15,折り重なる死体


 闘技場の中央で足を止めたヒカルは、相手の様子がおかしいことに気付いた。

 相手は二人とも青年と呼べるような年齢の男で、片や金髪を逆立て、片や無造作に伸びた黒髪をうなじで束ねている。それらは問題ではない。

 金髪は手ぶらだった。黒髪は細長い筒を持っている。筒には斜めに握りグリップが取り付けられている。

 ヒカルはその筒――厳密には、それとよく似たもの――に見覚えがあった。レトが「あれ、何でしょう?」と尋ねても上手い答えが出て来ない。

 審判が開始を告げる合図をする。

 金髪は腰を落とした。拳を握るでもない。黒髪の方が筒を地面と水平に構えた。

 筒の先はレトに向いていた。

 ヒカルは咄嗟に彼女を押しのけようとした。

 無駄だった。

 高らかな音が響いた。ヒカルの目の前でレトの頭部の右半分が消し飛んだ。

 声を上げるよりも先に金髪の男が組み付いた。ヒカルは地面に転がるレトだったものと金髪の男に挟まれて倒れるような格好になった。

 男はヒカルの左腕を掴むと凄まじい力を込めて引っ張った。関節が外れてもなお止まらずそのまま前腕は引き千切られた。

「夜の子供の匂いがする。でも君じゃないみたいだ。誰か身近にいるのかな」金髪が囁いた。残虐な場に不釣り合いな無邪気な笑み。見た事がある気がするが、今は思い出す事に集中出来ない。

 視界の端で黒髪の男が筒を構え直すのが見えた。のしかかる男を押しのけようとしても、途方もない膂力で押し倒される。

 必死に暴れる内に、ヒカルは男の股間を蹴り上げたらしかった。爪先に柔らかい感触。相手が顔を歪める。刹那、押さえつける力が緩んだタイミングで這い出す事が出来た。筒が火を吹いた。何かが猛烈な速度で髪をかすめ、マイが編んだ編込みが解けて広がった。

 ヒカルはパニックに陥った。相方も左腕もない状態で化け物じみた連中と戦わねばならないという恐怖が脳髄を埋め尽くした。訓練で習った事など吹き飛んでいた。それでも黒髪の男へ走り寄る。筒は恐るべき威力を持つが、使用可能になるまでに間が空く。右腕だけでは些か重い剣を振るったのは執念か。

 自分の目線の高さで振るわれた一閃は、反応の遅れた男の首を半ばまで裂いた。

 男の手が、空しく宙を掻く。それらはたちまち頸動脈から噴き出した鮮血に塗れた。

 黒髪の方が倒れるのを見届けず、ヒカルは振り向いた。まだ敵はいる。見かけ以上の力を持った男が。



 金髪の方は苦い顔をしながらもゆっくりと立ち上がるところだった。

「やるじゃない」食いしばる歯の間から言葉が漏れた。

「帝国軍の一部しか運用してない『火器』を見抜くなんてね。どこで知ったのかな」男は『銃』をそう呼んだ。

 ヒカルはそれに答える余裕がない。左の上腕から夥しい血が溢れ、軽い酸欠のような状態なのだ。息が荒くなり、肩が大きく上下する。

 男がまた姿勢を低くする構えを取る。ヒカルは右手でどうにか剣を中段に構える。ダメージが時間と共に大きくなってゆく。次は右腕を持っていかれると思った。

 相手の矢の如き突撃を、ヒカルは剣を水平に構えて迎撃した。

 切っ先が男の腹に埋まった。

 男の不敵な笑み。

 相手が勢いをつけて体を捻った。剣が聞いた事もない音を立てて中程から折れた。

 男は単に体を捻ったのではなかった。腕を振りかぶったのだ。ヒカルはそれを身を以て理解した。

 お返しとばかりに男の掌底がヒカルの脾腹を撃った。衝撃で息が出来なくなった。意識が明滅する。意に反してまともに立っていられなくなり、ヒカルはその場にへたり込んだ。

「すごく痛いな。あ、でもこういうのは抜かない方がいいんだっけ」男が腹に刺さった剣先をつついた。

 朦朧とする意識の中、ヒカルの脳髄は目まぐるしく様々な視覚的記憶ファンタスマゴリアを再生した。男の首に食い込んだ切っ先。眼窩に剣を突き立てられた少女。頭の欠けたレト。

