第7話

 実は先週の頭に期末試験は終わり、それから金曜日まで試験休みだったので、実質上夏休みはすでに始まっていた。

 でも、やはり優子と東京に行った翌日から名実ともに夏休みなのだ。

 優子とともに新宿のアルタ前を通ったけれど、今、学校が休みになってからここでももう二度とないとあきらめていたことに再会してうれしかった。それは昼に「笑っているとも」を見ることだった。サングラスの司会者はかなり若く、四十歳くらいだろうか。今のうちに見ておかないと、来週からバイトが始まったらまた見られなくなる。

 夕方は「夕ぐれニャンニャン」。もう子ねこクラブの1stシングルもリリースされたので、OP代わりに「セーラー服の歌」から始まるようになっている。

 48グループやZ46シリーズの洗練されたアイドルグループに慣れていた俺にとって、子ねこの素人っぽさが新鮮でもあった。プロのアイドルというよりも、本当にそこいらへんを歩いている一般の女子高生を集めてユニットとして歌わせ、番組を作っているって感じだ。令和の時代のもっともっとマイナーな地下アイドルの方が、かえってプロらしかったりする。

 それと、令和のアイドルはほとんどがロングヘアーなのに子ねこは圧倒的な数がショートカットで、この時代の流行なのかなと思う。ちょうどHNZ46の母体のKYZ46の固定センターのあの子と同じような髪形だ。そういえばきゅんきゅんも松子ちゃんもそうだ。松子ちゃんももはやあの松子ちゃんカットではない。

 思い出してみれば、電車の中にいる若い女性たちもほとんどがショートカットで、ロングヘアーの人がいたら逆に目立つほどだ。

 子ねこのメンバーに加え、司会者やその後を知る出演者たちが若い姿は本当に新鮮だ。

 さらに、年とった姿を知っている人の若い姿ばかりでない。

 見ていると番組の中でのニュースが始まったけれど、そのニュースキャスターがあの人……この時は健在で淡々とニュースを読んでいるが、その姿を見ながらも未来にはがんとの闘病生活の末に壮絶な最期を遂げることを考えるとガチで涙腺緩んだ。

 この番組の途中に入るカレーのCMのあの男性歌手もそうだった。

 ほかにもちょうど夏休みが始まったばかりの火曜日に放送があった「大爆笑」で見たグループリーダーなど、令和を迎えることなく亡くなった方たちがこの時代には元気で活躍しているのがエモいけれども悲しくもなる。

 そんな感じで夏休みが始まったけれど、優子とのデートの余韻もさめないうちに、俺はもう一人の気になる相手、美緒のところに急に電話がしたくなった。

「ああ、じゅんくん! ちょうど電話しようと思ってたところなんだ。もう夏休みに入ったでしょ」

 美緒の声は弾んでいた。

「うん、入った。どうしてる?」

 やっぱりこれは、故郷への電話だ。美緒の幼馴染み感半端ない。

「元気してるよー。やっと学校から解放されたし」

「だなー。毎日あつ……」

 暑いねと言いかけてやめた。天気の話はタブーだ。また行き違いが生じる。そう思ったのに……。

「なんだかなかなか梅雨が明けないね」

 美緒の方から天気の話を始めてしまった。やはり日本人だなあ。

 それにしても、未来の世界ではまだ梅雨も明けていないのか……。

「う、うん、そうだな」

「こっちはそうでもなかったけど、今日なんか関東は寒かったってニュースで言ってたけど」

「寒かった。暖房入れた」

「それ、大げさでしょ」

 美緒は笑った。でも、大げさではない。事実、外は天然の暖房が街全体に効いている。効きすぎている。今、電話している居間だけがエアコンの冷房が効いているけれど、二階の自室なんか扇風機しかないから昼間はほとんどいられない。我が家の全部の部屋にエアコンがつくのは、もっとずっと後だった記憶がある。

 とにかくこちらは毎日、真夏日が続いているのだ。これ以上天気の話はぼろが出る。

「期末試験、どうだった?」

 話題を変えた。このことが時代を超えて今の時期の総ての高校生の共通の話題になるだろう。優子ともそうだった。でも……。

「それ、聞かないで。試験の成績なんて、もう封印した」

 また美緒は笑っていた。

うちは過去は振り向かない主義だから」

 って、俺、とっぷり過去の中にいるんですけど……。

「それより、じゅんくんは夏休みはどうするの?」

「バイトと塾の夏期講習だなあ」

 そこは優子への返事と変わらない。ただ、京都に行くことだけは隠しておいた。

「美緒は?」

「たぶん暇してる。田舎だから塾もあまりないし、バイトするような所もないし。ああ、じゅんくんに会いに東京に行きたい」

「俺も会いたい」

 って、それは本音だけど、俺も美緒に会いたいし、美緒とどこかに遊びに行きたい。でも、実際に会いに来られたら困る。だって、来たって俺はいないから。

「でも、お金ないから無理。家でゴロゴロして毎日アニメ見てる」

 それを聞いて少しだけ安心したけど、後半のアニメってのにはうらやましさだけ。

「じゅんくんは夏のビッグイベントとかないのぉ?」

「ビッグイベントねえ」

 AO団のFCイベントもMCZの西武ドームの夏ライブも、せっかくチケットとれたのに干すしかなくなっている。

 その時、アニメの話題が出たのでふと俺は思い出した。毎年恒例のイベントで、この時代にいても行かれるんじゃないかと思うことを思い出したのだ。

「コミケは行くよ、きっと」

「わあ、いいなあ。私も行きたい! 今年から四日になるんでしょ? なんか有料になるとかいってるけど」

 そのへんに関しては、この時代に来る前に調べていた情報がある。

「そうだよ。事前にガイドブック買わないと入れないって。そのガイドブックについているリストバンドをチェックされるっていってた」

「めんどくさいね」

「まあ、現地でもリストバンドは買えるらしいし、それに有料なのは午前中の入場規制している時間帯だけだって話もあるし」

「そうなんだ」

 話をしながらも俺は、実はこの時代のコミケのことを考えていた。当然、この時代でもやってるはずだ。でもいつ、どこでなんて全く分からない。東京ビッグサイトって、もうあるんだろうか?

