第2話 仮想現実の罠
翌日、また
「話を聞いて欲しくてまた来ちゃいました」
早乙女さんはそう言ってご機嫌に笑う。
「白ワインって言いたいところなんですけど、まだ昨日のお酒が少し残ってるんですよねぇ〜」
「あら、珍しいですね。普段そうあまり多くはお飲みにならないのに」
佳鳴が目を丸くして言うと、早乙女さんは苦笑する。
「飲ませ上手な方がいて」
「迎え酒はさすがにおすすめしませんねぇ」
「ですよねぇ……でもせっかくだから何か飲みたい……」
早乙女さんは言いながらメニューを睨みつける。
「では焼酎かウォッカを薄く割りましょうか?
「じゃあウォッカでお願いします。焼酎は苦手なので。ソーダ割りでお願いします」
「かしこまりました」
佳鳴はコリンズグラスを出して氷を入れ、ウォッカを少なめに入れて炭酸水を注いでステアした。
もうひとつ、タンブラーには氷とミネラルウォータを入れる。
「はい、お待たせしました」
「ありがとうございます」
笑顔でふたつのグラスを受け取った早乙女さんはまず水を飲む。そしてウォッカの炭酸割りを飲んで「はぁ〜」と心地よさげな溜め息を吐いた。
「やっぱりお酒は美味しい〜。たまにはウォッカも良いですね。今度完調の時にちゃんとしたのいただこう」
「はい。お大事になさってくださいね」
「ありがとうございます。でも宿酔いになりにくいお酒ってあるんですか?」
「はい。ウォッカと焼酎の他に、ジンとラムも宿酔いしにくいらしいですよ」
「他のお酒との違いってなんなんでしょう」
「えっとですね、まずは蒸留酒ということ。不純物を取り除いているから宿酔いになりにくいそうですよ。メタノールっていう成分が含まれないからなんですって。でもウイスキーなんかは入っているみたいなので、蒸留酒なんですけど注意が要るみたいですね」
「じゃあ白ワインは醸造酒だからアウトですね」
「そうですね。でも飲み過ぎなければ大丈夫だと思いますよ。早乙女さんの普段の量なら大丈夫なんですよね?」
「はい。ほろ酔いぐらいしか飲まないですからね。それぐらいがちょうど気持ち良いですもん。でも昨日はねぇ。あ、そうそう、その昨日なんですけど」
「はい。取材と打ち上げを兼ねてとおっしゃってましたね。初めてのジャンルのお店だったとか」
「ホストクラブだったんです」
「あら」
予想外の答えに佳鳴は驚く。佳鳴の勝手なイメージではあるが、早乙女さんとホストクラブが結び付かなかった。
「あ、でも取材も兼ねてるとおっしゃってましたね」
「そうです。私が書く男性は決まってイケメンで、性格はその時々によりますけど、基本的には読者さんがときめく好青年とか俺さまとか王子さまとか、そんな感じが多いんですよ。言葉使いとかでキャラ付けとか区別化しますけど。なのでもっといろいろな男性を見たくて。後は女性の扱いとか。ホストさんは女性を良い気持ちにさせるプロなので、参考になればと思って加藤ちゃんに優良店を探してもらったんです」
「そうだったんですか。確かにホストの方はそれが専門のお仕事ですもんね」
「はい。不思議なもので、ホストさんて全員が全員イケメンじゃ無いんです。ヘアスタイルでごまかしてる感じの人も多いんですよ。じゃあ何が売れるかって言うと、やっぱり話術とか女性の扱いなんですよね。ご指名の取っ掛かりは見た目なんだと思いますけど、結局そういうのが下手な人だと続かないんだと思います。で、ですね……」
早乙女さんはうっとりと表情を崩す。
「イケメンでお話も巧い人がいたんですよぉ〜。格好良かったです〜」
「あら、それは素敵な出会いだったんでしょうか」
「はい、それはもう。もともと取材だってことで予約を入れて行っていたんで、いろいろ話を聞かせてもらいました。お店の3番人気のホストさんなんですって。大きなお店でホストさんの人数も多いので、3番人気って結構凄いことみたいで。あ〜、夢の様な時間でした〜」
