越えちゃいけないラインってあるよね
「……ということがあったんだけど」
「いや、あったんだけどじゃないでしょうが!」
アリーシャに話したらアリーシャは烈火のごとく怒りだした。もしかしたら私もオレイユと話し過ぎたせいで重要なことを何でもないかのように話す癖が移ってしまっていたのかもしれない。
私は口を開いて釈明しようとしたが、それを遮るようにアリーシャは言葉を続ける。
「もう少し自分の身の安全とかを考えなさいよ! あんたのそれは優しさというよりは単に考えが足りないだけに見えるんだけど!」
そう言って息切れしたのか、はあっと息を吐く。
「そうかな?」
「そうだよ。教会の使者を追い返した時も思ったけど、やっぱり事態の深刻さを分かっていない気がするわ」
言うだけ言ってやや怒りが収まったのか、怒りから呆れに感情がシフトしていく。オレイユにもこの感情の豊かさを一割ぐらい分けてあげたいものだ。
「いや、分かってはいるけど。だから彼女の人格を更生出来ないかなって」
「今まで十何年生きてきて培ってきた人格を一週間やそこらでどうこうしようなんていうのは傲慢だよ。まあいいや、私は教会に行くから考えを変えましたっていう詫び状でも書いといて」
アリーシャは淡々と言い放つが、聞き捨てならない。傲慢なのは同感だけど、すぐそうやって自分の身を差し出すことで事態を解決しようとするんだから。大体、私を助けるために自分を犠牲にするみたいなトレードオフなことを考えてる人に考えが浅いとか言われたくない。
「考えが足りないのはアリーシャでしょ? この流れで教会に行って無事で済む訳ないじゃない」
私の言葉にアリーシャは額に青筋立てて激怒する。
「無事で済まないのは知ってるって! でもこのまま二人まとめて殺されるよりは大分ましでしょ」
「だから二人とも生き残れる方法を考えてるんでしょ!」
こうなってしまうと売り言葉に買い言葉だ。お互いがお互いを助けたいと思っているだけなのに、なぜか喧嘩はヒートアップしていく。
「それが危険だって言ってるの、そもそもこの状況だって前回そうやっていいとこどりしようとしたから引き起こされてるじゃん! この考えなし!」
「は? あんただって助かる方法を何も考えてないじゃない!」
「もういい! 私は勝手にする!」
アリーシャは憤然と席を立つ。そして振り返りもせずに部屋を飛び出していってしまった。私も腹が立っていたので止めもしなかった。
言いたいことは分からなくもないし、プライド高そうだから今の事態に責任を感じてるんだろうけど、潔すぎるんだよね。
とはいえ、私も売り言葉に買い言葉で色々言ってしまっただけで自信がある訳ではない。一週間で他人の人格を変えようというのは確かに傲慢だ。しかも特にコミュ力が高い訳ではないし。
とはいえ、何はともあれ会話してみないと始まらない。私はオレイユを泊めている部屋に向かい、ノックする。
「私だけど」
「どうぞ」
ガチャリ、とドアを開けると中ではオレイユが剣を振るっていた。これが素振りだろうか。オレイユは確かに剣を振っているはずなのに、速すぎて剣の動きが見えないんだけど。
この部屋はベッドにソファ、テーブルと一通りの家具が揃ったまあまあ広い部屋である。そして今は家具が壁際に寄せてあり、余計に広くなっている。でも、素振りなんかに使われるならもっと狭い部屋を与えておけば良かったかもしれない。
オレイユは私の方を見もせずに、壁に向けて剣を振りながら言う。
「錬金術師を差し出す決心がついた?」
「いや、そうじゃなくてちょっとお話したいなって」
「そう」
完全な塩対応だったが、それでもオレイユは剣を鞘にしまうと、壁際に寄せてあったソファを配置しなおして腰かける。
「どうぞ」
いつの間にか現れていたリーナが私と彼女の前にコーヒーが入ったマグカップを置いてくれる。別に頼んだ訳でもないのに気が利くな。
「ありがとう」
「い、いえ、別に」
オレイユは自分の前に置かれたマグカップを手に取り口元に運ぶ。が、首をかしげる。
「カップの模様が気に入らない。交換しよう」
確かに私とオレイユのマグカップは少し柄が違う。私のは緑と青のチェック模様で、オレイユのは色とりどりの花が描かれている。こういうチャラチャラした模様は嫌いなのだろうか。何となくそういうのなさそうなタイプかと思ってたけど。
「別にいいけど」
私はカップの模様には何の関心もなかったので素直にカップを交換し、花のマグカップの中身を飲もうとする。すると。
「だめですアルナ様!」
「あっ」
不意にリーナが私の手を掴む。急に手を掴まれた私は思わずカップの中身をこぼしてしまう。
「熱っ」
こぼれた液体が私の服にかかり、悲鳴を上げた私はカップを落としてしまう。ばしゃん、と床に落ちたカップから静かにコーヒーが床に広がった。
「ちょっと、何するのよ急に」
私は思わずリーナに詰め寄る。当然だがこれまでのリーナはこんな意味不明な行為をするようなメイドではなかった。が、私に睨みつけられたリーナの目に涙が溜まっていく。それを見て何かがあったのだな、と私は察する。
「何かあったの? 怒らないから言ってみて?」
私の言葉にリーナは観念したように白状する。
「……実はそちらのカップには毒が入っていたのです」
は? 毒?
