第2話 現象の正体

 最近煮物屋さんに来られる様になった占い師の柳田やなぎださんが来店されたのは、翌日のことだった。


 柳田さんは美味しそうに冷酒を傾け、その日のメインであるたこと大根の煮物を口に運ぶ。彩りは蒸した枝豆を添えてある。


「たこが柔らかいですねぇ。長い時間煮ているのですか?」


「いえ、煮る前にたこを叩いて繊維せんいを潰して、煮る時には炭酸水を入れているんですよ」


「炭酸水? ってあの炭酸水ですか? しゅわしゅわする」


 柳田さんは不思議そうに首を傾げる。千隼ちはやは冷蔵庫に入れてある使い掛けの炭酸水を出して見せる。普段酒を作る時に使っているものである。


「そうです。お酒を割ったりするのにも使う、無糖の炭酸水です。これでたこが柔らかくなるんですよ」


「そうなのですね。味に影響って無いのですか?」


「無いですよ。無糖ですし火を通していたら炭酸も飛びますからね。炭酸と水と日本酒で似て、味付けをしていますよ」


 千隼は炭酸水を冷蔵庫に戻した。


「へぇぇ。面白いですねぇ。あ、そういえば私、先日いかを煮たら硬くなってしまったんですけど、いかも炭酸水で似たら柔らかくなりますか?」


「いかは煮過ぎたら逆に硬くなってしまうんですよ。だから5分ほどさっと火を通した方が良いですよ」


「そうなのですか? 里芋と煮っころがしにしたのですけれど、煮上がる5分前なんて煮汁が心もとない気が」


「いかと里芋は味を決めて一緒に煮るんですけど、いかは火が通ったら一旦取り出しておくんですよ。で、仕上げに入れて温める程度に火を通すんです」


「ああ、なるほど。それでいかも里芋も柔らかくいただけるのですね」


 柳田さんは合点がいったと言う様に目を開いた。千隼は「はい」と頷く。


「あの、柳田さん」


 佳鳴かなるが声を掛けると、柳田さんは「はい?」と大きな目をくりっと向けてくれる。


「大変不躾ぶしつけなお願いなんですが」


「構いませんよ。なんでしょう」


「あ、姉ちゃん、あれ」


「うん」


 千隼も思い至った様だ。しかしいざ訊くとなるとなかなか勇気がいった。失礼になってしまわない様に慎重に言葉を選ぶ。


「実は、このお店の常連さんに看護師さんがおられるんですけども」


「あら、大変なお仕事ですわね。その方がどうかされましたか?」


「最近お勤め先の病院で心霊現象で悩まされているそうで」


「まぁ、確かに病院は生死の関わりが多い場所ですものね」


「はい。柳田さん、そういう方面に詳しい方をご存知では無いですか?」


「そういう方面とは、霊感がお強いですとか霊能者とか、そういうことでしょうか?」


「は、はい。本当に不躾で申し訳無いんですが」


 佳鳴がやや焦ると、柳田さんは「ふふ、大丈夫ですよ」と笑顔を浮かべる。


「そうですわね。では少し見てみましょうか」


「え?」


 佳鳴が首を傾げると柳田さんはまた「ふふ」と笑い、カウンタの下の棚に置いていた大きめのバッグからこぶし大ほどの水晶玉と、それを乗せる座布団の様なの台座を出した。


「え、え?」


 佳鳴も、横で千隼も慌ててしまう。こんな場所で神聖な占いをさせてしまうなんて。


「だ、駄目です柳田さん。こんなところで大切な水晶を」


「そうですよ。あの、あまりにも申し訳が無さすぎるので、あの」


 すると柳田さんはふんわりと優しげな笑みを浮かべる。


「いいえ。占いというものは、人のためにあるものです。そこに生命の有り無しは関係ありません。それにこれはきっとご縁なのです。確かに私は占いを生業にしておりますが、そこに必ず金銭が発生するわけではありません。だからと言って無闇に占うわけではありませんけどもね。私はこの煮物屋さんとのご縁を大変幸いなものだと感じています。それは店長さんとハヤさんが作られるお料理がとても美味しいというものもあるのですが、おふたりのお人柄も大きいのです。私はおふたりにとても癒されているのですよ。そのおふたりがお声掛けくださったということは、きっと私にとっても何かがあるのだと思うのです。ですのでどうかご遠慮なさらないでくださいね」