「コミケ、私の分まで楽しんできて」

「わかった」

 そうは言うものの、これから情報を集めなければいけない。なにしろネットがないのにどうやって調べるっていうんだ? でもこの時代の人たちはちゃんとどこかから情報を仕入れて、コミケにも参加しているんだろうから調べようはあるはず。でも、学校の友達たちで、コミケのことを知ってそうな人はなさそうだった。実際にこの時代にコミケのことを友人と話題にしたなんて記憶は全くない。

 それからしばらくいろんな話をして電話は終わった。

 俺は外がまだ明るいし、でも夕方近くになって涼しくなっていたので駅の向こうの本屋に行ってみた。ネットがない以上、情報を得るには雑誌しかないと思ったから。

 雑誌を探してもコミケの文字は見つけられなかったけれど、しっかりとコミケのパンフレットは積んであるのをあとで見つけた。300円だった。早速俺は買った。表紙は結構肌色の多い女の子が宇宙空間に逆さに浮いているようなデザインのイラストで、親や妹に見つかったらエロ本と間違えられそうな感じだ。それにしても、昭和とは思えない斬新な萌えキャラなんですけど。

 今年のコミケは8月11日の日曜日、つまり一日しか開催しないようだ。場所は晴海の国際見本市会場の国際貿易センターとある。そういえば裕一郎とここに、モーターショーを見に行った記憶がある。

 しかも、このパンフレットがないと入場できないようで、美緒は今年から有料といっていたけれど、かつてのコミケはすでに有料だったんだなと思う。いつから無料になったんだろう?

 それはいいにして、あとは誰と行くかだ。趣味が合いそうな人といえば、美緒くらいしかいない。でも、美緒がこの時代に来られる訳もないし、美緒の時代に俺と待ち合わせてコミケに行くこともできない。

 優子はないだろう。最悪、ドン引きされかねない。学校の友人にも興味ありそうなのはいないけれど、強いていうなら星司か裕一郎だ。

 電話をかけて聞くと、やはり二人ともコミケなんて言葉は初めて耳にするらしく、全く知らなかった。ただ、少し説明すると興味を持ったようで二人とも行くと言った。

 こうして、昭和のコミケに三人で参戦することになった。


 翌日から五日ほど、予備校の夏期講習だった。来年はいよいよ受験だから、まる一ヵ月以上予備校に通うことになるだろう。でも、今の俺ならば予備校は英語だけでいいはずだ。自分が卒業した同じ大学、つまり私立文系ならばそれで充分のはず。いや、もっと上の大学を狙えるかもしれないし、あの時は落ちたあの第一志望のあの大学にも合格するかもしれない。いや絶対にするよ。ま、どんなに転んでもセンター試験は、(ってこの頃はまだ共通一次だけど)、理数系も必要だからそんな無謀な挑戦はしない。

 そんな夏期講習の初日に、優子に電話してみた。

 隣で親が聞き耳を立てているのはこちらだけでなく優子の方も同じなようで、本当に用件だけの電話となった。でも、実は用件などないし、この間東京に行った後に一度も話していないから話がしたかっただけだけど、優子は極度に親を意識しているようでそわそわしているし、早々に電話は終わった。

 こちらはともかく相手が親を気にせず話してくれるといったら、美緒しかいない。はっきりと聞いたわけではないけれど、常識的に美緒は自分の部屋でスマホで話しているのだろう。

「ねえねえ、やっぱコミケ行くの?」

「行くよ、友達と」

「いいなあ」

 このあいだも言われた「いいなあ」だけど。

「何日目?」

 何日目ってこっちは一日しか開催しないんだけど……。その一日だけの開催は11日の日曜日、つまり令和の年のコミケだったら三日目だな。

「そのころ、平日はバイトあるから、三日目の日曜日しか行けない」

「誰と?」

「学校の友達だよ」

「男でしょうねえ」

 にやにやしながら聞いている顔が、目に浮かぶようだ。こっちもスマホがあれば、顔を見て話ができるのになあ。

「あのねえ、俺んとこ男子校」

「そうだったそうだった」

 美緒は笑った。でも、なんかももう美緒が俺の彼女のような錯覚。だからやっぱ優子のことは、美緒には言えないな。

「それより、今度の土日、台風直撃よねー」

「え? あ、うん、らしいね」

 とは言ったけど、もちろん俺にとっては初耳。

「何号だっけ?」

 そんなふうにとぼけてみる。

「6号だったかな」

 こっちの時代では7月の初めに6号は来たけど、あっちは今ごろ6号か。少ないんだな。

「ねえ、夏休みに入ってからの台風なんて、意味ないよね」

「それな。しかも土日なんて。まじ来ないでほしい」

「全高校生の共通意見よね」

 美緒はそう言って笑っていた。

 そんななんだかんだで美緒と話していると楽しいし唯一の令和の時代とのパイプだけど、やっぱ夏期講習で疲れてたので、早々に切り上げることにした。

 日曜日も関係なく行われた夏期講習が終わった翌日から、バイトが始まった。親父が自分の会社のつてで勝手に見つけてきたコンクリート工場だ。結構きつい力仕事で、毎日が汗だく。帰宅後は食事の後すぐに寝てしまう。

 そんな毎日で、唯一楽しみにしているのがコミケだ。

 そしてアルバイトも終わり、いよいよコミケの当日がやってきた。


 まだ起きる予定時間よりも早く、俺は外の雨が屋根を叩きつける音で目が覚めた。そのまま、目覚ましが鳴るまでベッドの上で眠れずにいた。

 何ともいえない、出かけるのをためらうほどのどしゃ降りだった。

 8月に入った最初のころまでずっと晴れの毎日が続いていたのに、先週の後半から曇りがちになって時々雨が降る日もあった。だけど、よりによってコミケ当日に朝からこんなどしゃ降りだなんて、俺何か悪いことした?

