22章 家族になれる条件

第1話 なくし物はどこですか

 沢渡さんはどかっとカウンタに掛けると「はぁ〜」と盛大な溜め息を吐いた。かなりお疲れの様だ。


「いやぁ、今日は大変だったよ。依頼者に泣かれちゃってさぁ」


 そう言っておしぼりで手と顔を拭き、また「はぁっ」とほっとした様な息を吐く。


「あ〜気持ち良い。あ、ハイボールちょうだい」


「はい。お待ちくださいね」


 佳鳴がタンブラーにハイボールを作り、千隼が料理の準備をする。


 今日のメインは豚ばら肉と筍とわかめの煮物だ。一口大にした豚ばら肉を炒めて余分な脂を除き、お出汁を入れて沸いたら茹で筍を入れて煮て、味付けは醤油で。お砂糖と日本酒でこくも出る。ほっこりとした味わいの一品だ。


 小鉢のひとつはきゃべつと海苔のごまサラダ。塩を振って水分を搾った千切りきゃべつとちぎった海苔を合わせ、風味付けの醤油とたっぷりの白ごまで和えた。海苔の風味と白ごまのぷちぷちが良い。


 もうひとつはじゃがいもの粒マスタード和えだ。皮ごと一口大にカットしたじゃがいもを粉吹きにし、粗熱を取ったら隠し味のマヨネーズと白こしょう、粒マスタードで和えた。ぴりっとシンプルな品である。


「はい、お待たせしました」


 ハイボールと整えた料理をお出しすると、沢渡さんは「サンキュー」と受け取り、さっそくタンブラーを傾けた。


「ぷはぁ〜! 旨いねぇ。疲れが吹っ飛んで行くよ」


 そう言って満面の笑顔になった。


「お疲れの様ですねぇ」


「精神的にな。旦那がクロでさ。奥さんが泣いちまって参ったぜ」


「奥さま、ショックだったでしょうねぇ」


 佳鳴が悲しそうに軽く眉をひそめると、沢渡さんは「そりゃあなぁ」と顔をしかめる。


「勘付いてたから依頼したとはいえ、はっきりそうだって分かっちまうとそりゃあショックだよなぁ」


 沢渡さんは個人で調査会社を経営されているのである。その内容のほとんどが浮気・不倫調査だ。たまに人探しなどもあるらしいが、他は少ないらしい。


 沢渡さんのお話を聞いていると、世の中にはどれだけ不貞を働く人がいるものかと驚くが、実際はほんの一部がそこに集中しているだけだ。とりあえず佳鳴と千隼の友人知人にそういった人はいなかったはず。


「その奥さん、ただしくしく泣くばっかりでなぁ、どうしたら良いのか判らないみたいだったな。ただまぁなぁ、旦那がどんな人かでやり方も変わってくるからなぁ。謝られりゃ上等。逆ギレする男もいるからさ。お前のせいで浮気したなんて男もいるぐらいだ」


「それは残念ですねぇ」


「同じ男としては許せない気持ちになってしまうんですが」


 佳鳴と千隼が揃って難色を示すと、沢渡さんも「はは」と苦笑する。


「それが普通の感覚だよなぁ。まぁ今回は男側の浮気だったが、女側も最近増えててさ」


「あ、なんか聞いたことがありますねぇ。最近は専業主婦の方がランチ感覚で浮気とかされるって」


 佳鳴が言うと沢渡さんは「ランチて」と嘆いて天をあおぐ。


「気楽なもんだなぁ。まぁでも男の浮気もそんなもんかもな。でなきゃそんなことできないよな。一応は悪いことだもんな」


「そうですねぇ。理由もそれぞれあるんでしょうけども、一生連れ添うと誓ったお相手さんを悲しませるようなことはしていただきたく無いですよねぇ」


「本当にそれな。そうなったら俺らなんかは商売上がったりだけどよ、無い方が良いに決まってるもんな」


「そうですね」


 佳鳴と千隼が頷くと、沢渡さんはマスタードをまとったじゃがいもを口に放り込んで「うまっ、めっちゃ酒に合う!」と声を上げた。




 数日後、佳鳴と千隼が開店準備の仕込みをしていると、煮物屋さんのドアがそろりと開いた。千隼が声を上げる。


「すいません、まだ開店前で、あれ、沢渡さん?」


 千隼のせりふに包丁を使っていた佳鳴も顔を上げて「あら」と声を上げる。


「どうしたんですか?」


 煮物を見ていた千隼が火を弱火に落とし、カウンタの外に回る。佳鳴も手を止めた。


「開店前にすまないなぁ。実はさ、これを表に貼らしてもらえないかと思ってさぁ」


 そう言って大きなバッグから出して差し出したのは何かの用紙。千隼が1枚を受け取って見てみると、探し犬のちらしだった。


 犬種にさほど詳しく無い千隼でも知っているダックスフンドのカラー写真があり、その下に特徴が書かれていた。


 写真では大きさが判らないがミニチュアダックスの様だ。茶とクリームの長い毛

で、くりっとした目が可愛い犬だった。


 写真にもあるが、黄色の首輪が目印になっている。名前はマリンちゃん。女の子だ。


「犬探しですか? お仕事ですか?」


 千隼が少し驚いて言うと、沢渡さんは「そうなんだよ」と弱った様に頭をかいた。


「こういうのは専門家に任せた方が良いって客には言ったんだけどさ、どこに頼んだら良いのかよく判らないからって。その客は前も調査の方で客だった人なんだけどな」


「そうなんですね。動物の捜索も大変そうですね」


「まぁなぁ。俺にはノウハウが無いからさ、経験のある知り合いに聞いてなんとかやってるよ。まずはちらし作って、家周りから目撃情報集めてみろって。今や街中で野良犬は珍しいから、歩いてたら目立つんだってよ。依頼主、この辺に住んでて。あとは保健所との連携だな。でさぁ、悪いんだけど、表にちらし貼らせてもらって良いかなぁ」


「ええ、もちろんです。目立つ様に貼りましょう。おしながきの真下とかどうですか? 良ければ店内にも何枚か貼りましょうか」


「えっ、良いのか? そりゃあ助かる」


 沢渡さんは嬉しそうにぱっと口元を綻ばすと、バッグからちらしを数枚出した。


「じゃあこれ。余ったら捨てといてくれて良いから。本当に悪いな。サンキューな」


「いえいえ。じゃあ表に貼りに行きましょうか。姉ちゃん、ちょっと行って来る」


「店長さんもありがとうな。また夜に来るな」


「はい。お待ちしております」


 そして沢渡さんと千隼は外に出て行った。佳鳴はまた包丁を持つ。あとで店内の壁にちらしを貼らせていただくことにしよう。


 確か可愛いマスキングテープがいくつかあったはずだ。幅の広いものなら簡単に落ちないだろうし、壁に貼り跡も残らないだろう。


 どなたかの可愛いご家族であるマリンちゃん。無事見付かると良いのだが。

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