 殺さなきゃ。限界に近い意識がそう呟いた。ヒカルにはそれが自分の声かどうか分からなかったが、もうそんな事はどうでもよかった。

 立ち上がろうとして足がもつれ、前のめりに転びかけた。

 反射的に前方へ突き出された手が、金髪の男に刺さっていた剣に当たった。

「あ」

 ヒカルの体は無意識に折れた剣を握っていた。

 顔を上げ、敵の表情を見ようとした。全身の血が最早足りないのか、それは霞んでよく見えなかった。

 ヒカルは剣を握る右手だけに意識と力を集中させた。剣を引き抜いて違う所にまた刺した。それを繰り返した。何度も何度も、回数を数える事は忘れていた。指に刃が食い込み、血で滑るので強く握ろうとするとそれは骨まで届いた。

 やがて限界に達し、彼は倒れた。地面にしては柔らかい感触。相手はとっくに倒れていて、彼はその上に乗っていた。

 意識だけが動き続ける世界で、遠くに審判の声が聞こえた気がした。でも、もうどうでも良くなっていた。





「レトが死んだよ」マイはまるで天気の変化でも教えるような口調でそう言った。

「そうか」イライアスも表情を変えることなく頷く。後輩の死はこれで何人目だろうか。

「あ、そうだ。ねえイライアス、もし剣闘奴隷として死んでもオーディンの館ヴァルハラに招待してもらえると思う?」

「急に変な事を聞くな」

「だってこれが最後だし」

「縁起でもない話はやめろ。オーディンが誰を選ぶかなんて俺に分かるはずがない」

「ふーん」

「しくじるなよ」ゲン担ぎのように繰り返された言葉。しかしマイはそれに応えない。

「マイ?」振り向くと透明な視線がこちらを向いていた。「どうした。具合でも悪いのか」

「ううん」マイが口角を上げて笑みを作る。「頑張ろうね」

「ああ」イライアスは背後のマイがどんな顔をしているか考えてはいなかった。もっとも、それを気にしても何も変わらなかっただろうが。





 相手はレトと同じくらいの男女だった。

「ちょっとー、飛び道具なんて反則でしょお!?」マイが驚いて声を上げる。女は身の丈程の弓を携えていた。帝国軍が火器の他として開発した光線弓レーザーボウである事は二人には知る由もない事である。

「そんなルールはねえよ」相手の男が言い返した。彼の武器は何の変哲もない長剣だ。「そうだろ、審判レフェリー

 審判員の一人が頷いた。「持ち込む武器は興行主間で同意の取れたものだけです」

「何でもいい。勝てばいいだけだ」イライアスが薙刀グレイブを握り直した。

 用意、と審判が指示を出す。それぞれが己の得物を構えた。

「始め!」言葉と同時に腕が振り下ろされた。





 弓を持った女は開始の合図が出るとすぐに後ろに飛び退った。

「待てコラっ、卑怯者ー!」マイは猪突猛進の勢いで女を追いかける。

 女はひたすら逃げ回り、『矢』が充填チャージされるとすぐにマイに向けてそれを放った。マイは飛び跳ね、あるいは地面を転がって回避しながら追う。女の敏捷性はこれまで戦った誰よりも抜きん出ていた。マイの短剣は掠る事さえ出来ない。取り回しの良さと引き換えのリーチの短さ故だ。

 鬼ごっこの軌跡は歪んだ円を描いた。



 男は相方とは反対に、イライアスの方へ突進して来た。薙刀で刺突を受けて、すぐにそれが間違いだったと気付いた。剣一本とは思えない程に重い一撃だった。避けるべきだったと内心で舌打ちした。

「おれが『盾』だ。そんであっちが『剣』。なかなかバランス取れてるだろ?」男がそう言って嗤った。

 男はイライアスが攻撃を受けたのを見ると剣にさらに体重を掛け、地面を蹴った。その体が宙に浮く。重量を一気に掛けてこちらを圧し潰そうとしているのだ。

 イライアスは姿勢を低くして男と上下ですれ違うように前方へ体を移動させた。男は軽業師のように剣もろとも一回転して落ちてくる。着地する瞬間を狙って薙刀で突いたが、相手はそれも予測していたように身を捻って剣で薙刀を受け流した。

