季節の幕間2 年末年始の過ごし方

今年も幸いであります様に

 煮物屋さんの年末営業は30日までである。


「良いお年をー」


 そんなせりふで本年最後のお客さまをお送りし、佳鳴かなるは「ふぅ」と一息吐き、千隼ちはやは「うーん」と両腕を伸ばした。


「今年も無事終わったな。お疲れさん」


「うん、お疲れさまだね。でもまだ休みは無いよー」


「そうだな。でも明日は少しゆっくり寝れるだろ」


「そうだね。よし、じゃあ片付けしようか」


 佳鳴と千隼はさっそく手を動かし始めた。




 そして翌日の大晦日おおみおか。煮物屋さんは正月休みに入ったが、佳鳴と千隼は少し遅めの昼食のあと、車で公設市場に向かう。


 市場は買い物客でごった返していた。ほとんどの人がすでに休日に入っていて、明日からの松の内に備えて買い出しに余念が無い。店先にずらりと並ぶものも雑煮に欠かせない金時人参や祝大根、つるりと膨よかなお餅。ぱりっとした数の子や艶々とした黒豆などお節の一品だ。


 佳鳴と千隼は人々の波に揉まれながらも必要な食材をせっせと買い込み、車のトランクに積み込むと帰途に着く。


 ハンドルを握った千隼は、ほんの少し疲れを滲ませた溜め息を吐いた。


「市場さすがに人多かったなぁ」


「本当だねぇ。明日から市場も休みになるしね。まぁスーパーとかは空いてるけど」


「そう思うと焦って買い物することも無いかなって思うけど、そこが正月の不思議なのかもな」


「お節をお家で用意するご家庭は今日が追い込みだからね〜」


 そんな話をしながら車を走らす。道路はそう混み合うことも無くスムーズに家に到着する。佳鳴と千隼は手分けして購入品を家に運び込んだ。


 空を見るともう日は落ちそうになっていて、ただでさえ厚い雲に覆われた空は暗くなり掛けている。寒さも一際厳しくなって来た。


「さてと、とっとと晩飯にするか」


「そうだね〜」


 夕飯は年越し蕎麦である。今夜は手早くするために市場で揚げたてさくさくの大きな海老天を買って来た。それを温かいお蕎麦の上にどんと乗せよう。




 数時間後の深夜、佳鳴と千隼は氏神うじがみさまがまつられている神社にいた。初詣はつもうで、では無い。仕事である。


 小さな神社は年を越してすぐにもうでようとする参拝客で賑わっている。皆一様に防寒具をもこもこに着込んで白い息を吐いていた。そう長くは無い参道には様々な種類の露店が立ち並び、寒いからか温かい品には列もできている。


 そして佳鳴と千隼はそのうちのひとつにいた。的屋てきやさんが用意する様な本格的なものでは無いが、テントの下に横長のテーブルを置き、そこにIHコンロを置いた。電気は小型の発電機から引いている。


「豚汁と粕汁ひとつずつちょうだい」


「はーい、ありがとうございます」


 佳鳴は発泡スチロール製のお椀に豚汁を注ぐ。千隼も粕汁を入れてテーブルの空いたところに置いた。


「はい、お待たせしました。おはしはそこの箸立てからお取りくださいね。お好みで七味もどうぞ〜」


「ありがとう」


 カップルだろうか若夫婦だろうか。代金を渡してくれたあと男性が粕汁を、女性が豚汁を受け取る。箸も取って後ろに並ぶ人に場を譲る様に動いた。


 おふたりは箸を割るとさっそく器に口を付けてお汁を飲む。そしてほこっと頬を綻ばせた。


「あったか〜い」


「ああ。あったまるなぁ。旨い」


 佳鳴と千隼はそんな様子を喜ばしく思いながらも手を動かした。


 ふたりは煮物屋さんを開店させてから数年、年越しにはこうして地元神社の露店のひとつを担っているのだ。


 他の露店も地元に根付いた店舗が出しているのである。カフェならジュースやホットドリンク、居酒屋なら酒類、鉄板焼き屋なら洋食焼き、焼き鳥屋なら焼き鳥、蕎麦屋なら年越し蕎麦、和菓子屋ならみたらし団子に甘酒などなど。


 チェーン店なら年中無休の店舗も多いが、個人商店は30日で納めるところが多い。そして31日の大晦日には地元貢献こうけんの意味合いも兼ねて、こうして神社で露店を出すのが恒例になっている。


