第2話


 レティシアは牢獄の中で誰にともなく願いながら、意識が遠のいていった。

 つまり、死。死んだのである。


 それなのに。


 レティシアは何故かまた『レティシア』のまま意識が戻ったのだ。


 何故。何故だろう。


 もう瞳は開けたくない。自業自得とはいえ、牢獄の中は目を開けているだけでも辛いのだ。


薄暗く汚ならしい檻の中。

 他の罪人の身形はまるで人間のように見えない。虚ろな目。もうずっと風呂に入ってないので、格好も身体も汚く、すえた臭いがする。時折何か、ブツブツと呟きながら、腕に着けられた手錠を外そうと必死になっているみっともない姿。食事を与えられた瞬間、床に這いつくばって貪っている。

 そんな姿がレティシアには恐ろしくて堪らない。傍からみたら、レティシアも同じ様に見えるだろう。最も、レティシアはもう食べる気力さえ残っていないけれど。


 そんな事を考えながら、目を閉じていると声を掛けられた。


「レティシア嬢! おい! いきなりどうしたんだ?まさか、具合でも悪いのか?」


 心配そうに話しかけられ、レティシアの心臓が跳ね上がった。


 この声は。


 この声は知っている。


 この声はどんな雑音の中でも聞き取れた。いつか、自分の名前を呼んでもらいたいと思っていた。

 だが、それが叶ったのは牢獄に入れられる時だけだった。レティシアの罪が明らかになった時、彼は蔑んだ視線で、冷たい声でレティシアに言った。


『レティシア、‘‘彼女’’は気付いていたんだ。全て君の仕業だという事を。それでも何も言わなかった。何故か分かるか? それは‘‘彼女’’は待ってたんだ。君が罪を告白するのを。君が自白したら、全てを許すつもりだったんだよ。だが君は、何も言わなかった。まして、‘‘彼女’’を殺そうとまでした。本当に残念だよ、レティシア』


 残念と全く思っていない口調だった。彼の言ったことは全て覚えていた。


 その彼が、何故今自分の前にいるのだろう。

 それに、しばらく目を瞑っていて様子が分からないので推測だが、此処は牢獄ではなさそうだ。


 罪人達の恨み声も聞こえなければ、手錠を外そうとするガチャガチャという音も聞こえない。 段々死にちかづいていく様な匂いもしない。


 此処が牢獄でないのならば何処なのか。

 覚悟して、目を開ける。


「!?」


 瞬間、目に映ったのはありえない景色だった。

 レティシアがいたのは、罪を犯すまで通っていた貴族達の学ぶ場所『セントリアル学園』だった。


 懐かしい。


 懐かしいこの校舎。


 校舎の外にある庭園。


 沢山の本が書架に並んでいるこの図書室。


 レティシアはセントリアル学園の図書室にいた。懐かしい、この場所。此処に来るのは一年振りくらいだろうか。思わず周りを見渡す。

 すると、


「おい、レティシア嬢! 聞いているのか!」


 とまた声を掛けられた。驚いて声を掛けられた正面を見ると、彼がいた。


 そう、彼。レティシアが死ぬ前まで想っていた最愛の人。


 ルミナーレ王国の第一王子。

 フィリップ第一王子殿下がそこにいた。


「フィ、フィリップ様……? いえ、殿下……。何故此処にいらっしゃるのですか?」


 震える声でレティシアが問う。


「何故だと? 何を言っている? お前が誘ったのではないか。いきなりどうした? やはり、体調が優れないのか?」


 フィリップが訝しげな目で此方を見てくる。


 レティシアは考えていた。


 この状況に見覚えがある。見覚えというか以前も同じことがあったような……。少し考えてレティシアは思い出した。


 この状況は、レティシアが‘‘彼女’’に出会う丁度一年前にあった出来事だ。

 フィリップが言っていた通り、レティシアが一緒に勉強をしないか誘ったのだ。フィリップに少しでも近づく為に。


 勉強に誘う一週間前、王宮でフィリップが主催としてお茶会が開かれたのだ。様々な貴族の家の子息令嬢達が集まる中で、当然レティシアも呼ばれた。何を隠そう、レティシアの家はルミナーレの中で王家に次ぐ権力と権威を持つ公爵家、シュトラール家なのだ。