 とにかく俺は起きだして支度をする。

「こんなどしゃ降りの日に、どこに行くの?」

 母がいぶかしげに聞いてくる。

「他の日にしたら」

「だって、明日から京都だよ」

 それがなくても、一日しか開催しないコミケの日をずらすわけにはいかない。心配していた電車の遅延の情報はなさそうだが、天気予報によれは今日一日雨は降り続くらしい。

 詳しい列車の運行情報も、駅に行かないと分からないから不便だ。予定していた直通の快速電車は定刻に来たからよかった。だいたい俺はこの時代に来る前は、快速に乗る時は一番後ろの方のボックス席のあるセミクロスシートになっている車両しか乗らない主義だった。だけどこの時代では、グリーン車ののぞくすべての車両がセミクロスシートの車両なので、その点はうれしかった。

 一旦は津田沼で降りた。ここで裕一郎と待ち合わせる。待ち合わせ場所は「いつものところ」で通じてしまう場所で、改札の外に向かって左端にあるミルクスタンドの前だった。

 傘から雨のしずくをたらしながら、裕一郎は約束の時間通りに現れた。そして俺の顔を見るなり、まずそうな顔をした。

「星ちゃんが来られないって。すごい雨だからって、親に止められたみたいだよ。俺んとこに電話あった」

「そっちに電話行ったんか」

「純一のとこに電話したのに、もう出た後だったって」

 一度外出してしまったらもうお互いに連絡を取り合うことはできない。何度も言うけど不便な時代だ。

「それにしても、何背負っているの?」

 裕一郎は俺の背中の黒いリュックを見て笑う。

「リュックだけど」

「それは見ればわかるけど、なんでそんなもの? 遠足じゃあるまいし」

 ……って、この時代の若者は、普段からリュックを使用する習慣がないんだな。だいたいコミケに行く時の荷物はリュックって相場が決まっているというのが俺の頭だったけど。もちろん、キャスターの人も多いけれど、これもそれも令和の時代ではのお話のようだ。

 仕方なく、二人で津田沼始発の快速に乗った。

 ついついコミケっていうと西船橋で京葉線直通の武蔵野線に乗り換えて、新木場に行く感覚になってしまう。残念ながらこの時代、武蔵野線は西船橋が終点で、京葉線などまだ存在していない。

 俺のリュックの中には俺と裕一郎の分、そして無駄になった星司の分のコミケのパンフが入っている。これがないと入場できない。

 この時代のコミケは晴海……つまり、交通がとても不便だ。臨海鉄道の駅を降りて歩いてすぐではない。そもそもりんかい線もビッグサイトもまだ影も形もない。晴海に行くには東京駅からバスというのが一般的なようだ。

 俺たちは東京駅で地下から地上通路に上って、八重洲口から外に出た。

 そして唖然とした。

「こりゃ星ちゃん、来なくて正解だったかも」

 裕一郎がつぶやいた。この時代のコミケって会場に入る以前の、バスに乗る所から戦闘は始まっているようだ。

 開場のちょっと後の十一時くらいに行けば規制入場も終わっていてすんなりと入れるのではないかと思っていた俺は、十時に東京駅に着くくらいの電車で来た。もっとも俺ははるか未来の平成から令和のコミケしか知らないから、それを基準に考えていた。

 だが、甘かった。今のコミケの会場はバスに乗らなければ行けないだけに、バス乗り場がすでに長蛇の列だ。しかも雨の中、傘をさしての行列である。でもこの雨のお蔭で連日の猛暑からは解放され、少し涼しくはなっていた。それでも夏日であることは変わりない。

「こんな並んでバスに乗って、何があるの?」

 裕一郎は、やはり乗り気ではないようだ。

「モーターショーだって、こんなに混んでないよ」

 やはり裕一郎の頭には、晴海といえばモーターショーというイメージがあるようだ。

「漫画の載った薄い本が売ってるんだよ。行けば分かるから」

 なんとか裕一郎をなだめこんで、待つこと四十分。やっと自分が乗れるバスが来た。それまでも何台のバスが満員状態で、十分おきくらいに晴海に向かって発車して行った。幸い雨はまだ一応降ってはいるが、小康状態だった。

 都バスは未来でも見慣れていたクリーム色と緑色の塗装にすでになっていた。ただ、ごくたまにだけど旧型の、クリーム色に水色の筋の入った都バスもまだ健在だった。

 俺たちが乗ったのは緑色のだった。始発から乗る場合はどんなにぎゅうぎゅう詰めのバスでも、タイミングによっては座れる人もいる。だけど、俺たちはそうはいかなかった。どんどん車内の奥へと押し込められる。しかも、体が密着しているのが裕一郎というのが、どうにもむさかった。それを言うと「お互い様だ」と、裕一郎も笑っていた。

 一応運よく冷房車だったけれどこの寿司詰めの人間の熱気に冷房は勝てず、車内は蒸し風呂だった。

 バスに乗ってしまえば三十分くらいで晴海には着く。つまり、所要時間と同じだけ並んでいたことになる。バスは有楽町からこの間優子と歩いた銀座を通って、ソニービルを車窓に、勝鬨橋で隅田川を渡って晴海に向かった。

 そしてようやく到着……ところが、もうほとんどあがりかけていると思っていた雨がまた激しく降りだし、ほとんど豪雨になっていた。

 とにかくバスを降りて傘をさした。

「早く中に入ろうぜ」

 裕一郎がせかすけれど、俺の目は会場の西館に釘づけになっていた。

「なんだ、あの人の山は……」

 入場待機列が会場をぐるりと取り囲んでいる。それが少しも動いていない。時計の針は十時半を回っていた。ものすごい人で身動きすら取れない。

 それでも俺は未来のコミケとどうしても比べてしまうから、なんかこじんまりとしているなあとしか思えなかった。

 会場はメインのドームの東館ではなく、その向かい側の箱のような形の西館そしてその隣の新館だった。

 でもコミケといえば俺的には、国際展示場前駅からあの天にそびえる逆三角砦を目指して、幅広い道を埋め尽くして進軍する大軍勢というイメージがどうしても抜けない。やはりあの逆三角砦がないと……。