早乙女さんは言って、手を組んで恍惚の表情で目を閉じた。相当お気に召した様だ。
だが佳鳴は少し心配になってしまう。下手にのめり込んでしまわなければ良いのだが。加藤さんが一緒に行っていたので大丈夫だとは思うのだが。
数日後、早乙女さんと加藤さんが揃って訪れた。ふたりとも浮かない表情である。特に早乙女さんは青ざめている様に見えた。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ〜」
いつもの様に出迎えておしぼりを渡す。おふたりは手を拭きながら揃って「はぁ〜」と溜め息を吐いた。
「どうかされたんですか?」
佳鳴が聞くと、早乙女さんは泣きそうな顔になって言った。
「小説書けなくなっちゃいました〜」
「え?」
佳鳴が驚いて目を丸くすると、加藤さんが「店長さん、先生ったらちょっと目を離した隙に」と呆れた様に言う。
「ホストクラブにはまってたんですよ」
佳鳴は「ああ……」と思わず声を上げてしまう。密かに心配していたことだったが、現実のものになっていようとは。
「下手に売れっ子で資金が潤沢なものだから、歯止めが効かなくなってしまったんですね。それは百歩譲って先生の勝手ですからともかくとして」
「現実の色恋を知っちゃったものだから、自分がこれまで書いていたものが馬鹿馬鹿しく思えて来ちゃって……」
「え? 現実の色恋って、早乙女さんこれまで男性とのお付き合いだって」
そもそもホストとの疑似恋愛を、恋愛と言い切って良いものかどうかの疑問もあるが。
「いえ。先生は彼氏いない歴イコール年齢です」
「お恥ずかしい……」
早乙女さんは赤くした顔を両手で覆った。妄想力などによる知識だけが膨大で実体験があまりにも貧弱だから、余計にホストクラブにはまりやすかったのだろう。
「なら早乙女さん、その実体験を書いてみたらどうですか?」
佳鳴がさらりと言うと、早乙女さんも加藤さんも「え?」と顔を上げる。半ば呆気に取られた様なその表情に、佳鳴は
「これまで書かれていたものが難しいのでしたら、今書けるものはどうかと思ったんですけども、で、でもそんな簡単なものでは無いですね。すいません」
すると早乙女さんと加藤さんは顔を見合わせて「先生」「うん」と力強く頷き合った。
「新境地行ってみましょう先生! 書けないのはもう今は仕方が無いです。だからってうだうだしてる場合じゃ無いですよ!」
「そ、そうだよね! ヒーローをホストにするとか、ヒロインをきらっきらのお姫さまにするとか、できるよね! 私やってみる!」
早乙女さんと加藤さんは手を取り合ってきゃあきゃあと盛り上がる。そして揃って笑顔で佳鳴を見ると「ありがとうございます!」と声を上げた。
「私たち、これまでの作風を続けなきゃってそればかり思ってしまって、それに思い至れなかったんです」
「はい。ただただ書けないっておっしゃる先生になんて言ったら良いのか分からなくて」
「いえ、こちらこそ無責任なことを言ってしまって」
佳鳴が申し訳無さげに謝ると、加藤さんが「いいえ」と首を振る。
「そういうシンプルな思考が必要だったんです。私たちは難しく考え過ぎてしまって」
「はい。私頑張ってみます。もしかしたら今までの読者さんが離れてしまうのかも知れないですけど、書かないよりは書けるものを書く! そのためにはまたクラブに行かなきゃ!」
「先生、それは適度にしてくださいね」
ガッツポーズをした早乙女さんに、加藤さんはしっかりと釘を刺した。
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