「……一応聞くけど何で?」
怒らないと言った手前、懸命に私は感情を抑える。
「それは、いくらオレイユさんが剣の達人でも毒を盛れば一発かなって」
リーナは申し訳なさそうに言うが、当然ながらそれで済むことではない。色々事情があるとはいえ、一応話を聞いてくれるかもしれない相手に毒殺するなんてことがあっていいはずがない。事情が分かった私は激怒した。
「ごめん、怒らないって言ったけどそんなの怒るに決まってるでしょう!」
「ひっ、す、すみません!」
リーナも罪の意識はあったのだろう、すぐに頭を下げる。それでも私の怒りは収まらない。
「まがりなりにも一週間待ってくれた相手にその仕打ちはないでしょう!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
こんなに怒ったのは初めてかもしれないという私の剣幕に恐れをなしたリーナは目に涙をためてひたすら頭を下げている。そこまでされると少しだけ冷静さが戻って来て、私は少しだけ言葉を和らげる。リーナも一応私のためを思ってやってくれたことではあるのだから。
「もし毒殺したかったとしても事前に相談するのが筋ってものでしょ!?」
「でも、失敗したときアルナ様の指示があったって分かるとまずいかなと」
リーナが恐る恐る言う。俗に言う「秘書の独断でした」作戦ね。とりあえず行動原理が私への忠誠なのは分かったけど、許せるかどうかはまた別の話。
「そう思うんならやらないで」
「すみません……」
最終的にリーナの表情は脅えから悲しみに変わっていった。それを見て私もやるせない気持ちになる。私は一体彼女をどうするべきなのだろうか。
「まあまあ、彼女も悪気があった訳じゃないんだし、そこら辺にしておいてあげて」
そしてなぜか間に入ってくるオレイユ。そんな窓ガラス割ったけど怒らないであげて、ぐらいのテンションで言われても。
しかもいつも通り言葉に全然感情がこもっていない。そんなオレイユのせいですっかり毒気を抜かれてしまった。殺されそうになった本人がこれだと、私が一人で怒っているのが馬鹿らしくなってしまう。
「はあ、全くどいつもこいつも。ていうかあなたはもっとこの状況に対して怒りなさい」
「私が強すぎるのが悪いのかなと」
オレイユは淡々と言う。
ナチュラルに、死ぬほどイライラするんだけど。一応私はあなたが毒殺されそうになったことに対してこんなに怒ってるのに。
「ていうか、毒殺されそうになったけど私を斬ったりしない訳?」
「それも私が強いのが悪い訳だし。まあ私の前でメイドに説教するのは気まずいからやめて欲しいけど」
そこかよ。
「というか何でカップ交換しようとしたの?」
「私も何か変だなと思ったけど、もし毒じゃなくて単にまずいコーヒーとかだったら騒ぎ立てると恥ずかしいかなって」
「……」
かなりしょうもない理由だった。毒ぐらいじゃ死なないという圧倒的自信なのか、単に自分への執着も薄いだけなのか。まあ毒だったらリーナが止めるし、ただのまずいコーヒーだったらそれでいいか、というぐらいの気持ちもあったのだろう。
「とにかく、ここは私が掃除しておくからこの件はこのぐらいで」
仕切るな。
「いえ、ここは責任をとって私がお掃除させていただきます!」
「それ毒物だから迂闊に触らないで。あと掃除ぐらいじゃ全然責任とれないから」
「す、すみません」
「ほら、もう責めないでって。彼女も反省してるから」
「だからあんたが言うな!」
本当に彼女と話していると全てがばかばかしく思えてくる。
こうしてなぜかオレイユ毒殺未遂事件は本人によりうやむやにされたのだった。
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