 そんな感慨にふける間もなく、雨は人の群れの上を容赦なく穿つ。

「これ、傘さしてたって無理じゃん」

 裕一郎が真顔で文句を言っている。

「とにかく、並ぼう」

 もうとっくに開場しているはずだ。俺たちは最後尾を探して歩き回った。

「お知らせします」

 スタッフの拡声器の声が聞こえた

「豪雨のため、開場時間を延期しております。開場までもうしばらくお待ちください」

 ずっと並んでいる人たちはもう聞かされていたのかもしれないが、今バスで着いたばかりの人たちの間にどよめきが起こった。

「なんで雨だったら入れてくれないんだよ、雨だからこそ早く入れてくれたらいいのに」

 裕一郎はほとんど切れかけている。

「まあまあまあまあ」

 俺はなだめるのに必死で、とにかく裕一郎を連れて最後尾に並んだ。だが、あっという間にそこは最後尾ではなくなった。

 そして豪雨の中、待つこと三十分。十一時になって雨も小ぶりになり、やっと開場のアナウンスがあった。その間ずっと外で傘をさしての行列だったので、服も、そしてリュックもびしょぬれだった。屋根のあるところで並んでいられたのは始発組みか、もしかしたらこの当時はまだ禁止されていなかった徹夜組みかもしれない。

 入場といってもすぐに建物に入れるわけではなく、まずは柵が開いて敷地内に入れる、そこからまた建物に入るための入場待機列が続く。

 そのころはもうすっかり雨もおとなしくなって、まだ降ってはいたけれど根性があれば傘をささずにいられるくらいになった。待機列の最後には「私が最後尾」と書かれた看板を持つ人がいたけれど、俺たちがそこに行ってその看板を受け取ってもすぐにそれは次々に多くの人の手を経て向こうに流れていった。

「なんだよ、コミケって女の子のための催しじゃなかったの? 女ばかりだと思ってたから来たのに、男も多いじゃん」

 裕一郎はまだ不平顔だ。

「それ、昔の話だろwww」

 たしかにコミケが始まった当初は、女子中高生向けのイベントだったと聞いている。もし男が行ったりしたら、場違い感半端なかったらしい。でももうこのころでは、並んでいる人の半数くらいは男性だった。日によって男性向けとか女性向けとかあるはずはない。だって、開催日が一日しかないのだから。

 そして驚いたことに、みごとに若者しかいない。

 平成から令和のころのコミケでは、ベースは若者だとしても年配者の参加者も一般・サークル問わず相当の割合を占める。令和の時代の俺が行っても、同世代や年上って感じのじじばばも結構いたからそんなに浮いていなかった。おそらく、今この会場を埋め尽くしている若者がそのまま年を食って、それでもコミケに通い続けているのが平成・令和のコミケにいる年配の方たちなのかもしれない。

 もしこの時代に来る前の俺がそのままでここに来たら、かなりアウェー感だっただろうな。あと、平成・令和のコミケではかなり多い外国人の姿も、ここでは全く見かけなかった。

 そうしてまただいぶ時間がたって、俺たちはようやく中へ入れた。

 おお、見慣れた光景。ぎっしりと並んだサークルブースの机と机の間を埋め尽くす人の海。そしてものすごい熱気。東京ビッグサイトではない違う会場だから少々の違和感はあっても、本質的な雰囲気は変わらない。HNZ46の握手会がどこの会場であっても本質は変わらないのと同じだ。

「うわ、なんだあの人たち」

 裕一郎が驚いたのはものすごい人の山よりも、人ごみに混ざってうごめく参加者のコスプレだった。

「ああ、コスプレ? あれもコミケの楽しみ方の一つだな。思い思いの漫画やアニメのキャラクターの格好して写真撮ったりすんだよ」

 そう言っている俺自身も十分に驚いていた。もう昭和のこの時代に、すでにコスプレはあったのだ。

「とにかく、特定の目的のイベントとかないから、端から見て回ろうぜ」

 俺は裕一郎を促して歩き出す。

 外は雨のお蔭で連日の暑さが今日は幾分和らいでいると言ったが、建物の中はとにかくものすごい人の山の熱気で歩いていても汗が噴き出した。しかも、人ごみの中を歩くのだから、当然すれ違う人と接触する。それが汗でべとべとになったシャツから出た裸の腕同士が接触するのだから慣れないと気持ち悪い。女の子だったらうれしかったりするけど、肌が触れ合うのはたいてい男だ。

 コスプレはあまり俺がよく知らないキャラも多かった。女の子の場合はやたら目についたのは「うる●やつら」のラメちゃんのトラの縞模様のビキニ姿だ。みんなかなり大胆な露出で、目の動きが固定……じゃなくて、目のやり場に困る。

 まあ、俺的にはラメちゃんといえば「うる●やつら」というよりも、レメちゃんといっしょにやはり「リゼロ」なんだけどな。

 それとやはり「宇宙戦艦ヤ●ト」とか「ル●ン三世」とか知っているキャラのコスプレを見かけるとうれしい。中には、全身●ジラもいた。

 サークルの中にも、やはり「うる●やつら」は人気だった。ほかは「キャプテン●」関連のサークルも目立ち、そこは「少年●ャンプ」掲載漫画であるにもかかわらずサークル主催者も群がっている人も圧倒的に女子だった。

