第36話 傲慢
「貴方が
ベルが退出し、一度テーブルの上が片付けられ、改めてメイドがお茶を淹れ直して部屋の隅に控えると、クリスがいきなりそんなことを言ってきた。
「クリス様の仰る”あの”が何を指しているの存じませんが、私は王都で蛮族王と呼ばれているらしいです」
2年前、初めてティナに会った際、俺が王都の一部で蛮族王と呼ばれていることを知った。
それ以来、誰も口にしなかった蛮族王という二つ名。
ほぼ忘れかけていた二つ名を久々に聞いたが、あまり良い気はしない。
しかし、この感情を表に出してはいけないと思い、俺は貴族令息らしく自然体を装った。
「噂は当てになりませんのね。随分と醜く肥えた方だと聞いておりましたのに、貴方はシュッとしてらっしゃるもの」
「その噂はあながち間違っておりません。実際に少し前まで、私は太っておりましたので」
「ダイエットをなさったんですの?」
「いいえ。規則正しい生活をした結果、今の体型になっただけです」
クリスはベルがいた際と違い、少しばかり態度が
そして公爵令嬢という持って生まれた立場からか、はたまた後に得たであろう王太子の婚約者という現在の立場があるからか、どちらが原因か知らないが、辺境伯令息である俺に対し、面と向かって”醜く肥えた”などと言ってきた。
たしかに家格は俺の方が下だが、それでも俺はそれなりの立場にある。
その俺に対して、クリスの物言いはかなり失礼だと感じた。
だが言ってることは事実だったので、それは仕方ないと思えるし、受け入れられる。
しかし、クリスの物言いが気に入らない。
それこそ今までも今も、俺自身が傲慢だ。誰に言われるでもなく自覚している。
そんな俺が、自分より立場が下の者に偉そうにしていたのだから、自分より偉い者が俺に対して傲慢な態度をしてみせることに腹を立てるなど、きっとお門違いなのだろう。
それはわかっている。だが理屈ではなく、感情として納得いかないのだ。
「ところで蛮族王、近頃の貴方は蛮族王と呼ばれるに相応しくないほど、丸くなっているらしいわね」
切れ長の目を細めて下卑た笑みを見せるクリスが、いつの間にか手にしていた扇子で口元を隠し、失礼かつ意味不明なことを言ってきた。
「私は蛮族王らしくあろうと思っておりません。むしろ、何が蛮族王に相応しいのか知りませんので」
「あらあら、貴方は自分が蛮族であることを認識できていないのかしら?」
クリスの意図がわからない。
あからさまに俺を
だが、ふと気づいた。
現在の王国は戦争をしている。
ヴォルフガング辺境伯たる父も、王国からの要請で参戦中だ。
そして俺は、継嗣に任命もされていないただの辺境伯の息子であるが、ヴォルフガング家の嫡子であることに変わりはない。
その俺を煽ってきたのは、俺が王太子の婚約者に無礼を働くことで、ヴォルフガング家が不利になる状況を作りたいのかもしれない。
もし、継嗣にグレータかモーリッツが任命されるのであれば、王国と関係が悪化しても構わない。
しかし俺が継嗣になることを考えれば、王国との関係が悪化するのはダメだ。
そもそもまだ父が領主で、後の領主が誰になったとしても、この地に住まう民が困ることになるのは歓迎できない。
それらを考えると、クリスの煽りに反発するのは賢い選択ではないと言えよう。
「中央から見れば、この地方の者は蛮族なのでしょう。ですが、この地に住まう者は、自分が蛮族だと思っておりませんので」
胸糞悪いと思いつつも、やんわりとした言葉でとりあえず返答した。
その後もクリスが難癖をつけてくる。
俺は腹を立てながらも、のらりくらりと躱していた。
「貴方はもっと破天荒な人物かと思っていましたのに、存外つまらない人間ですのね」
「申し訳ございません」
「貴方と話していても面白いことなどありませんの。もう下がって結構ですわ」
