季節の幕間1 少し特別なクリスマスイブ

穏やかな時間のプレゼント

 今日のメインは鶏肉とパプリカの煮物である。パプリカは赤と橙を乱切りにし、お出汁と酒と塩でさっぱりとした味わいで彩りよく仕立ててある。


 鶏肉は塩と酒で下味を付けたあと、薄く小麦粉をはたいて焼き付けているので、煮汁にかすかにとろみが付いて具材に良く絡む。


 器に盛り付けたあと、彩りにみじん切りにしたパセリをぱらりと振った。


 小鉢のひとつはカッテージチーズの白和えだ。さっと塩茹でした春菊と千切りの人参を、カッテージチーズと白味噌と白すりごまで作った和え衣で和えてある。


 爽やかで少し酸味のあるカッテージチーズに、白味噌のこっくりとしたこくと白すりごまの香ばしさと甘みが合わさった一品だ。


 もうひとつはトマトとブラックオリーブのマリネ。湯剥きをしたプチトマトをマリネ液に浸け、塩漬けオリーブオイルと合わせて器に盛り、パセリを添えた。


 それを見た常連のさかきさんは「あ〜」と嬉しそうに口角を上げた。


「もしかして、クリスマスメニュー?」


「はい。そうですよ」


 今日は12月24日、クリスマスイブである。ビルや店舗も多い駅前はステッカーやスプレー、電飾などで色とりどりに飾られ、流される音楽も誰もが知っているクリスマスソング。


 人間の倍以上もある大きく華やかなクリスマスツリーも立てられ、その周りでは可愛らしく着飾ったお嬢さんたちが楽しげにスマートフォンで写真を撮っていた。


 そんな賑やかなお祭りムードであるが、煮物屋さんは平常営業である。お客さまも普段通りに訪れる。


 だがいつもと違うのは、そのほとんどがパートナーのおられない常連さんだということだ。


 榊さんもそのおひとりである。煮物屋さんでの時間のほとんどをご一緒されている門又かどまたさんは、山形やまがたさんのお誘いでレストランに行かれたとのこと。(9章)


 山形さんは門又さんと煮物屋で出会うと近くに腰掛け、控えめながら会話を重ねて来た。


 山形さんはきっとじわじわと想いを自覚し、嬉しそうに門又さんと話をしていた。そして今日勇気を出して門又さんをクリスマスディナーにお誘いしたのである。


 門又さんはそれを榊さんに伝え、それが佳鳴かなる千隼ちはやに流れて来たのである。


 門又さんは少し鈍感なところがある様で「なんでだろ」と首を傾げておられた様だ。


 今日が山形さんの決戦日になるのかどうかは判らないが、おふたりが楽しい時間を過ごせる様に願おう。


 榊さんは白和えを口に含むと「あ〜美味しいなぁ〜」と顔を綻ばせた。


「独り身のクリスマスでも、ここでご飯食べると楽しいもんねぇ〜」


 そう言って白ワインを傾ける。いつもはハイボールの榊さんだが、もしかしたらクリスマスを意識されているのだろうか。


「そうですよねぇ。まるで駆け込み寺ですね」


 榊さんの横でそう言って笑うのは結城ゆうきさん。ウォッカの炭酸割りをくいと喉に流し込んだ。


「ひとりのクリスマスってやっぱりちょっと寂しいって思っちゃいますもんねぇ。友だちは皆彼氏いたりで誘えなくて。煮物屋さんが開いてて良かったです」


 須藤すどうさんも言ってマリネをぱくりと口に放り込んだ。須藤さんのお気に入りは赤ワインである。須藤さんは「んふ」と表情を緩める。


「マリネがさっぱりしてるのにお酒に合いますねぇ。美味しいです」


「ふふ、こちらもクリスマスに煮物屋さんを選んでいただけて嬉しいです。ごゆっくりなさってくださいね」


 佳鳴が笑顔で言うと、榊さんたちもにっこりと微笑んだ。


 今日は献立も榊さんのおっしゃる通り、クリスマスを意識したものだ。


 日本ではクリスマスではフライドチキンを食べるイメージが強い。なのでメインに鶏肉を使った。


 煮物屋さんでは醤油で味付けした煮物にすることが多いが、今回塩にしたのはパプリカの色味を邪魔しないことがひとつ。もうひとつは洋の雰囲気を意識した。しかしかつおと昆布の出汁を使っているので、和食ではあるのだ。そこは煮物屋さんのこだわりである。