 俺たちは人とぶつかり合いながら、島中のサークルブースを一つ一つのぞいていった。

「この机で何売ってるの?」

 裕一郎が聞いてくる。

「この机をサークルっていうんだ」

 本当は机がサークルなのではなく机で売っている人たちがサークルなのだが、さすがに「先生、トイレ!」と言った時の「先生はトイレではありません」というようなつっこみはなかった。

「で、何売ってるの?」

「薄い本だよ」

「そんなの見りゃわかる」

「みんな自分たちで作った漫画の本を売ってるんだよ。もうある漫画とかアニメのキャラクタ―を使った二次創作とか、全くのオリジナルとかなあいろいろあるけど」

「キャラクターって何?」

「登場人物のこと」

 裕一郎がオタクではないから知らないのか、時代的にまだ知られていない言葉なのか……とにかくそんな言葉から解説しなければならないから大変だ。

「それにしても、お客さんもいっぱいだよね」

「あのね、コミケでは売っているサークルの人も俺たちみたいに買う人たちもみんな同じ参加者で、お客さんじゃないんだよ」

「あのさあ、純一もさあ、このコミケっての、初めてだよね? 去年までここに来たって話聞いてないし。なんかなんかずいぶん詳しんだよね。なんで?」

「は、はじめてだよ」

 自然の汗のほかに、自分の髪の上を目には見えない巨大な汗のしずくが落ちている気がした。

 一通り見て回った。見た感じなので正確ではないと思うけど、これでビッグサイトの東ホールの片側のさらに半分しかないようだった。

 一度、外へ出ていろいろと戦利品をリュックに詰め込んだ。雨はだいぶ小降りになっていた。

「新館、行こうぜ」

 俺はすぐに裕一郎を誘った。コミケといえば、同人誌即売会場と、もう一つ目玉は企業ブースだ。同じ催し物と思えないほど、その両者は雰囲気が全く違う。まず西館に入ってそこが同人誌即売会場だったので、もう一つ人が並んでいた新館がきっと企業ブースだと俺は思っていた。もうこの時間は行列もなく普通に入れるようになっていたけれど、新館に一歩足を踏み入れた俺は唖然とした。

 そこは、企業ブースではなかった。

 西館と同様の同人誌即売会場で、サークルの机が所狭しと並び、人の群れが押し寄せていた。

「あれ? 企業ブースは?」

 俺はつぶやいて、カタログをめくった。隣で裕一郎はきょとんとしている。

 もしかしたら企業ブースは、離れたところにあるのかもしれない。そういえば時空を超えた遥か未来の同じ今日に開催されているはずの令和のコミケも、今年から企業ブースはゆりかもめでひと駅離れた青海会場に移っているはずだ。そう、青海を奥多摩の方の「青梅」や、ひどい話だと新潟県の青海と間違えるなよなどという冗句ジョークが飛び交ったものだ。

 でも、カタログのどこを見ても企業ブースの「き」の字さえ記載はなかった。

 そこではっと気付いた。もしかしてまだ、この時代のコミケには企業ブースは存在していなかったのではないか……。

 その可能性は高い。そもそもコミケは「コミックマーケット」という名前が示す通り、大部分は素人が作った漫画の同人誌の即売会なのだ。商業ベースの催しではない。だから、企業ブースなどは付随的なもので、コミケの本質ではないはずだ。だから、ずっと後から設けられたのだ、きっと。たぶん、漫画がどんどんアニメ化され、ゴールデン枠ではなく深夜アニメが主流となる時代になってからのものだろう。

 裕一朗にこんなことを話しても理解の外のはずなので、とりあえず新館に入りまたサークル巡りを始めた。

 一通り巡った後はもうすっかり午後も遅い時間になっていて、外で裕一郎と適当な売店で買ったサンドイッチで遅い昼食にした。雨に濡れない軒下で座れるところを探すのは大変だった。

 そろそろ徹夜組や始発組は帰途につき始めているが、入れ代わりにこれから来場する人も多くて、その二つの波がぶつかってすれ違って場内は混とんとしていた。

 そんな人ごみを眺めながら俺たちは、サンドイッチをほうばっていた。

「そういえばさ」

 隣に座る裕一郎が、ふと俺を見た。

「なんだっけ、あの鴻池の子」

「北川優子?」

「それ。その後どうなったんだよ?」

「ああ」

 俺の目は遠くを見つめた。通路を挟んで向かい側の東館のドームの屋根が、まるでガメラの甲羅のようにどっしりと視界の中に鎮座している。

「いっしょに銀座とか原宿とか行ったよ。夏休みに入ってすぐ」

「で、どうなったの?」

「どうなったとは?」

「だからあ、なんていうか、彼女ってことになったのかって」

「どうかな」

「その後、連絡は?」

「俺は予備校の夏期講習とバイトで忙しかったから、あまり連絡取ってないな」

 裕一郎はふうとため息をついていた。

「早くはっきりさせた方がいいんじゃない?」

「でも向こうは、あくまで友達としてOKって感じだったよ」

「それでいいの?」

「まあ、今のところ、友達以上の恋人未満ってとこかな」

 俺たちだけの場所を囲むかのように、コミケの喧騒は続いている。

「で、大村には言わないでくれよ」

 思い出したように、俺はつぶやくように前を見たまま言った。

「言うも言わないも、夏休み終わるまでは会わないだろうけど。それに俺、大村とはそんな仲よくないし」

 たしかに。

「そっか。あの子、山木の彼女だったんだよね、確か」

「そう。それであの子が俺と山木とつながりがあるって知ったら避けるんじゃないかって、おまえが言ったんじゃん」

「そうだった」

「で、大村にばれると、あいつ、口が軽いから北川さんにもぽろりと言いそうだし。時々電話で話してたようだし。とにかく彼女には、俺は大村とも山木とも全く知らない人ってことになってるから」