クリスの狙いは、やはり俺を反発させることだったようだが、いい加減諦めてくれた……と思う。
だが何にしろ、俺としてはこれだけは聞いておきたい。
「失礼ですが、クリス様は私と
俺に反発させ、何らかの不利益を被せたかったのかもしれないが、母が亡くなったことをダシにしてここへ来たのであれば、それはちょっと許せない。
「勘違いなされないように。あたくしは親しくしていただいたマレーネ様のお悔やみを申し上げるために参りましたの」
「それは失礼いたしました」
俺の言葉を聞いたクリスが、怒気を纏って
よくよく考えれば、俺がミュンドゥングにいるのはイレギュラーで、クリスも俺がいるとわかってここに来たのではない、と思い至った。
「それでは、失礼いたします」
クリスに挨拶し、俺は応接室を辞した。
ベルにクリスが応接室に残っていることを伝え、俺は自室に戻る。
部屋着に着替え、茶を淹れたカールを下がらせると、俺はベッドにドサリと飛び込んだ。
「何なんだあの女」
ベッドに突っ伏した俺は、訳のわからないことばかり言っていたクリスのことを思い出す。
ツインテドリルなどという悪役令嬢のような髪型をしていながらも、俺の思う悪役令嬢のような金髪や銀髪の派手な髪色ではなく、艷やかでありながらも宵闇色という地味な髪色をしたご令嬢。
如何にも美人な切れ長の目には、一度目にしてしまえば魅入らせられてしまう真紅の瞳が妖しく輝いていた。
14歳にしてはかなり大きいと思わせる豊満な胸にくびれた腰という、成人女性顔負けのプロポーション。
クリスの口から出てくる言葉が俺を煽るようなものでなければ、俺は彼女に魅せられていただろう。
ボッチだった過去は、とにかく他者に興味がなかった俺だが、今では少なからず周囲の者に関心がある。
だからといって、現状は色恋に興味はないし、将来的に結婚したくない気持ちは変わっていない。
しかし、クリスには何か惹かれるものだあるのだ。
「以前ティナにも感じたけど、あの真紅の瞳って、やっぱ魔眼的な何かがあるんじゃないかな?」
クリスとティナは同一人物だという自信はあるが、当人が拒否した上に深く突っ込んで聞くことができなかったため、表面上は別人物だと思うようにしている。
しかし、クリスとティナが仮に別人物だとしても、あの真紅の瞳そのものに対する興味は尽きない。――が、深く追求できない現状は変わらないのだ。
「いや、ミュンドゥングに本拠地を置くヒルフェ商会に行けば、ティナがいるかもしれない。それでティナから瞳のことを……って、絶対にティナはクリスなんだよな。だったらクリスがここに滞在してる以上、商会に行ってもティナがいるわけないし……」
クリスとティナが別人だと仮定したことで、突破口が見つかった気になってしまったが、どう考えても同一人物なのだ、仮定を本気にするのは間違っている。
「まああれだ、あの真紅の瞳が魔眼だとしても俺が使えるわけでもないし、気にするだけ無駄だよな。それに、王太子と婚約してる人と今後会う機会なんてないだろうし、魔眼のことはもう考えないようにしよう」
そもそも俺は魔術が使えるようになっていない。ならば、魔術の一種であろう魔眼を俺が使えるわけないのだ、気にするだけ無駄であると気づいた。
「それより、ミルヒに謝らなくちゃだな」
ミルヒも母の訃報を聞いてミュンドゥングにきていた。
しかし無気力状態だった俺は、やはり酷い態度であしらってしまっていたのだ。
「おいカール!」
俺は部屋の外で待機しているカールに声をかけ、ミルヒの都合が良ければ部屋に来るよう言付けた。
「こうして人を呼びつける俺も、やっぱり傲慢んだろうな」
クリスに対して抱いた嫌な感情を、自分も内包していると気付き、俺は誰も居ない室内で、独り苦笑した。
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