無しにしちゃったのはこの人なんだけどね。いや、いまはそのことを感謝してるけどさ)
「あともうひとつ確認なんですけど、異世界のホームポイントの遠隔地からの確認ってできないんです?」
「
「おお、ありがたい」
「では、まぁ今日のところはこのへんで」
「一応確認ですが、世界間を行き来する上でのタブーみたいなものはありますか?」
「んー、特には。なにかあれば介入しますし」
(その介入ってのが怖いんだよなぁ。ま、やりすぎないようにしよう)
「ほかにご質問は?」
「いえ、大丈夫です」
「では、今後の人生、楽しんでくださいね」
「はい(……あと何回このセリフ聞くことになるかな?)」
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