 そのお茶会の中でレティシアは、主催のフィリップが挨拶をしているのを見た。その瞬間、レティシアは恋に落ちたのだ。

 キラキラと煌めく艶のある銀髪。スッと通った鼻梁。王家の証である緑色の切れ長の瞳はエメラルドの様に美しい。無表情だと冷たい印象を受けるが、その顔に笑みを浮かべると誰もが顔を赤くするに違いない、無邪気な笑顔。

 そんな人を見て、心を奪われない女性がいるだろうか。きっと、その会場にいたどのご令嬢も、恋に落ちた。

 そんな素敵な人だった。


 だからこそレティシアは誰よりも早く彼に近付いた。彼の隣に居られる様に。彼の一番になる為に。

 その結果が疎まれ、嫌われ、牢獄行きである。


 牢獄で死んだはずなのに、何故今“彼女”と出会う一年前と同じ事が起こっているのだろう。

 これは夢なのだろうか。


 そんな事を考えていると、また声が掛かった。


「おい! さっきから大丈夫か? 医務室に連れて行くか?」


 その言葉に我に返って、返事をする。


「いえ、大丈夫です。少しボーっとしてしまったみたいで……。変な事を聞いてしまい、申し訳ありませんでした。勉強を続けましょう」


 そう笑いながら言うと、何故か酷く驚いた顔をされた。

 何故だろう。そう考えたが、すぐに理解した。


 レティシアは謝罪をした事など無かったからだ。それが王族でも、自分より身分が上の者でも。自分が正しくとも、間違っていても。どんな時でも謝らなかった。

 今まで過ごしてきたどの人生でもそうだった。今よりも身分が低くても、例え平民でも謝罪はしなかった。謝罪をしたら負けだと思っていたのだ。それは自分の貫き通した信念だった。

 でも、いつも罪を犯して全てを思い出した時には、謝罪したい気持ちでいっぱいだった。謝罪しても許される事じゃないとわかっていても。そんなどうでもいい信念など要らない。そう思ったのだ。

 だから、今のレティシアはどんな小さな事でも謝罪する事にした。自分が悪い時には。もちろん自分が間違っていない時には謝らない。それだけは変わらない。変えてはいけない理由があった。


 そうやって、フィリップが驚いた理由を考えていると、フィリップの顔が普通に戻っていた。


「む、そ、そうか。なら良い。そうだな、勉強を続けよう」


 そう言って、視線をレティシアからノートへと向け勉強を続け出した。

 レティシアも勉強をする。誘ったのは自分なのだ。誘った本人が勉強しなくてどうする。そう思ったがレティシアは、まだノートすら開いていなかった。

 先程まで、ずっとフィリップに話しかけて、邪魔ばかりしてたのだ。以前もそうだった。フィリップが面倒臭そうな表情を浮かべながら聞いたことに対して答えていた事を思い出す。

 何故以前の自分は気付かなかったのだろうか。初めて二人で話せて浮かれていたに違いない。

 以前の自分の事を思い出し、反省しながらノートを開く。そして、勉強を始める。フィリップと一言も喋る事なく。黙々と勉強をした。


 気が付いたら図書室の閉館時間になっていた。


 フィリップとさようならの挨拶をして、それぞれお互いの馬車に乗る。

 確か以前は、フィリップの馬車に無理矢理乗せてもらい送って行ってもらったなと馬車に揺られながら、遠い目をした。


 外を眺めながら、レティシアは現在の状況について考えていた。今は覚えている限りでは、‘‘彼女’’と出会う丁度一年前。

 これは現実なのか? 夢なのか?

 今はそんな事などどうでもいい。夢でもいい。 ただ、自分なりに罪滅ぼしがしたい。


 以前までフィリップの事を見ただけで、顔が熱くなり心臓の脈が速くなっていた。でも、今はそんな事はない。最初に声を聞いた時は心臓が跳ね上がったけど、それは驚いただけだった。さっき、帰る時に少し笑顔を向けられたけど、なんとも思わなかった。きっと死ぬ間際に願った事が叶ったのだろう。


『もう恋なんてしないので、“彼女”と関わらないようにしたい』


 『もう恋なんてしない』それが代償として、‘‘彼女’’を傷付けたくないという願いが叶うなら……それに越したことはない。

 今までと違い、記憶もあるのだから大丈夫だろう。レティシアは楽観的にもそう考えた。

 戻れたことに浮かれていたのかもしれない。

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