第39話 招かれざる客
「そういえば、最近のお兄さまはあまり読書をなさっていないのだとか」
会話の中で、ミルヒがそんなことを言ってきた。
「そうだな。ベルとヘクセにしごかれる毎日を送ってると、非現実の世界を眺めているのがバカバカしく思えて、気づいたら全然読書をしなくなってたな」
二度の人生で、俺が何より優先したのは独りの時間で、その時間は読書で占められていた。
しかし、周囲の者と関わりを持ち、現実世界に目を向けるようになっていた俺は、いつしか読書をしなくなっていたのだ。
まあ、読書をする余裕がなくなった、というのが正しいのかもしれないが。
「お兄さまはすっかり
痩せたことをやけに強調したミルヒの言葉だったが、俺自身も自分が変わったことを自覚している。
むしろ変わろうとしていたのだから、ミルヒにそう思われるのは悪い気がしなかった。
しかし、ミルヒがやおら視線を動かし、その後にくりくりおめめを更に大きく見開いたことで、何やら嫌な予感がして俺もそちらへ視線を向けると――
「フッ! 贅肉こそ落ちて見た目は変わったようだが、お前が弱いのは少しも変わっていないらしいがな」
キラッキラの金髪をアホのように
「何しに来た? そもそもどうしてお前がここにいる、
「相変わらず兄に対する言葉遣いがなっていないな、この愚弟は」
腹違いの兄は、いつの間にかガゼボに寄ってきていたらしく、勝手に俺とミルヒの会話に口を挟んできやがったのだ。
突如現れた招かれざる客にムカついた俺は、ミルヒを怖がらせないように感情を押さえ、極めて冷静にモーリッツに問うたのだが、ヤツは薄ら笑いを浮かべ、質問と違う答えを返してきやがった。
かと思えば――
「ふんっ、ヴォルフガングの血を受け継ぎながら、強さの欠片もないという子豚が貴方ね。まあ、体の方は絞れて子豚ではなくなったようだけれど。――それにしても、あの
モーリッツの背後から、目の覚めるようなキラッキラの金髪で大きな玉ねぎのようにこんもりした髪型の女性が現れ、吊り上がったキツめの目を細めてそんなことを言ってきた。
その細められた目の奥では、金茶色の瞳が俺を
わざわざ聞くまでもなく、この女性が父の側室だというヴァイータだろう。
まるで夜会にでも参加するような、ゴテゴテと飾り付けられた品のないドレスを纏い、場違い感が半端ない。
「おいモーリッツ、この品性の欠片もない
俺はヴァイータが誰だかわからない体を装いつつ、一応兄と認識いているモーリッツに話しかけ、なおかつヴァイータを売女と
「な……なんですって!? 言うに事欠いて、このアタクシを売女呼ばわりとは、到底許されないわ!」
「落ち着いてください母上。――おいルドルフ、あまり調子に乗るなよ」
金切り声を上げる売女……もとい、ヴァイータを
だが知ったことか。
俺としては、コイツらに関わるのは叔父との話し合いを行い、状況確認ができるまでお預けと決めていたのだ。
だがこうして相対してしまい、母を
「俺は調子に乗っていない。それよりモーリッツ、お前はいつになったら俺の質問に答える? もしかしてお前は、俺の質問の意味がわからないほどバカなのか?」
もはや状況確認もクソもない。
眼前に佇む金髪バカ親子に対する憎悪が、俺を不必要に突き動かしていた。
「バカなのはお前だろうがルドルフ!」
俺にバカと言われたのが余程
「お前はヴォルフガング家唯一の嫡子でありながら、父上に認めてもらえず継嗣に指名されなかった! しかもお前を嫡子たらしめ、お前の後ろ盾であった石女が死んだのだ! もはやお前が継嗣になる目は消えたんだよ」
「それはモーリッツが決めることではない」
