第3話 思いがけない伏兵
数日後に来店された
「もうするっする書けちゃって。
「それは良かったです。ではあれからもクラブには行ってらっしゃるんですか?」
「はい。取材と称してちょくちょく行ってます。もうね、本当にちやほやしてくれるものだから勘違いしちゃいそうですよ。はまる女性がいるの解る気がします。あ、白ワインお願いします」
「はい。かしこまりました」
「先日来られた時には、クラブにはまっちゃったみたいなことおっしゃってましたよねぇ」
「あはは。気持ちが良くてついつい。でもお酒の量はかなり抑えてますよ。資金が潤沢なんて加藤ちゃんは言ってましたけど、私なんて全然細客ですよ。シャンパン入れることも無いですし」
どうやら早乙女さんはしっかりと現実を見ている様である。ホストクラブ通いは一種の現実逃避の側面もあるのかも知れないが、
「はい。白ワインお待たせしました」
「ありがとうございます。あの、確かにホストクラブの接客も、私の妄想と変わらない夢物語の様なものです。現実の恋愛って言いましたけど、そんなお付き合いとは違うんだろうなって思います。ちゃんとわきまえてるつもりです。加藤ちゃんにも心配されますけどね。初めて行った時は舞い上がっちゃいましたけど、もう大丈夫です。でもなかなか元の作風に戻せないんですよね。そこはやっぱりクラブ通いの弊害が出ちゃってます」
「今の早乙女さんが書きたいものが何かによるんですかねぇ?」
早乙女さんは白ワインに口を付けることも無く考え込む。
「そう……ですねぇ。今は引き出しがホストクラブで蓄えたものでいっぱいになっているので、まずはそれを形にしたいです。それからまた考えます。それにホストクラブって羽目を外さなかったら結構楽しいもんですよ。入れ込み過ぎない様に気は付けなきゃですけど」
「そうですね。はまり過ぎると怖いって聞いたことがあります。早乙女さんは大丈夫だと思いますけど、
「本当にそうですね。ほどほどにしますね。いただきます」
早乙女さんはようやく白ワインに口を付けた。
早乙女さんと加藤さんが連なって来られたのは、それから数日後のこと。おふたりにしては少し遅めの時間だった。
目元でハンカチを握り締めた早乙女さんはうっすらと涙を浮かべ、加藤さんはそんな早乙女さんの肩を抱いていた。
それには佳鳴も
「いらっしゃいませ〜」
「いらっしゃいませ」
いつもの様にお迎えしようと努める。
「こんばんは……」
早乙女さんが掠れた声で言い、加藤さんも困った様な微笑で「こんばんは」と返してくれた。
おふたりは空いている席に並んで座り、佳鳴からおしぼりを受け取る。加藤さんは手を拭くが、早乙女さんは使わないままカウンタに置いてハンカチで涙を拭った。
「こんな状態ですいません」
加藤さんが言い、申し訳無さげに小さく頭を下げる。佳鳴は「いえいえ」と首を振った。
「どうかされたんですか?」
佳鳴が穏やかに訊くと、早乙女さんの目に新たな涙がじわりと浮かんだ。そして呻く様に言う。
「し、失恋じまじだぁ〜」
「え?」
突然の展開に佳鳴は思わず声を上げる。最近の早乙女さんと言えば、お話を伺う範囲では節度を保ってホストクラブへ取材兼ねて通っていたはずだが。
男には聞かれたく無いだろうと、千隼はそっとその場を離れる。
加藤さんは呆れや憐憫が入り混じる様な複雑な表情で口を開いた。
「いつも先生の相手をしてくれているホストが、最初取材に行った時に接客してくれた3番人気の人なんですけど、その人に付いてヘルプに入っている新人ホストがいましてね」
「その3番人気さんのお弟子さんみたいな感じなんでしょうか?」
「そんな感じでしょうかね。3番人気が他のテーブルに呼ばれた時に相手をしてくれたり、飲み物を作ってくれたり。私たちが最初に行った時から入ってくれていた人なんですけどね」