 白和えがカッテージチーズなのも同様である。だが隠し味に白味噌を使っているし白すりごまは外せない。そこに和の要素を忍ばせてあるのだ。


 マリネは洋ものだが普段から煮物屋さんで出しているものだ。なので常連さんにはおなじみである。


 クリスマスとなれば、ご家族ならお家で過ごされたり、ご夫婦やカップルならレストランなどを予約されたりするだろう。お友だち同士でパーティをされたりもあるだろう。


 だがそうでない方もたくさんいる。ならそう言う方たちのいこいになればと毎年練っているのである。


 クリスマス前に彼氏や彼女が欲しいと躍起やっきになる人もいるが、佳鳴も千隼も正直なところその様なものに惑わされず、楽しく過ごして欲しいなと思うのだ。




 そうして常連さんたちにとって穏やかな時間が流れている最中。


「こんばんはー」


「こんばんは」


 そう言いながら顔を覗かせたのは門又さんと山形さんだった。


「いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ」


 佳鳴と千隼は「おや?」と思いながらもおふたりを迎える。榊さんも声で気付いたか「あれぇ?」と首を曲げた。


「門又さんと山形くん。どうしたの〜? ふたりでイタリアン行ったんでしょ〜?」


 榊さんの問いに門又さんは「あはは」と明るく笑う。


「イタリアンも美味しかったんだけど、やっぱり煮物屋さんに行きたいねって。ね」


「はい。ここのご飯はとても美味しいですし、居心地もとても良いですから」


 結城さんや須藤さん、他の常連さんが気を利かせて席をずらしてくれる。榊さんの隣が門又さんの、門又さんの隣が榊さんの定位置と言え、皆さまそれが分かっているからだ。


「ありがとうございまーす」


 門又さんはお礼を言いながら榊さんの横に掛け、その隣に山形さんが座った。おふたりは佳鳴が渡したおしぼりで手を拭き、ようやく落ち着いたと言う様に息を吐いた。


「門又さん、山形さん、お食事どうされます? 少しずつお盛りしましょうか?」


 佳鳴が言うと、門又さんも山形さんも「え?」と目を丸くする。


「良いの? ここに来て何も食べないってありえないし、頑張って食べるぞーって意気込んで来たんだけど」


「僕はなんとかなりそうですけど、そうしてもらえるなら助かるかもです」


「ご無理しないでくださいね。せっかく美味しいお食事をして来られたんですから。少しつまめるぐらいでお出ししますね」


「あ〜実は助かります。ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 門又さんも山形さんもほっとした様な表情を浮かべる。佳鳴と千隼としてはおふたりで特別なお食事をされたというのに、煮物屋さんに来たいと思ってくださることが本当に嬉しいのだ。これぐらいの加減はなんてこと無い。


