現代百物語 第4話 小さい子
河野章
現代百物語 第4話 小さい子
谷本新也(アラヤ)にはちょっと不思議な能力がある。
体質といいっても良い。
ありとあらゆるオカルトやホラーなものをその身に引きつけてしまうのだ。
様々の不可思議なものを見聞きし、いわゆる心霊体験も多い彼だが、座右の銘は「100回食べても嫌いなものは嫌いなように、100回経験しても怖いものは怖い」である。
彼にとって幼稚園はビックリハウスで学校はお化け屋敷、家庭は唯一安全に思えたが、たまに家族が浮遊霊(?)を連れてくることがあったので堪らなかった。
彼の体質を彼の家族や彼に親しい友人知人は知っていた。
高校の部活の先輩、藤崎柊輔などはその筆頭である。
そんな新也には誰にも言ったことのない秘密がある。
彼の視界の端っこ、右の隅に、おかっぱ頭の手のひらほどの子供が見えることだ。幼い頃、気づいたら彼女は部屋の隅にいた。
年齢は12、3に見える少女で、赤い着物を着ていた。小さな手も頬も白く、真っ黒な髪と瞳とが印象的な子供だった。
彼女はけして自分から動きはしない。
新也が首を動かしたり体を動かすとそれに連れて、両手を前で重ねたままの立ち姿で、時折す、すっと視界の端を移動するのみだ。
しかし新也は小さな頃から、誰にも親にさえ彼女の存在を言ったことがなかった。
理由はわからないが、言ってはいけない存在だと肌で感じていた。
そして現在困ったことに、28になった今でもその子供は一人暮らしを始めた彼の元にいる。
何が困ったかと言うと、最近度々、寝て起きてみるとその子供が新也を覗き込んでいるのだ。起き抜けに日本人形のなりをした少女が、眼前にいるのを想像してほしい。サラリと頬から滑り落ちた彼女の髪が、今にも新也の右の眼球に届きそうな近さだ。
これが本当に怖い。
黒目が小さな動物の目は怖いというが、黒目が大きすぎるのも怖いものだ。
視界の端にちらちらと写っていたときには可愛らしいものだと思えていたのに、今や新也は毎日眠るのが怖くなっていた。
これでは生活にも支障が出てしまう。
季節は冬になろうとしていた。
「水炊きを食いに行こう」
と、件の藤崎が突然新也を誘ってきた。
秋のはじめの取材に同行したお礼で奢りだという。時期が少々離れすぎてはいないかと思ったが、悪い気はしなかったのでついていった。
その席でそれは起こった。
美味い鍋で酒も進み、その日もやはり藤崎は上機嫌だった。
同行取材したネタは上手く纏まりそうだと報告を受けて、新也も嬉しかった。
ふと気づくと、視界の端にいるはずのあの子がいない。
いないと探すと、すぐ横、新也の肩に被さるようにして今にも新也の肌に触れようとしていた。
「っ……!」
新矢は恐怖のあまり動けない。悲鳴を飲み込み、その場に固まってしまった。
「新也?」
異変に気づいた藤崎が聞いてくるも、声が出せない。金縛りのようだ。
小さな手が新也のまぶたに触れてくる。その手は氷のように冷たいのに、触れられたまぶたは焼け付く熱さにヒリヒリしていた。
「新也」
とん、と肩を突かれた。身を乗り出した藤崎が新也の肩に軽く触れたのだった。
その途端、
「ぎゃーっ!」
悲鳴とも鳴き声ともつかぬ叫び声が子供から上がった。
見れば、藤崎の指が彼女の足袋を履いた足に軽く触れている。勿論、藤崎には見えても聞こえてもいないようだった。
藤崎が触れている箇所から、メリメリと音を立てて少女の体は変容していった。皮膚が溶け、肉が爆ぜて中から剛毛の足や腕が出てくる。綺麗な瞳は汚れた赤茶に濁って眼球は飛び出さんばかりだった。鼻は醜く大きく膨れ上がり、最後には頭蓋が割れて、額ににゅっと短い角が生えた。
少女は今や着物をボロ布のように体へ巻き付けただけの小鬼になっていた。
新也はそれを見ていた。声さえ上げることが出来ないほどの恐怖に新也は襲われていた。
「大丈夫か」
と、藤崎が新也の肩を軽く揺さぶった。
それでぽとりと、小鬼は床へ落ちた。
シュウシュウと音を立てて、手足をばたつかせ、小鬼は雪のように畳へと溶けていく。血反吐のようなシミが次第に小さくなって最後は音もなく消えてしまった。
その間、ほんの10秒程度だろうか。
「先輩……」
新也はこの時ほど目の前の男を頼りにしたことはなかった。
「だ、大丈夫です……」
涙目で、震える唇でそう告げる。
話せば分かってくれるだろう。だが同時に、話せば笑われてしまうだろう。何かあっただろうと察する力は強いのに、ホラー的な嗅覚はとんときかないのがこの藤崎という男だ。
見えない、聞こえない触れない。
けれどときどきこうやって助けてくれる。
奇妙なものだなと思いながら今度は感謝の涙目で、新也は藤崎と残りの鍋を堪能した。
【end】
現代百物語 第4話 小さい子 河野章 @konoakira
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