第3話 新しい家族の形

 寿美香すみかはワイングラスをくるくる回しながら言う。


「私さ、結婚してあんたたちも産んだけど、ずーっと違和感を感じてたんだよねぇ。もともと向かないなーとは思ってたけど、やっぱり駄目だった。仕事辞める気も家事する気も起きなかったし、あんたたち産んでも育てる気になれなかった。まぁさ、仕事好きな女はいるし家事嫌いな女もいるだろうけど、自分の産んだ子を育てる気になれないってさ、こりゃさすがに人としてどうかと思って、これでも落ち込んだりもしたんだよ。そしたら寛人ひろとくんが全部やってくれたからさ、じゃあ私は仕事に打ち込むかーって。でもあんたたちも私なんかより、寛人くんに育ててもらって良かったって思うでしょ?」


「それを俺らに聞くなよ」


 千隼ちはやは顔をしかめてしまう。佳鳴かなるもどう答えたら良いのか判らず黙るしか無い。


「でも結局さ、私は寛人くんのこともあんたたちのこともないがしろにしちゃったんだよね。本当にね、良く寛人くんに三行半突き付けられなかったよ」


「でも離婚する、んでしょ?」


 佳鳴が怪訝けげんな表情で聞くと、寿美香は「それねぇ」と困り顔を浮かべる。


「寛人くんに言われちゃった。あんたたちに迷惑掛けるんだったらまた同居しようって。家事は寛人くんが全部するからって。でもねぇ、私結婚ってもんに縛られたく無いの。自分の稼ぎだけで充分食べていけるし、あんたたちも立派に独立してるしさ」


「だからね、だったら離婚して同居しようって言ったんだよ。ただの同居だ。だったら気も楽だろうってね」


「だったらまぁいいかって」


 穏やかに言う寛人とあっけらかんとした寿美香。佳鳴と千隼はなかば呆れて溜め息を吐くしか無かった。


「ま、父さんと母さんが良いなら俺は良いよ。もう俺らも大人だから親権とか関係無いんだろうし」


「そうだねぇ。私もそれで良いと思うよ。考えてみたらお母さんひとりって結構危なっかしいし」


「そうだな」


 佳鳴のせりふに千隼はおかしそうに「くくっ」と笑う。


「酷いなぁ」


 寿美香は苦笑いする。寛人はその横でうんうんと頷く。


「あ、寛人くんまで酷いなぁ」


 今度は寿美香はからからとおかしそうに笑った。


「少しまた変わった家族の形になるかも知れないが、僕たちの同居で今までよりは家族らしくなるかも知れないね。変な言い方かも知れないが、これからもよろしく頼むよ」


「よろしくね!」


 佳鳴と千隼は「ふふ」「はは」と笑みをこぼす。


「なんか変な感じだけど、ま、うん、よろしくな」


「あはは、よろしくね」


 その頃にはオードブルとスープを終え、彩りも鮮やかな魚料理がサーブされた。




 寛人と寿美香はこの後バーに行くと言うので、佳鳴と千隼は両親とレストランの前で別れた。


 佳鳴たちも誘われたが、翌日はまた煮物屋さんの営業があるからと辞退した。


 駅に向かってぶらぶらと歩きながら、ふたりはぽつりぽつりと口を開く。


「離婚した方が家族ばらばらにならないなんて、なんかお母さんらしい」


「かもな。極端なこと言うともう俺らに対する責任も無い訳だしな」


 佳鳴は「責任、か」とぽつりと呟いて、「ふぅ」と息を吐いた。


「私たち、自分の城を持てて本当に良かったね」


「ああ。それは本当にそう思う。俺さ、正直うちに来てくれる客の仲良い夫婦とか羨ましかった。山見さんとかさ」


「うん、そうだねぇ」


「山見さんの奥さんって専業主婦でさ、家事も子育てもやって、なんと言うかちゃんと母親やってたんだろうなって」


「うん」


「でもそれって無い物ねだりだよな。俺らの母親はそうじゃ無かった。じゃあそれなりに受け入れるしか無いもんな。俺、自分で思ってたより変にこだわってたのかも知れない。けど今日母さん見てさ、あ、これからは友だち感覚で付き合っていけば良いんだってふと思ってさ」


「私はずっとそのスタンスだったよ」


「そうなのか?」


「うん。男女の違いなのかなぁ。私は言ってもお母さんと同じ女だから、そういう女性もいるもんだと割り切れるもんだけど、やっぱり男性は母親に理想と言うかか、そういうのがあるもんなんじゃ無いかなぁ」


「え、俺まさかマザコン?」


 千隼が動揺したので、佳鳴は「あはは、違う違う」と笑い飛ばす。


「でもさ、例えばお母さんが山見さんの奥さまみたいな方だったら、煮物屋さんをオープンできてなかったかも知れないよ」


「そうかな」


「うん。だって千隼が料理しだしたのって、楽しいと思える様になったのって、お父さんの手伝いを始めたからでしょ。なんでもやってくれる母親だったらそうならなかったかもだよ」


「ああ、それもそうか」


「また違うタイミングで料理楽しいって思ったかも知れないけど、お店まで出せたかは判らないからね。私は千隼と一緒に煮物屋さんができて楽しいし幸せだって思ってるよ。来てくださる常連さんも良い方ばかりで、お話していて楽しいし癒されるし」


「そうだな。それは俺も思う。俺ら客に恵まれてるよな」


 千隼はそう言って穏やかに笑う。佳鳴も嬉しそうに口角を上げた。


「まぁ、さ、母さんが子ども服のデザイナーなんてのをやってる理由ってのもさ、うん、ま、意外だったけど」


「ねぇ。ちょっとびっくりしたよねぇ」


 寿美香に聞いてみた。すると寿美香にしては珍しく申し訳無さそうに目を伏せた。寿美香は元々アパレルブランド勤めだったのだが。


「子ども服を扱うたびにね、子どもが産まれたら着せてあげたいなぁって思ってた。でもいざ産んでみたら育てることすらできずにさ。なのに子ども服見るたびに、あんたたちに着せてあげたいなって虫の良いこと思ってた。で、あんたたちに着せる服を作りたいなって思ったんだよね。はは、本当に虫の良い話なんだけどさ」


 少なくともその分だけは、寿美香は佳鳴と千隼の母親だったのだ。母親としては足りなかったのかも知れないが、寿美香はふたりを思ってくれている時間があったのだ。


 確かに寿美香は夫である寛人と、子どもである佳鳴と千隼をないがしろにしたのだろう。だが寛人がそんな寿美香と離婚をしなかったのは、そんな部分を感じていたのかも知れない。


 そして佳鳴と千隼も、少し救われた様な気がしていた。


「ねぇ千隼、帰ったら少し飲み直さない?」


「そうだな。明日に響かない程度だったら良いよな。まだスーパー開いてるな。なんか見繕うか」


「私めっちゃ良い日本酒飲みたい! それと酒粕クリームチーズ!」


「いいな。俺は何にしようかなぁ。塩辛のバターソテーでも作るかな」


「じゃあとっとと帰ろう。楽しく飲んで、明日の英気を養うよ」


「おう」


 そうしてふたりはほんの少しだけ暖かなものを抱え、帰途きとに着く。新しい家族の形にほんの少し戸惑いはあるが、どうにかうまくやって行けそうだ。


 あとは両親が巧く同居生活を送れることを願うばかりである。

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