第2話 30代と死としがらみ、と関係ない私。
今日、葬儀に参列した。故人は父の同級生。60手前の父の幼馴染で、2人で共通の趣味である「釣り」に興じていた様も見てから一年と経っていない。「男はいつまで経っても「男の子」何だから」とはよく言ったものだ。同性の私ですらそう思える。
釣りに行く前日、我が実家の駐車場で互いの道具の準備をしながらキャッキャキャッキャとオヤジ2人が騒いでいたのは去年の夏頃だったように思う。そこから2ヶ月と経たない内に、故人の癌が見つかった。 見つかった時にはステージ4。年始の健康診断では全くの健康体であったと聞いた。瞬く間に人の体は変化する。若ければそれは「成長」や「進化」の方が多いのだろうけど。私より約四半世紀年上の方のそれは真逆のベクトルを意味することの方が多い。それを只の「変化」と受け入れられる達観を持って迎えられる人間が何%いるだろう。
抗癌剤治療中の写真がいくつか父から送られてきたのが2019年11月。奇しくもその月の上旬に故人の甥っ子の結婚式があったばかりの頃だった。
さてここから。
故人の甥っ子、は同時に私の同級生でもある。地元密着型人間にありがちなのだろうかどうか、は定かではないけれど。友人同士の息子が同級生、部活の先輩後輩、逆から見ればお父さんお母さん同士が昔からの知り合い、なんてことは私にとっては日常茶飯事。果ては勤め先に派遣会社からきたアルバイトが隣の中学出身、なんてこともある。
その同級生が、葬儀にいない。親族者席の焼香が始まり、終わり。私より前の参列者の中にも、後からの参列者の中にも。彼だけがいない理由はいくらでも推測が出来た。故人の亡くなる数日前、彼自身の息子がこの世に生を受けている。それを見届けたように故人は去っていったのかな、とドラマを描いていたのはどうやら私だけだったようで。
故人の甥っ子である彼、姪っ子である彼の姉、義理の姉である母。誰1人として通夜に参列していない。偶然全員が忙しかったのだろうか。そんなことある?
そもそも故人も、姪っ子も義姉も、数年前に先立たれた彼の父(故人の実兄)の会社の社員役員(肩書き上)でいらっしゃらなかったかしら?
「葬儀に来るのは当然」なんて押し付けがましい考え方はしたくない。何か仲違いがあって最後のお別れすらしたくないほど歪み、憎み合っている場合もあることが理解はできる。かと言って「偶然全員忙しかった」では片付けきれない。そんな折悪くもどうにか誰か1人くらいは都合をつけられたのではないか。私の心にだけ靄が残ったまま、父母は同級生やお知り合いの方と交流する中で、1人そそくさとお清めのお寿司をいただいて帰りましたとさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます