第3話

 レティシアは馬車に乗っている最中、以前の事を思い出しながら今後の事について考えていたため、もう既に屋敷に着いていることに気付かなかった。


「……シア様。レティシア様」

「あら、何かしら?」


 御者に声を掛けられ、ようやくレティシアはようやく考えるのをやめた。

 窓の外を見ると、シュトラール家の屋敷が見えた。馬車が止まっているのに気付かないなんて……。きっと御者には迷惑をかけただろう。

 そう思い、御者に謝罪の言葉を口にする。すると、フィリップと同じ驚きの表情を顔に浮かべた。

 驚きの表情のまま固まっている御者を放っておいて、レティシアは家の中に入っていった。


 懐かしい我が家。

 派手すぎず地味すぎずに飾られている美術品。

 家具には、持ち主のセンスの良さが滲み出ている。


 先程、学園の図書室の中にいた時よりも懐かしい気持ちでいっぱいになった。

 帰って来た。帰って来たんだ。

 「戻って来た」という実感が溢れてきて、感動で涙が出るのを必死で抑えながら、自分の部屋へと向かう。


 部屋に入り、一人にしてもらうために部屋の中にいたメイド達を全員下がらせる。

 一人になると、レティシアはセントリアル学園の制服を脱ぎ普段着に着替えて、ベッドに寝転がる。


 ベッドの中でレティシアは、馬車に乗っている時も考えていたようにこれからどうするか、どうすれば彼女を傷付けないかについて考え始めた。


 ‘‘彼女’’は一年後にやってくる。

 そして‘‘彼女’’はレティシアの大切なものを全て奪っていく。家族、友人、居場所、最愛の人……。

 ならば奪われないようにすればいい。

 最愛の人はもういない。誰かを好きになろうと思ってもきっと好きにはならないのだろう。だから、“彼女”に奪われる事はない。

 ‘‘彼女’’に奪われないのならレティシアは彼女を傷付けなくて済む。

 友人。以前のレティシアの友人達は、レティシアと一緒になって‘‘彼女’’を虐めていた。だが、レティシアが牢獄に入れられると、手の平を返すように「私はやっていない」とか「レティシア様に脅されて……」などと言いながら、‘‘彼女’’に謝っていた。つまり、友人は‘‘彼女’’に奪われたのではない。初めから、レティシアの権力に群がっていた形だけの友人だったのだ。だったら最初から作らなければいい。明日にでも今一緒にいる人達に話そう。

 後は家族、居場所についてだが……その事を考えている内にレティシアは少し眠ってしまった。


 レティシアは夢を見た。

 レティシアはまた牢獄にいた。ああ、やはりあれは空想だったんだ。そして自分は、死んでなんかいなかったんだ。

 そんな自分の状況に絶望していると、上から足音が聞こえてきた。此処は地下牢だ。上の階の音が聞こえるなんて珍しい。牢番が食事を持ってきたのだろうか。

 降りてきたのは、牢番ではなかった。こんな場所にいるのには相応しくないような格好。此処に来る用事などないであろう人。フィリップだった。

 何故こんな場所に。そう思っていると話しかけられた。


「シュトラール公爵令嬢。いや、今はただのレティシアか。気分はどうだ?こんな場所にいるなんて公爵令嬢だった頃には考えられないだろう?本当はもっと過酷な環境でも良かったんだがな。被害者である“彼女”が『それは可哀想だ』と言ったから、今の場所なんだ。あんな事までされたのに……。君は‘‘彼女’’に感謝するべきだな」


 フィリップは牢獄の中にいるレティシアを嘲笑いながら言った。ああ、この人は自分を馬鹿にしにきたのだな。そう理解した。


「‘‘彼女’’は私の婚約者になった。いずれは王妃になるだろう。その時、君はどうなっているのか。生きているのか、死んでいるのか。とても楽しみだよ、レティシア」


 そう言って、今まで見た事ないほどの笑顔を浮かべながら、フィリップは牢獄を後にした。レティシアの方を一度も振り返る事なく。

 彼は何がしたかったのだろう。こんな事を伝えて何になるのだろう。わざわざ此処に来てまで言う事だろうか。

 そんな事を考えながらもレティシアは彼に伝えたい事があったので必死で声を出そうとした。‘‘彼女’’に謝罪の言葉を伝えて欲しかったのだ。もう遅すぎるし、許してもらえないだろう。それでも言いたかった。自己満足だと思われるだろう。それでも伝えたかった。

