第37話 大問題

「若様、ミルヒお嬢様をお連れいたしました」


 ミルヒを呼びに行ったカールが戻ってきた。

 てっきり言付けて先に戻ってくのかと思っていたが、ロリコン野郎はミルヒ待っていたのだろう、一緒にやってきたのだ。


 カールに入室を促されたミルヒは、少々表情が固く見える。

 それも致し方ないだそう。

 わざわざ僻地中の僻地であるミュンドゥングまできたのに、ミルヒは俺に冷たくあしらわれたのだ。

 ミルヒからすると、俺が以前の心無い冷酷な人間に戻ってしまった、そう思っているのかもしれない。


「ミルヒ、この前は申し訳なかった。母上の死が思ったよりショックだったようで、自分でも驚くほどおかしくなってたみたいだ」


 この言葉は、俺の本心でもあるが言い訳でもあった。


「いいえ。お母さまがお亡くなりになってしまったのですから、お兄さまが平常心でいられなかったの当然です。の方こそ、お兄さまの気持ちに寄り添えず、申し訳ございませんでした」


 ミルヒが俺を恐れている……というのは、どうやら俺の思い過ごしだったらしく、彼女は自分の不甲斐なさで気落ちしているだけだったようだ。

 だがそう思わせてしまったことが、十分に情けないし申し訳ない。


 それはそうと、今までミルヒの自称は”ミルヒ”だったはずが、今は”私”になっている。

 少し気になって聞いてみると、10歳にもなって子どものような言い方はおかしので直した、とのことだった。

 逆に、俺がどうやって母の死から立ち直ったのか聞かれたので、クリスに会わなくてはならず、思考がそれたことで吹っ切れたのだと答えた。


「公爵令嬢は王太子殿下の婚約者なのですか?」

「ああ。――そういえば、ミルヒもティナと面識があったよな?」

「ありますが、それが何か?」

「クリス様はどう見てもティナ嬢だっ――」


 ミルヒに、クリスとティナが同一人物だと伝えようと思ったが、あまり言いふらすのは拙いと思った俺は口をつぐんだ。


「ティナさんがどうかしたのですか?」

「いや、なんと言うか、クリス様がティナ嬢に似てたなーと思って……」

「ティナさんはすごくお綺麗な方でしたよね。そうなると、公爵令嬢もさぞお綺麗な方だった、というですよね? ――あ、王太子殿下の婚約者なのですから、お綺麗なのは当然ですね」