「確かにイタリアンのコースは美味しかったわよ。でも、こうね、山形くんが一緒だからか、やっぱり煮物屋さんに来ないと締まらないよねって」


「はい。ちょっとお洒落なバーとかも考えてたんですけど、やっぱり煮物屋さんだよねって話になりまして」


 門又さんと山形さんは揃ってにこにことそんなことをおっしゃってくださる。佳鳴もまた嬉しくなって頬を緩めた。


「ありがとうございます。お飲み物はどうされますか?」


「麦焼酎の水割り!」


「柚子サワーください!」


 ふたりはまるで手を上げるかの様な勢いだ。すでにお酒も飲まれているのだろう、すっかりとご機嫌である。


「はい。お待ちくださいね」


 佳鳴はくすりと微笑んで応えると、千隼と並んでドリンクの準備をする。千隼も口元が綻んでいて嬉しそうだ。


 タンブラーに作ったドリンクをお出しすると、おふたりは揃って「ありがとうございます」と受け取る。榊さんも交えて「乾杯」と軽くグラスを重ねた。


 門又さんと山形さんはぐいとタンブラーを傾けて「はぁ〜」と心地好さそうな息を吐いく。


「さっきのワインも本当に美味しかったけど、飲み慣れてるのほっとする〜」


 門又さんが言うと、榊さんが「もう、門又さんたら〜」と小さく顔をしかめる。


「山形くんが頑張って考えてくれたコースなんでしょ〜? そんなこと言わないのよぉ〜」


 すると山形さんが「いえいえ」と苦笑する。


「僕も同じこと思ってますから。ワインもお料理も美味しかったんですけど、やっぱり僕にはレベルが高かったみたいです。門又さんの様な大人の女性とならって思ったんですけど、僕まだまだでした」


 門又さんは話を聞いてきょとんとした顔をすると、次には「あははっ」と笑って山形さんの背中を軽く叩いた。


「美味しかったし楽しかったよ。誘ってくれて本当にありがとう。せっかくのクリスマスに私を誘ってまでイタリアンなんて、よっぽど食べたかったんだね」


 門又さんの笑顔混じりの何気ないせりふに、今度は山形さんが「へ?」とぽかんとしてしまう。


「今度は気になる女の子でも誘ってあげなよ」


 ベタなコントの様な展開に、佳鳴と千隼は料理を用意しながらも頭を抱えたくなった。現に榊さんは「あちゃー」と言う様にしかめたこめかみを指で押さえている。


 山形さんは残念そうにしょんぼりと眦を下げながら、力無い声で「そ、そうですね……」と絞り出した。


「門又さぁん……」


 榊さんの呻く様な声に門又さんが「ん?」と顔を向けた時、新たなお客さまが訪れた。


「こんばんはー」


「こんばんはぁ」


 田淵さんご夫妻だった。おふたりは今夜奮発してフレンチレストランを予約したと、数日前に嬉しそうに話されていたのだが。


「こんばんは、いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ」


 佳鳴と千隼は普段通りにお迎えする。ご夫妻は「あ〜寒かった〜」と言いながらアウターを脱ぎ、空いた席に並んで掛けた。


「あれ、門又さんと山形くん。おふたり今日イタリアンに行くって言ってなかったですか?」


 田淵さんがおふたりに気付いて言うと、門又さんは「行って来ましたよ〜」と明るく応える。


「でもやっぱり煮物屋さんに行きたいねって山形くんと」


「あ、はい」


 山形くんはまだ微妙な面持ちで頷く。その向こうで榊さんが「駄目だった」と言う様に首を横に振り、田淵さんの奥さん沙苗さんが「ああ」と応える様に大きく頷いた。


 沙苗さんも山形くんの気持ちに感付いているのだろう。それだけ山形くんは分かりやすいと言える。肝心の門又さんが気付いておられないのがなんとももどかしい。


 門又さんは程よい量でお出しした料理を「やっぱり美味しーい」と嬉しそうにつまみ、どうにか立ち直った山形さんも「美味しいですねぇ」と頬張る。榊さんも苦笑しながら会話に混じっている。


 田淵さんご夫妻は「レストランではなんとなく飲めなかったから」と、田淵さんが大好きなビールを沙苗さんもお付き合いして、1本の瓶ビールを注ぎ合って乾杯した。


 自然と隣り合った結城さんと須藤さんもにこにことお喋りを楽しまれている。他の常連さんも楽しそうに時を過ごされていた。


 店内は特にクリスマスらしい飾りがあるわけでは無い。カウンタの端に小さなかわいらしい雪だるまがちょこんと置かれている程度。


 いつもの煮物屋さんの光景と変わらないだろう。それでもこの特別な日の大切な時間、こうして煮物屋さんで過ごしてくださるお客さまの顔は皆朗らかで、佳鳴も千隼も嬉しくなってしまう。


 そうして煮物屋さんのクリスマスイブは、穏やかに過ぎて行くのだった。

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