早乙女さんがずずっと鼻をすする。まだ涙は止まらない様だ。
「その人です」
まさかのダークホース! 佳鳴は「あらぁ」と声を漏らした。
「だっでぇ〜。一生懸命で健気でぇ〜、可愛くてぇ〜。私が守ってあげなきゃってぇ〜」
「それで今日同伴してもらって、告白したんですよ。私も付き添ったんですけどね」
「ぞうなんでず〜。私が面倒みであげるっで〜。ぞじだら断られちゃいまじだ〜。お付ぎ合いはでぎまぜんっで〜」
早乙女さんはまた新たな涙を流す。
「どうじでなんでじょう〜」
「先生、だから第一声ですでに重いんですって。養ってあげるって……昨今の若者でも男のプライドぐらい多少はありますよ」
加藤さんはさすがに呆れた様に言う。
「だっでぇ〜、支えであげだくで〜」
早乙女さんはえぐっえぐっとしゃくり上げた。
「でしたら、その方は誠実な方なのかも知れないですねぇ」
佳鳴が優しく言うと、早乙女さんは泣きながらも嬉しそうな顔になる。
「ぞう思いまず〜?」
「はい。だってホストさんだったら売り上げって大事ですよね? なぁなぁにしてもっとお店に来てもらって、お金使って欲しいって思ってもおかしくないんじゃ無いかと思うんです。養って云々も、受け入れたら経済的には楽できるわけじゃ無いですか。でもその方はそうはされなかったんですから」
「あ……ぞうでずね……」
早乙女さんが涙を拭いて頷く。
「なので今回のことは残念だったのかも知れないですけど、良かったのかも知れませんよ。ホストさんにも色んな人がいると思いますけど、やっぱりお付き合いは難しいんじゃ無いかと思います」
「ホズドだがらでずが?」
「どうしてもいろいろな女性のお相手をされるお仕事ですからねぇ。そこを割り切れなければしんどいと思いますよ」
「そうですよ、先生。今日思い知りました。先生は重い女なんですから、嫉妬も酷いと思いますよ。絶対に相手と揉めますって」
「私っでぞんなに重い〜?」
早乙女さんがまたくしゃりと顔を歪める。佳鳴は「そんなことありませんよ」と言ってしまいそうになるが。
「重いです」
加藤さんはぴしゃりと言い放った。
「酷い〜」
早乙女さんはがっくりとうなだれる。どうやら自覚が無かった様だ。
「でも先生、店長さんのおっしゃる通り、はっきりと断られて良かったと思いましょう。これが不良店だったら全財産むしり取られていたかも知れませんよ」
「そうですねぇ。ああいう夜の世界のことは私も詳しく無いですけど、そういう人もいるかも知れませんからね。お相手さんから見たら早乙女さんは大切なお客さまで、だからこそ誠実に応えてくださったんだと思いますよ。その時、そのお相手さんは早乙女さんを大事にしてくださったんですよ」
早乙女さんは涙を浮かべながらも顔を上げる。目に少し光が戻っただろうか。
「私、あの人に大事にじでもらっだんでじょうが」
「そうだと思いますよ。それは大切な思い出にして良いことだと思いますよ。諦めになるのはなかなか難しいかも知れませんけど、月並みなせりふですけど男性なんて星の数!ですから」
早乙女さんはハンカチで涙を拭くと、力強くぐいと顔を上げた。
「ありがとうございます。そう言ってもらえたら立ち直れそうです。今回は残念でしたけど、ホストクラブのお陰で新しい引き出しができましたし。前の引き出しはまだ引っ込んだままですけど」
「そちらもまたお使いになれる様になりますよ。合わさったら最強に面白い小説が書けるかも知れませんね」
「へへ、そうだったら良いなぁ」
真っ赤な目をして微笑む早乙女さんの肩を、加藤さんがやれやれと言った表情でぽんと叩いた。
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