28,悪夢の先に待つ邂逅
「ねえねえ、人を殺すのはいけない事ー?」
「急に何を言い出すんですか。駄目に決まってますっ」
「……情状酌量、ってのも必要じゃないか」
「……」ヒカルはぼんやりとその遣り取りを見ていた。何か意見すべきだろうか、しかし何も思いつかない。
「えー、つまり理由があれば人殺しもオッケーって事ぉ? 永理也は心が広いなあ」けらけら、という笑い声。
「オッケーにはなりません。大原則として、やってはいけない事です」それに切り返す礼。
「なんで?」
「それは……人を殺していいなんて事になったらこの世は滅茶苦茶になってしまいます。そんな事許されるわけ――」
「じゃあ礼も許されないんだね。自分のパパを殺したんだものねえ」×××××が意地悪く含み笑うのを見て、礼の顔から血の気が引いた。
「永理也のママも許されないねー。自分と息子二人を手に掛けたんだから。母子家庭でたくさん大変な思いをして追い詰められてても駄目ったら駄目、かあ。世知辛いねえ」
「それは失敗したんだ」永理也が言い返す。「俺と弟は間一髪で致命傷を免れた。罰としては十分だろう」
「またそれー? 永理也の分からず屋も、流石にうんざりしてきたんだけどお」
ヒカルはふと顔を上げた。永理也の言葉には引っ掛かるものがあった。
「あれ? でも永理也の弟さんって、亡くなったんじゃあ……」看護師達がひそやかに噂するのを聞いた事があった。
――可哀そうにねえ。一人だけ残ってしまうなんて。
――恨みたくても、
――ああ、だからあんな事をしてるのね。弟さんが亡くなった事が受け入れられなくて……。
永理也が勢いよく立ち上がり、ヒカルを睨んだ。「そんな筈はない。俺の弟はまだ生きている。何かの間違いではぐれてしまっただけだ。よく探せば必ず見つかるそうに決まってる」
「あーあ、こうなったらどうしようもないんだから」言葉とは裏腹に、×××××が楽しげに嗤う。「どうなってもしらないよ。ヒカル、キミが悪いんだからさあ」
「そうだ、お前が悪い、お前が余計な事をしなければもっと事態は簡単だったんだ」
「そうですよ、あなたが全部悪いんです」
「……は?」どうも話の流れがおかしい。永理也の顔を見上げれば、そこには表情と呼べるものがなくなっていた。無表情というのでもない、影法師のように輪郭さえ曖昧になって、それは礼ともう一人も同様だった。
「お前はもう何もしなくていい」
「ずっと眠ったままでいなさい」
「もう目を覚ます必要はない」影法師の一つがしゅうしゅう、と耳障りな音を立てる。声とも呼べない奇怪なその音には、しかし嘲弄の意がありありと読み取れた。
「な……みんな、何を言ってるんだよ! 何かおかしいよ!」ヒカルが抗議の声を上げても、影法師はいよいよ揺らめきながら彼を取り囲んでいく。
「今更気付いても、もう遅い」
「もう目覚めなくていい」
「事が済むまで眠っていろ」
影は果てしなく膨らみ、やがて全てを呑み込んだ。
椅子も床も消え失せ、ヒカルは奈落へと落ちていく感覚だけを知覚した。ふいに、むずがゆい苛立ちが彼に宿った。僕の知っている
「ふざけるなよ! なんで僕の行く道を、君らに決められなくちゃいけないのさ!」
突然、ヒカルの目が眩んだ。一筋の閃光が彼の落ちる速度よりも速く最深部へ駆け、突き立った光は爆発的に膨らんで暗黒を払った。まさしく払暁であった。
「そう、そうだよ! あなたの道を決めるのはこいつじゃない!」ヒカルのものではない声がした。
絶叫が響く。これも彼のものではない。声と共に、暗黒世界が崩れ落ちる。呆然とする彼に向かって駆けて来る光があった。
「こっち! 手を伸ばして!」光は少女の形をしていた。
言われるままに手を出すと少女はそれを握った。心地よい温かさがヒカルの手を包む。
少女はヒカルの手を握ったまま加速度的に上昇し、そして悪夢の殻を突き破った。
ばしっ、という音。彼の意識が肉体に回帰した衝撃。ヒカルが辺りを見回すと、先程眠気にまかせて寝入った路地だった。太陽が西の山の裏へ沈んでいく刹那である事だけが、眠る前と異なっていた。親切な老人は影も形もない。代わりのように立っているのは、つい今しがた夢に現れた少女だった。ヒカルはそこで、自分と彼女が手を繋いだままである事に気付いた。
少女は朗らかに笑った。「やっと逢えた! わたしはアンナ=テラス、これからよろしくね!」
彼女は薄闇の只中にあっても尚、その髪といい目の輝きといい、まさに太陽のように輝いていた。
「え……、えーと?」ヒカルは困惑した。こんな女の子と面識があっただろうか、いや待てよ、語調が大分違うがこの声を自分は知っている、そう、たしか。
――いつかわたしに会いに来て。
「ええと、君は、僕の夢の中で――」
少女、アンナ=テラスは鷹揚に頷いた。「そう、わたしは生まれる前からずっとあなたを呼んでいたの。もう何も心配いらないから。きっと、みんなうまくいく。その為にあなたは此処へ来て、わたしは生まれたんだもの」
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