「フッ、お前は本当に馬鹿だ。石女が死んだ以上、ヴォルフガングの正妻は母上しかいない。母上が正妻になった以上、長男である僕が嫡子、いや、嫡男となり継嗣となる。ならば、僕が本館に住むのは当然のことだ」
話し始めは怒りに震えていたモーリッツだが、今では勝ち誇ったような愉悦混じりの表情に変わっていた。
「やっぱりバカはお前だ、モーリッツ」
「まだ言うか」
「そこにいる売女……いや、ヴァイータだったか?」
「なっ! 石女の生んだ役立たずの分際で、またアタクシを売女呼ばわり――」
「黙れ」
「…………」
ヴァイータの言葉を遮った俺は、腹の底から湧き上がる憎悪の感情を抑えながら、怒鳴ることなく静かに告げた。
それにより静まり返った場で、俺は更に発言を続ける。
「これ以上母上を石女と侮辱するのは許さん。母上は俺を生んだ。決して石女などではない」
「…………」
「それから、父であるヴォルフガング辺境伯が愛した女性は、我が母マレーネだけだ。辺境伯夫人を名乗れるのは、死してなお故辺境伯夫人マレーネ母上ただ一人。決して貴様のような子作り係に任命された女が名乗って良いものではない」
「…………」
俺はベルから、ヴォルフガング家を含むヴォルフスシャンツェ地方が、王国の法とは違うローカルルールを採用していることを教わっていた。
この地方も婚姻関係は基本的に王国の法と同じ一夫多妻制ではあるが、あくまで跡継ぎが生まれない場合など、応急措置的な場合でなければ重婚はしないらしい。
そして、重婚自体があまり行われないため事例は少ないが、正妻が亡くなった場合でも、必ずしも側室が正妻に昇格していないのだとか。
当主の判断で正妻に昇格した事例もあるが、実は法としての決まりがないのが現状だという。
そのことから、先に叔父と話し合いをして、ヴァイータの正妻昇格を防ごうと思っていたのだが、こうして叔父より先にヴァイータと相対してしまい、モーリッツと売り言葉に買い言葉で、つい感情的に口走ってしまっていた。
俺はなるべく感情的にならないようにしていたが、どこか冷静さを欠いていたのだろう、すっかり真っ向勝負の口撃をしているのが現状だ。
だがこうなってしまえば、後はとことん突っ走るのみ。
「そもそも、母上が俺を生んだ時点で貴様ら親子は用済みだ。それを父上の慈悲でヴォルフガング家に置いてもらっていることも忘れ、あまつさえ自分が正妻だとのたまう。――恥を知れ!」
ここまで極力感情を抑えていた俺だったが、怒りの感情にしてあった蓋が外れてしまい、言葉とともに憎悪の感情が放出されてしまった。
すると、若干引きつっていただけのヴァイータとモーリッツが、みっともなく尻餅をついてしまう。
しかし、そんなの知ったことかとばかりに、俺は追撃する。
「最終的な決定は父上が下すだろうから、俺はそれに従う。まあ、正妻は亡き母上のままとするだろう。大人しくしていれば、父上は貴様らを別邸から追い出さないはず。身を弁え、大人しく別邸に戻れ、子作り係とその息子」
実際のところ、父の考えなどまったくわからない。そもそも、父とまともに会話をしたことがほぼ皆無。わからなくて当然だ。
しかし、口論にハッタリは大事である。
金髪親子がアホ面で尻餅をついてる現状、如何にも俺が有利なように装い、こちらが一方的に攻めるのは必然。むしろ攻めない理由はない。
「…………」
何か反論があると思ったが、ヴァイータとモーリッツがやけに怯えた表情で、餌を求める鯉の如く、口をパクパクしているだけで言葉はない。
俺としても意図しない状況となり、この場に一瞬の静寂が訪れたが、誰も何も言わないのであれば好都合。
怒りの収まらない俺は、ここぞとばかりに更に口撃を加えることにした。
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