2 儒学と兵法

2-1

 郷里を出た呉起ごきは、持ってきた金で曾子そうしに弟子入りし、儒学じゅがく(儒教)の勉強に励んだ。

 呉起が生まれたのは紀元前四四○頃と言われる。彼が生きた中国の戦国時代は、家柄よりも実力で人が認められた。呉起はようやくそれに気付いて、己の力を付けようとしたのである。

 儒学は仁愛や礼儀を重んじ、徳を修めた人間が政治を行えば天下は安らかであると説く。この時代、たくさんの思想家が各地で遊説して為政者に自分を売り込んでいた。その中でも、孔子を始祖とする儒学は有名だった。呉起が曾子の門を叩いたのも、あるいは儒学のネームバリューを宛てにしたのかもしれない。

 ところが、呉起は儒学を学ぶに連れて物足りなさを感じて来たらしい。

「君主が欲しているのは領土と名誉だ。それを手に入れさせる事が、俺の仕事になる。儒学は堅苦しい理想論の塊だな。……もう古い」

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