第4話 ことづて

「はい」


 インターホンから聞こえる若い女性の声は少し疲れを帯びているようだった。

 東堂とうどうの妻であろう。


「あの、こちら東堂洋一よういちさんのお宅でよろしいでしょうか?」

「え……、あ、はい」

「このたびはご愁傷さまでした。突然押しかけて申し訳ございません。葬儀に間に合わず線香の1本でもと思いまして……」

「……お待ちください」


 しばらく待つと玄関の戸が開き、まだ喪服姿のままの、おそらく東堂の妻であろう女性が顔を出した。


「……どうぞ」

「失礼します」


 女性に促され、リビングに通される。

 仏壇などはなく、簡素な台の上に遺影と位牌、遺骨、そして真新しい線香立てとりんが置かれていた。

 額縁の中でほほ笑む青年は、まさしくあのときに会った東堂その人だった。

 香典を置き、線香を立てる。

 そのあと、鈴を軽く叩き一礼した。

 このあたりの手順は曖昧あいまいだが、別段失礼ということはあるまい。

 女性のほうに向き直る。

 彼女は無表情のまま微妙に焦点の定まらない目で陽一を見ていた。


「じつは僕、ご主人と一緒にあの事故に巻き込まれた者でして……」


 その言葉で、女性の瞳に力が宿ったように見えた。


「そう、ですか」


 簡単に事故の状況を説明する。


(まあ、警察とかにも説明は受けてるだろうけど)


 すると彼女は、フッと自嘲気味にほほ笑んだ。


「最期に人様のお役に立てたんですねぇ。誇らしいことです」


 疲れきった声でそう言いながらお腹をさする東堂の妻に、なんと声をかけるべきか迷ったが、とにかく伝えるべきことを事務的にでもいいから伝えておこうと思い、陽一は口を開く。


「じつは事故のあと、亡くなる前のご主人と少し話をしておりまして……」

「え……」


 東堂の妻の表情がこわばる。

 陽一はその変化に気づいたが、気づかぬふりをして話を続けた。


「えっと、ですね。まず、生命保険に入ったということ。まだ奥様に伝えてないとのことで、心配されてました。職場に来た外交員の勧誘に乗ったということで、詳しいことは会社の同僚の方がご存知かと」

「そう、ですか……。わざわざありがとうございます」

「あと、〝シンタ〟の〝タ〟は〝太い〟より〝大きい〟がいいね、と」


 すると、東堂の妻の目尻からツーっと涙がこぼれた。


「うぅ……」


 そして彼女の表情が苦悶に歪み、


「うあああぁぁぁ」


 大声を上げ、泣き出してしまった。


(さて、伝えるべきことは伝えたし、そろそろおいとまを……)

「なんでよぉっ!?」


 突然奥さんが叫び声を上げ、般若の形相で飛びかかってきた。

 えり首をつかまれ女性とは思えない力で押さえつけられる。


「なんで! あの人が……! アンタじゃなく!! うぅ……」


 言いたいことはわかる。

 独り身で特にこの世に未練のない陽一よういちだ。

 代われるものなら代わってやりたかった。

 ただ、あのときの管理者の様子だと、すべては決定事項で覆りそうになかったのだ。

 陳腐ちんぷな表現になるが、運命とでもいえばいいのか。

 それを言ったところでなんの救いにもならないのだろうが。


他所よその子なんて……どうだって……!! この子の……ために…………うあああぁぁぁん」


 陽一を押さえつける力が弱まり、東堂の妻はただ子どものように泣きじゃくるだけとなった。

 そこへ、玄関の戸を、開ける音が響く。

 そして中年の男女が姿を現わした。


「ちょっと、靖枝やすえ、どうしたの!?」

「貴様ァ、ウチの娘になにを!!」


 と、男性のほうが鬼瓦のような顔で猛然と駆け寄ってくる。


「や、ちょ、違っ……ぐぼぁっ!!」


 そして男性の放った助走つき右フックが、陽一の顔面をとらえたのだった。


○●○●


「すまんかった!!」


 先ほど陽一を殴った男性、東堂の妻こと靖枝の父親が床に頭をこすりつけている。


「ああ、いえ、大丈夫ですから」

「勘違いとはいえとんでもないことを」

「いや、ホント大丈夫ですから」


 頬に渡された保冷剤を当てつつ父親をなだめる。


(実際大丈夫なんだよなぁ……)