「そ、そうだな」


 ミルヒの機嫌が悪いように思えたが、ヤキモチを焼いている……ということではないだろう。

 過去に、”ミルヒは俺に惚れている”などという恥ずかしい勘違いをしたこともあるが、彼女は俺の肉を揉むのが好きで、別に俺が好きな訳ではないと知っている。

 それに、今の俺はミルヒが好きだった肉も削げ落ちているため、なおさら俺を好きになる理由がない。


 うーん、何でミルヒの機嫌が悪くなったのか余計にわからん。


 それから少しだけミルヒと会話をし、今日はそうそうに別れた。

 ミルヒが退出して少しすると、今度はベルがやってきて、今後のことで少し話し合いをする。


「クリス様はしばらく滞在するの?」

「ミュンドゥングに別宅があるから、そちらに滞在するらしいわ」

「俺はもう顔を合わせなくても大丈夫?」

「ルドルフがミュンドゥングに滞在中は、またお会いすることがあるでしょうね」


 可能なのであれば、俺はクリスと会いたくない。

 一方で、母が愛したというミュンドゥングには興味があり、街を回ったりしたかった。

 しかし、俺がミュンドゥングに滞在し続けるのであれば、クリスと会う確率が高くなり、何らかの会に招かれれば断れないだろう。

 もし以前に会ったティナであれば、今後も会って話してみたかったが、今のクリスはあまりにも不審過ぎて、できるだけ関わりたくないというのが本心だ。

 ならば、今回はガングへ戻るのが最適解だと思う。


「俺はガングへ戻るよ。元々、父上から外出禁止を言い渡されてたし」

「そう。私の方は、まだミュンドゥングでしなければいけないことがあるの」

「ヘクセは?」

「少し手伝ってもらうことがあるから、私と一緒に戻ることになるわね」

「わかった」


 急な話ではあるが、俺は明後日にミュンドゥングを発つことにした。

 とはいえ、俺が現実逃避をしている間に随分と時間が経っており、ヴォルフスシャンツェを出てからすでに1ヶ月以上過ぎている。

 むしろ帰るには少し遅いくらいだろう。


 俺がガングへ戻る際、ミルヒも戻ると言うので一緒に戻ることにした。


 ヴォルフスシャンツェに到着したのは8月1日で、夏真っ盛りだ。

 ミルヒは実家に戻る前に、少しばかりヴォルフスシャンツェに滞在するという。

 実は遠回りどころか、実家を通り過ぎてガングに来たわけだが、そうまでして俺に付いてきたのは何か考えがあるのかもしれない。

 俺は詳しく聞き出すこともなく、ミルヒの自由にさせた。


「おかえりなさいませ若様」


 久しぶりの自宅――と言うには大きすぎる城館に入ると、吹き抜けの広々とした玄関ロビーで、ポツンとひとりたたずむ執事長のローレイに出迎えられた。


「何か変わったことは……って、何でアイツ・・・がいる?」


 不在時の状況をローレイに尋ねていると、俺の視界に入れたくないヤツの姿が入り込んでいた。

 吹き抜けの2階に見えたアイツは、初めて見る物凄く派手な女性と一緒にいる。

 しかも両者は、何やら勝ち誇ったような表情をしているのだ。


「あれ、ヴァイータ叔母様かしら?」

「そうでございます」


 ミルヒは派手な女性と面識があるようで、彼女を見て『ヴァイータ叔母様』と反応していた。

 そしてミルヒの独り言とも取れる問に答えたローレイが、派手な女性について俺に話があると言う。

 派手な女性も確かに気になるが、俺はアイツがここにいるのも気になる。


 嫌な予感がしつつも、もはや専用とも言える客間にミルヒを送り届け、俺は部屋に戻った。

 カールに茶の支度をさせ、俺の対面に座らせたローレイから話を聞くことに。

 俺の後ろに控えたカールは、師匠であるローレイがいるからか、いつもより少しばかり緊張している様子だが、今はカールに気を配ってやる余裕はない。



「若様がミュンドゥングへ向かってから数日後に、ヴァイータ様とモーリッツ様がヴォルフスシャンツェにやってまいりまして、そのままお住いになっております」


 そんな言葉で始まった執事長ローレイの話は、やはり面倒な話であった。


 まず、ヴァイータという派手な女性についてだ。

 ホルシュタイン伯爵の娘であるミルヒが叔母様と呼んだように、ヴァイータはホルシュタイン伯爵、すなわちミルヒの父親の妹だと言う。


 続いてヴォルフガング辺境伯の妻についてだ。

 先ごろ亡くなった俺の母マレーネが、ヴォルフガング辺境伯の正妻なわけだが、石女うまずめさげすまれていたように、なかなか子ができなかった。

 そこで、先代辺境伯により父イゴールに宛てがわれたのがヴァイータで、側室であり父の二人目の妻だ。


 父は辺境伯として、後継者をもうけるという職務があった。

 だが母マレーネがなかなか子宝に恵まれず、ヴァイータを受け入れざるを得なかったが、それは『子を産む役割を与えられた女が自分に付いた』という認識だったらしい。

 それでも、ヴァイータは形式上、第二夫人と呼ばれる立場にあった。

 しかし、当然ながらそこにイゴールの愛情はなく、イゴールが夫人と呼ぶことを禁じ、ヴァイータが第二とはいえ夫人と呼ばれることはなかったのだ。

 それゆえ、ヴァイータをヴォルフスシャンツェの本館に住まわせることもなかったらしい。


 だがしかし、正妻であるマレーネが亡くなったことを聞いたヴァイータは、ここぞとばかりに自分が新しい正妻だと主張して本館に押し入ってきた。

 そして現在、当主である父が戦争に赴いていることで、家宰が領主権限を与えられているらしいのだが、あろうことか、その家宰がヴァイータの主張を受け入れたのだと言う。


 家宰は父の弟であり俺の叔父だ。

 彼は領政に関与しない父に代わり、領内どころかヴォルフスルーデル地方の政治の一切を取り仕切っているのだとか。

 しかも現在は父が領外にいることで、家宰に通常以上の権限が与えられている状態だと言う。

 そんな状況下で家宰である叔父が了承したため、ヴァイータが正妻になるのはほぼ確定らしい。


 そしてここからが問題……いや、大問題だ。

 現状はヴァイータが正妻になるのはほぼ確定だが、まだ正式決定ではない。

 しかし、本当に確定してしまうと面倒だと言う。

 なぜなら、グレータとモーリッツが嫡子になってしまうからだ。


 俺の立ち位置は、亡くなったとはいえ生母が正妻だったので嫡子のまま。

 元々長子でも長男でもなかったが、俺には嫡子という唯一の立場があった。

 しかしヴァイータの正妻が正式に認められると、俺は嫡子の中でも第三子で次男になってしまう。

 下手をすると、ヴァイータの子ではない俺は、廃嫡される可能性もあるのだ。


 唯一のアドバンテージが無くなりそうな状況に、すでに穏やかでなくなっていた俺の内心に、嵐の如き波風が立ち始めた。

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