第7話 鮮やかな決着
翌日の日曜日には特に動きは無く、煮物屋さん定休日の月曜日、
金曜日のことがあったので、辰野さんは念のため有給を取ったのだ。
「仮病なので、ちょっと後ろめたいんですけどね」
辰野さんは苦笑しながらそうおっしゃるが、背に腹は変えられない。辰野さんの安全が最優先だ。
交番に到着すると、ありがたいことに金曜日に話を聞いてくれた警察官がいた。
「すいません、金曜日に被害届を出した
千隼が声を掛けると、警察官は覚えていてくれたのか「ああ、あの時の。こんにちは」とにこやかに腰を浮かした。
「こんにちは。あの、あれからどうなりましたか?」
「あれから朝になって僕は非番と公休に入ったので、その間の当番の同僚から引き継いだ内容なんですけどね、加害者は素直に認めてるみたいですよ。もう処理は
「あの、逮捕とかされたんでしょうか」
辰野さんがおずおずといった様子で尋ねる。
「こちらは?」
「辰野さんです」
「ああ。辰野さんへの聞き取りは僕と交代した警察官が行ったはずですからね。そうですね、逮捕という形になりますね。ただ起訴されるかどうかは検察次第です。初犯だったそうですし、本人も反省を見せているそうなので、不起訴の可能性が高いかと。検察へは今日か明日になると思いますよ」
「え、じゃあもうすぐ
辰野さんがさぁっと顔を青くする。反省していると言うが、野放しになってしまったらまた辰野さんに接触を
「もうすぐと言ってもそうすぐでも無いですけどね。
「いえ、何も」
「じゃあ本当に反省しているんでしょう。ああ、実家からご両親が出て来ているらしくて、それも大きいみたいですよ」
「……そうなんですか」
どうやらことは終着に向かいつつある様だ。だが辰野さんのお顔は晴れない。やはり嫌な思いをされたことはそう簡単には
「辰野さん、大丈夫ですよ。反省している様なら、逆恨みとかも無いかも知れません。あまり悪い方に考えるのは止めましょう」
佳鳴が優しく言うと、辰野さんは「そ、そうですよね」と強張った頬を緩ませる。
そして佳鳴たちは警察官にお礼を言って交番を辞したのだが。
翌日、この一件は急速に終息することになる。
火曜日になり、煮物屋さんはいつもの様に18時に開店する。平日なので混み出すのは19時を超えたころになる。
ぽつぽつと席が埋まって来た18時半ごろ、がちゃりとやや乱暴にドアが開いた。
「いらっしゃいませ。あら、辰野さん。火曜日にだなんてお珍しいですね」
「いらっしゃいませ」
佳鳴と千隼が出迎えると、辰野さんは息を切らしながら「こ、こんばんは!」と店内に入って来る。
空いている席に落ち着き、佳鳴からおしぼりを受け取った。
「ありがとうございます。あの、一刻も早く、店長さんとハヤさんにお知らせしたくて!」
辰野さんの頬がやや赤らんで、表情は嬉しそうに見える。ご注文など何のそのだ。
「もしかして、動きがありましたか?」
さすがに病気でも無いのに2日続けて仕事を休むのは難しいと、辰野さんは勇気を出して今日は出社されたのである。
昨日交番で聞いた話では、今日は検察に送られて聴取を受けているはずである。拘束されているわけでは無いそうなので、本社と工場とで職場が離れているとは言え、不安があって当然だ。
だが出社した辰野さんを待ち構えていたのは、なんと例の相手のご両親だった。
「この度は本当に申し訳ありませんでした……!」
「うちの息子がとんでもないことを……!」
「息子が手を上げてしまった方にも、どうお詫びをしたら良いか……!」
まるで土下座せんばかりの勢いで謝られてしまい、辰野さんこそすっかりと恐縮してしまった。
辰野さんから見ると、とても良いご両親に見えたそうだ。だが端々に息子を思う気持ちが滲む。それは当たり前だ。親なのだから。
だがどうにも、甘すぎると言えば良いのか、独り立ちをしているはずなのに独立できていない様な、子離れができていない様な、そんな空気感を感じたのだとおっしゃる。
「私自身親になったことが無いので、接し方と言うか何と言うか……、どうにもこう、何て言ったら良いんだろう」
辰野さんは表現に困ってしまわれる。
「そうですねぇ」
佳鳴も親になったことが無いので、親御さんの気持ちを理解するのは難しい。それでも息子の非を認め、被害者である辰野さんに謝罪されたのだから、そういう意味ではきちんとしたご両親なのだと思うのだが。
「距離感がおかしいんでしょうかね」
千隼のせりふに、辰野さんは「距離感?」と首を傾げる。
「その相手の人って、言ってしまえば辰野さんとの距離感がおかしかったんですよね。過度なメッセージとかまさにそうじゃ無いですか?」
「それは確かにそうですが。でもハヤさんにしたことはそれで済まされることでは」
「多分済まされますよ」
けろっと言う千隼に、佳鳴と辰野さんはつい顔を見合わせてしまう。
「多分ですけど、ご両親は息子さんに対して過干渉なんじゃ無いですかね」
過干渉。そのワードが佳鳴の中にすっと入り込み、思わず「あー!」と声を上げてしまった。
辰野さんも同じだった様で、「ああ!」と手で口を押さえる。
「そっか。過干渉でいちばん身近な人間との距離感がおかしかったから、それをそのまま他人にも当てはめてしまった……」
「多分な」
「それ解ります。そうだ、過干渉だ。なんでもやってあげてたとか、何をやっても守ってあげたりとか、そういうのが
「そういうことです。僕にしたことは
「あの、あの人、会社を辞めて実家に戻られるそうです」
辰野さんのそのせりふに、千隼は「あー」とやや苦笑い。
「過干渉継続でしょうか」
「どうだろうね。今回は警察沙汰にまでなっちゃったんだから、改めるかも知れないよ。そうしないとこれからも苦労するのは息子さんだもの」
「まぁなぁ」
「私もそうであることを願いたいです」
辰野さんも強くそう言う。
「話してみて思ったんですけど、確かに距離感はおかしかったですけど、悪い人では無かった、むしろ良い人だったと思います。なのでそういう部分をきちんとしたら、大丈夫なんじゃ無いかと」
「そうだと良いですね」
「そうですね」
佳鳴と千隼が微笑み、辰野さんもほっとした様に頬を和ませた。
「ハヤさん、ご両親がハヤさんにも謝罪をしたいっておっしゃってるんですけど。被害届もそのままで良い、慰謝料をお支払いしたいとおっしゃってて」
「ああ、僕は大丈夫ですからお気遣い無くって伝えてください。慰謝料も良いですから」
「本当にありがとうございます」
辰野さんは申し訳無さげに頭を下げた。
「あ、私、ここに来る前に交番に寄って来たんです。私に話を聞きに来てくれたお巡りさんがおられたので、お礼を言って来ました」
「あら、私たちもお礼に行かないと。あのお巡りさん、いつおられるかしら」
「また前通った時にでも見てみようぜ」
「そうだね。あら、辰野さん申し訳ありません。ご注文もお伺いしないで。何にされますか?」
「あ、こちらこそごめんなさい。早くお伝えしたくて。柚子のサワーをください!」
佳鳴たちに報告をして、本当に決着だと思われたのか、辰野さんは安心した様に晴れやかな笑みを浮かべた。
「はい。お待ちくださいませ」
佳鳴はにっこりと笑みを浮かべた。
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