第40話 伝令

「大体にして、辺境伯夫人が亡くなったというのにとむらうこともできぬ者が、辺境伯夫人に相応しいわけがない。人として最低だぞお前ら。お前らほど厚顔無恥という言葉が似合う人間を俺は見たことがない」


 俺の怒りは収まっていないが、怒鳴り散らすのではなく、言い聞かせるように淡々と言ってやった。

 しかしその内容は、今まで散々人の尊厳を踏みにじっていた俺が、『どの口がそれを言う』というものだ。

 すると、すっかり空気になっていたミルヒが声をかけてくる。


「お、お兄さま。……ヴァイータ叔母様がす、少し、か、かわいそうです」

「ん、かわいそうか?」

「え、あ、はい……」


 叔母であるヴァイータと面識があるっぽいミルヒは、姪としてヴァイータをかばってきた。

 その態度は初期の頃に俺に対するものと似ていて、随分と怯えている。


「……か、かわいそうなどでは、あ、ありませんことよ!」


 ミルヒに助けてもらったことで、我に返ったのだろうか、ヴァイータが声を上げた。

 どこか怯えた感じで、颯爽と登場してきたときの勢いがない。


「げ、現状、イゴール様の妻はアタクシだけですの」

「…………」

「そ、そうよ、イゴール様の妻はアタクシだけ……」


 我に返ったらしきヴァイータは、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやき出した。

 金色の大きな玉ねぎを頭に載せた――実際は載せてるのではなく髪そのもの――女性が、視点の定まらぬ目をキョロキョロさせながらぶつくさつぶやいている姿は、少しだけぞっとするものがある。


「このアタクシに、よくもまあ偉そうなことを! ――ミルヒ、こんな者との婚約など、今すぐに破棄なさい!」


 あっと言う間に勢いを取り戻したヴァイータは、当初のように金切り声で叫び、俺を睨み付けたかと思えば、ミルヒに訳のわからない命令をしだした。


「そ、それは私が決めることでは……」

「兄様にはアタクシが言っておきます!」

「…………」


 『かわいそう』とヴァイータを庇ったのに矛先を向けられたミルヒは、むしろ彼女こそがかわいそうな状況になっていた。

 しかし、言葉こそ威勢の良いヴァイータだが、今も腰が抜けたように尻餅をついたままだ。

 その様は滑稽に思える。


「ルドルフ、何を笑ってますの! 貴方が偉そうにしていられるのも、ミルヒが婚約者でいてくれているからだとわかっていますの?!」


 初めて俺の名を呼んだヴァイータが、何やら気になることを言ってきた。


「なんでそこにミルヒの名が出てくる?」


 ヴァイータの勝ち誇った表情に、薄気味悪さを覚えるとともに、嫌な予感がしてくる。


「あらあら、貴方はご存じないのね。滑稽ですわ」


 形勢逆転とばかりに余裕を見せるヴァイータの態度に腹が立つ。――滑稽なのは今のお前の姿だ。


「おい売女、お前――」

「若様!」


 貴族同士が会話している場に、ヴォルフスシャンツェで働いている従者が割り込んできた。

 普通何かあれば、従者は俺専属執事であるカールを通して伝えてくるのだが、それを飛ばして俺に直接話しかけてきたのだ。

 これは普通ではない。


「何事だ?!」

「ヒッ!」


 ヴァイータに向けていた怒りが、そのまま従者に向いてしまったことで、今度はその従者がが尻餅をついてしまった。


「すまん。――で、何の知らせだ?」

「も、申し訳ございません。腰が抜けて立ち上がれません」

「そのままで構わない。要件を言ってくれ」

「は、はい」


 走ってきたことによる汗か、それとも焦りによる冷や汗かわからないが、汗だくの従者が尻餅状態で口を開く。


「南方から伝令が到着しました」

「伝令?」


 伝令という言葉に嫌な予感しかせず、俺はそっと息を呑む。


「はっ! その伝令によると、『ご領主様がお亡くなりになった』とのことです」

「「「なっ!!」」」

「なん、だと……」


 従者の声は思ったより大きく、俺だけではなく周囲にいた者の耳にも届いたようで、腰を抜かして置物のようになっていたモーリッツが再起動し、ヴァイータやミルヒも驚きの声を上げていた。