 神社から話が来た時、佳鳴と千隼は「そういうことでしたら」とふたつ返事で了承した。


 なので30日に店舗営業は納めたが、これが煮物屋さんの仕事納め、そして仕事初めになるのである。


 メニューは汁物に決めた。大晦日から年明けの深夜という寒空の下、少しでも参拝客に暖まっていただくために粕汁、そして粕汁が苦手な方のために同じ具材で豚汁を用意した。


 具材は豚肉と白菜と白ねぎとお揚げ、ごぼうと人参に大根と具沢山だ。出汁もしっかりと取っているのでふんだんに旨味が出る。


 お出汁もちゃんと昆布とかつお節で取っている。鍋ひとつで済む様にたっぷりのかつお節はパックに詰めた。


 野菜は家で下ごしらえをし、豚こま切れ肉を香ばしく炒めるところまで準備して露店で仕上げる。


 当初は露店運営に不慣れな佳鳴たちでも少しでも手際良くできる様に考え、そして毎年改善点を出しながらの今年なのである。


 この凍てつく様な寒さの中、やはり粕汁と豚汁の破壊力は凄い。年明けを待つ参拝客が詰め掛けていた。このままだと早々に無くなってしまいそうだ。参拝後のお客さまにも振る舞える量はあると思うが。


 その時。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン……


 除夜じょやの鐘が鳴り始めた。近隣の寺院で突かれているものだ。荘厳そうごんで重厚な鐘の音に佳鳴はふと手を止める。今年ももう終わりかぁ。そんなことを思う。だが感慨かんがいにふけっている場合では無い。


「粕汁ひとつくれ」


「はーい、お待ちを」


 寒さに鼻を赤くした中年男性のお客さまにお椀をお渡しすると、お客さまはお汁を口に含んで「は〜」と嬉しそうに目を細めた。




 除夜の鐘が鳴り終われば年が明ける。そうすると参道も人の流れが変わり、境内への緩やかな波ができて来た。佳鳴たちもその間は少しは余裕ができる。


 そのタイミングを見計らった様に顔を出したのは門又かどまたさんとさかきさん、山形やまがたさんだった。


「店長さんハヤさん、あけましておめでとう」


「おめでと〜う」


「おめでとうございます!」


 しっかりと防寒をした門又さんたちは、それでも頬を赤くしながらにこやかに挨拶をしてくださった。


「皆さん。おめでとうございます」


「おめでとうございます」


「お揃いですね」


「うん。今年は山形くんも一緒。粕汁まだある?」


「ありますよ。粕汁みっつでよろしいですか?」


「うん。よろしくね」


 千隼が大鍋から手際良く粕汁をよそい、テーブルに置いた。


「はい、お待たせしました」


「ありがとう」


 門又さんたちはそれぞれに粕汁と箸を取り、榊さんは七味を振る。そして揃って「いただきます」とお椀を傾けた。


「あ〜これこれ。これ食べてやっと1年終わったなって気になるよ。年明けてるけど」


「本当よねぇ〜。あ〜美味しい〜、あったまる〜」


 門又さんと榊さんはほこっと口元を緩ませる。山形さんはその横で目を丸くした。


「うわぁ、僕あまり粕汁得意じゃ無くて、でも煮物屋さんの粕汁今しか食べれないって聞いたから頑張ろうと思ったんですけど、すっごく柔らかくて優しい味なんですね。変な癖が無いって言うか強く無いって言うか。美味しいですねぇ!」


 そう言ってまたお汁を飲む。そして心地好さそうに「はぁ〜」と白い息を吐いた。


 煮物屋さんの常連さんには地元にお住まいの方が多いので、こうして顔を出してくれる常連さんもおられるのだ。


 門又さんたちは美味しそうにはふはふと粕汁を平らげると「ごちそうさま、美味しかった! じゃあお参りして来るね」と手を振って並んで境内に向かって行った。


 そして入れ違う様にまた常連さんが来てくださる。結城ゆうきさんや田淵たぶちさんご夫妻など。除夜の鐘前後が少し余裕があると分かっているからだ。常連さんの間では暗黙の了解みたいになっていた。


