第4話 素敵な未来のパパとママ
翌日の日曜日、開店とほぼ同時に訪れたのは
「あら、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
「連日ですいません。昨日はありがとうございました」
「いえいえ。またお越しくださって嬉しいです。今日はおひとりなんですね」
「はい。実は今日は
柏木さんのせりふに
保育士である浦島さんの平日は激務である。勤め先が幼稚園なので保育園ほどの時間拘束は無いものの、園児が帰ってからも保育士の仕事は盛り沢山で、平日は疲労困憊で煮物屋さんには来られないのだ。
買った惣菜や弁当を食べて風呂を使ったら、後はもう寝るだけだと言っていた。
なので幼稚園が休みの土曜日と日曜日は思いっきり羽根を伸ばすのだと言っていた。
お友だちと約束する日もあるそうだが、そうで無い日の夜は大概煮物屋さんに来られるのである。
なので浦島さんに内緒で来られるのなら、平日が最適なのだ。
浦島さんの今日の予定は判らないが、来店される可能性は充分にあった。しかしそれは柏木さんに言わない方が良いだろう。柏木さんは恐らく佳鳴たちに用事があるのだと思う。
柏木さんはカウンタに着き、佳鳴が渡したおしぼりで手を拭いた。
「今日も定食にされますか?」
「はい。お願いします。それとウーロン茶お願いします」
「はい、かしこまりました」
佳鳴がご飯とお味噌汁を用意し、千隼が料理を整える。
メインは鶏もも肉と椎茸とにらの煮物だ。醤油を使わず出汁の味を効かせた仕上がりになっている。
小鉢のひとつは茄子とみょうがのおかか醤油和えである。蒸してしんなりさせた茄子を割いて、千切りにしたみょうがとともに削り節と醤油で和えたものだ。
もうひとつはきゃべつとプチトマトの甘酢和えだ。塩揉みをしてしんなりさせたきゃべつとカットしたプチトマトを甘酢で和えてある。
揃えて柏木さんに提供すると、昨日の様に表情を綻ばせた。
「今日もおいしそうですねぇー。いただきます」
柏木さんは白米を口に放り込み、続けて煮物を大口で頬張る。もぐもぐと嬉しそうに口を動かした。
「出汁がしっかりと効いていて美味しいですねぇー。昨日のもとても優しい味でしたがこれもほっとする味ですね。安心すると言うか」
「ありがとうございます」
柏木さんはまた白米を口に運ぶ。そしてふと手を止めると茶碗と箸を置いた。
「あの、こんなことを聞くのは不躾だし筋違いかも知れないんですけど」
「はい、なんでしょう」
佳鳴が気安く返事をすると、柏木さんはゆっくりと口を開いた。
「浦島さんなんですが」
やはり柏木さんは浦島さんのことを聞きに来たのか。柏木さんも浦島さんを見極めたいと思っているのだろう。
「浦島さんとは何度かお会いしました。その度にとても素敵な女性だなと思いました。子どもが好きで保育士になられたという話を聞いて凄いと思いました。私も考えたんですけど、激務と給料の釣り合いが取れないというのは良く聞いていたので、尻込みしてしまったんです。将来結婚できることになったら家族を養う立場になった時に、それでやっていけるのか不安になってしまって普通の会社員になりました。もちろん女性だから男性だからってつもりはありません。でも僕は子どもが欲しいんです。そのためには結婚した女性に産んでもらわないといけません。その間は相手は仕事どころじゃ無いわけですから。相手の女性が専業主婦になりたいって思う可能性だってありますし」
「そうですね」
佳鳴が笑顔で
「僕はまだ浦島さんとお付き合いしていません。浦島さんにお会いするまでに何人かの女性に会いました。ですが浦島さんがいちばん素晴らしいと思いました。だからできたら結婚を前提としたお付き合いを申し込もうと思っています。浦島さんなら良いお母さんになれると思います。それに子どものことももちろんなんですが、浦島さんと一緒だとほっとするんです。癒されるというか。僕はこの直感みたいなものを信じて良いものなのかどうか。僕はもう30代です。最近は
「確かにそんなお話はお客さまからも聞きますねぇ。小さな子の体力は無尽蔵だって」
「だよな。そのお客さまのお子さんはもう大きくなられてるんですけど、小さな頃はもう本当に大変だったっておっしゃってましたよ。相当やんちゃだったらしくて」
「あはは、それは大変でしたね。でも自分の可愛い子だからこそ頑張られるんでしょうねぇ。僕は浦島さんとなら一緒に頑張れると思うんです。でもまだまだお会いしてからの時間も短いので、何とも判断ができなくて」
柏木さんは小さく苦笑する。
佳鳴はまだ誰かとの結婚を意識したことは無い。それは千隼も恐らくそうだろう。だがこれから先どうなるかは判らない。
結婚したいと思える人と出会った時、その人と尊重し合えながら生涯ともにあれるかどうかはある意味
結婚しないと分からないことはきっと多いのだ。それは佳鳴と千隼の近しい人にもいた。
だからお付き合いの時間を重ね、夢と希望を持ちながら見極めようとするのだ。そこにはもちろん相手への気持ちも加味される。