 もちろん俺も虚を衝かれ、まともな言葉が出ていない。


 従者の報告から暫し、周囲が沈黙に包まれたが、こうしてはいられないと気づいた俺が、まずは最初に口を開く。


「その知らせを運んできた伝令は今どこにいる?」

「……あ、はい、家宰執務室かと思われます」


 未だ腰を抜かしたままの従者だが、俺の質問にしっかりと答えた。


「カール、家宰執務室まで案内しろ」

「よろしいのですか?」


 専属執事の糸目がヴァイータたちの方を向いたが、今はヤツラに構っている場合ではない。


「かまわん」

「かしこまりました」

「ミルヒ、すまんが部屋に戻っていてくれ。――マルタ、ミルヒのこと頼んだぞ」

「わ、わかりました」

「かしこまりました」


 ヴァイータらはどうでもいいが、ミルヒをここに残しておくのは拙い。

 彼女のことはミルヒ専属メイドであるマルタに任せ、自室に戻らせることにした。




「お待ちください若様。家宰様は只今取り込み中でござい――」

「そうか。だが俺も早急に叔父上に会わねばならんのだ」


 ――ドカンッ


「急ぎなのでノックは省略させていただきました」


 カールの先導で家宰執務室にやってきたが、警備兵に止められてしまった。

 だが俺との話し合いを後回しにするような叔父だ、今回も俺を後回しにする可能性がある。

 しかし俺とて父の死を知らされたのだ、いくら気に入らない父とはいえ、詳しい情報がくるのを悠長に待っていることはできない。

 だからこそ、無礼を承知で叔父の執務室に押し入ったのだ。


「ルドルフか。久しいのぉ」


 部屋の奥にある大きな執務机の先で何か書いている人物が、視線を手元に向けたまま誰何することなく、俺だと決めつけて声をかけてきた。

 ”久しい”の言葉から、俺に記憶はなくても面識があることが窺える。


「お久しぶりです叔父上。早速ですが、南方からの伝令はどちらに?」


 面識がある体で挨拶したが、俺が会いたいのは叔父ではなく伝令だ。


「儂への報告が済んだだ時点で任務を果たし、緊張の糸が切れたのであろう、意識を失ってしまったので休ませておる。随分やつれておったからな」

「そうですか。では、報告内容を教えていただけますか」

「これを早急に書き上げねばならん。そこに掛けて茶でもすすっておれ」


 俺の入室以降、一度も顔を上げずに手を動かしている叔父は、俺との会話より優先順位が高いのであろう書類を書き進めている。

 呑気に茶を啜るような気分ではないが、急かすより待つ方が良いと判断した俺は、カールに茶の用意をさせた。


 少々暇を持て余した俺は、カップをソーサーに戻して軽く執務室内を見回す。

 この執務室は、一度だけ入ったことのある父の執務室と似ていて、武器や防具が少しだけ飾られた無骨な部屋だった。

 貴族といえば、派手な調度品をこれでもかとばかりに飾っていそうなイメージだが、ことヴォルフガング家にいたってはそうでない。

 俺は無骨な部屋が好きというわけではないが、落ち着いた雰囲気は好きなので、この執務室も割と落ち着く。


「待たせたな」


 ソファーの背凭れに背を預け、天井を見上げながら気を抜いていると、前方から

ドサリというソファーに腰掛ける音と共に、叔父の声が聞こえた。


「お忙しいところ、突然押しかけてしまい申し訳ございません」


 俺は座り直すと、一応の礼儀として謝罪の言葉を告げた。


 ローテーブルを挟んだ正面に腰掛けたいかつい顔の叔父は、正確なサイズ感はわからないが、長身の父と同じくらい大きそうだ。

 しかし、細マッチョな父とは違い、少しばかり緩んでいそうな体型に見える。

 父と同じ鈍色にびいろの髪をピシッと撫で付け、同色のカイゼル髭を生やしているが、叔父はその髭を撫でると口を開く。


