第26話

 部屋の中からはくぐもっていて聞き取り難い声が聞こえた。


「なに? 本……に…………のか?」

「ええ。……は………な…です」


 レティシアは入るのに躊躇したが、シェークは躊躇いなくノックをする。


「アルフォンス様、ジェイムス様。お話中失礼します。レティシア様がいらっしゃったのでお連れいたしました」


 ジェイムスというのが先生の名前なのだろうか。レティシアはそう考えながら、部屋に入って淑女の礼をした。


「初めまして、レティシア・シュトラールと申します。お会いできて光栄です」

「ジェイムス・オブシディアンだ。こちらこそお会いできて光栄だよ」


 顔を上げたレティシアの前には挨拶を交わした相手、ジェイムスが立っていた。レティシアは失礼だと分かっているが、つい彼をまじまじと見つめてしまった。

 ジェイムスの髪は茶色のように見えたが赤褐色で、瞳は灰色をしていた。だが、気になるのはそこではない。

 彼の身長がかなり低いのだ。下手したらアルフォンスと親子に見えるくらいである。

 とはいえ、人を見た目で判断するのは良くない。先生と言うくらいなのだからきっとレティシアより年上なのだろう。そう考えて訊ねた。


「……失礼ですが、オブシディアン様はおいくつなのですか?」

「む? 今年で八つになるが?」


 歳下だった。それもレティシアの弟であるラシュリーよりも。身長は年齢に見合った大きさだったのだ。

 本当にアルフォンスが話していた人物なのか。それを確かめようとした時だった。


「いやあ、本当に髪が黒なんだな。とても美しい!」


 ジェイムスはそう言ってレティシアを――正確にはレティシアの髪を――褒め出した。また、レティシアの髪に優しく触れた。

 レティシアは驚いた。初対面でレティシアの黒髪を褒める人はあまりいなかったからだ。


 この国に黒髪を持つ人は非常に少ない。そして、人は自分とは違うものを神聖視するか、排除する傾向にある。レティシアの髪色は後者であった。

 大人達は正面から言うことは無いが、子供というものは大人のそういう気配に敏感なことが多い。それでいて純粋だ。


 不吉な色。災いをもたらす色。


 幼い頃に何度もレティシアはそう言われた。両親は『そんなことない。髪の色が黒いだけ何も起きるわけがない』と何度も言ってくれた。レティシアも、髪の色だけで何かが起きるわけ無いというのは分かっている。周囲もきっと分かっているのだろう。ただ噂にする内容が欲しいだけに見えた。

 初対面で眉をひそめられたり、嫌な顔をされることが多いだけ。年齢を重ねるごとに表立って言われることはなくなった。相手の表情を見て、程よい距離をとればいいだけである。


 だが、ジェイムスはレティシアの黒髪を褒めてくれた。とてもお世辞には見えない表情でだ。そもそもお世辞でも、初対面でレティシアの髪を褒めてくる人はそういない。

 それに、今だってもっと近くで髪を見たそうにうずうずしている。レティシアは、彼の言葉と自分を見上げている容姿の可愛らしさも相まって、警戒心がほんの少しだけ解けた。先生かどうかは置いておく。


「ありがとうございます、オブシディアン様。ですが、淑女の髪に触れるのはあまりよろしくなくてよ?」

「あ、これはすまない。綺麗すぎて、つい触ってしまったよ。それから、私のことは遠慮せず『先生』と呼んでくれて構わないよ」


 やはり、先生だと言っている。子供の冗談かもしれない。そう思い、アルフォンスの方に視線を向けたが苦笑しつつも頷いていた。ジェイムスが言っていることは事実だと表している。レティシアはそう受け取った。