 常連さんのお目当はやはり粕汁である。普段煮物屋さんではお出ししないので、特別なものの様になっているのだ。


 皆さま嬉しそうに粕汁をかっ込み、「美味しーい」「あったまる〜」と笑顔を浮かべた。


 それからも佳鳴と千隼はせっせと手を動かし、参拝後のお客さまも来始め、そろそろ粕汁の鍋の底が見えて来た。


「粕汁まだある?」


「最後の1杯ですよ」


「やった!」


 千隼が粕汁の鍋を傾けてお椀に入れる。それをお渡しすると青年のお客さまは嬉しそうに受け取った。


「年明け一発目のこれが楽しみなんだよなぁ。寒い日の粕汁最高だよなぁ」


「少しでも暖まってくださいね」


「ありがとうな」


 青年がその場を去ると、千隼はすうと息を吸う。


「粕汁終わりましたー!」


 声を張ると、あちらこちらから「えー」「残念」という声が上がる。


「豚汁は?」


「まだありますよ」


「じゃあふたつ」


「はい。ありがとうございます」


 そしてふたりは豚汁が無くなるまで忙しなく動き続けた。




 お陰さまで間も無く豚汁も品切れると、佳鳴たちは店じまいを始める。年が明けてから2時間近くが経ち、参拝客も少なくなって来ていた。数時間後明るくなるころにはまた賑わうだろう。


 どの露店もだが、機材などのほとんどはレンタルでまかなっていた。テントとテーブル含め、神社御用達のレンタル会社でまとめて手配していただいた。


 佳鳴と千隼も器具は全部レンタルにしていた。レンタル会社が取りに来てくれるので、綺麗にお返しできる様に神社で水場を借りて大鍋を洗う。幸いなことに湯が出てくれた。


「あー無事終わったぁ」


 大鍋を泡だらけにしながら千隼が達成感を込めて言い、佳鳴が「ふふ、そうだね」と笑顔で返す。焦げが無いので洗うのは楽である。


 洗って拭いた大鍋を露店のテントに戻し、材料を入れていたタッパやフリーザーバッグも重ねたり畳んだりしてバッグに入れると、来た時とは打って変わってすっかりと身軽になった。来た時には大きなバッグは具材でぱんぱんだったのだ。


 ふたりは他の露店に顔を出す。


「お疲れさまです。お先です〜」


 いくつか品切れして店じまいしている露店もあったが、まだ美味しそうな料理を提供している露店が「おう、お疲れ!」「良かったら食って行かねぇか?」などと返してくれる。


 鍋の前を離れて寒さを感じ始めていたふたりは、居酒屋の露店で熱燗あつかんをいただき、隣り合っている焼き鳥屋の露店が七輪の炭火で焼いている焼き鳥を頬張った。もちろんきちんと代金は払う。


「寒いし小腹も空いて来てたので助かります。あ〜美味しい」


「熱燗と焼き鳥最高ですね! たまらん!」


 冷えた身体に日本酒を流し込めば、まさに五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るという表現がぴったりだ。焼き鳥屋さん秘伝のたれをまとった焼き鳥は、炭火で香ばしくふんわりと焼きあがっていた。


「おふたりさんは正月どうするんだ?」


 焼き鳥屋さんの大将が気安く聞いて来る。


「実家に行く予定です。お節とか張り切って用意してくれているみたいで」


「お、お袋さんが頑張ってくれるんだな!」


「うちの実家、家事は父の役目なんですよ」


 佳鳴が言うと、大将はふたり揃って「へぇ?」と目を丸くする。


「はぁー、そんな家庭も増えてるのかねぇ。時代ってやつだなぁ」


 ふたりの父は大将たちとそう歳も変わらないだろう。だが特に言うことでも無いので、ふたりは「そうですね」と応えてにっこりと笑った。




 露店を後にして、佳鳴と千隼は境内に向かう。お賽銭さいせんを賽銭箱にそっと落として鈴を鳴らし、二礼二拍手一礼。ふたりは手を合わせて丹念に願いを込めた。


 顔を上げて、ふたりは並んで祀られている御神体をしばし見つめる。本殿の重厚な扉が開かれ、その奥にこじんまりとした神さまが豪奢ごうしゃな台座に鎮座していた。穏やかな表情をした飴色の仏像である。


「姉ちゃん、何お願いした?」


「多分千隼と同じこと」


「はは。だよな」


 言葉こそ違うだろうが、ふたりが願うのはいつも同じだ。


 昨年は本当にありがとうございました。

 今年も家族が元気で過ごせます様に。

 今年も煮物屋さんが幸せであります様に。

 今年も煮物屋さんのお客さまがすこやかであります様に。


 それが今の千隼と佳鳴にとって大切なものであり、守りたいものである。去年もそうある様にしてきたつもりだ。それは今年も変わらない。


 これまでと同じ様に。いや、これまで以上に。


 どうか今年も皆にとって素晴らしい年になります様に。


「姉ちゃん、明けましておめでとう。今年もよろしくな」


「うん。おめでとう。こちらこそよろしくね」


 佳鳴はふわりと口角を上げ、千隼は穏やかに目を伏せた。

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