 だが、声が出なかった。出そうとしても掠れた呻き声のようなものしか出ない。何も口に入れていないし、暫く誰とも会話をしていなかったからだろう。「待って」そう伝えたいのに、もう彼は行ってしまった。


 何故だろう、涙が出そうになった。声が出ないことなど自業自得なのに。フィリップに馬鹿にされるのだって自業自得なのに。そう、全て自分が起こした結果なのだ。それなのに泣くなんて情けない。涙が出るのをのを必死にこらえた。


「……レティシア様。レティシア様!? 大丈夫ですか!?」


 レティシアは誰かに必死になって呼びかけられる声に目が覚めた。そうか、あれは夢だったのか。少しホッとした。

 呼びかけていたのは、レティシア付のメイドだった。


「申し訳ありません。ご夕食の準備が出来たので何度かお呼びしたのですが返事がなくて……。入ってみたら、レティシア様がうなされていたので起こしてしまいました………」

「ううん、大丈夫よ。起こしてくれてありがとう」


 申し訳なさそうにしているメイドに感謝を伝えて起き上がる。又もやメイドが驚きの表情を顔に浮かべているが、気にしない事にする。

 以前まで謝罪の言葉もだが、感謝の言葉も伝えていなかったのだ。やって貰うのが当然だと思っていた。だが牢獄に入って彼女達の存在がいなくなり、感謝するべきだと考えた。だから、いつでも感謝の気持ちを口にしようと決めたのだ。


 固まっているメイドを放っておいて、夕食に向かう事にする。

 夕食の場には、もう既にレティシア以外の全員が集まっていた。

 レティシアが席に着くと食事が始まった。


 レティシアには兄弟がいる。兄が二人と弟が一人だ。聡明な双子の兄達と少し元気がある弟。それから、兄弟には厳しいけれど、娘には甘い父がいる。だが母はいない。母はレティシアが十歳の時病気で天に旅立ってしまった。母は体の弱い人でいつも寝込んでいた。

 レティシアは母に似ている。黒い髪に黒い瞳。病弱で中々陽に当たらない為、血の気のない青白い肌。若くして妻を亡くしてしまった父は、そんな娘をとても可愛がっている。他の貴族には、『黒など不吉だ』と言われているけど、父はそんな人達から守ってくれている優しい父だ。また、父は若葉のような柔らかな緑色の髪、青空のような水色の瞳に優しげな目元。というような中々整った容姿をしているので、もう四十路をとうにすぎているに今でも再婚の話は多いらしい。だが、全て断っている。

 双子の兄達はどちらも容姿は父に似ている。優しげな雰囲気なので、様々なご令嬢に声を掛けられる事が多い。だが、どちらも性格は冷たい。仲良くなった者には普通だが、初対面で媚びを売ってくる者への対応は凄まじい。身内には甘いが、他人には厳しいという奴だ。レティシアとは三歳違いで現在は二十歳だ。

 弟もどちらかというと父に似ている。少し黒の混じった緑の髪に空色の瞳。性格は、とにかく元気。家の中にある壺などの美術品を幾つも壊してしまっている。一瞬でも目を離すと何かを起こすので、いつも誰かに見張られている。レティシアとは七歳違いで現在は十歳だ。


 食事の時は全員揃ってから食べるようにしている。それが我が家の決まりだ。食事ではいつも、今日何があったかを話す。


 ああ、この光景。懐かしい。

 この光景をいつまでも永遠とわのものにしたい。


 その為に明日から頑張ろう、とレティシアは自分に気合を入れた。

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