第2話 かわいい探しもの

 その日の煮物屋さん営業中、お客さまは壁に貼った数枚のマリンちゃんのちらしを見て「注意して歩いてみるね」などとおっしゃってくださる。


 スマートフォンでマリンちゃんの写真を撮られるお客さまもいた。


「ペットの行方不明って心配だよなぁ。うちにも猫がいるからさぁ、気持ち解るぜ」


「うちはハムスターだから基本ゲージから出さないけど、いなくなるって想像しただけで立ち直れないかも」


 ペットを飼っておられるお客さまはそんな話で盛り上がっている。飼っておられないお客さまも「私も飼いたいんだけどもね〜難しそう」なんて話をされている。


 佳鳴かなる千隼ちはやはペットを飼ったことが無い。母親が動物好きでは無かったからだ。父親と姉弟で世話をしたら良いのだろうが、家に動物がいること自体、母親が難色を示したのである。


 佳鳴も千隼も幼いころはペットを飼うことに憧れもあったが、大きくなるにつれて飼うことで伴う責任や大変さなどを知り、安易に「ペット飼いたい」とは言わなくなって行った。


 そして飲食店をいとなんでいる今、ペットを飼うのは避けた方が良いだろう。毛の無い爬虫類などなら大丈夫かも知れないが、佳鳴も千隼も申し訳無いことに、それらをあまり可愛いとは思えなかった。


「それにしても沢渡さわたりさん、ペット探偵まで始めるなんて、間口が広いわねぇ」


 そんな話も飛び出す。沢渡さんの口から出てくるのは、そのほとんどが浮気・不倫調査の話だからだ。


「張り込みしてたら雨が降って来てさぁ」


 こんな感じで個人情報保護に差し障りない程度の世間話である。雨もだが強い風に晒されたりもするだろうし、警察官に職務質問をされたりも珍しく無いらしい。本当に大変なお仕事だ。


「でも沢渡さんは個人経営なんだから、仕事増えた方が良いんじゃ無いか? しかしこの、マリンちゃん? 可愛いなぁ」


 そのお客さまは言って、スマートフォンで撮影したばかりのマリンちゃんを見て表情を綻ばせた。


「店長さん、ハヤさん、このマリンちゃん見付けたらどうしたら良いんだ?」


「ちらしの連絡先、沢渡さんの携帯番号に直接掛けて差し上げてください」


「オッケー。しかしこんな風にスマホの番号晒して大丈夫なもんなのかねぇ」


 お客さまが首を傾げた時、噂の沢渡さんが来店された。


「いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ」


「おう。今日は開店前に悪かったな」


 そして店内に貼ったマリンちゃんのちらしを見て「おお!」と目を開いた。


「1、2、5枚渡した分全部貼ってくれたのか! こりゃありがたい」


「少しでもお客さまの目に触れられる様にと思ったんです。それにマリンちゃん可愛いですからね」


「はは、インテリア代わりか。確かに可愛いよなぁ。早く見付け出してやらないとな。あ、ハイボールちょうだい」


「はい。お待ちくださいね」


 料理も同時に用意して行く。


 今日のメインは鶏肉とあさりと白菜の煮物だ。あさりを使うのでお出汁は昆布だけ。酒と塩であっさり味に仕立てた。仕上げに彩りも兼ねて青ねぎの小口切りを散らす。


 鶏肉は皮目を焼き付けて香ばしさを出した。余分な脂もこの時に除けるので、煮汁はさっぱりしている。


 小鉢のひとつはちくわとピーマンのカレー炒めである。縦4等分、横半分に切ったちくわとちくわに合わせて切ったピーマンをオリーブオイルで炒め、味付けはカレー粉と塩こしょう、醤油とみりん。カレーだが和風の一品だ。


 もう一品は長芋のごま和えだ。短冊切りにした長芋をお出汁と醤油、白すりごまで和えた。しゃくしゃくと歯ごたえの良い、ごまの香りが良い一品である。


「お待たせしました〜」


 先にハイボールを、そしてお料理を提供すると「ありがとうな」と受け取られる。


 さっそくハイボールに口を付け、「あ〜旨い!」と口角を上げた。


「今日はあちこち行ってちらし貼ってもらったんだよ。調査の合間にだけどな」


「あら、調査のお仕事も並行してされているんですか?」


「そうなんだよ。そっちの方が先に来てた仕事だからな。だからマリンちゃんの飼い主にもそう言ってある。つっても調査の方は明日までの契約で、追加調査が無かったらマリンちゃん捜索に割けるんだけどな」


「沢渡さん的にはどちらの方が良いですか?」


 佳鳴が少しからかう様に訊くと、沢渡さんは「あはは」とおかしそうに笑う。


「正直報酬的には追加調査ありだな。けどペット探しは時間が勝負だって知り合いも言ってたからなぁ。マリンちゃんを早く飼い主の元に返してやりたいしなぁ」


「そうですねぇ。私たちも買い出しの時とか気を付けてみますね。黄色の首輪のミニチュアダックスフンドちゃんですね」


「ああ。悪いけどよろしく頼むな」


 沢渡さんは言うと、カレー炒めに箸を伸ばす。


「うまっ、カレー味良いな。でも醤油も入ってるか?」


「はい。和風に仕上げてますよ。うちは和の煮物屋さんなので」


 佳鳴がそう言ってにっこりと笑うと、沢渡さんは「ははっ、そりゃそうか」と笑う。


「あーとりあえず明日で調査切り上げて、マリンちゃんの捜索に本腰入れれる様にしないとなぁ。ひとり、いや一匹か、心細いだろうしなぁ」


 沢渡さんはそう言い、煮物のあさりを食べて「あ〜沁みるぅ!」と嬉しそうな声を上げた。


「ねぇ沢渡さん」


 先ほど携帯電話の番号を晒すことに不安を抱いていたお客さまだ。


「これさぁ、こんな風に番号書いちゃっても大丈夫なもんなのか?」


「ああ、これ、仕事用に格安スマホ別に持ってるんだよ。うちは事務員も雇えない超絶零細れいさいだからな。事務所の家賃払うので精一杯。だから何でも自分でやらないと」


「へぇ」


 お客さまは感心した様に目を開いた。


「凄いなぁ。でも大変そうだ」


「まぁな。でもひとりで気楽とも言えるなぁ。ははは」


 沢渡さんは言うと、楽しそうに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る