 敵の大上段からの斬撃。イライアスは石突で払う。相手は恐るべき速さで態勢を立て直し懐に飛び込んで来た。間一髪でそれを受ける。流せない。ほんの一太刀でこちらの心までし折りにかかるような重い剣。イライアスは出来るものなら武器を放り捨てて泣き叫びたいと思った。そしてそんな事を考えた自分に愕然とした。今まで――帝国軍が夜襲で故郷を制圧した時でさえ――そんな考えを抱いた事はなかった。

 鍔迫り合いの最中、相手が剣を片手で持ち直してこちらの胸倉に手を伸ばした。咄嗟に蹴りで応酬する。相手が後退した隙をついて薙刀を振るったが、全て避けるか受け流された。

 間合いを取り直すと撃ち合いは膠着した。相手は再びこちらに突撃するタイミングを窺っている。フェイントを掛けて威嚇する事で息を整える余裕が生まれた。

 大丈夫だ、勝てない相手じゃない。自分に言い聞かせる。

 その時だった。

「おーい! イライアスー!」マイがこちらに駆け寄って来た。

「来るんじゃない!」マイが弓の女を追い回していなければ集中して戦えない。その上流れ矢で巻き添えを食う可能性もあるのだ。

 マイの方を見て、違和感を覚えた。何故奴は短剣を構えている? マイは一直線に駆けて来る。その線上にいるのは相手の男ではなく――

 マイがイライアスの懐に飛び込んだ。

 構えられた短剣は彼の左胸に刃を沈めた。

 イライアスは訳が分からなかった。何故こいつは自分を攻撃した? それに短剣の刺さったのは、そこには心臓とかがあるはずで、そんなに捻じりながら刺されたら、命が。手当が間に合わない。こいつは何を考えてるか分からないが少なくとも自分と共に戦う決まりだったはずだ。この血腥い狂気の坩堝の出口を教えてくれたのはなんだったんだ?

 ――じゃあ、マイはオーディンの名に懸けて誓うよ。イライアスと最後まで一緒に戦う。

 いつか聞いた言葉。オーディンの名の下に行われた誓いは必ず裏切られる。それが今だって言うのか?

 刹那に浮かんだ疑問はどれ一つ言葉にならなかった。

 ただ脳髄の何処かに起こった怒りが最後に彼を動かした。

 血の流れが止まって急速に冷たくなりつつある手で薙刀を握り直し、その刃の方を裏切り者の頸目掛けて振り下ろした。

 切られた髪が宙を舞い、刎ねられた首が足元に転がったがイライアスはもうそれを知覚出来なかった。

 困惑を抱えたまま彼の意識は暗黒に覆われた。





 マイは少し離れた所で自分の体が倒れて行くのを見ていた。

「あー、こんな事になるなら、ショコラ全部食べておけばよかったなあ……」持ち主のいない食べさしは捨てられてしまうだろう。

 なんだか笑いがこみ上げて来た。「あは、あはは、はは……」なんと滑稽な自分だろう? 誰かに殺されてお終いだと思っていたが、その相手がイライアスだったなんて。

 ――さようなら、×××××。もう一緒にいられないの。母さんがそう決めたから。あなたがいつも笑っていられるように、毎日お祈りするからね……

 ああ、『私』は×××××だったのだ。生まれた時にそう名付けられた。でも、もうその名前で呼んでくれる人は――

 光線が脳髄を貫いた。



「なんで首を切り落とされても笑ってるのかしらコイツ。気持ち悪い」レーザーボウでマイの頭蓋を撃ち抜いた女が呟いた。

「あれだろ、夜の子供とかいう化生の類だったんじゃあないか」男は剣を振って血を飛ばそうとしたが、血が付いていないことに気付いた。「それよりなんで同士討ちなんかしたんだ?」

「仲が悪かったんでしょ」女はぶっきらぼうに返す。

「つまんねえの。久々に歯応えのある相手だと思ったのになあ」二人は折り重なる死体を見下ろした。

 審判が首を傾げつつも間違いなく死んでいるのを確認し、男と女の勝利を宣言した。

 

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