 レティシアは驚きを顔に出さずに微笑んだ。


「……ふふっ、ではそうしますわ。先生も私のことをレティシアと呼んでくださいね」

「うむ、分かった」

「それからアルフォンス様、お招きいただきありがとうございます」

「こちらこそお越しいただきありがとうございます」


 レティシアとアルフォンスが一通りの挨拶を終えると、ジェイムスによる講義が始まった。


「レティシアはティートルンについて特に何が知りたいのだ?」

「そうですわね……主に、魔法についてかしら」

「魔法についてどこまで知っている?」


レティシアは自分が以前読んだ本に記されてあったことを話した。


「そうか。じゃあ、魔法には神々が関係していることはどうだ?」

「神様が?」


 この国、いやこの大陸の殆どの国では“バルドル教”という宗教が信仰されている。バルドル教では、六柱の神々と主神の伴侶であるとされる光の精が崇められているのだ。


 主神・創世神 フェデラニア


 光の精 フォス


 命を司る神 アルティオン


 美の女神 タラエニア


 武神 マルフォナン


 豊穣の女神 プィオウテル


 伝令・旅人の神 ヘルメテウス


 この神々が魔法とどう関わっているのだろう。レティシアは不思議に思った。


「ああ、我が国はバルドル教と密接に結びついているのだ。神の子孫であるとされる家も存在する。

 呪文には、神々の名前を入れることが非常に多いのだよ」


 それからも、ジェイムスの説明は続く。

 曰く、魔法を使うには火、水、地、風、光、闇の属性があり、それぞれ適性がないと使えないのだとか。

 火はマルフォナン、水はタラエニア、地はプィオウテル、風はヘルメテウス、光はフォス、闇はアルティオン。また、直系王族にのみ使える呪文にはフェデラニアの名前が入っているとか。

 その他にも魔力を貯められる石、魔力石の話や魔力を使って作られる魔導具の話などをしてくれた。

 ジェイムスの説明は分かりやすく興味深いものだった為レティシアは夢中になってしまう。



「レティシア様、もうかなりの時間が経っていますけど、大丈夫ですか?」


 アルフォンスに言われて窓の外を見ると、もう日が暮れかかっている。慌てて時刻を確認すると、ここに来てから四時間ほど時間が経過していた


「本当だわ、もう帰らないと。先生、色々教えていただきありがとうございました。またお会いできたら嬉しいです」

「うむ、こちらこそ」

「レティシア様、玄関まで案内します」


 アルフォンスの申し出にレティシアは快く了承した。

 行きはシェークと通った廊下を、帰りはアルフォンスと歩きながら話す。


「前もって知らせていなかったので、驚いたでしょう?」

「ええ、事前に教えてくださると嬉しかったわ」


 悪戯が成功した子供のような表情をしているアルフォンスを軽く睨む。本当に驚いたからだ。


「申し訳ございません。ですが、事前に『八歳の子供が先生だ』と伝えたら冗談だと思われそうだと判断したのです」

「………」


 レティシアは反論出来ずにいた。そうかもしれない、と思ってしまったからだ。確かに、この目でジェイムズの年相応とは言えない頭脳を見る前に伝えられても一笑に付してしまっただろう。その光景が容易に想像出来た。


「確かに、そうかもしれないわね。文句を言ってしまってごめんなさい」

「それと、先生が『初めて会うのだから驚かせてやろう』と言っていたので伝えませんでした」


 謝罪は撤回した。


「それにしても、先生って本当に八歳なのかしら? 容姿はその通りだとして……中身はまるでそうとは見えなかったわ」


 そう、あの魔法やティートルンに関する知識量。普通の八歳にはありえないほど知り尽くしていた。

 レティシアの疑問にアルフォンスは意味ありげな表情をした。


「彼は、特別なんですよ」


 特別とはどういうことか。レティシアはそう聞こうとしたが、アルフォンスは答えてくれ無さそうだったので、諦めることにした。


 そして、玄関でお互い挨拶をして別れる。


「今日は本当にありがとうございました。アルフォンス様」

「いえいえ、こちらこそ」



◯◯◯



「いやあ、本当に素晴らしい黒髪だったな」


 自分の触れた黒髪を思い返しながら、陶酔感に浸っている男――否、少年がいた。

その少年の隣には一人の男が立っていた。身長差から兄弟、下手したら親子のように見える。


「確かにその通りですけど、あのようなマナー違反はどうかと。女性の髪はみだりに触れていいものではありません」

「その言葉は本当にマナー違反への叱責だけか? 私には嫉妬も含まれているように聞こえるが……気のせいか?」


 クスクスと笑いながら少年に指摘された男――アルフォンスはすっと視線を逸らす。その姿を見た少年は更に笑う。


「このような幼子に嫉妬とは……、見苦しいぞ?」

「……よく言いますね。貴方はただの幼子ではないでしょう。それより、彼女はど・う・でした?」

「ああ、彼女を見た瞬間とても驚いたよ。あの顔は、に瓜二つだった」


 そう言って少年の表情はまた、夢見心地になる。ただ、アルフォンスは少年の言葉に怪訝そうな表情を浮かべた。


「彼の方? 誰のことです?」

「……さあ、誰なんだろうな」


 子どもらしからぬ憂いを帯びた顔になった少年は、ジェイムズ・オブシディアンである。ジェイムズは何かをひどく懐かしみ、寂しそうに笑った。

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