「兄上が亡くなったことは聞いているな?」

「はい。それは事実なのでしょうか?」


 間違いない、そう口にして叔父が軽く右手を上げると、叔父付きの従者らしき者が書類を手渡す。

 その書類は伝令からの報告書のようで、叔父が今回の戦争の経緯と報告書の内容を教えてくれた。


 今回の戦争は、アルム王国から奪った地を守る防衛戦。それも、他国との関係などから、更に攻め込むことのできない完全に耐えるだけの戦争だという。

 そのような戦いは、攻撃が真骨頂のヴォルフガング軍に合っていないのだが、王国軍だけでは耐えきれない。

 苦手な防衛戦でありながらも、アルム王国軍が攻め入ってくればヴォルフガング軍が城門から打って出て、アムル王国軍を押し返していた。


 奪って終わりではない防衛戦というのは、どうしても長期戦になってしまう。

 すでに開戦から1年が経過しているが、ヴォルフガング軍の活躍でしのげていた。

 しかし、辺境伯夫人マレーネの死が父に伝わる。

 苦手な戦いとはいえ、戦闘狂の父は嬉々として戦っていたのだが、この訃報は父の士気を一気に下げてしまう。

 だが彼の地は戦地。父が意気消沈していようが、敵はかまわず攻めてくる。


 現場を預かる将軍は父の心情など考慮せず、傷心の父に出撃を促した。

 そして父は言われるがまま、心ここに非ずの状態で出撃してしまう。

 魂が抜けたような父は、今までの活躍が嘘だったかのようにあえなく討ち死にしてしまった。とのことだ。


「どうして父上に、母上の死を知らせたんですか? 父上の性格を知っていれば、母上の死を知った父上がこうなるのは簡単に想像がつくじゃないですか! どうして知らせたんですか?!」


 死の状況を知らされた俺は、わかりきった状況を作った叔父に激怒した。


 母が身籠みごもらず石女うまずめなどと揶揄やゆされていた時期、”狂狼”と呼ばれていた父が”牙を抜かれたオオカミ”と言われるほど落ち込んだと聞いている。

 そんな父の耳に母が亡くなった事実が届けば、こうなるのは目に見えてたはずだ。


「そんなことは言われんでもわかっておる。当然儂からは伝えておらんし、むしろ箝口令かんこうれいを敷いたくらいだ。勝手な憶測で吠えるな」


 優しさを印象付ける目尻の下がった目をしていながら、顔全体のバランスが厳つい叔父が、手に持った書類から目を離し、鋭い眼光を俺に向けながらそう言ってきた。


 少し吊り目で三白眼の俺は、その視線で人を殺すなどと言われていたが、叔父の眼光こそ人が殺せると思えるほどで、俺は僅かに腰が引けてしまう。

 だがしかし、ここですごすごと引き下がるわけにはいかない。


「では誰が?」

「それはこれから調べる」

「チッ!」


 怒りの向けどころがわからなくなった俺は、それ以上叔父と話すこともなく、結局すごすごと自室へ戻った。


 部屋に戻ってからカールを下がらせると、俺はベッドで大の字になって考える。

 気に入らない父親であったが、それでも死んでほしいと思っていななかった。当然、死んで嬉しいなどと思っていない。

 そして父の死は、母が亡くなったことと比べると悲しみの度合いは少ないが、それでも悲しさはある。

 しかし、悲しみ以上に怒りの気持ちの方が大きい。

 この怒りは、父の死を知る前にヴァイータとモーリッツに膨らまされていたことも影響しているように思う。

 だがこの感情を吐き出せないのだ。


 このように負の感情が増大する状況にあって、現在は頼れるベルとヘクセがいない。


 ボッチだった頃は当たり前だった、周囲に相談できる相手がいない状況が、ここまでキツいとは……。


 ままならぬ現状に、俺の苛つきは際限なく膨らんでいくのであった。

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