第25話

「はあ……疲れたわ」

「お疲れ様です、お嬢様」


 レティシアは自室で寛いでいた。ようやくパーティーが終わり、自宅に帰ってきたのだ。王宮では、表情筋が筋肉痛になるかもしれない、と思う程ずっと笑っていた。入浴も済ませて、後はもうベッドに入って寝るだけ。思わず疲れを口にしてしまっても、仕方がないだろう。


 レティシアの言葉に反応したのはリタだ。レティシアの艶やかな黒髪の手入れをしながら、労いの言葉をかけていた。

主人の疲れを癒すのも侍女の役目。その為、蜂蜜が一匙分だけ入ったホットミルクを用意する。これは、レティシアの昔からの大好物の一つであった。


 小さい頃は、何時でも何処でも飲む程大好きだった。だがある時、自分の顔や雰囲気に似合わないと周囲の人達に言われてから、レティシアは徐々に飲む回数を減らしていった。そして今では、レティシアは疲れた時の就寝前以外、飲まなくなってしまったのだ。


 ホットミルクを飲む時のレティシアの表情は、本当に幸せそうで何処か幼く見える。パーティーで浮かべていたような偽りの笑顔ではなく、心からの笑みをふわりと浮かべた。


「ああ……。すっごく美味しい。きっと今日は良く眠れるわね」


「それは良かったです。お嬢様の言葉を聞いたら、作った方もきっと喜びますよ」


 レティシアの言葉にリタも笑顔を浮かべる。ホットミルクを飲みながら、レティシアは今日の出来事を話し始めた。



◯◯◯



「ええっ⁉︎ このお屋敷に、第一王子様がいらっしゃるかもしれないんですか⁉︎」


「落ち着いて、リタ。多分来ないわよ。だって王宮って、凄く沢山人がいるのよ? 抜け出すなんて、無理に決まってるじゃない」


「そ、そうですね……」


「でも……今日も私のところまで誰にも気付かれずに来たくらいだから、もしかしたらここに来ることも可能かもしれないわね……」


「どっちなんですか!」


 レティシアとリタは、今日の話で盛り上がっていた。レティシアは、リタをレティシア付の侍女にしてから、学園で起こった事などを全て話していた。


 前回は、レティシアの話を詳しく聞いてくれる人がいなかった。レティシアの父や兄達は、忙しいので少ししか会話が出来ず、弟は逆に話を聞いて欲しがる年頃だ。友達だと思っていた人達も、大抵話す事は最近社交界で流行っていることなど、表面的な会話しか出来なかった。


 今はリタやステラのように、話を聞いてくれたり、一緒に遊べるような友人がいる。自分の話を聞いて、相槌を打ってもらったり反応が返ってくるのは、誰だって嬉しい事だし、楽しい。また、自分の考えだけで自己完結せずに他の意見も聞くことが出来て、視野を広げることが出来る。レティシアの状況は、少しずつ前回とは違っていたのだ。


 レティシアが、何気なく視線を壁に掛けられている時計の方に向けると、リタもつられてそちらを向く。会話をし始めてから、既に三十分以上の時間が経っていた。ホットミルクも、とうに飲み干してしまっている。


「もうこんな時間! お嬢様、お疲れのところ長々とお話しさせてしまい、申し訳ございません」


「いいえ、私の方が悪かったわ。リタと話していると楽しくて、つい時間を忘れてしまうわね。また明日ね、おやすみなさい」


「私もとても楽しかったです。おやすみなさいませ」


 リタと就寝の挨拶を交わしたレティシアは、既に疲れていたこともあり、直ぐに夢の世界へ旅立っていった。



◯◯◯



 パーティーのあった日から三日後。


レティシアは馬車に乗って、へと向

かっていた。そのというのが、何処かというと……


「レティシア様。到着しました」


 馬車が停止し、御者が到着の声を掛ける。レティシアは、御者が扉を開けてくれるのを待った。


 馬車から降りたレティシアの視界に広がる見事な景色は、勿論シュトラール家の庭園……ではなく、


「ナシード家へようこそお越しくださいました、シュトラール公爵令嬢。私は、このお屋敷の家令を務めているシェークと申します。本日はどうぞごゆっくりなさってください」


 初老に差し掛かったばかりような男性が挨拶をしてきた。

 レティシアが今いるのは、先程シェークが行っていたようにナシード家の庭園だ。何故ここにいるのかと言うと、夏休み前にアルフォンスと話していた“ティートルン”について教えてもらう約束。それが今日だからだ。