 殴られたときはもちろん痛かったし、口の中が切れて頬も腫れていたのだが、いまは傷も塞がり、腫れも引いて痛みもない。

【健康体+】の効果だと思われる。

 いまは早すぎる治りを隠すために保冷剤を当てている、といったところだ。


「そうか……。ではあらためてお礼を」

「いや、べつに感謝されるようなことは……」

「……あの子なぁ。彼が死んでから、一度も泣いとらんかったんだよ。それが逆に心配でなぁ。でもアンタが彼の最期の言葉を伝えてくれたおかげで、なにかひと区切りついたんだろう……」


 父親の視線につられリビングのほうを見ると、靖枝は母親の膝に頭を乗せ、子供のような表情で眠っていた。


「俺は……たまたま居合わせただけですから」

「それでも、わざわざ来てくれてありがとう」


 そういうと、父親は深々と頭を下げた。


「そういえば、彼のほうのご家族は……?」

「うーむ、どうも彼のほうは家族関係が希薄でね。結婚式にはなんとか顔を出してもらったんたが、今回は弔電だけで、香典も振り込みだったよ」


 父親は呆れたように、そしてどこか悲しげに笑った。

 人それぞれいろいろあるのだろう。


「じゃあ、俺はそろそろ」

「そうか。連絡先なんぞ教えてはもらえんだろうか? あらためて娘からお詫びを……」


 陽一としてはお詫びなどいらないのだが、それでは向こうも収まりが悪かろう。


「じゃ、これを」


 と、財布から名刺を取り出し、渡した。

 バイトと変わらない工場作業員だが、一応個人事業主なので、なんとなく作っておいたのだ。

 自宅のプリンタで10枚だけ、ではあるが。

 誰に渡す機会もなかっが、このようなところで役に立つとは思いもしなかった。


「すまんね。またあらためて」

「いえ、お気になさらず」


○●○●


 東堂の家を出たあと、陽一は大事なことを思い出した。

 正確には名刺を見たときだろうか。

 職場に連絡してないことを思い出したのだ。

 2日無断欠勤だった。

 工場に電話をかけたが誰も出なかったので、正社員の田村たむらの携帯電話にかける。


「もしもし?」

「あ、どうも、藤堂とうどうです」

「おお! どうした? 2日も休んで。まぁ暇だからいいけどさ」

「えっと、じつはですね……」


 陽一は田村に事故から検査、退院に至る経緯について説明した。


「そうかぁ……そらたいへんだったなぁ。うん、よし! 最近どうせ暇だし、今週、いや来週いっぱい休んだらいいよ!」


 現在が土曜日なので、丸々1週間以上休みということになる。

 能力の検証を考えると、それくらい休みがあったほうが、いや、もっと休んでもいいかもしれない。


「なんならもっと休んでくれてもいいけどねー、はっはっはー!」

「じゃあ、お言葉に甘えてとりあえず今月一杯で。早めに復帰できそうならまた連絡するというのでもいいですか?」

「うんうん。無理しないでねー」


 今年はまだ始まったばかりで、今月いっぱいとなると1ヵ月近くある。

 スキルをうまく使いこなせればそれなりに稼げそうではあるし、場合によってはこのまま辞めるのも選択肢のひとつかもしれない。


(うまい具合に時間もできたし、ゆっくり考えようか)


 ひとまず自宅へと帰ることにした。

 すっかり暗くなった夜の住宅街を歩きながら、陽一は、ホームポイントを設定し忘れたことを少し悔やんだ。

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