「それがいいかな」

 裕一郎も、遠くを見ていた。

「で、またどっか行こうって約束した?」

「いや、俺、明日から京都だし」

「暑いぞ」

「だな」

「飛行機?」

「冗談。青春18きっぷで夜行大垣だよ」

「飛行機は早くて便利じゃん。大阪まで行けば、京都ってすぐでしょ?」

「やだ。飛行機は落ちたら必ず死ぬ」

 そこまで笑いながら言ってから、俺ははっと気付いて真顔になって口をつぐんだ。

「飛行機……落ちる……え? え? 日航機墜落、大阪行き、御巣鷹おすたか山……」

「え? 何? 何言ってんの?」

 裕一郎が怪訝な顔で、俺の顔をのぞきこむ。

「あ、いや、なんでもない」

 たしか、この年だよ、あの大惨事……俺は知っている。正確な日付は思い出せないけれど、今ごろだった気がする。

 いや、たとえ知っているからって、俺がどうにかできるわけがない。まさか出発直前の羽田空港に行ってその便に乗ろうとしている人たちに、落ちるから乗るななんて叫んでも相手にしてくれるわけないし、頭がおかしいやつとして捕まるだろう。最悪、JALから業務妨害で訴えられるかも。知り合いとかがその便に乗ろうとしているのなら、止めようもあるけれど……。

 どうにも手をこまねいているしかないようだ。これでネットがあれば、注意を喚起するくらいはできるのに。(これもあんまり露骨にやると捕まる)。

「そろそろ帰ろうぜ」

 サンドイッチも食べ終えたことだし、俺は裕一郎を促して立ちあがった。


 夜、当然のように美緒から電話があった。

「ねえねえねえねえ、コミケ、どうだった?」

「ああ、すごい人だったよ」

「でしょ。さっきSNSで見たけど、今日だけで二十万人でしょ」

「うん、それくらいはいたな」

 といっても、俺が行ってきたコミケ28はさすがにそんなにはいなくて、せいぜい二~三万人ってところかなと思う。

「暑かったでしょ」

「うん、死ぬかと思った」

 実は雨で涼しかったんですけど。ま、館内はそこそこ蒸し暑かったから、嘘ではないか。

「なんか、企業ブースが別の場所になったって聞いたけど」

「そうなんだよ、だから、企業ブースはパスして行かなかった。美緒と行きたいなあ」

「私もじゅんくんと行きたい。ううん、コミケじゃなくても、じゅんくんに会いたい」

「俺も会いたい」

 明日から京都に行くことは言えない。なんで静岡で降りてくれないのとか言われる。できれば俺もそうしたいんだ。俺だって美緒に会いたいんだ。でも、今静岡に行っても、美緒はまだ生まれていないだろう。

 その生まれていない人と、今電話で話している。なんだか頭がくらっとしそうだ。

「そうそう、話変わるけど」

 コミケの話を続けていたら、なんだかぼろが出そうだ。俺が行ったはC28で、C96ではないことがばれそうだ。

「あのさ、むか~し、俺たちが生まれる前だけど、大阪行きのJALの飛行機が御巣鷹山ってところで墜落したって事故、知ってる?」

「あ、なんか聞いたことある。さっき、SNSのTLで見たよ、明日その山で慰霊祭があるとか」

「明日?」

「うん」

「そっか、やっぱ今頃か」

「それがどうかしたの? なんか、関係あるの?」

「いや、別に、ちょっと気になったんだよ、いつだったかなあって」

「すごい事故だったみたいね」

 話しながらも、またもや不思議な感覚にそわれていた。


 京都に行くのは夜行で出発だから、今夜中に準備する必要もなく、俺はそうそうにベッドに入った。

 そして、思った。今、俺はどこにいるのかと。

 なんだか、わからなくなったのだ。

 純粋に過去の自分に戻っただけなのか……つまり時空を超えて、時間が逆行して今17歳の俺がいる……だから、タイムスリップとは違う。タイムスリップだと、大人の姿のまま過去に行くことだ。時間が巻き戻ったといっても、記憶はそのまま持ってきている。

 そしてなんで令和に生きる美緒と、美緒がまだ生まれていなかった昭和の時代から電話で話せるのか……。

 考えたらきりがない。

 でも、そんなことは、今さらって感じだ。もうこの異常な状況になってから二ヶ月たった。いい加減慣れたし、むしろ遠い未来の令和の時代のことの方が夢なんじゃないかという気がする。いや、きっとそう思っただろう……美緒との電話での会話がなかったら。

 本当に俺がこの時代に生きていたころの記憶は、ものすごく曖昧だ。

 事実、あの墜落事故の日付が思い出せなかった。それも、今日裕一郎と飛行機の会話が出るまでは、その事故のことは忘れていた。

 ぼんやりとした記憶通りに、俺はここで北川優子と出会った。でも、大村に知らせていないなんて、実際の記憶とは違う状況に進んでいる。

 ええ? 本当に今頃だったかなあ? 優子と初めて会って、原宿や新宿とかに行ったのはもっと前……春頃だったんじゃなかったかなあ? わからない。里見公園の桜? 何それ? 花見?

 そういえば、飛行機事故も変だ。その当日、俺は墜落現場に結構近い奥秩父のキャンプ場にいたような気がする……少なくとも夜行大垣で京都には向かっていなかった。

 え? いやいやいや、あの飛行機事故の時、俺は高校生だった? それすらも怪しい……記憶があいまいだ。

 そして何よりも、これだけは間違いなくはっきり言えるのは、昔の本当にこの時代で生きていた俺は、絶対にコミケなどには行っていない。そもそも、コミケなるものの存在すら知らなかった。俺がコミケに初めて行ったのはもっとずっと後、教師になってからだったし、場所も東京ビッグサイトだった。初めての時はいきなり西ホールの企業ブースから先に行ったことを覚えている。しかもぼっち参戦だった。

 それなのに俺は、行ったはずもなかったコミケに、この年に行った。

 やはり、大昔に体験したのとは違う世界にいる。

 もしかしてここは単なる「過去」ではなく、もう一つの「過去」なのか? つまり、パラレルワールド? そうなると、人生をやり直すのではなく、全く別の人生を歩むということになる。

