煮物屋さんの暖かくて優しい食卓

１６章 残された小さな欲望

第１話 目に見えないもの

　常連の三浦（みうら）さんは、いつも小鉢を肴（さかな）に赤ワインを楽しまれ、飲み終えたら煮物でお米を食べられる方だ。

　三浦さんはワイングラスを片手にぐったりとうなだれる。

「今日はいつも以上に疲れました〜。運ばれて来た方の体重が１３０キロ超えで、移動させるのにもう８人掛かりで。男の子にも手伝ってもらってどうにか」

「それは大変でしたね。相当大きな方だったんですねぇ」

「まさに巨体！　って感じでした。健康のためにも少しは痩せて欲しいんですけどねぇ」

「そうですね。太り過ぎてしまうと病気になるリスクが高くなりますもんねぇ」

「本当ですよ。その方はその典型でした」

「あらあら」

　三浦さんの仕事は看護師である。今は総合病院の病棟でパート勤務をしている。

　看護学校に通い看護師免許を取った若い頃、三浦さんは看護師として夜勤も含む勤務をしていたが、あまり身体が丈夫では無かった三浦さんは、生活リズムが狂ってしまったことで体調を崩し、パート勤務に変えたのだ。

　パートと言うが、看護師のパートは社会保障や福利厚生完備のことも多く、勤務時間と給与形態が違うだけでそう大きくは変わらない。

　しかし日勤だけというのは身体への負担が段違いだ。三浦さんは元気に勤務を続けている。

「今日特別個室にお金持ちの方も入られて、私が担当することになったんですよ。幸い症状が軽くておられるので、私も勉強させていただきながら看病させていただこうかと」

「だったら良いお部屋なんですね。私たちには縁のないお部屋なんでしょうけど、ホテルみたいな豪華なお部屋とか？」

「そうですね。リビングセットとかありますよ。１日数万しますからね。だから気疲れの方が多いかも知れません。でもそういう患者さんは珍しく無いですからね。少しでも慣れないと」

「あまり根を詰めないでくださいね。三浦さんのお身体にご負担がある方が心配です」

「あはは、ありがとうございます。本当にパートにしてもらってから順調なんですよ。病棟なので外来よりはばたばたしますけど、やりがいもありますしね」

「だったら良いですけど、ご無理は禁物ですからね」

　佳鳴（かなる）も千隼（ちはや）も三浦さんのパート勤務への経緯を知っているだけに、心配になってしまう。

「もう、店長もハヤさんも心配性ですねぇ。無理はしない様に気を付けますから」

「はい。よろしくお願いしますね」

「はぁい」

　三浦さんは明るく応えて、小鉢をぱくりと口に運んだ。

　数日後訪れた三浦さんは、また赤ワインで小鉢をつまむ。

　今日の小鉢は白ねぎと人参のきんぴらだ。斜め薄切りにした白ねぎと千切りした人参をごま油でしんなりするまで炒めて味付けをし、すり白ごまを加えた。

　もう一品はピーマンとパプリカの焼き浸しである。太めの棒状に切った緑、赤、黄色と色とりどりのピーマンとパプリカをオリーブオイルで焼き付けて、漬けだれに漬けた。

「今日もお疲れです〜。頑張りました〜」

「本当にお疲れさまです。特別室の患者さんはいかがですか？」

「こんな言い方変ですけどお元気ですよ。もともと症状の軽い患者さんですからね。模範的におとなしくされているのも良いのかと。先輩たちに聞くのが、やっぱり特別室に入られる方ってそれなりに裕福な方がほとんどで、だからかどうかは判らないんですけど高飛車だったりわがままだったりするみたいで。プライドが高いって言うんでしょうかねぇ。具合が悪くて思い通りにならないからそうなるんじゃ無いかって、先輩たちはおっしゃるんですけどね」

「会社のお偉い方とかなんでしょうかねぇ。でもそれでわがままになっちゃうなんて、なんだか物悲しく感じちゃいますね」

「そうですよねぇ。でもそういう患者さんは普段から人格者とかでは無いんだと思います」

「あら、なかなかに辛辣（しんらつ）ですねぇ」

「あはは。そういうのも普段は理性で押さえ込むんでしょうけど、病気の時には難しいっていうのも解るんですけどね。普通ではいられないんだとは思いますけど。私たち看護師は仕事なので割り切れますけど、周りの人は大変そうです」

「そうですね。それでも看護師さんは大変そうですけど」

「まぁ大変ですけどね〜。あ、そうだ。店長さん、ハヤさん、霊感って強いですか？」

「霊感？」

　佳鳴も千隼も突然なんだと首を傾げる。

「病院なので、心霊現象とかの噂ってあるあるなんですけど」

「あ、そうですよね。ご不幸もありますもんね」

「はい。ただ今回は同期が言ってたんです。使っていないＩＣＵの生命維持装置のスイッチが勝手に入るとか。機械の不調かと思って業者さんに見てもらっても故障とかも無くて。最近そういうのが多いらしくて。幸い使っていない部屋なので患者さんに影響が無いのは助かるんですけど。万が一があったら目も当てられないですからね。先生、あ、医者やら看護師やら技師やら、そんな非科学的なことあるわけ無い気のせいだ派と、怖がってる派といて、なかなか面白くもあります」

「三浦さんはどっち派なんですか？」

「どっちでも無いですねぇ。不思議だと思いますけど怖いとは思っていなくて。でもその同期は怖がっているのでなんとかできたらなと思って。なので霊感なんですよ」

「それが本当に幽霊とかの仕業なのかってお話ですよね？」

「そうです。霊感がある人に見てもらったら分かるんじゃないかって。一応事務にも言ったんですけど取り合ってもらえないので、虫の良い話なんですけど私たちができる範囲のお礼で見てもらえる人がいないかなぁと」

「私に霊感があればお役に立てたんでしょうけどねぇ。あ、もちろんお礼は要りませんよ。千隼は信じていないですしね」

「はい。僕はその手の現象は信じてないですねぇ。なんでも科学で証明できるって思ってます」

「ハヤさんは現実主義なんですね。でも男性には多いかも。気のせい派は男性が多いですし。店長さんは？」

「私には感じられないものですけど、それがあるって言ってる人がいるので、あってもおかしくないなって思ってます。金縛りに遭ったこともありますしね」

「そうなんですか！？」

　三浦さんが驚いた様に声を上げる。

「え、姉ちゃん、それ俺初耳」

　千隼もびっくりした様で、素になって目を丸くする。

「あ、言ってなかったっけ。ああ、びっくりはしたけど夜中のことだったし、そのまますぐ寝ちゃったからね。友だちには言ったかも知れないけど」

「店長さん胆が座ってますねぇ」

「怖くはなかったですからねぇ。本当に驚いただけで。幽霊を見たわけじゃ無かったですから。見えてたらさすがに怖かったと思いますよ」

「けど金縛りって体調不良とかで片付けられるんじゃ無かったっけか？」

「そうも聞くね。だからその時はそうだったのかも知れないけど、夜中に突然目が覚めて全身が動かせないなんてびっくりもするって」

「それもそうか」

　千隼は納得した様に頷く。三浦さんも興味深げに聞いていた。

「あ、三浦さん、霊能者さんとかのお客さまはいらっしゃらないんですけど、占い師さんならおられますよ。最近来られる様になった方なんですけどもね。ジャンル違いかと思いますけど、もしかしたら繋がりとかあるかも知れませんから、今度来られた時に聞いてみましょうか？」

「本当ですか？　お願いします。解決？　というかどうにかなってくれたら良いんですけども」

　三浦さんは言って、残りの赤ワインを傾けた。