 佳鳴も千隼も柳田さんの言葉に呆然としてしまう。


「そんなことをおっしゃっていただけるなんて」


「こういうのを光栄って言うのかな」


 すると柳田さんはまた微笑む。


「私を頼ってくださったことが光栄ですよ。では見てみましょうね。その看護師さんがお勤めの病院を教えてくださいませ」


 佳鳴が三浦さんが勤める病院名を言うと、柳田さんは大きく頷いて両手を水晶にかざす。目を伏せ無言で、水晶に触れるか触れないかの距離で掌をさまよわせた。佳鳴と千隼は固唾を呑んで見守る。


 ややあって柳田さんは「あらあら」とおかしそうに口角を上げた。


「確かに様々な方がさまよっておられる様ですけれども、いちばん騒いでおられるのはやんちゃな男の子の様ですよ。食いしん坊な男の子で美味しいものが大好きで。でもご病気であまり食べられなかったままこの世を去ることになってしまったので、だだをこねている様です。このままにしておいてもそのうち諦めて成仏されるでしょうが、気になる様でしたら何かお供えしてさしあげたら良いかも知れませんね」


「ご供養、ということでしょうか」


「そうですわね。ご供養の心はとても大切です。看護師さまや病院にお勤めの方は特に死と触れ合うことが多いものですから、常にそのお心はお持ちいただきたいのです。怖がるのでは無く。もちろんおひとりおひとりにお線香を上げて、とまでは難しいかとは思いますが、亡くなられた方の安らかな成仏を願うことは大切なのですよ。そういう気持ちが亡くなられた方への後押しにもなります」


 佳鳴と千隼は柳田さんの話を感心しながら耳を傾ける。柳田さんの声と話し方は、占い師という職業柄なのかとても心に染み入るのだ。穏やかで優しい、まるで包まれる様な。


 柳田さんは決して難しいことをおっしゃったわけでは無い。だがとても大切なことの様に感じてしまうのだ。


「ありがとうございます、柳田さん。その様に看護師さんにお伝えしますね。特に供養の心は私も本当に大切だと思います」


「はい。その看護師さんにどうかよろしくお伝えください」


 柳田さんはにっこりと微笑んだ。




 閉店後、佳鳴と千隼は店の片付けをしながら、自然と柳田さんの話になる。


「まさか占って、占い? 視てもらえるなんて思わなかったよな」


「ねぇ。本当にびっくりした。でもあれって占いの範疇はんちゅうなの?」


「いや、どうなんだろ。俺そのあたり全然分からないからさ。こういうのは姉ちゃんの方が詳しいだろ」


「私も全然だよ。そういう現象が無いとは言い切れないって思ってるだけだもん。もしかしたら柳田さんはおっしゃらなかったけど、霊感みたいなのをお持ちなのかもね」


「俺は未だに幽霊とか信じられないけど、ああ、でも供養云々の大切さは解る。人が死んだ時の通夜とか葬式とかって結局そういうことだもんな」


「そうだね。安らかに成仏してねって送り出すためのものだもんね。それもそうだけど、柳田さんに何かお礼を考えたいよね。今日のお会計お受け取りできないって言ったのに、それは駄目って支払って行かれちゃったもん」


「だよなぁ。俺らに他にできることってなんだろうな」


「ちょっと考えよう。ただでさえありがたい常連さんなのに、恩ばかりお受けしてられないよ」


「そうだな」


 そうしてふたりはせっせと手を動かして行った。

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