 なるほど……やはりここは今流行はやりの「異世界」なのか……俺は数々のラノベやアニメの主人公よろしく、異世界に転生、もしくは召喚されたということか……別にトラックにははねられていないから、転生というよりやはり召喚か? 誰に? どうやって……

 そんなことを考えているうちに俺は眠りに落ちたようで、気づいたら翌日の朝だった。

 昨日の雨が嘘のようにいい天気で、三十度を超える真夏日が復活した。


 大垣夜行は東京駅を十一時半の発車だけど、発車間際などに行っても夏休みの真っ最中で青春18きっぷが使える期間は絶対に座れない。それどころか、朝の通勤通学ラッシュ並みだ。だから九時ごろには東京駅に着いて並ぶ必要があった。

 だから親に頼んで早めの夕食にしてもらい、八時前には家を出た。

 だが、俺の心は重く晴れなかった。

 この日は朝から俺は、一日中期待していた。なぜなら、俺がかつて体験した世界にそのままタイムスリップしたわけではなく、俺の知っている通りに時間が動いているわけではないということに昨夜気付いた。現に、行きもしなかったコミケに俺は行った。

 そこで、例の飛行機事故も、ここでは起きない可能性があるかもしれないと思ったからだ。あの大惨事など起きずに、無事平穏に日航機は大阪に着いてくれるといいと願っていた。

 そして夕食まで、テレビでは航空機墜落を伝えるニュースは全くなかった。そもそも昨日の美緒との電話によって、事故が起きるとすれば今日だということは知っていたけれど、何時頃だったか全く覚えていない。だいたい夕方ごろではなかったかなという感じだけが記憶に残っているだけだ。

 そして夕食も終え、持っていく荷物の最終点検をして家を出ようとしていた七時半すぎ、自分の部屋にいた俺を妹が呼んだ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、飛行機が行方不明だって」

 俺は慌てて階下へ駆けおり、テレビを見たけれど普通の番組だった。

「今テロップでニュース速報が出て、そんなこと言ってた」

 妹がそう説明するけれど、なかなか新しい情報はないようだ。

 そのうち、家を出なければならない時間になった。

 そっか、やっぱり事故は起きてしまうんだ。こんなことばかり記憶の中の世界通りに時間が進むのか……なんだか俺、いたたまれなくなった。

 でも、京都には行かないといけない。重い気持ちのまま家を出た。

 スマホのある時代と違って、今は一歩家を出ると一切の情報からは遮断される。俺は事故のその後を気にしながらも、東京駅に向かった。

 ホームは名古屋や終点大垣で乗り継いで関西方面に行く旅人と、仕事帰りのサラリーマンとが入り混じっている。早くから並んでいるのはたいてい旅人で、発車間際になるとこの暑さなのにちゃんとネクタイをしめている多くのサラリーマンも乗り込んでくる。サラリーマンたちはたいて小田原より手前で降りる。彼らにとってこの電車は、帰宅のための最終電車なのだ。

 今はまだ各駅停車で、全車指定の快速「ムーンライトながら」に姿を変えるのはまだ数年後のはずだ。

 車両は湘南カラーの緑とオレンジに塗られた2ドアーで、中はすべて4人がけのボックス席のみだった。なんとか窓際に席を取ると、同じボックスには大学生と思われる女の子三人組の旅人だった。つい未来にいた時の感覚で女の子と思ってしまったけど、今の俺から見れば本当は年上のお姉さんのはずなんだ。打ち解けて話をしているうちに、三人は名古屋から高山線で飛騨高山まで行って、そこからバスで松本に抜けるという。そのうちの一人が、一本余っているといって俺に缶コーヒーをくれた。俺は飛行機事故のことを聞いてみたけれど、彼女らは三人とも知らないと言った。

 その後、うとうとして、名古屋で彼女らが降りた後は、車内はガラガラだった。

 大垣で乗り換えて、京都に着いたのは午前九時半ごろだった。駅を降りて改札を出ると、懐かしい京都駅の駅舎……まだやたらとどでかいだけの芸術的に凝り過ぎた、古都のイメージとは程遠いテクノな駅舎になる前の、箱のような古い駅舎がエモい。でも、向かい側にそびえる京都タワーはこの時も未来も全く変わらない顔をしていた。

 とりあえずは朝食をと思った時、ふとある店のことを思い出した。ここでも、もはや令和の時代では二度と行くことのできない店がある。

 箱のような背の低い京都駅舎だけど、改札出て右、つまり東側の端だけは四角い塔のように高くなっている所がある。俺は一度駅舎に戻って、その塔の上に昇るエレベーターに乗った。七階に「与田権よたごん」という京風茶漬けの店があったはずだと思ったら、やっぱあった。小さなおひつから自分でご飯をつぎ、自分でお茶をかけて食べるタイプだ。もしかしたら未来の世界でも、どこかほかの場所で営業しているのかもしれない。未来の世界なら、スマホで検索すればすぐわかるのになと思う。

 俺の席から窓の外がよく見えて、京都タワービルの脇から現代の京都のメインストリートである烏丸通が遥か彼方までひたすらまっすぐに延びている。あまりにまっすぐすぎてすべての交差点の信号がはるか遠くまで全部見えるので、それが一斉に青になったり赤になったりするのがおもしろかった。そんな風景を見ながら一人でお茶漬けを楽しんだ。

 昨夜の飛行機事故のことが気になるけれど、残念ながら店内にテレビはなかった。

 それから泊まることになっているユースホステルに、一度荷物を置きに行こうと思った。ユースホステルとは令和の時代でも存在してはいるが、このころに流行していた青少年簡易宿泊施設である。

 地下鉄はまだ南北の烏丸線の一本しかできていないようで、結局四条からバスに乗ることになるから、それなら最初からバスで行こうと5番のバスの乗り場に向かった。これが未来なら御池で東西線に乗り換え、ユースホステルのまん前の駅まであっという間に行けるようになるはずだ。