「ありがとう、シェークさん。私は」


「シェークさんだなんてとんでもない!私は使用人です。どうぞシェークとお呼びください」


 『家令』という職業は、主人に代わって屋敷のお金や他の使用人を管理したりするのが主な仕事のため、一介の使用人とは異なる。そのため、レティシアは敬称を付けたのだが本人が不要だと言っているのだから、従うべきだろう。


「そう。じゃあシェークと呼ぶわね。私はレティシア・シュトラールと言うの。私のこともシュトラール公爵令嬢ではなく、レティシアと呼んで頂戴」


「畏まりました、レティシア様。では、お屋敷をご案内いたします」


 シェークとの挨拶を終えて入った屋敷は、随分と質素であった。質素といっても、レティシアの家や他の名家と比べてのことだ。屋敷内の広さも、シェークの他にも何人かの使用人が雇われているくらいなので、それほど狭い訳でもない。ただ、装飾品の類が殆ど無く壁や柱に施されている彫刻も家紋以外は必要最低限になっているのだ。無駄を取り除き実用的な造りになっている。

また、窓から見える巨大な王宮と比べては、明らかに小さいという所為もあるだろう。此処ナシード家の屋敷は、王宮に最も近い住居だ。


レティシアが窓から王宮を眺めながら歩いていると、シェークはレティシアが退屈していると思ったのか、徐にナシード家の歴史について語り出した。


 ――ナシード家は、王家にとっての剣であり盾でもございます。

 今から凡そ七百年前、この“ルミナーレ”という国が出来る以前から、今の王家の祖先に忠誠を誓っていたある一人の男がおりました。その男こそ、現在のナシード家の祖先であるアルフレッド・ナシード様です。

 彼は己の主人あるじの為、剣を振るい王家の盾となり、また今に繋がる国の制度を整えるという偉業を成し遂げました。まさに文武両道、非の打ち所がないと言えるような人物であったそうです。それでいて王家への忠誠心も人一倍強い為、初代国王からの信頼も厚かったとか。

 アルフレッド様はその功績を称えられ、公爵位という名誉ある地位を賜わります。――因みに、固辞するアルフレッド様に初代国王が必死で泣き落とし、叙爵したという話もございますが、定かではございません――そして、王は問うたのです。何か欲しいものはないか、なんでも授けるぞ、と。


 それに対し、アルフレッド様はこうお答えになりました。


『では、私に役職や領地を与えず、ただ王家の側に死ぬまで仕えることをお許しください。それが私の望みです』


 王は悩みました。アルフレッド様は武官でも文官でも、才能を余すことなく発揮出来るお方です。その為、将軍或いは宰相にしようとしていたのです。

 ですが王は、いつもは望みなど口にしないアルフレッド様の期待に応えたいという思いと、自ら『なんでも』と発言してしまった手前了承なさいました。


 その結果、現在のナシード家の様な状態になりました。ナシード家の方々が王家に仕えるのは、最早慣習となっておいでです。偶に例外もいらっしゃいますが……。役職が無くとも無駄にハイスペックな方が多いのは、初代様の血を引き継いでいるからなのかもしれませんね――


 この話は子供達が寝物語に聞かされる御伽噺の一つになっていて、歴史を学ぶ時にも最初に誰もが教えられる。ルミナーレ国民にとっては知っていて当たり前の話だ。


 何故この話をわざわざ今語ったのだろうか。レティシアは疑問に思った。何か伝えたい事があるのか。それとも此処がナシード家だから、ただ話しただけなのか……。だが、それを聞くことは出来ない。レティシア達は話しながらも足を進めていたので、既に応接室の扉の前にいたからだ。レティシアはただの雑談として話してくれたのだと思う事にした。


 この扉の向こうには、先程シェークが言っていた、ハイスペックな血をひいたと思われる人物《アルフォンス》が待っているのだから。


 そう考えるレティシアの頬は、無意識に緩んでいた。

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