「浦島さんはこちらに来ていただく様になってそれなりに経ちますが、とても良い女性の様に私たちは思ってますよ」
「はい。なので柏木さんの直感は正しいんじゃ無いかと僕も思いますよ」
佳鳴と千隼が笑顔でそう言うと、柏木さんは嬉しそうに顔を緩めた。
「僕なんかより浦島さんをご存知のおふたりにそう言っていただけて良かったです。僕、頑張ってみようと思います」
「はい。ご健闘とお祈りしております」
佳鳴と千隼がにっこりと微笑んだ時、新たなお客さまが来店された。
「こんはんは〜」
浦島さんだった。
「え、浦島さん!?」
柏木さんは驚いて腰を浮かす。浦島さんも柏木さんを見て「え? 柏木さん!?」とびっくりした様な声を上げた。浦島さんは店内に入って来るとごく自然に柏木さんの隣に掛けた。
「どうされたんですか? よほどこのお店が気に入られたんですか? 美味しいですもんね〜」
すると柏木さんの目が一瞬泳ぐ。浦島さんのことを聞きに来ましたなんて言えないだろう。柏木さんはごまかす様に「そ、そうです」としどろもどろになった。
柏木さんは嘘のつけない人の様だ。それもまた人の良さを表している様な気がする。
浦島さんは千隼から受け取ったおしぼりで手を拭きながら注文をする。
「お酒でお願いします。ウイスキーの、今日はコーラ割りにしようかな」
「あら、珍しいですね」
「テレビのCMでコーラ見てからなんだか無性に飲みたくなっちゃいまして〜」
「うふふ、ありますねぇ、そういうこと。お待ちくださいね」
佳鳴はウイスキーのコーラ割りを作り、千隼は料理の準備をする。先に飲み物を提供すると、浦島さんと柏木さんはどちらともなく「お疲れさまです」と軽くグラスを重ねた。
柏木さんはグラスに半分ほどになっていたウーロン茶を傾け唇を湿らすと、ごくりと喉を鳴らした。
「これも縁なのかも知れません。あ、あの、浦島さん!」
柏木さんが上擦った声を上げる。
「はい?」
勢い良くウイスキーのコーラ割りを飲んでいた浦島さんがタンブラーを置く。
「あの、その」
緊張している柏木さんに浦島さんはきょとんと小首を傾げる。佳鳴と千隼は「今言うのか? 言うのか!?」と固唾を飲んだ。
「ぼ、僕とお付き合いをしてくれませんか!?」
柏木さんは一気に言うと、詰めた息を逃す様に「はぁっ」と大きく息を吐いた。浦島さんはと言うと驚いて目を見開き、しかし徐々に満面の笑顔が浮かんだ。
「はい! よろしくお願いします!」
浦島さんが嬉しそうに言うと、周りから歓声が上がった。
「わぁ、良かったね!」
「おめでとう!」
佳鳴と千隼も「おめでとうございます!」「良かったですね!」と拍手をした。
浦島さんと柏木さんは恥ずかしそうに、だが幸せそうに「ありがとうございます」とはにかんだ。
ふたりは照れを隠すように「えへへ」と飲み物をこくりと傾ける。
「浦島さん、柏木さん」
佳鳴の声にふたりは顔を上げる。
「難しく考えることは無いと思いますよ。お付き合いが始まってこれまでより距離が縮まるんですから、これからもっとお話をたくさんして、お互いを知って行けば良いんだと思いますよ。そのためのお付き合い期間なんだと思いますよ」
そのことばに浦島さんも柏木さんも目を輝かす。
「そうですよね! 柏木さん、たくさんお話しましょう! 私、良いお母さんになりたいです!」
浦島さんが気合いを入れて言うと、柏木さんが「えっ」とかすかに顔を赤らめた。佳鳴と千隼は「ふふ」と笑う。
「浦島さんったら。プロポーズはまだですよ」
すると浦島さんの顔がみるみる真っ赤に染まる。両手で顔を覆って
「そ、そうですよね! 私ったら恥ずかし……!」
「い、いえ、あの、プロポーズはまだ少し先になると思いますけど、結婚を前提としてお付き合いしてくれたら嬉しいです。僕も良い父親になりたいです」
柏木さんが笑顔で言うと、浦島さんはそっと手を外して「はい!」と笑った。
煮物屋さんの営業が終わり、佳鳴と千隼は後片付けに勤しむ。
「浦島さんと柏木さん、良かったよねぇ」
カウンタを拭きながら言う佳鳴に、厨房を掃除する千隼は「だな」と口角を上げた。
「まさかここで告白するなんて思わなかったけどな」
「あはは。あれはびっくりしたよねぇ。他のお客さんもすっかり聞き耳立てちゃって」
「まぁあれはな。ある意味ドラマだったからな」
「ね。このまま順調にお付き合いが続いて結婚してお子さんが生まれたら、お子さんも一緒にここに来てくれたら嬉しいよね」
「そうだな」
「そうなると小さなお子さんも座れる様な椅子とか、あ、でも赤ちゃんだったら座れないから寝てもらえる様な台とかいるかな」
「姉ちゃん気ぃ早すぎ。まだこれからどうなるか分からないんだからさ」
「ふふ、そうね」
しかし佳鳴は思わずにはいられない。浦島さんと柏木さんの間に産まれたお子さんが、この煮物屋さんで常連さんにあやされたりして笑っている光景を。
佳鳴はそんな未来を願ったのだった。
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