 未来においても全く変わることがないデザインの草色のバスは、ゆっくりと進む。京都の町並みはほとんど変わっていない。といっても、俺が最後に京都に来たのは平成も十年代だったからその後の京都は全く知らない。

 だがこの昭和の京都は、今まで見たところでは京都駅の駅舎のほかは平成の京都とあまり変わっていないようだった。

 最初に目に入ったのは東本願寺の大屋根だけれど、もう何百年と変わっていないはずの景色だ。それがたかだか数十年で変わるはずもなく、自分の記憶と同じ姿でデーンと鎮座していた。

 四条通りの繁華街も河原町も、大きな変化は感じなかった。

 だけど、三条大橋の上から見る景色は、これがいちばん未来の京都では変わる場所だろう。オレンジと黄土色の京阪電車が、まだ鴨川の東側の土手の上を走っている。京阪の三条駅もまだ地上の駅だけれど、すでに地下の駅に移行するための工事は始まっているようで、駅前は工事中のフェンスに囲まれていた。

 そして三条通りの道の真ん中には電車の線路があって、やはり草色の二両編成の京阪大津線の路面電車がゆっくりとバスとすれ違った。

 その後すぐにバスを降りた俺は、東山区の北白川ユースホステルに向かった。

 懐かしい。

 もうこの北白川ユースホステルは、令和の時代には存在しないのだ。閉館という情報を得て、営業最後の日に泊まりに行こうと計画していたけれど、その直前にあの東日本大震災が起こって旅行は中止になったため行くことができなかった。それが今、昔の姿のこのユースホステルへの宿泊が実現しようとしている。

 実は俺は大学生の時にこのユースホステルでひと夏働くのだが、高校生の今はまだユースホステルのお父さんにとってもただのホステラー(ユースホステルを利用して旅をする旅人)であってまだあまり親しくなく、事務的な応対をされた。それでも亡くなったという知らせを受けた時は衝撃を受けたこのお父さんがまだ若々しく健在なので、胸が熱くなった。

 俺は早速、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「昨日の夜に、やはり飛行機事故があったんですか?」

「なんや、知らんのかいな」

 お父さんは目だけは微笑んでいたけれど、真顔だった。

「えらいことやで。長野のなんとかという山に落ちて、乗客全員死なはってん」

 あれ? たしか四人だけ生存者がいたんじゃないかなと思ったけれど、とにかく俺は出かけることにした。

 その日は、よく晴れた真夏日に噴き出す汗をふきながら一人で嵯峨野を見物した。とにかく暑かった。東京よりもはるかに暑い。

 夕方に戻って部屋に荷物を置くと、早速ロビーにあるテレビの前に行った。すでにそこにはホステラーが何人か悲壮な顔つきでテレビに見入っていた。外国人もいて、報道の内容を英語で伝えていあげている人もいた。

 テレビには大惨事の様子が生々しく映し出されており、やはり昨日、飛行機事故は起こってしまっていたのだということを俺は知った。

 そして記憶にあった、乗客のうち四人だけが生存したというのも記憶通りだった。テレビは今日の昼ごろに放送されたらしい生存者の救出シーンが映し出されていた。午前中の時点ではまだそのことは判明しておらず、報道されていなかったようだ。だから、このユースホステルのお父さんは知らなかったのだ。

 何もかもが自分の記憶の中にある昔と同じというわけではないこの一種のパラレルワールドの中にあっても、あの忌々しい事件だけでは記憶通りに起こってしまった。

 報道では飛行機墜落現場をしきりに御巣鷹山といっていたが、平成も末期では墜落したのは高天原山の御巣鷹の峰と正確に言われるようになるはずだ。


 翌日はまた5番のバスに乗って哲学の道の近くの若王子にゃくおうじという喫茶店に行き、それから炎天下を壬生界隈を散策して三条に戻り、あまりにも暑いので池田屋ビル二階のトリトンという喫茶店で時間をつぶしたりしていた。

 その次の日は曇っていてほんの少し涼しかったけれど、それでも真夏日だった。ユースホステルから徒歩で知恩院から丸山公園を抜けて、三年坂を通って清水寺を見学した。午後は雨が降りだしたので京都見物はいったん中止、阪急に乗って梅田へ、少しは大阪の空気を感じに行った。

 京都からこんなに近いのに、なんと大阪は晴れていた。大阪は平成になって以降全く行っていないので、未来の世界とどこがどう違うのかなどは全く分からなかった。梅田の地下街や御堂筋、心斎橋、難波など徘徊して、湊町から国電で大阪駅、つまり梅田に戻り、また阪急で京都に戻ってきた。

 次の日は京都の天気は回復して晴れとなり、暑さもまた回復した。下賀茂神社やただすの森を通って鴨川のほとりを歩いた。それから四条の高島屋へと向かった。この日の夜が今回の京都旅行のクライマックスで、大文字の送り火の日だった。ふだんは関係者しか上がれないユースホステルの屋上が開放されたので、ホステラーのほとんどが屋上に昇った。わざわざ出かけなくてもここの屋上から大文字送り火の総ての火、つまり大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居のすべて一望だった。夜の八時ごろから、その順番で次々に点火されていった。それからユースホステルで知り合った何人かの男と五条の陶器市に行ったりした。

 次の日が京都の最後の日だったがこの日が京都滞在中最高の暑さで、ついに猛暑日となった。大原の寂光院、詩仙堂、太秦映画村、広隆寺などを回って、夜に京都駅から昇りの夜行で帰途についた。いわゆる逆大垣と呼ばれる夜行各駅停車で、東京に着いたのは早朝だった。

 京都の観光地はさすが千年の都であって、その長い歴史からすれば昭和から平成、令和などというちっぽけな時代の差異を感じさせるものはほとんどなかった。強いていえば京都駅と三条駅、京阪電車くらいだった。

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